第三十七話 探偵士、黄昏る。
「デイヴィスさん……この後の日程、どうしますか?」
翌朝、朝食の時間になり食事処に顔を出すと、不安げに此方を覗き込む梓さんの顔を直視できなかった。
「皆さんは旅行を続けてください。僕は彼女の恋人として……彼女の葬儀や遺品整理をする為に一足先に米花町へ戻りますから……」
荷物をまとめて女将さんに以降の食事のキャンセルを申し出ると再び梓さんから腕を引かれた。
「私も一緒に戻ります!! 英知さんと……熊津さんは共通の友人だったので」
作業着の袖に置かれた彼女の手を持ってゆっくりと外した。
「事務作業になりますし、葬儀も僕だけで済ませてしまいますから……梓さん達は旅行を……。梓さんが戻ると表明してしまったら蘭さんや園子さん達も続くでしょうし、団体の宿泊客が一斉にキャンセルしてしまったら香月旅館に損害が発生し、親切にしてくださった女将さんに大打撃を与えてしまうんですよ」
淡々と説き伏せると、細い手指は袖から引いて、行き場のない指は手の甲を書いた。
「そうですね……。少しでもお役に立てればと思って……」
安室さんに目配せすると小さく頷いたので、彼女の手を引いて彼の下に導いた。
「……英知さんの飼い猫、ボンが飼い主不在になってしまいます。僕は猛禽類と蛇を飼っているので一時保護も出来ません。……梓さん、旅行中ボンの餌やりと……出来れば旅行後に一時保護をしていただけませんか?」
梓さんの所には大尉という先住猫が居るし、突然で無理なお願いだというのは分かっている。
「はい!! ボンちゃんは任せてください!!」
その一言で打って変わった様子の梓さんは雲間から太陽が顔を覗かせたような晴れ渡った笑顔で拳を握った。
「デイヴィスさん、もし困り事があれば僕に連絡をして下さい」
流石の安室さんも組織の構成員が隠れ公安の協力者に殺害された事実を処理しきれないのか、困惑した面持ちで手を差し伸べた。
「……はい。ありがとうございます」
頭を下げてその場を去ろうとすると、ガッシリとした体躯に視線の先を遮られた。
「デイヴィスさん、本当にお一人で帰宅できますか?」
沖矢さんの教科書を読むような語りに、グッと言葉を堪えた。
「はい。問題ありません」
後ろ髪を引かれる想いなど抱いてはいけないのに、今彼らから離れたら一生輪に入れなくなるような胸騒ぎを無理やり掻き消して旅館の玄関から足を踏み出すと、風鈴の音と共に涼やかな声が
「……探偵士くん、君から借りたランタン……落としてしまってね。旅行から帰ったら直してくれないか?」
「ヴェルヴェーヌの司法解剖は終わりましたか?」
熊津……ヴェルヴェーヌの遺体は組織の人間だと安室さんが把握していたのもあって法医学室による解剖の後、一部の細胞組織が科捜研に回された。
「ああ……終わった。遺体は安置所にある」
風見さんは普段よりも躊躇いを含んだ言い方で宥めるように声を掛けてくれた。
「そうですか……火葬の手続きに遺骨の処理は玄地……スーズと同じ要領ですか? ……ヴェルヴェーヌは行旅死亡人にならない……簡易的な葬儀を行うのなら……今回は僕が喪主になりますかね……遺骨の一部は引き取って慰霊のための供養塔に納めたいので……」
そこまで話すと急な脱力感に見舞われて膝をついてしまった。
「デイヴィス!! ……後のことは公安に任せて休め……」
立ち上がろうとしても脚に力が入らない。
「あ、いえ……問題ありません」
膝立ちの姿勢のまま答えると肩を担がれた。
「問題大有りだ!! ……君は働きすぎだ。自己管理をしっかりしたまえ」
ズルズルと引き摺られて待合室の椅子に運ばれると「少し待っていろ」とだけ伝えられ、そのまま椅子に横になった。
「無力……無様だな……」
革張りのソファの座面部分に涙が伝った。
……助けた命が他人の命を奪ったから?
……リストアップしていたターゲットが一般人に討取られたから?
……計画が自分の手から離れて勝手に動き出しているように思えるから?
……世良さんに痴態を聞かれたから?
……梓さんの隣に立つことが叶わないから?
……自分が無能だと改めて思い知らされたから?
瞼を閉じようとしても溢れる涙は止め処なく流れ、閉じてしまうと暗闇に呑まれてしまう気がして、無理にでも開いていないと胸の中の黒雲に支配されてしまいそうだ。
左手の甲に付けられたシェリーの爪痕をマジマジと見た。
皮膚が抉れて猫による引っ掻き傷のように鬱血している。
……見捨ててくれれば、軽蔑してくれれば。
……僕は何処まで行っても他力本願な男だな。
ボーッと手を眺めていると、コツコツと革靴の音が廊下側から長く冷たい廊下に反響した。
「デイヴィス、一度外に飲みに行こう。不謹慎だと言う連中には言わせておけ。……空気を入れ替えよう」
「毎回毎回……すみません。……ありがとうございます」
書類の提出や事務手続きを済ませた後、いつもの居酒屋に足を運んだ。
「気にするな……いちいち同僚に気を遣わなくていい」
風見さんは本当に太陽光のように力強く、真っ直ぐだ。
彼に飲酒をさせるわけにはいかないので、自分が生ビールを二つ注文して乾杯のていを取った。
「人生って……なかなか思い通りに進みませんね」
ジョッキに口をつけると、風見さんが神妙な顔をして此方を向いた。
「……君は安室さんすら把握していない計画を遂行しているんじゃないのか? ……何故我々に黙っている。離反や混乱を企てているのでは無いだろうな」
計画は僕とRAMの……。
"記憶は揮発する"
はい、RAM。
「嫌だなぁ、離反なんて……」
それ以上、言葉が続かない、続けられない。
しばらくの間回答に詰まり、お通しに箸をつけていると背後のお座敷席からバリンというガラスが割れる音と鈍器を叩きつける鈍い音が同時に聞こえ、振り向くとテーブルに若いスーツ姿の男性が頭にビールとガラス片を被って突っ伏していた。
「な、事件か……?」
流石に公安の風見さんを事件に介入はさせられない。
「……僕が対応しますよ。風見さんは店主の方に警察と救急を呼ばせるように声がけしてください」
カウンター席から立ち上がって近づくとテーブルの脇でスーツ姿の恰幅のいい中年男性が顔を真っ赤にして全身に血管を浮き立たせていた。
「この野郎!! ペーペーのくせに遅れてきた挙句、派遣社員の分際でオレを『クールクルーでパア』だと笑いやがった!!」
若い男性に近づくと頭部からの出血は無いものの、ジョッキで殴りつけられたショックからか意識がない。
自発呼吸はしているが、脳挫傷や頭蓋骨骨折や内部出血をしている可能性がある為、無理に動かせない。
「すみません、一応僕は警察権限を持つ麻薬取締官です。目撃者はいますか?」
声を上げると隣のテーブル席に座るアベックが手を挙げた。
「み……見ました。若い男性にその人がいきなり殴りかかって……」
女性が震えながら証言を述べると中年男性は更に顔を赤らめて憤りを顕にした。
「女如きが意見すんじゃねえ!! コイツが先に喧嘩を売ってきたんだろうが!! オマエの目は節穴か!?」
自分が暴行と今さっき暴言を発したという事実を客観的に把握できていない。
マトモな会話は不可能だろう。
「すみません、その喧嘩を売ったというのは具体的にどんな風にですかね?」
恐怖に固まる女性に代わってアベックの男性が畳から降りて再現をしてみせた。
「『遅れてすみませんでした!! 残業になっちゃって……あ!』……と、ここで頭の近くで指を三本クルクル回しました」
それを見るなり中年男性は再び激昂した。
「コイツは目上のオレに向かって『頭がおかしい』っつうジェスチャーをしやがったんだ!! ふざけやがって!!」
怒りは留まることを知らず、唾を吐き散らしながら激情を発露し続けた。
「……彼は貴方を侮辱したのではありません。謝るために頭を下げながら咄嗟に『ワイン』と手話で話してしまっただけだと思いますよ」
「は……はあ? ワイン?」
中年男性の顔の赤らみが引いて、だんだんと青ざめていった。
「すみません店員さん、倒れている男性はワインのボトルキープや取り寄せをしていましたか?」
そのタイミングで外から救急車の音がすると店の戸がピシャリと開けられ、救急隊員達が急ぎ足で駆け寄って男性が担架に乗せられて運ばれていった。
サイレンの音が遠くなり静かになった店内に店員の小さな声が響いた。
「はい……『お世話になった人が移動になるからワインを開けたい』と……」
そう言ってワインボトルをかざすと中年男性は脂汗をダラダラとかき始めた。
「な……アイツ、オレが憎くて左遷されることを嘲笑ったんじゃ……そ、そうだ!! アイツはバカにした!! ワインの手話? アイツは手話なんかしない!!」
息を切らせながら過呼吸気味になっている中年男性に推測を述べた。
「彼は慌てていた、貴方を怒らせてしまった、だから緊張して普段行わない手話が出ただけの事だと思いますよ。手話を日常で使わなくともプライベートで学んだり使ったりしていたと、どうして考えられないんですか?」
中年男性に迫ると過呼吸は更に乱れて首を押さえ始めた。
「オレは……間違って……ない……」
遅れて到着したパトカーが到着した音がすると、店内に目暮警部が走り寄る足音が響いた。
「デイヴィス君!! 彼が事件の加害……た、大変だ!! 救急車を!!」
残念はがら、先発は行ってしまった。
唯でさえ少ない救急車を更に別所から呼び出しとなると、かなり時間をロスしてしまう。
「目暮警部、パトカーで救急病院に搬送させることは出来ますか?」
目暮警部は一瞬躊躇ったが、強く頷いた。
「もちろんだ!! 緊急事態ならば致し方ない!!」
風見さんの座るテーブルに二千円札を置いて目暮警部と警察官と共に男性をパトカーに担いで後部座席に乗せた。
「受け入れ先を警察無線で救急無数に直接問い合わせ……は、流石に出来ないか……兎に角、救急病院に向かいましょう。拒否されたら別の所に運ぶしかない」
「はぁ……良かった。興奮したことによる血圧上昇による脳出血……早くに受け入れ先が見つかったお陰で一命は取り留めたようで……」
額にかいた汗を袖で拭くと、目暮警部に肩を叩かれた。
「ご苦労だった。……所で、君はつい先日恋人が亡くなったそうだが……居酒屋で何をしていた?」
……目暮警部は自分が隠れ公安だと知っている。
だからといって『恋人は諜報員として引き留める為の演技でした』等という血も涙もない事実、非情な冷血漢である事を伝えて何の意味がある……。
「ええと……気晴らしに……」
言葉を選ぶが、適切なものが見当たらない。
恋人が亡くなって早々に居酒屋に飲みに行ったというのは非難されるべき事だから。
「……君の事情は玄地の件から察しておる。風見警部補も同席していたのだからな……。所属は違えど同じ警察だ。直属の上司や同僚には話し辛い事もあるだろう」
そう言って何度も背中を擦った。
「いえ……」
このままでは決壊する。
「なあに、君たちの事件を横取りしようとか横槍を入れようとか、職務内容の話ではないぞ!! 一人の人間として辛い時期や苦悩を吐き出せる場所があったほうがいいだろう? あまり気を張るな」
予想外の温かな言葉に嗚咽が漏れてしまった。
「くっ……うう……すみません……」
グズりだした子供のように涙を腕で止めると、目暮警部は子をあやすように宥めた。
「デイヴィス君はまだ若い。そして立場的に孤立している……どうにも見ておられんのだ。放っておけん」
僕は……。
"君はギルテセブンだ"
そうだ、僕は組織の工作員だ。
この涙は、ひ弱な軟弱者を装い同情を誘う演技だ。
「ありがとうございます……。目暮警部は懐が深い……。しかし、心配には及びません。僕も警察組織の人間ですから」
涙が引っ込むと、乾いた笑いを漏らした。
「……そうやって虚勢を張り続けた結果、辞職や自殺に追い込まれてしまった若者を何人も見てきた……。もうワシの目の届く範囲で壊れる者を見たくない。分かってくれ、デイヴィス君」
「すまんが、パトカーで家に送ることが出来ん。自力で帰ってくれるか?」
それもそうなので会釈をすると、病院玄関から足早に立ち去るとタクシーを呼んだ。
「……お前、ワザと俺を呼んだのか?」
後部座席が開くと、運転席から金髪にグリーンのメッシュを入れた若い男が睨みを効かせていた。
「さぁ……偶然じゃないかな」
座席に乗り込み、シートベルトを締めると啖呵が切られた。
「……ヴェルヴェーヌを殺すように指示したの、お前か? イザラ」
車内とはいえ機密の話を口に出すということは、無線に細工をしているか、ドライブレコーダーの音声に声が乗らないようにリアルタイム処理を行なっているか……後加工の可能性もある。
「なんで? 彼女は僕の恋人で協力者だったのに」
バックミラー越しに視線が合うと、夏目……シャルトルーズは眉間に皺を作った。
「……なら、何で誤送信だとして三人に挑発メールを送ったんだよ。三人に『浮気者を始末しろ』『仲違いして殺し合え』とでも言いたかったように見えるぜ?」
痴情のもつれで殺伐とした関係性になり、お互いに監視を強めて意識し合うという狙いがあった。
「でも三人はプロだから、挑発と煽動には乗らなかった」
シャルトルーズは苛立ったのか、ハンドルを強く握りしめた。
「だからお前が素人を使ったんじゃねえかって言ってんだよ!!」
どうしてそうなるんだろう。
「だったとしたら何? ヴェルヴェーヌはスーズ殺しで警察からマークされていた。それに独断でガリアーノを射殺した。あんな危ない橋を渡る人間、いずれ抹殺命令が下りていたでしょ」
良く考えれば分かることなのに。
「……お前、組織に入ってから変わったよな。……やたらと発言が子供っぽいっつうか……まるでお前が語った傲慢な兄」
「違うよ、僕は違うよ。シャルトルーズ、僕は構成員として、工作員としての職務を遂行しているだけ」
後部座席から運転席の背もたれを掴んだ。
「……お前、本当に薬剤を……。……お前の大切な子供たちはどうすんだ? 誰が守るんだ? お前が消えた後、誰が目をかけてやるんだ?」
「あはは!! シャルトルーズは星雲センターで皆を爆発に巻き込もうとしたのに、お前こそ頭を打っておかしくなったんじゃない? あの子供たちはあの現場に居たんだよ!!」
まさかあれだけの爆発物を用意して、外から放火されることを知らず、爆発物が虚仮威しだったと言うつもりじゃないよな?
……スタントマンの僕を火薬の調整ミスとして殺害しようとしたんだ。
「お前こそイカれてんのか? 俺はお前が来ることを知っていただろうが!! お前にあの程度の爆弾処理が出来ないはずがねえだろ!! 『火災の誤検知で人が居ぬ間に火事場泥棒』と言っただろうが!! 貴重なデータセンターを潰す馬鹿がいるか!! だからタイマンを挑んだんだよ!! 爆発と火事が起こる場所で呑気に決闘する馬鹿がいるかよ!!」
……なら、何故だ。
「なら、どうして爆発物を客の頭上に投げて発砲しようとしたの? サッカーボールで爆発したから火薬は十分にあったでしょ」
運転席のシートに爪を立てると甲高い怒鳴り声が鼓膜を突いた。
「お前、本当にイザラか? あの爆発物は遠隔で操作できた!! 遠隔でクロック周波数を下げて起爆を遅らせ、弾き飛ばしてみせる……スタントマンのお前ならゼロインの調整で可能だと知ってるだろ!! 主演俳優様のオンステージだろうが!!」
……ふざけるな。
「……火事はどう説明するの?」
シャルトルーズは深い溜息をつくと前を見つめた。
「……それに関しては聞かされてなかった」
……そんな理屈が通用するわけないだろ。
「何を言ってるの? さっきっから、シャルトルーズは一般市民を巻き込むつもりは無かったように聞こえるよ?」
その問いかけに対する返事は無かった。
「ジンは俺を二度助けてくれた。……あの火事はお前を完全に葬るためにベルモットが先走って火を放ったっと聞いている」
……確かに、ベルモットは僕を使い捨ての駒だと認識していた。
それでも人が残る建屋に放火をするなど、作戦外のたいそれた行動を取るとは考えられない。
「シャルトルーズは騙されているんだよ。ジンはお前の目に僕と同じオッドアイにする処置をした。何のためか? お前のプライドを刺激して僕に対する復讐心を燃やさせるため。お前はただのクモの糸で操られた操り人形なんだよ」
運転席のシートを握る手がシャルトルーズの首に伸びようとした時、後部座席の扉が開いた。
「……料金は7,328円になります。ご利用いただきありがとうございました」
あとがき
7,328→U+732B
なかみについて(期間限定アンケ)
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ややこしい(かため)
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分かり易い(やわらか)