「あっちの方の記憶も健在なようでよかったわ」
バスローブ姿のシャロン……ベルモットがベッドに腰掛けて足を上げた。
「貴方のような女性を忘れられる男なんて……この世に存在しませんよ」
足首を丁重に掴んで膝に乗せ、ペディキュアを慎重な手つきで爪に施していく。
「テロメアリスが実在したとして、アナタが被験者な筈ないもの。誰がアナタに手出し出来るというの?」
……爆発に巻き込まれた自分を撮影現場から拾い上げ、ラムに献上したのはベルモットに違いはない。
ただ、『テロメアリス』が仕込まれたのは、その前。
救急車を呼びに行くと慌てて駆け出したニルズ・ファージング監督、その人だ。
監督がファイグリングでラム、RUMに似た『揮発性という意味のRAM』と詐称しているだとか、シャロンがベルモットだとか、組織云々の所属の話をされる以前に行われたことで、ベルモットが知る由もないことだ。
「そうですね……僕はベルモットさんの配下ですから……」
猫撫で声を出すと、足の甲で顎を擽られる。
「可愛いキティ……。きっとジンは嫉妬しているのね。『あんな情夫に目をかける必要はない』と、いつも言われるの」
このタイミングでその発言は、ジンに『警戒しろ』という意図か?
シャロンに限って『嫉妬しろ』では無いだろうから……。
「だから星雲センターで予定外の放火をし、シャルトルーズに発砲を許しタイマン勝負をさせて僕を消そうとした……」
僕が被験者だったのなら、裏切り者になる可能性を秘めた爆弾だから、消すのは道理だ……。
「あら? アナタが放火したんじゃなくって? 役立たずなシャルトルーズを消すために」
……シャルトルーズを、消す?
「放火は僕では……シャルトルーズが火をつけたんですね……。やっぱり彼は役に立たなかったみたいだ」
シャルトルーズはジンを恩人として忠義を尽くしていたはず。
「ジンもほとほと呆れていたわ。彼、人にトドメを刺せないの。だからウォッカやコルン、キャンティ達に尻拭いされていたんだから、聞いて呆れる。そう思わない?」
……シャルトルーズは……。
「組織の人間として虫唾が走りますね。自分の役目を理解していない」
笑みを浮かべて手を離すと、座り直したベルモットに囁かれた。
「……もう、そんなみっともない作業着など脱いでしまいなさい。アナタには相応しい服装ではないわ。……準備が出来たら合流しましょ? イザラ」
「……行くのか」
工藤邸に戻り、沖矢さんから頂いた黒いシャツと白いスラックスに着替え、工具箱を一式抱えると背後から声がした。
「はい。サシバの林太郎とデートに。ヤマカガシの近松は明日引き取りに来られますからね」
振り向いて左目でウインクを3回すると、意図を理解してくれたようで、そのまま会話が続けられた。
「……そうですか。気をつけていってらっしゃい。……夕食を用意して待っていますから」
静かな間が不自然にならないよう深々とお辞儀をして、感謝を述べた。
「ありがとうございます……沖矢さん。……行ってきます」
、、、
『あとは例のシステムでこの男探さないとね……』
ベルモットにはこのミッションの間、相互監視の名目許可と協力の証として互いに小型の盗聴器を襟元に付けた。
潜水艦に入ると聞いていたので、自分史上最高傑作であるVLFと水中音波通信を変換して併用してる超長距離である程度の海中や遮蔽物をも弱い信号で通過し増幅出来るものだ。
バーボンも動いているのか……。
しかし、僕は『個別に』……となるとラムの命令か、あの方の直々の命令かが分からない。
パシフィック・ブイが八丈島にありため、このまま無線が通じる距離のまま移動する。
そして課されたミッションは『ピンガが潜入しているインターポール、防犯カメラネットワークセンターの日本支部が抱えるシステムの構造を掌握しろ』というもの。
世界中にある防犯カメラが接続される日まであと僅か。
パシフィック・ブイは確かにバラストタンクで浮いているためブイと言え、高性能な機器になればなるほどD-wave2000qのように超伝導量子コンピューターが-273℃……-200℃以下……希釈冷凍機を要する事から、海中下で冷却するのも理に適っている。
ただし、接続されるまで……というのは『防犯カメラネットワーク』の事で、インターネットには既に接続されている必要があり、『防犯カメラネットワーク』が接続されるということは、NTPではなくPTPで同期される。
つまりは、バックドアも通常通り仕込み起き、ゼロデイ攻撃すら可能となる。
あとは八丈島の基地局に接続して、ベルモットの会話を傍受し、システムの解析具合を報告すればいい。
AIだろうがなんだろうが、システムがどのように処理をするかを理解してしまえば再現は容易いもの。
肝心なのはソースコードではなく、再現し再構築を可能とするロジックを構成する頭脳だからだ。
「今までの仕事で一番容易いですよ。……というベルモット」
『……あ! やっと繋がった!! 携帯も電源切ってるし、メールも無視するし……。ってことは探偵士さんも八丈島にいるの? ……何で?』
……何故だ。
「……な、なんでコナンくんは八丈島にいるの?」
まさかバーボンが手引きをしたのか?
『質問に質問で返さないでよ。……ユーロポールの人が暗殺されたことに何か関わりがあるの?』
ユーロポールの死者に関する情報を把握している……やはるバーボンか。
「え、違うよ。八丈島で自分探ししたくなって……。一人でさ……」
探偵バッジが届く圏内、少年探偵団のみんなの声がする……。
不味い、今は完全にベルモットに話を聞かれている。
『……そっか!! 僕達はホエールウォッチングに来たんだ!! 後で合流できるといいね!!』
コナンくんは察したのか、会話を切り上げた。
なんてこった……みんなを蚊帳の外に置き、振りかかる火の粉を払わないと……。
「ホエールウォッチング、楽しんできてね!!」
、、、
『そろそろ繋がる時間帯よ』
ピンガからベルモットに送られた情報の通りなら、後はただログを取得していけばいいだけだ。
顔の骨格から成長した姿を予測する解剖学と統計学を駆使したAI顔認証システム……『老若認証システム』は確かに『予測通りの結果が真である』とするなら逃亡者や潜伏犯、誘拐被害者や行方不明者の捜索に対して画期的だ。
それは不確定要素を完全に廃した場合の理想論であるが。
「ファーストアクセス、あったみたいですね」
ログには膨大な量の情報が流れていき、そこにフラグが立てられた。
『直美・アルジェント』
彼女が開発者であって、演習目的でピックアップされたらしい。
このまま演習が終われば、既に基本設計思想を把握してあるから自分の仕事は再構築で足りる。
ベルモットとバーボンが潜水し侵入する音を聞きながら、船着場の船の中で仮組みした検証用構成で顔認証を行い、再現性ありと担保した上で報告した。
「コピーキャットの仕事は終わりました」
そう報告すると、カチャカチャとパソコンを操作する音が聞こてきた。
『画像ファイルみたいね……これは』
『シェリー!? 隣のガキ、似てるな』
『子供時代のシェリーかしら……』
『まさかこのガキがシェリー……』
『計画にないことをすべきではないわ』
『予定外の動きは計画の失敗を招きます』
『私も遠慮するわ』
最悪だ、ピンガとジンが動いた。
ラムの腹心の座にピンガが収まっていたとは……。
内部画像までは表示出来ないが、おそらく哀ちゃんの事で間違いないだろう。
このままだと哀ちゃんに身の危険が迫っているが、今動けば自分が『哀ちゃんがシェリーである』と証明しているようなもの。
解析が終わったから帰る、は『記憶喪失として警察に潜り込み、少年探偵団と接点がある』人間としては極端過ぎる。
「……僕は計画にないので八丈島を観光しますね」
ベルモットからノーのサインがない。
オーケーとして動くぞ。
『私、そろそろお暇しようかしら』
、、、
「なんだお前は!?」
蘭さんがピンガとの戦闘になっている!?
加勢するか……どっちに!?
「哀ちゃんを返しなさい!!」
落ち着け、ジンが来るまでに危害を加えることは無い。
何より探偵バッジがある、GPSでコナンくんが居場所を把握するはず。
僕は先回りして潜水艦に走ればいい。
……しまった、此処は八丈島……黒い軽トラは無い。
レンタルバイクで走って間に合うか……。
哀ちゃんを乗せた車は真っ直ぐ崖に向かっている。
潜水艦に連れ込むつもりか……。
「間に合わない……」
コナンくんがスケートボードで崖から飛び降りたのが見えた。
間に合わないなら……。
「待ってて!! 今行くから!!」
スクーターを投げ捨てて、崖から飛び降りて海中に沈んだコナンくんを追った。
潜水艦が海底から水面下にまで上がってきている。
最悪だ、潜水艦の浮上によって波が立ち、このままだと水流に巻き込まれて海中の藻屑になる。
飛び込み波にぶつかった痛みが全身に走り、夜の海中は漆黒の闇だ。
このまま潜りづけると平衡感覚を失って浮上出来なくなるかもしれない。
「ライトを持ってくれている……」
真っ暗で冷たい海水をライトの光を頼りに泳ぎ、意識を失ったコナンくんを海中から引き上げた。
「君は生きるんだ!! コナンくん!!」
陸まで運び、必死に救命処置を行ったが意識が無い。
「コナンくん!! 君は哀ちゃんを救うんだろ!!」
心臓マッサージを行うと、海水を全て吐き出してくれた。
子供は強い、生命力がある。
必ず生きてくれる。
近くにあったススキを束ねて燃やし、暖を確保すると聴き慣れたエンジン音が聞こえて来る。
……阿笠博士だ、阿笠博士のビートルだ。
暖を消し去り、海水で場を洗い流すと早々に立ち去った。
「ごめんね、コナンくん。僕が悪人で……」
「よお、星屑。ずぶ濡れじゃねえか」
スクーターを捨て置いた崖上まで歩くと、刑務官の岸良……コカレロが立っていた。
「え? ああ、水も滴る何とやら」
「ふざけるな!! ……お前……やっぱりお前が被験者だったんだな……。内部分裂、内部から人材を潰していって何がしたい? まさかラムの……あの方の座を奪うつもりなのか?」
血管が切れそうなほど顔面には青筋が立っている。
「僕は目的を知らないから、分からないかな」
水で濡れた裾を絞ると、コカレロは土を踏みしめながら近づいてくる。
「それは自白と取っていいんだな……? 薬剤の被験者であって『組織の命令以外』の事を実行している。だとすれば『記憶喪失』なんかじゃ済まされねぇ……お前はいつ暴発するか分からない特級のイレギュラー」
それはそうだ、組織の命令なのか別の命令なのか分からない構成員……命令がブラックボックスになっているロボットなど危うく恐ろしくて廃棄するのが当然だ。
「でもさ、組織の命令の遂行は順調だよ?」
手を広げて笑って見せるとコカレロは躊躇なく腰にある銃に手を伸ばし、その前に裾に隠していたナイフをコカレロの手首に差した。
「ギイッお前」
馬鹿だなぁ、水に濡れて銃が発砲出来ないのは長時間ならそうだ。
まあ、念には念を入れて銃は使わないよ。
他に手段は沢山あるからね。
「今の任務はラム直下の命令だよ? 直下の命令さえ貰えない末端の屑はコカレロ、お前の方じゃない?」
頭に血が上りきったコカレロは至近距離にも関わらず銃で発砲しようと腕を動かした。
その瞬間、腕を掴み引いた。
「ばいばい」
「お前ふざけ」
そのまま足払いをすると体勢を崩し、そのまま背負投して放り投げると崖際から勢いよく落下していった。
「夜は足元にご注意ください」
後はその様子をただ眺めた。
頭から強く水面に叩きつけられたようで、首がひしゃげた状態で水面をぷかぷかと漂っている。
「星屑ならぬ海の藻屑になっちゃったね。コカレロ」
『そうしたらなんとこの有様。よく似た人物を同一人物としてしまう欠陥システムみたいね』
良かった。
哀ちゃんがシェリーだと言う話には成らなかったか。
「ベルモット、仕事の情報は例のボックスに置いておく」
ベルモットからノーのサインが無い。
後はピンガの始末だが、白鳥警部と黒田管理官が場にいる以上動けない。
今は公安として動くことは……いや、もう公安としては動けない。
「どわー……疲れた」
船の上で仮眠をしていると、ベルモットと通話中のバーボンが別れ際にキールとウォッカとの雑談が聴こえてきた。
『それにしても、まさか彼が被験者だとは思いませんでした』
……これは『老若認証システム』から目を逸らすための目眩ましの話題だ。
『彼? ああ、アブサンのことね』
キールも把握しているなら、アブサンの検査結果は組織に献上したか。
『いえ、彼のことで……』
そのまま、会話が止まった。
……何かの冗談だ。
『……彼? なんだ? まさか被験者が二人いた見てえな話じゃねえか!!』
ウォッカの声が大きくなり、焦りと興奮を含んでいる。
『……いえ、被験者のように振る舞っていて、誤認する程だとは思いませんでした、という話です』
船から身を乗り出して胃の内容物を全て嘔吐した。
僕が被験者だと知っているのは星になったガリアーノ、FBI、公安……投薬した張本人であるファイグリング……ニルズ・ファージング監督だけだ。
『バーボン……珍しいじゃねえか。お前が狼狽えるなんてよぉ』
……ジンが動く。
『ですから、彼の演技力を高く評価したまでです』
もう手遅れだろう。
必ず『疑わしきは罰する』として首を取りに来る。
『……バーボンったら、アナタはジョークのスキルを学ぶべきね』
ベルモットがいかに取り繕ったところで……。
『フッ、そうね。老若認証システムが使いもならないのなら、被験者が13人居たとしても不思議じゃないわ』
キールの助け舟も無駄足に終わるだろう。
『ハハッそうだな!! アニキがガキを見に来た時にでも笑い話として話してみるか!! コカレロも誰かに始末されたみてえだからな……』
ウォッカは確実視している。
僕が被験者であり、コカレロを始末した当人であると。
『ですから、ただのジョークで……はぁ、コカレロが死んだ事を少しは気にかけてやってくださいよ』
このタイミングでコカレロの名に同調されると……。
『……コカレロをやったのもイザラかもしれねぇな。もちろん、これはただのジョークだ』
第六章 コカレロ - インディゴ 完