「すみません、追いかけたんですが逃げられてしまって……」
息を荒くしながら商店街の隅で待っていてくれた梓さんに駆け寄った。
「ビックリしちゃいました! 引ったくりを追いかけるなんて……もう、無茶しないでください!」
背中を叩かれるかと身構えたが、腕の裾を引かれただけだった。
待機中、不安に駆られたのかカーディガンの裾が縒れており、アスファルトにはソールが擦った跡が残っている。
「はい……ありがとうございます」
ぎこちない笑みを浮かべて頭を掻いた。
一般市民を巻き込んではいけないのに、安室さんなら上手くやれたのか?
「デイヴィスさんって……ヒーローに憧れているんですか?」
……それは英雄症候群だと言いたいのか?
「あ、はい。映画に出てくる保安官みたいに……成りたくて……探偵士に……」
自分で言っていてなんだが、めちゃくちゃな論理だな。
もう正義の味方になんて成れないのに。
「探偵士……事件を解決して人助けをするヒーローですね」
梓さんが此方を見上げて満面の笑みを零す。
自分はただの……。
「ヒーローに憧れているだけのワナビーですよ」
、、、
「随分と遅かったですね」
ドアを開けて出迎えてくれた安室さんは腰に両手を当てて溜息をついた。
「すみません、あの……色々ありまして……」
深々と頭を下げると梓さんが前に出て身ぶり手ぶりを使って熱弁を始めた。
「安室さん!! デイヴィスさんが爆発事故から人を救い出したんですよ!」
語弊がある。
爆発事故と言っても悪意による水素ガスからのメタンガスに連鎖してLPガスが爆発したもので……。
近隣を巻き込んで大規模火災になってしう可能性があった殺人未遂事件だ。
「知っています。警察から『そちらの従業員が事情聴取を受けずに帰宅したので明日顔を出すように』と連絡がありました」
……それは梓さんが警察に『喫茶ポアロ勤め』だと認識されている状態であるという話か?
それとも勤務一日目の自分の勤務先を『記憶喪失の危険人物』としてマークしているから警察組織に顔写真が渡っている?
……または、警察に捜査協力していて直通のコネがあるのか。
「そうでしたか……明日、出頭します」
「デイヴィスさん、表彰されるかもしれませんね!」
梓さんが目を輝かせて両手をグッと握って顔を近づけてくる。
「それはないですよ……致命的なミスをしましたから」
視線をかわして買ってきた食料品を棚に詰めた。
「ミス? デイヴィスさんは」
「AEDを近隣住民に探して持ってきて貰うべきでした……。自分は頭がいっぱいいっぱいになってしまって肝心なことをしなかった」
いくら家屋が古い住宅地だからといってAEDが無いだろうと断定し、周囲に指示を怠ってしまった。
もし近隣でAEDを用意してあったなら直ぐに蘇生が行われたはずだ。
緊急事態の一刻の対応の遅れがその後の回復や後遺症に直結する。
「……デイヴィスさん、警察はこうも言っていましたよ。『迅速な救命処置のおかげで女性は一命を取り留めた』と」
安室さんにお情けをかけられてしまった。
救命処置は命を救う前提で、予後の
「あ! 戻ってきてたんですね!」
ドアベルが鳴って入り口を見ると蘭さんが私服姿で来店したらしい。
「……いらっしゃいませ。お好きな席をどうぞ」
一日に2回も来店するとは、安室さん目当てなのだろうか。
工藤 新一という彼氏が居ても『目の保養』という『デザートは別腹』という類?
「そうだデイヴィスさん、蘭さんは上の階の『毛利探偵事務所』に住んでいるのでお得意様ですから覚えておいてくださいね。蘭さん、バナナチップスをサービスします!」
梓さんがバナナチップスの袋を小皿に取って珈琲と共に蘭さんが座るテーブル席に置いた。
毛利探偵事務所……まさか、毛利小五郎?
眠りの小五郎、東の高校生探偵……阿笠博士……。
「お父さん、眠りの小五郎って言われてるんですけど……イメージとは違うかもしれません。会っても驚かないでくださいね」
はにかみながら珈琲を口にする顔をじっと見つめる。
話しぶりからして、まだ工藤 新一が生きていると信じている憐れなヒロインだと勝手に思い込んでいたが……。
この繋がりに『阿笠博士』がDefaultではなくDefineで再定義された場合、状況は一気にひっくり返る。
探偵バッチという名の特殊機器を作り出せる人間が場に居ると分かっただけで……。
「驚いてしまうかもしれません」
、、、
「それより、デイヴィスさんに聞きたいことがあったんです!」
蘭さんが身を乗り出して声を張り上げた。
「な、なんでしょうか……」
コナンくんから自分を保護した話を聞かされていなかったようだし……。
……なぜ重要度が高い話をコナンくん、いや……監督者の阿笠博士から伝えられていない?
普通であれば『記憶喪失の不審者』と接点があったと警告などの報連相があって然るべきであって、たとえ毛利さんにだけ話があったとしても『工藤 新一の家に仮住まいしている』事実は話すのが筋だ。
……接近禁止になるか、警察組織に連絡をする用意をしている、身辺を再度洗われる?
まさか、街灯の監視カメラを全て精査したのか?
「世良さんのこと……どう思ってるんですか!?」
「は、はい? 世良さんが何か?」
もしかして、世良さんに『痴漢された』と申告を受けたのか?
だとしたら言い訳のしようがない。
実際に昨日、公園で太ももを触って掴んで首まで絞めてしまったからな。
蹴られそうになったから制圧した、は女子高生相手に言い訳にもならない。
「とぼけないでくださいよ!! 出会いはいつ頃ですか? 連絡先とか交換したんですか? ……デートとかは?」
ズルッとズッコケてしまった。
なんでそうなる。
「あ、あはは……昨日公園で会ったばかりで……連絡先はもちろん交換していません。記憶喪失なので通信機器を持てませんし……」
安室さんと梓さんからの視線が痛い。
ロリコンじゃあるまいし、女子高生に手出しする訳がない。
……あれはあくまで肉体言語という闘争者なりのコミュニケーションであって。
「なら公衆電話長居男みたいに連絡すればいいじゃないですか!!」
それは自分に犯罪者になれといっているのと同義だが。
「蘭さん、社会通念上『成人が未成年と付き合う』のはタブーですから」
安室さんが思いもよらない助け舟を出してくれた。
「安室さん!! 純潔のまま成人になるまで待ってゴールインもありますよ!!」
梓さんがその船を沈めようとしている。
「Then you see yourself as ugly as he sees you - and you lose your man and your feeling. ……皆いずれこうなります。なので僕は誰とも手を取り合うつもりも資格もありません」
女性陣はポカーンと口を空けてた。
「ヘミングウェイの『For Whom the Bell Tolls』からの引用ですね。そこまで極端に捉えなくてもいいのでは?」
貴方はどっちの味方なんだ……安室さん。
「映画のように人生は上手い行きませんから」
「デイヴィスさん、日給をお支払いしますね」
結局、戸籍が不明で口座もないため給与は手渡しになった。
「ありがとうございます。……お給料だ……」
振込よりもお金の有り難みがわかる気がしてくる……。
「デイヴィスさん!! 仕事終わったー? 博士の家に行こう?」
ドアベルの方を見るとコナンくんが手を振っていた。
「コナン君、また博士の家に行くの? 私も稽古で帰りが遅くなるから、夕飯はポアロで食べてね」
「はーい!」
成る程、住居の下に喫茶店があるとダイニングの代わりに使えるのか。
「うん。いいよ。それではお先に上がります。ありがとうございました」
、、、
「コナンくん、この近くにゲームショップはあるかい?」
東京とはいえ高層ビル街とは外れている住宅街だ。
チェーン店ではなくとも個人経営店くらい有りそうなもんだが。
「あるけど……博士にお金を返す前に散財するの?」
冷ややかな目線が冷たく刺さる。
「1本だけ買いたいゲームがあるんだ。寄り道したい」
しぶしぶ了承を得ると二人で夕暮れの道を歩いた。
なんだか、この何気ない『無駄な時間』こそが幸せなんじゃないかと思えてくる。
……幸せがあれば、不幸せが必ず次に訪れるのに。
「あった!! 『キャット・ザ・リパー』だ!!」
僕の愛するゲームタイトルが中古ショップの棚の奥深くに置かれていた。
「なあに? それ。聞いたことない」
それは時代が悪かったとしか言えない。
「『推理アドベンチャー』だよ」
ホクホクしながらレジに向かうと「15,408円」と告げられてガクッと肩を落とした。
とほほ、知らずのうちにプレミアになっていたのか。
支払いを済ませて歩道に出ると木が茂っている住宅街からピンクのライトが見えた。
「探偵士さん、あれなあに?」
此処が住宅街でなければ『大人の遊び場』だと答えるところだが、あの大量の光は植物を特殊なLEDで照らすビニールハウスだろう。
ただ、あそこまで光が漏れているなら近隣住民とトラブルになっている可能性があり、そもそも行政から何らかの指示が下るはず。
「ビニールハウスだと思うけど、行ってみようか」
「大変だ探偵士さん!! 人が倒れてる!!」
農作物がある区域に走ると高さ4m、幅7mの全長12mはありそうな巨大なガラスのハウスからピンクのLEDライトが煌々と光を放出しており、ガラスの扉の前で女性がうつ伏せで倒れていた。
ハウスを支えるフレームは緩やかに変形しておりガラス全体に亀裂が入っている。
上部には遮光シート幕が包まり、開閉可能な換気扉が全て閉まっていた。
「コナンくん! 救急と消防を呼んで!!」
辺りを見回すと肥料のカルシウム補充剤、菌の液肥、鉄分補液肥などが新しく開封してある。
更には殺虫剤の隣に砂篩と花瓶類が無造作に置いてるということは……。
「どうしましたか!? ……じ、慈永!! 慈永!!」
隣のプレハブ小屋から男性が出てくると温室内に倒れる女性に駆け寄って膝から崩れ落ちた。
「僕はマスターオブディテェクティブ、探偵士です。現場保存のために遺留品に触れたり遺体に触れたりしないでください。エドワード法により検察及び警察より72時間優先して捜査ができますので」
男性は涙を流しながらガラス扉に手を付けて名前を呼んだ。
コナンくんが扉を開けようとするのを手首を掴んで止め、首を左右に振った。
「それよりも……なぜ、貴方は扉を開けないのですか?」
、、、
「あ、え、いえ……現場保存の……」
確実に死んでいることを分かっている。
「貴方、扉を開けてみてくださいよ」
男性は膝立ちのまま硬直した。
開けたら不味いもんな。
「コナンくん、特殊処理班を呼んでくれ。有毒ガスの事故だ」
彼の話をまとめるとこうなる。
温室の中に居るのはライトで生産を変えることを目標にしたハウス農家の慈永(28)。
彼は共同経営者の京(31)。
慈永さんはTシャツにジーンズ姿でうつ伏せで倒れており、舌を出して絶命していることが分かる。
眼と肌には特有の濁りが見受けられる。
もがき苦しむことが無かったようで……。
現場について。
ガラスのビニールハウスは温度管理をコンピューターで管理している。
設置してから5年経っている。
地面はコンクリートだが既に腐食が始まっている。
温室内にはアジサイ、ミモザ、シクラメン、コチョウランなどがあり、葉は縮れ、茎が萎れて花は変色している。
中央には簡易作業台とパイプ椅子、そしてティーカップが見える。
肥料は硫酸カルシウム肥料、バチルス菌液肥、鉄キレート液肥、二価鉄液肥など。
殺虫剤はカルタップ塩酸塩。
「硫化水素ガスで彼女を殺害した理由を伺いたい」
「は? な、何を言っているんですか?」
京は立ち上がって後退りした。
「なら、なかに入ってください」
詰め寄るが、目を泳がせて口をパクパクしている。
「あんたがさっき現場保存だとか……」
どうして罪を冒してしまうんだろう。
「貴方が温度管理盤をオシャカにしたから遮光シートが下がらずにピンクのLEDライトがダダ漏れになっている。おそらく温度を上限以上に上げるもので、その過剰な熱でフレームが歪みガラスに亀裂が入り始めている。フレームが歪めば後から換気窓を物理的に開けようとしても開かない。扉も開かない」
胸ぐらを掴んで持ち上げた。
「ひいっ! ぼ、暴力を振るうのか!?」
点と点を結ばないと。
罪を犯したら宇宙に浮かぶんだ。
「探偵士さん!! 救急車に消防車と特殊処理班が来たよ! 落ち着いて!」
我に返って手を離すと体格のいい男性刑事が近づいてきた。
「捜査一課の千葉と申します。コナンくんから事情は伺いました。ガス処理が完了するまでお待ち頂けますか」
頷いてコナンくんと処理班がガラス温室の板をくり抜いて洗浄するのをただ見ていた。
その間、京は「名誉毀損」「暴行」と喚いていた。
慈永さんの遺体はどんどん蒼白化し、白くなっていった。
#FFFFFF。☆になった。
「浄化作業が終わりました」
、、、
「操作盤を解体して確認してください。PIDコントローラーのSV値が底上げされたかPV値に減算が働くか、白金測温抵抗体が細工されたかLBA機能が駄目になったかしてます」
鑑識さんに伝えると京は足を震わせ始めたが、なぜこうなることを予見できなかった?
「慈永さん、枝を持ってるね……」
コナンくんが指摘すると京は鑑識を突き飛ばして窓ガラスを拭いた。
「証拠隠滅しても罪が重くなるだけなのにな」
ふと、作業台がコーティングされていない木の天板であることに気がついた。
「すみません千葉刑事、一度だけ遮光シートを下げてもらっていいですか?」
願いは許諾され、遮光シートが下ろされると室内は真っ暗になった。
想定通りだったのでLEDライトの隣に配線されていたブラックライトのスイッチを点灯すると、慈永さんが倒れていた扉のガラスには青い液で何かが書かれていた痕跡が浮かび上がった。
「何も読み取れないだろ! お、俺は犯人じゃない……」
そして、天板にはうっすらと赤い液で『京にハメられた』との文字が浮かび上がっていた。
「貴方が消したのはアジサイ……アマチャ。クマリンが含まれている方です。彼女は消されることを見越してわざと枝を持ったまま亡くなった。机から目をそらせるため。これはタンニン。ミモザからの抽出ではないでしょうか。貴方と同様に彼女も花瓶に溜めて用意していたのかもしれませんね」
「……よかったよ、千葉刑事が融通の利く人で」
火事のことや温室の聴取を持ち越しにしてもらえた。
……身元引受人に阿笠博士がなっているからか。
「そうだね……」
コナンくんも掛ける言葉がないのか、口数が少ない。
そうだ、阿笠博士の家に誘われたのなら何か用事があったかもしれないのに、すっかり陽が落ちてしまっている。
「……ごめんね」
梓さんに『ネガティブよりポジティブに』と言われたばかりなのに。
ダメだな……僕ってやつは……。
気まずいまま阿笠博士の邸宅に着いたが明かりがついていない。
「おかしい……阿笠博士と約束していたのに……」
コナンくんが眉をひそめた。
……まさか事故にでもあったのか?
ドアノブを引くと扉が開いた。
……靴は一足しかない。
「コナンくん、下がっていて……」
もしも強盗なら中にいるかもしれず、亡くなっていた場合コナンくんに見せるわけには行かない。
忍び足で真っ暗な廊下を渡ってリビングに進むと複数人の息遣いが聞こえた。
……子供?
「パーン!! お仕事決まったね!! おめでとうお兄さん!!」
パチッと言う音と共に明かりがつくとホールケーキを囲んで少年探偵団のみんなと阿笠博士がクラッカーを向けて立っていた。
「……は?」
何を言って……
「兄ちゃん記憶喪失だから働けねーかもって心配してたぞ!」
それは、そうだろうけど……
「デイヴィスさんは『見習い』ですからね!! 先輩として後輩の就職は祝わないと!!」
……確かに、上下関係ならばそうだ。
「これこれ。仕事にプレッシャーを感じるじゃろ。これはワシたちのホームに入ったという趣旨の歓迎会じゃ。気を張らんでいいぞ」
なんで……。
こんなに胸が苦しいんだ。
「オイオイ、泣くほどじゃねーだろ? 探偵士さん」
腕で口を押さえて止めどなく流れる涙を拭った。
どうして……。
「……はい。これは私から」
哀ちゃんが渡してきたメッセージカードには『055 5580 055 5580』と書かれてあった。
「あはは……いい曲だよね……ありがとう」
すると歩美ちゃんと元太くん、光彦くんがカードを見て首を傾げた。
「曲? どういう意味? 教えて哀ちゃん!! お兄さん!!」
こっちが聞きたいよ。
どうして……。
どうしてこのタイミングで正体を明かしたんだ、シェリー。
「親愛と……信頼の証よ。探偵士のデイヴィスさん」
あとがき
今回はU+1(16進数)XXX
なかみについて(期間限定アンケ)
-
ややこしい(かため)
-
分かり易い(やわらか)