蠱毒の壺をペットにしたバカの話   作:二度見屋

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プロローグにおいて大輝から見た壺が無臭で無音だったにも関わらず、第一話で父親が壺を見ると腐臭と異音がしている。という描写の食い違いに気付いた方もいるかと思います。
あれはミスではなくて「大輝以外にはこう見えている」ということを描写したかったのですが、分かりにくかったらすみません。


第二話

山田大輝が小学六年生になった頃、山田家の敷地内を流れる空気は、もはや物理的な重みを伴うほどに澱んでいた。

 

表面上、山田家は旧家としての平穏を保っている。手入れの行き届いた庭園には四季折々の花が咲き、近隣住民との付き合いも滞りない。しかし、その家の中に一歩足を踏み入れれば、神経の鋭い者なら即座に異変に気づくはずだ。家中の鏡はどこか曇り、廊下の隅には日中でも拭いきれない濃い影が張り付いている。そして何より、北側の「倉」から漂う、あの甘く腐ったような死の残り香。

 

十二歳になった大輝は、以前にも増して寡黙な少年へと成長していた。

彼の日常は、学校と倉の往復だけで完結している。学校での彼は「大人しくて目立たない子」という評価で固定されていたが、担当の教師たちだけは、時折彼が見せる奇妙な知性に困惑を隠せなかった。

 

「山田君、またそんな難しい本を読んでいるのかい?」

 

休み時間、図書室の隅で大輝が広げていたのは、現代語訳すらされていない中世の写本の写しだった。

 

「……はい。少し、文字の成り立ちが気になって」

「それは変体仮名だね。大学の専門課程で学ぶような内容だ。君は時々、驚くような質問をしてくるね」

 

教師は大輝の問いに答えながらも、彼の指先が古文書のページをなぞるたび、その周囲の温度が数度下がったような錯覚に襲われた。大輝が知りたいのは言語学的な知識ではない。その文字に込められた「指向性」と「念の定着率」——つまり、呪術という超常の理を成立させるための、世界への干渉方法だった。

 

大輝は既に、自身で解読した膨大な古文書の知識と、独学で得た民俗学・宗教史の知識を統合し、自分なりの「術式」を構築し始めていた。かつてはただの「エサ」だった虫や小動物、そして自身の体液。それらが壺の中でどのような化学反応を起こし、霊的な変異を遂げるのか。彼はそれを、冷徹な科学者のような視点と、狂信的な修道士のような献身をもって観察し続けていた。

 

大輝の父・正樹は、この数年で急速に老け込んでいた。

 

四年生の時に起きたあの「障り」以来、彼は息子への恐怖に支配されている。しかし、家主としてのプライドが、彼に最後までの足掻きを強いた。

正樹は密かに、全国から「その道の専門家」を呼び寄せていた。

 

最初は有名な神社の神職や、テレビに出演するような霊能者だった。しかし、彼らのほとんどは大輝の倉を一目見るなり、「気のせいでしょう」「少しお疲れなのでは」と、適当な理由をつけて逃げるように去っていった。彼らはただの商売人であり、本物の「闇」に対処する術など持っていなかったからだ。

 

ある時、正樹は知人の紹介で、高名な霊能者の末裔だという老婆を招き入れた。彼女は本物だった。

山田家の門をくぐった瞬間、老婆は激しく咳き込み、地面に這いつくばった。

 

「……正樹さん、あんた、この中に何を飼っているんだ……」

 

老婆の声は震えていた。彼女は正樹の制止を振り切り、一人で倉の前まで辿り着いたが、そこから一歩も動けなくなった。

 

「あ、ああ……。空気が、焼けている。あの中にあるのは、もはや蠱毒なんて生易しいものじゃない。……あれは、概念だ。蟲たちの命と、あの子の純粋すぎる愛が混ざり合った、形のない神だ」

 

老婆は祓うために呪文を唱えようとしたが、口から出たのは言葉ではなく、どす黒い泥の塊だった。

彼女は大輝と一度も目を合わせることなく、這うようにして敷地を脱け出し、二度と連絡が取れなくなった。

 

こうした出来事が重なるにつれ、正樹と母の愛子の中で、大輝に対する感情は「愛情」から「忌避」へと完全に塗り替えられた。

 

夕食のテーブルで、二人は大輝と目を合わせない。彼が口を開けば、びくりと肩を震わせ、腫れ物に触れるような、あるいは爆弾を扱うような怯えた態度で接する。

彼らにとっての大輝は、もはや愛すべき息子ではなく、家の中に居座る「理解不能な何か」の代弁者に過ぎなかった。

 

大輝は、そんな両親の変化を冷ややかに察していた。

悲しくはない。むしろ、余計な干渉がなくなったことで、自身の「研究」に没頭できる今の環境を、彼は心底気に入っていた。

 

大輝の祖父——かつてこれらの古文書を集めた張本人は、彼が生まれる前に他界している。

祖父がなぜこれらの禁忌を集めたのか、それを何に使おうとしていたのかを知る者は、もうこの家にはいない。唯一の「理解者」を失った山田家において、大輝を止められるブレーキは完全に消失していた。

 

「クロちゃん、今日のご飯だよ」

 

六年生になった大輝の声は、少しだけ低くなっていた。

彼が壺の欠け穴から、自身の生命の種子と、新しく捕まえてきた虫を投入する。

 

大輝がこの数年で壺の中に入れた物の総量は、既にこの壺の容量を軽く越えているはずだった。しかし壺が溢れる様子は全くなく、重さも変わってないように感じた。

大輝は一度も壺の蓋を開けることは無かった。一度だけ、蓋を縛っていた紐が劣化で千切れそうになっていたので新しい物に取り替えたが、その時も蓋を浮かす事すらしなかった。

欠け穴から中を覗こうとしても、なぜか光は壺の中を全く照らすことは無く、中を確認することは出来なかった。

 

しかし大輝はそうして確認しなくても、壺の中の様子が手に取るように分かるようになっていた。

 

大輝の指先が、黒い陶器の表面を優しくなぞる。

彼はもう、古文書の知識をなぞるだけの子供ではなかった。

 

彼は気づいていた。壺の中の「何か」と自分の魂の間に、呪術的な繋がりが構築されつつある。その感覚が教えてくれるのだ。壺の中の「クロちゃん」は、もう物理的な肉体に縛られていない。

 

中の蟲は既に完成しているのだろう。しかし大輝はここに至ってなお、壺を開けるつもりは無かった。

 

「もっともっと、強くしてあげるからね」

 

大輝は優しく微笑んで、壺を妖しく撫で続けた。

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