拠点に残った焦げ跡と血痕が、さっきまでの戦闘を物語っていた。
ノーランドは通路の入口で、怒鳴るように言った。
「ここは終わりだ。あいつは場所を覚えた。次は真正面から潰しに来る」
返論する者はいなかった。
新入りたちは負傷者を抱え、使える弾薬と水をかき集める。
ロイスも無言で荷をまとめ、出口側の経路を確認している。
誰もが理解していた。
あの怪物が再び来れば、この狭い居住区は棺桶になる。
ノーランドは佐藤を見る。
「おい、友達。行くぞ」
佐藤は床に転がった異形の装備を拾い集めながら、顔も上げなかった。
「私は残る」
「馬鹿か。ここにいたら死ぬぞ」
「知ってる」
即答だった。
佐藤は壊れたマスクの予備部品を弄りながら笑う。
「でも、ここに来るんだろ?」
ノーランドは舌打ちした。
ロイスが初めて口を開く。
「お前は勝てると思っているのか」
佐藤は少し考えるふりをした。
「わからない。でも面白い」
それだけだった。
ロイスは数秒見つめ、背を向ける。
「置いていく」
「どうぞ」
ノーランドは最後まで何か言いたげだったが、結局肩をすくめた。
「……ヘマはするなよ、化け物」
「努力するよ」
皮肉にもならない返事だった。
やがて足音が遠ざかる。
配線まみれの通路へ、人間たちは消えていった。
◇
静寂。
拠点には佐藤一人だけが残る。
彼は嬉しそうに鼻歌を歌いながら、散らばった装備を並べた。
ガントレット。
拾い直したナイフ。
残り少ないピストル弾。
「さて」
まずはガントレット。
展開速度。
刃のロック。
腕への固定具。
自分の身体に合わせ、何度か着脱を繰り返す。
「うん、問題なし」
次は地形。
入口通路。
射線。
遮蔽物。
掘削機の位置。
崩れかけた梁。
歩き回りながら、戦う場所を頭へ入れていく。
時折、椅子へ座る。
待つ。
……五分。
……十分。
……二十分。
何も来ない。
佐藤は頬杖をついた。
「遅いな」
さらに待つ。
機械音だけが響く。
佐藤は天井を見上げ、ため息をついた。
「飽きた」
立ち上がる。
ガントレット固定。
ナイフを腰へ。
ピストルは逆の腰へ。
そして楽しげに笑った。
「迎えに行こう」
通路へ入る。
這って抜ける配管の隙間。
絶壁の棘じみた岩柱の下。
湿った森。
夜の狩場へ、佐藤は一人で歩き出した。
待ち伏せをやめ、今度は自分が狩る側になるために。
森は湿っていた。
葉の裏に溜まった水滴が落ち、ぬかるんだ地面へ小さな音を立てる。
佐藤は鼻歌まじりに歩いていた。
拠点を出てからずっと機嫌がいい。
「来るなら来い、と思って待ってたのに」
落ちていた枝を踏み折る。
「来ないなら迎えに行くしかない」
左腕のガントレットをいじる。
奪った装備はまだ完全には理解していない。
あの戦闘でマスクは破壊されたが、腕の装置だけは残っている。
だから佐藤は、それを玩具のように触っていた。
◇
一方その頃。
密林の奥。
怪物はすでに治療を終えていた。
腹部の穴は塞がり、装甲も再装着されている。
そして今度は、自らマスクを外して地面へ置いた。
捨てたのではない。
囮だ。
視覚・熱源・通信機能を持つ装備は、それ自体が存在感になる。
機械を追う相手なら、そこへ意識が向く。
本体は別位置に伏せる。
獲物の視線を一点へ集め、その死角から仕留める。
狩人らしい手だった。
怪物は木々の高所へ身を潜め、呼吸すら殺して待つ。
待ち伏せ。
本来の形だった。
◇
佐藤は歩きながら、左腕の装置を適当に叩いた。
カチ。
ガチャン。
低い駆動音。
するとガントレットの側面から淡い投影が浮かぶ。
線。
記号。
地形図めいた立体表示。
その中に、ぽつりと一つ、分かりやすい反応がある。
だが佐藤は数秒見ただけで笑った。
「露骨だな」
装置の反応がある場所。
そこに本体がいるとは限らない。
むしろ自分が相手の立場なら、見つけやすい餌を置く。
そして見に来たところを狩る。
佐藤ならそうする。
だから相手もそうしたと分かった。
「待ち伏せだろう」
根拠は勘ではない。
殺し合いの発想が、自分と似ていると理解しただけだった。
「いい趣味してる」
佐藤は自然に光学迷彩を起動しようとして……。
何も起きない。
ガントレットをいじる。
沈黙。
手首を捻る。
意味不明の音声が一瞬鳴って止まる。
「……違うか」
どうやら透明化は、この腕の装置単体では使えない。
別系統の装備だったらしい。
佐藤は少し残念そうに笑った。
「仕方ない」
次の瞬間、背後から黒い粒子が噴き出した。
IBM。
人型の黒い異形が現れ、佐藤の身体へまとわりつく。
肩。
背。
脚。
顔。
輪郭が夜の闇へ滲み、存在感が薄れていく。
完全な透明化ではない。
だが十分だった。
視線を逸らし、気配を乱し、存在を曖昧にする自前の隠蔽。
「こっちのほうが好きだ」
佐藤はわざと囮の反応へ向かうように歩き出す。
木々の間を抜け、ぬかるみを避け、枝一本鳴らさず進む。
そして途中で進路を僅かに変える。
本命が潜んでいるであろう死角へ。
待ち伏せしているつもりの狩人へ向かって。
口元には、いつもの笑みが浮かんでいた。
◇
森の奥は、音がなかった。
虫の羽音すら遠い。
佐藤はIBMをまとったまま、左腕のガントレットをいじりながら進んでいた。
適当に触れているだけの装置が、時折淡い投影を浮かべる。
線。
記号。
点滅する一点。
一定方向へ移動し続ける反応。
それを辿っていくと、森が途切れた。
岩壁。
その中央に、自然物にはあり得ない滑らかな黒い曲面が埋まっている。
巨大な船体。
半ば擬装されていたが、近くで見れば隠し切れていない。
「……ああ」
佐藤の笑みが深くなる。
「面白そう」
ためらいなく、開いたハッチへ入った。
船内は広かった。
曲線だらけの通路。
青く脈打つ照明。
低く響く機関音。
壁に触れる。
冷たい金属。
床を蹴る。
弾むような硬さ。
「いいねえ」
観光客のように歩く。
次の瞬間。
天井の各所が開いた。
無数の散布口。
そこから、青白い液体が雨のように降り注いだ。
細かな霧と水滴。
通路全体。
部屋全体。
船内すべてへ行き渡る勢いだった。
佐藤の肩にかかる。
頬に垂れる。
服へ染み込む。
「……なんだこれ」
薬品の匂い。
冷たいのに、皮膚へ触れた場所だけじわりと熱を持つ。
直後、通路奥の影が動いた。
怪物。
以前より静かに現れ、以前より迷いなく踏み込んでくる。
右腕の刃が閃く。
佐藤は笑いながら迎え撃つ。
ナイフで受け、左腕のガントレットで脇腹を斬り裂く。
深い一撃。
黒い血が飛ぶ。
だが怪物は止まらない。
裂けた脇腹が、目の前で塞がっていく。
筋肉が寄り、皮膚が閉じ、数秒で傷が消える。
佐藤は一歩下がった。
「へえ」
怪物の拳が飛ぶ。
顔面が砕け、壁へ叩きつけられる。
その衝撃で佐藤の額も裂ける。
だが、床へ落ちた血が止まり、傷口の痛みが薄れていく。
自分の傷も、死なずとも閉じている。
天井を見る。
降り続く青白い雨。
通路の床溝へ流れ込む液体。
怪物の傷が異様な速度で治る現象。
自分にも起きている軽い修復。
答えは一つだった。
「再生液か」
佐藤は砕けた鼻を戻しながら笑う。
「船ごと治療室にしたんだな」
怪物は返事の代わりに突進する。
傷を恐れない動き。
多少斬られてもすぐ戻ると知っている戦い方。
佐藤も笑顔のまま構えた。
青白い雨の中。
二体の怪物が、船内通路で正面からぶつかる。
「最高だ」
青白い雨が降り続いていた。
金属の床を叩き、壁を伝い、二人の身体を濡らしていく。
怪物の刃が走る。
佐藤の肩口から胸まで裂ける。
血が飛ぶ。
だが傷口はすぐに閉じ始める。
佐藤のナイフが返る。
怪物の腿へ深く刺さる。
肉を抉る。
だがそこもまた、瞬く間に塞がっていく。
壊しても戻る。
砕いても立つ。
終わらない。
「ははははは!」
佐藤は笑いながら殴られていた。
顔面を砕かれ、肋骨を折られ、壁へ叩きつけられても笑う。
立ち上がるたびに傷は薄れ、痛みだけが余韻のように残る。
その痛みすら心地よかった。
左腕の刃で斬りつける。
怪物の腕を半ばまで断つ。
だが青白い液が滴るたび、筋肉が繋がり、骨が噛み合い、また握り拳が戻る。
怪物の拳が腹へ沈む。
佐藤の背中が通路の壁へめり込む。
吐いた血が雨に流される。
それでも、笑みだけは崩れない。
「いい……!」
息を吐く。
「最高だ……!」
怪物は無言で踏み込む。
狩人の本能で理解していた。
この獲物は苦痛で怯まない。
死でも止まらない。
ならば砕き続けるしかない。
右腕の刃が喉を裂く。
佐藤は首から血を噴きながら、その腕へ噛みついた。
歯が金属へ軋む。
怪物の膝が顎を砕く。
佐藤は吹き飛びながら笑った。
「それそれ!」
通路の天井が軋む。
床には削れた金属片と血液が混ざり、青白い液体に流されていく。
どれだけ戦ったのか、もう誰にも分からない。
数分か。
数十分か。
もっと長いのか。
時間の意味が薄れていく。
佐藤は初めて思った。
――これでいい。
勝ち負けなんてどうでもいい。
殺すでも、殺されるでもない。
斬って、砕かれて、治って、また殴る。
この循環だけでいい。
永遠に続けばいい。
青白い雨の中、終わらない戦闘。
誰にも邪魔されず、飽きるまで壊し合う。
「……ずっとやっていたいな」
佐藤は本音を漏らした。
怪物の拳が頬を潰す。
佐藤はその衝撃で回転しながら、心底嬉しそうに笑った。
「うん。これだ」
再生する肉体。
壊れない相手。
閉ざされた船内。
まるで、この一戦のためだけに用意された世界だった。
佐藤は血まみれの手で床を掴み、また立ち上がる。
「もう一回」
青白い雨は、まだ降っていた。
船内の床には血と液体が混ざり、薄い川のように流れている。
怪物の拳が佐藤の腹へめり込む。
内臓が揺れ、身体が折れ、数メートル先まで吹き飛ばされた。
佐藤は床を滑りながら笑う。
「はは……っ、まだまだ……!」
手をついて起き上がる。
その時だった。
視界の端に、白い糸のようなものが垂れた。
髪だった。
額へ張り付く前髪が、さっきまでより明らかに長い。
頬へかかるほど伸びている。
「……ん?」
指で払う。
その指先に違和感があった。
爪。
伸びている。
白く硬い先端が、数分前より明らかに長い。
佐藤は一瞬だけ笑みを止めた。
怪物はその隙を逃さない。
右腕の刃が走る。
佐藤は避けようとして――遅れた。
肩口が深く裂ける。
血が噴く。
「……あれ」
いつもなら見えていた軌道。
いつもなら動けていた距離。
身体が、鈍い。
足に鉛でも入ったように重い。
関節の切り返しが遅い。
握力にも僅かな衰えがある。
怪物の蹴りが胸へ入り、佐藤は壁へ叩きつけられた。
息が詰まる。
立ち上がろうとして、膝が一拍遅れる。
「……そういうことか」
佐藤は濡れた床に手をつき、天井を見上げた。
降り続く青白い雨。
怪物の傷は異様な速度で治る。
自分の傷も閉じる。
だが同時に、髪や爪まで伸びている。
再生ではない。
活性化だ。
細胞そのものを、無理やり加速させている。
傷口だけではない。
身体全体。
生きている組織すべてを。
「老けてるのか、僕」
言葉にして、佐藤は笑った。
「はは……なるほど」
皮膚を見る。
わずかに張りが落ちている。
筋肉の反応も鈍い。
視界の焦点も僅かに遅れる。
短時間で起こるはずのない変化。
だがここでは起きている。
長時間、浴び続けた代償だった。
怪物は理解していたのか、さらに踏み込む。
こいつはおそらく若いのだろう。
それとも相打ち覚悟でやっているのか。
「やってくれるな」
佐藤は口元の血を拭う。
その手の甲にも、薄く浮いた血管が見えた。
怪物の拳が迫る。
今度はまともに受けた。
頬骨が砕け、床へ転がる。
再生はする。
だが身体性能は落ちていく。
青白い雨は止まらない。
佐藤は起き上がりながら、楽しそうに笑った。
「最高だ」
不利になった。
理不尽だった。
知らないルールで削られていく。
だからこそ、面白い。
伸びた髪をかき上げ、左腕の刃を展開する。
「じゃあ、タイムリミットまでに勝たないとな」
青白い雨の中、二体は同時に踏み込んだ。
もう駆け引きはなかった。
佐藤の身体は重い。
髪は肩へ届き、爪は獣じみて伸びている。
関節は軋み、反応は鈍い。
それでも笑っていた。
怪物もまた無傷ではない。
何度も裂かれ、何度も治した肉体は、再生液に頼りながらも確実に疲弊している。
呼吸は深く、踏み込みもわずかに荒い。
互いに限界。
だからこそ、次で決めると理解していた。
佐藤は右手にナイフ。
左腕には異形の刃。
怪物は右腕のリストブレードを低く構える。
「行くよ」
佐藤が笑う。
返事の代わりに、怪物が咆哮した。
同時。
怪物の突進。
佐藤も前へ出る。
一瞬で間合いが消える。
怪物の刃が佐藤の腹を貫いた。
装甲も骨も関係なく、深々と突き抜ける。
同じ瞬間。
佐藤の左腕の刃が、怪物の喉元から首の奥へ突き刺さった。
さらに右手のナイフが眼窩へねじ込まれる。
衝撃で二人の身体が絡み合い、そのまま通路の壁へ激突した。
金属壁が凹む。
青白い液体が滝のように落ちる。
怪物の刃は佐藤の腹を裂き上げ、胸骨まで開いた。
佐藤の左腕は喉を貫いたまま、首の内部を抉り広げる。
互いに致命傷。
それでも、まだ止まらない。
怪物が最後の力で佐藤の頭を掴む。
佐藤は最後の力で刃をさらに押し込む。
眼球が潰れ、頸椎が断たれ、腹腔が裂ける。
そして――
二人同時に崩れ落ちた。
床へ。
青白い雨の中へ。
◇
怪物は痙攣し、やがて動かなくなる。
喉は完全に潰れ、脳まで刃が届いていた。
再生液が降り注いでも、もう戻らない。
狩人の終わりだった。
一方、佐藤も倒れたまま動かない。
腹は裂け、内臓は零れ、首は半ば折れている。
だが本来なら、これでは死なない。
何度でも戻る。
どれほど壊されても立ち上がる。
亜人とはそういう存在だった。
だが今、佐藤の身体には別の死が近づいていた。
青白い雨。
細胞を狂った速度で活性化させる液体。
傷を塞ぎ、肉を繋ぎ、命を延ばす代わりに――時間そのものを消費する。
佐藤の髪はさらに伸びた。
皮膚がしぼむ。
筋肉が痩せる。
骨が脆くなる。
裂けた腹は塞がりかけては、老いた細胞が崩れていく。
再生と老化が同時に起こり、互いを食い潰していた。
指が震える。
起き上がろうとして、できない。
初めてだった。
死ねない自分に、終わりが来るのは。
佐藤は仰向けのまま、天井を見た。
青白い雨が顔へ落ちる。
皺だらけになった頬を伝って流れる。
「……はは」
掠れた、老人の声だった。
「そうか」
理解した。
これが唯一の終わり。
事故でも、銃でも、爆発でもない。
寿命。
老衰。
亜人の唯一の死因。
佐藤の笑みは、最後まで消えなかった。
「楽しかったねぇ……」
視界が霞む。
骨ばった指先が一度だけ動く。
それきり、止まった。
青白い雨だけが降り続く。
船内には、首を貫かれた狩人の死体と。
永遠に終わらないはずだった男の、静かな亡骸だけが残された。
なんか終わりみたいな感じだけど後もう1話書く予定です。
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割とガチで。