蠱毒の壺をペットにしたバカの話   作:二度見屋

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作者は別に呪術に詳しいとかそういう訳では無いのでニュアンスで書いてます。考えずに感じてください。


第六話

山田家の屋敷を包む空気は、斉藤香澄という「家庭教師」が定着してからというもの、表面上は穏やかなものへと変わっていた。

 

だが、その平穏は、深海のごとき呪力の圧力を、大輝と香澄がそれぞれの術理で制御し合うことで成立している危うい均衡に過ぎない。

 

勉強部屋として使われている書斎で、香澄は大輝の横に座り、教科書を開きながらも、その意識の半分以上は常に隣の少年に向けられていた。

 

「……大輝くん、ここの数式。解き方は合っているけど、答えが少しズレているわ」

「あ、本当だ。繰り上げを忘れてた。ありがとう、先生」

 

大輝は素直にペンを動かす。その姿はどこからどう見ても、真面目に勉強に取り組む中学二年生の少年だ。しかし、香澄の「眼」が捉える光景は全く異なる。

 

大輝の体を中心として、目に見えない幾何学的な紋様が、呼吸に合わせて明滅している。それは大輝が祭壇の間に施した結界の「端末」であり、屋敷全体を覆う巨大な術式の一部だった。

 

(信じられない……。数学を解きながら、同時に屋敷全体の結界を無意識に最適化し続けているなんて)

 

香澄は、初対面の時に見たあの祭壇の間の結界を思い出す。

 

それは斉藤家に伝わるどの流派にも属さない、あまりにも合理的で無駄のない構築だった。香澄のような伝統的な霊能者は、古来より伝わる複雑な儀式や祝詞を通じて、外にある神秘を引き出し、それを「霊力」として制御する。

 

しかし、大輝は違った。

 

彼は「霊力」と、怪異のみが扱うはずの「呪力」という、本来混ざり合うはずのない二つのエネルギーを、自らの中で完全に統合させていたのだ。

 

「先生、どうしたの? 僕の顔に何かついてる?」

「……いえ、なんでもないわ。ただ、あなたの『力』の使い方が、あまりにも独特だと思って」

 

香澄は少し躊躇してから、自分が感じていた疑問を口にした。

 

「大輝くん、あなた、自分の中で力がどう動いているか、自覚はあるの?」

 

大輝は少し首を傾げ、ペンを置いた。

 

「自覚……。うーん、あんまり考えたことないかな。でも、クロちゃんと繋がっている時は、すごく効率がいいのはわかるよ。僕がクロちゃんに力をあげると、クロちゃんも力を返してくれるんだ。それを自分の中で混ぜて、屋敷の隅々まで流す感じかな」

 

香澄は戦慄した。

 

通常、人間に呪力は扱えない。それは危険だからとかそういう話ではなく、ガソリン車に電池を入れて「走れ」と言うようなもので、そもそもの「仕様」が違う物なのだ。

 

霊力は人間が精緻な術式で制御する「制御の力」であり、呪力は怪異が暴力的な出力で現実をねじ曲げる「改変の力」だ。

 

だが大輝は、自分とクロちゃんの間に呪術的なパスを繋ぎ、お互いの霊力と呪力を供給し合う循環系を構築している。クロちゃんという巨大な蓄電池に、自分の霊力を通すことで不純物を取り除き、クロちゃんの呪力と混合して高出力のエネルギーとして再利用しているのだ。

 

(彼は、自分自身を『蠱毒というシステム』の制御ユニットにしているんだわ。だから、人間には扱えないはずの呪力を、自分の血肉のように使いこなせる……)

 

香澄は、大輝が放つ常人には耐え難い覇気の正体を悟った。それは彼が人間を辞めているからではない。人間としての「霊力」の枠組みを維持しながら、その中身に天災クラスの「呪力」を詰め込んでいるという、異形な適合の結果なのだ。

 

「……大輝くん。あなたが言っていることは、本来なら不可能なことなのよ。でも、あなたはそれをやってのけている。正直、私のような霊能者からすれば、あなたは嫉妬を通り越して、恐怖の対象でしかないわ」

 

大輝は不思議そうに目を瞬かせた。

 

「そうなの? でも、先生もすごいよ。僕が古い本でしか知らなかった『本来の呪法』をたくさん知っているし。……あ、そういえば先生。一つ聞いていい?」

「ええ、何かしら」

「霊能者の人たちが使う術って、みんなに知られちゃうと弱くなるんだよね。でも、僕がネットで調べた『蠱毒』の作り方は、誰でも見られるのにちゃんと動いたよ。あれはどうして?」

 

香澄はその問いに対し、自身の家系に伝わる歴史を紐解いて説明した。

 

「それはね、蠱毒という術式が、あまりにも『原始的』で『強固』だからよ。……古代、蠱毒は今よりもずっと強力な儀式だった。簡単な手順で神霊に匹敵する式神が作れるその術式は、多くの術者がこぞって使ったわ。その結果、術の秘匿性は失われ、誰でも知る『一般教養』にまで成り下がった。そうして力は分散され、今の世では『初歩的な式神作成術』にまで弱体化してしまったの」

「へぇ……。じゃあ、昔の蠱毒はもっとすごかったんだ」

「ええ。でも、あなたが今作っているものは、その『成り下がった術式』をベースにしながら、禁忌を全部踏み抜くことで、原初の頃の……あるいはそれ以上の強度を無理やり取り戻させているわ」

 

香澄は呆れたように息をついた。

 

「あなたが言っていた『殺し合いが長引くほど強くなる』っていうのも、本当は『殺し合いが簡単には終わらないほど強い個体を入れるべきだ』っていう意味なのよ。後から虫を継ぎ足して無理やり儀式を延命させるなんて、普通は術式が崩壊して失敗するわ。……でも、現にクロちゃんは強くなっている。あなたの才能が、全ての矛盾を強引に繋ぎ止めているのよ」

 

大輝は嬉しそうに微笑んだ。

 

「そっか。よかった、僕のやり方で合ってたんだね。先生にそう言ってもらえると自信が出るよ」

(そのやり方で上手くいってるのがおかしいのよ……)

 

香澄は内心で頭を抱えた。この少年の「才能」は、もはや天賦という言葉では足りない。それは、世界そのものが彼に味方しているかのような、歪な愛の形に見えた。

 

勉強の合間の休憩時間。香澄はふと、ずっと気になっていたことを尋ねた。

 

「大輝くん、初対面の時……私、あなたに飛びかかったわよね。でも、あなたは慣れた様子であしらった。……ああいうこと、前にもあったの?」

 

大輝は少し遠い目をして、庭の木々を見つめた。

 

「……うん。事故でみんな死んじゃってから、しばらくは大変だったよ。残った使用人の何人かが、突然包丁を持って襲ってきたりしてね。『お前のせいで旦那様たちは死んだんだ』って泣きながら」

 

香澄は言葉を失った。親を亡くした直後の少年に向けられる刃。

 

「最初はクロちゃんが守ってくれてたんだけど……クロちゃんは手加減できないし、他の人の区別もあんまりついてないみたいだから。襲ってきた人だけじゃなくて、使用人みんなを寝込ませちゃったんだ。そうなると、屋敷の掃除が大変だし、仕事をしてくれる人が減っちゃうでしょ? だから、自分で対応するようにしたんだ。幻術を見せて大人しくさせたり、少しの間だけ動けなくしたり。……今残っている使用人の人たちは、そういうのを全部見て、それでも残ってくれた人たちだよ。今は仲良くやれてると思う」

 

香澄は、大輝の横顔をじっと見つめた。

 

彼は、悍ましい気配を放ち、禁忌の呪物を育て、人の精神を弄ぶ術を使う。だが、その根底にあるのは「生活を維持したい」「面倒を避けたい」「家族(クロちゃん)を大事にしたい」という、驚くほど真っ当で、どこまでも「普通の少年」らしい感性だった。

 

そのギャップが、香澄の胸を締め付けた。

 

もし彼が、まともな導き手のもとで育っていたなら。この才能を、誰かを救うために使っていたなら。あるいは、普通の幸せを知る少年のままでいられたなら。

 

(私は、この子を『バケモノ』だと思って接してきた。でも……彼は、ただ一人で生き残るために、こうなるしかなかったのかもしれない)

 

香澄は、自分でも意外なほど深い同情を大輝に抱いていることに気づいた。そして、それは教育者としても、監視役としても、最も危険な感情であることも理解していた。

 

 

 

数日後。

香澄は大学の休暇を利用して、一時的に実家である斉藤家へと戻った。

 

斉藤家は、都心から離れた古い屋敷にあり、今もなお厳格な家風を守り続けている。香澄は実家である斉藤家に戻り、一族の重鎮たちに、山田家で見聞きした全てを報告した。

 

歴史ある霊能者の家系である斉藤家の人間たちは、当初、彼女の言葉を信じようとはしなかった。

 

「十四歳の素人が、混じり物の呪力を扱っているだと?」

「自身の精と、一族の魂を注ぎ込んだ蠱毒だと? 狂気にも程がある。そんなことをして生きてられる訳がない」

 

しかし、香澄が大輝から「長旅のお守り」として渡された、護符を見せた瞬間、広間の空気は凍りついた。護符は真っ黒に変色し、そこからはまるで地獄の釜が開いたかのような、悍ましい圧力が立ち上っていた。

 

斉藤家の当主――香澄の父は、蒼白な顔で言った。

 

「香澄。その少年を、一度ここへ連れてきなさい。……我々が直接会って、その『何か』を確かめなければならん。それが、人として留まっているうちに、だ」

 

その言葉は、大輝をゲストとして招くという意味ではない。最悪の場合、斉藤家総出で彼を封印、あるいは「処分」するための査定を行うという意味だった。

 

一方、山田家の屋敷。

香澄からの連絡を受けた大輝は、静かな書斎で、新しい参考書を開いていた。

 

「斉藤さんの家、霊能者の人がたくさんいるんだよね。楽しそうだなぁ」

 

大輝が独り言をつぶやくと、祭壇の間から地鳴りのような鳴動が響いた。

それは喜悦の表現か、あるいは新たなる糧への渇望か。

 

「……香澄さんは色んなことを知ってたし、その家族も色んなことを教えてくれるといいなぁ」

 

大輝の瞳は、夏の終わりの夕暮れのように、美しく、そして救いようのないほど暗く沈んでいた。

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