その狂愛が視るものは   作:Othuyeg

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一話の裏側を書きます。
ちなみに、短編エピソードは特に時系列を考慮していません。


第1節・逆位置 イオリへの場合

 ある日のこと。ゲヘナ学園に出張していた先生は、その帰りに偶然ヒナノを見つけた。

 

 「"やあ、ヒナノ"」

 

 「……」

 

 先生がヒナノに挨拶をする。しかし彼女は、小声でブツブツと何かを呟きながら、そこに誰もいないかのように通り過ぎようとする。

 

 「"ヒナノ?"」

 

 再度先生が呼びかける。するとようやく、ヒナノは顔を上げて先生に気付いた。

 

 「……? ああ、『先生』ですか。こんにちは。ではさようなら」

 

 「"いや待って待って待って"」

 

 欠片の興味も無さそうに、挨拶だけ交わして去ろうとするヒナノを、慌てて先生が呼び止める。

 彼女はそれに、少し不機嫌そうな――と言っても普段からよく観察していなければわからないくらいの眉間の皴――顔で振り返った。

 

 「…なんですか?」

 

 「"いや、少しお話をしようと思ってね"」

 

 「はぁ、そうですか」

 

 先生の言葉を至極無関心そうに聞き、一応は話を聞く姿勢を取るヒナノ。

 

 「"イオリの話なんだけど"」

 

 「聞きましょう。ただし、嘘や欺瞞であれば顔面の形状は保証しません」

 

 即答の手のひら返しとともに一瞬にして姿勢を正し、ついでに警告も入れるヒナノ。あまりの変わり身の早さに、先生も少し面食らう。

 

 「"あはは……それは困るなぁ"」

 

 「それらに該当するようなことをしなければいいだけです」

 

 小さくため息を吐きながら、肩を竦めるヒナノ。

 

 「……それで? イオリさんの何を話したいのです? 体調や食事内容、登校時刻ならば、とりあえず直近1週間以内の情報を(そら)んじられますが」

 

 ヒナノの提案に対し、先生は少し困ったような顔で言う。

 

 「"うーん、今はそういう情報が欲しいんじゃなくて。

 ヒナノが、イオリをどう思っているのかなって"」

 

 「存在理由(カミ)

 

 またも即答だった。文字通り間髪をいれず、言葉と言葉の間に髪の毛一本も差し込めないような回答速度。つまりは、それほどまでに固い信念と思想の元に、彼女はイオリを追っているのだろう。

 

 「"そ、そっか。

 ……じゃあさ。これはあくまで仮定の話で、決してそういう状況にはなって欲しくないと思ってるんだけど……。

 ヒナノは、イオリのために死ねる?"」

 

 「自明(じめい)です」

 

 この問いにも即答。しかし、彼女はそこで少し考えるような仕草を見せた。

 

 「……いえ、死ぬ必要があれば死にますが、それはあくまで私の意志の話です。

 私はイオリさんの障害を排除するために存在するのですから、イオリさんがそれをお望みなら喜んで命を捧げましょう。

 ですが、私が死ぬことでイオリさんに不利益が生じる場合や、あるいはイオリさん自身がそれをお望みにならない場合は、その限りではありません」

 

 そう答える彼女の目は真剣そのもので、とても嘘や欺瞞を言っているようには思えなかった。ヒナノはさらに続ける。

 

 「客観的に見た事実として、イオリさんは私の存在に助けられている部分があります。

 その認識の上で、逆に問いますが。

 私のヘイローが破壊されてイオリさんの助けになる場面、あるいはイオリさんが私のヘイローの破損を望むような場面が、存在するとお思いですか?」

 

 「"……愚問だったみたいだね。ごめん"」

 

 ヒナノの問い返しに、ハッとして謝罪する先生。ヒナノは小さく鼻を鳴らした。

 

 「受け取ります。以後気を付けてください」

 

 「"そうするよ。じゃあ、次なんだけど……"」

 

 先生は少しだけ言葉を探すように間を置き、ヒナノの瞳を真っ直ぐに見つめた。

 

 「"イオリから、いくつか君の行動について戸惑っているって話を聞いてね"」

 

 「戸惑い、ですか」

 

 ヒナノの細い眉がピクリと動いた。無関心だった先程までとは打って変わり、彼女から発せられる空気が僅かに鋭利なものへと変質する。

 

 「私のサポートに不備があったということであれば、直ちに修正し、己を罰しなければなりません。

 具体的にどのような事象に対する戸惑いでしょうか。秒単位の指定を頂ければ、当該時刻の記録データを参照しますが」

 

 「"いや、そこまでしなくても大丈夫。

 えっとね、例えばこの前の温泉開発部との戦闘の時のことなんだけど。カスミの罠に、ヒナノはわざと引っかかったって聞いた。どうして解除しなかったのかって、イオリは怒ってたよ"」

 

 「ああ……あの時のことですか」

 

 ヒナノは少しだけ目を伏せ、1足す1の答えを教えるように、至極当然の事実として淡々と口を開いた。

 

 「鬼怒川カスミの設置するトラップは巧妙で、解除には平均して十数秒の時間を要します。加えて、二重三重のダミートラップが仕掛けられているリスクも高い。その間、イオリさんの進軍は停止し、敵に隙を晒すことになります。

 対して、私が自らの肉体を代償に罠を起爆させれば、消費時間はゼロ。イオリさんの気高くも勇猛な進軍を1ミリも阻害することなく、脅威を無効化できます。

 私の肉体的な損傷など、ただの『支払うべきコスト』に過ぎません。これでイオリさんの時間を買い、安全を担保できるなら、これほど安い買い物はありません」

 

 「"……なるほど。じゃあ、死角から撃たれたイオリを庇って、わざわざ自分から銃弾に当たりにいくのも……"」

 

 「はい。イオリさんの戦闘スタイルは圧倒的な制圧力と引き換えに、少なからず死角を生みます。私はあらかじめその死角を埋める位置に立ち、被弾を肩代わりしているだけです。

 なぜイオリさんが怒るのか、私には理解に苦しみます。盾が主君を守って壊れるのは、至極当然の理ではありませんか」

 

 彼女の言葉には、一片の迷いもない。自分の命や痛みを、ただの『数値化されたリソース』としか認識していない、純粋ゆえの狂気。

 

 「"あとね、朝の挨拶。いきなり肌艶とか頭髪のキューティクルとか、体調のチェックから入られて、すごく気味悪がってたよ"」

 

 「気味悪がる? 不可解ですね」

 

 ヒナノは心底不思議そうに小首を傾げた。

 

 「イオリさんが常に100%のパフォーマンスを発揮するためには、私が日々のコンディションを数値化し、微細な不調をいち早く検知・対応するプロセスが不可欠です。

 挨拶とは本来、互いの状態を確認し合うためのプロトコルのはず。私は極めて合理的な挨拶を実行しているだけですが」

 

 「"それはね、ヒナノ"」

 

 先生は小さくため息を吐くと、一歩だけヒナノに近づき、静かに告げた。

 

 「"イオリは君を、便利な『パーツ』だなんて思ってないからだよ"」

 

 「……」

 

 「"大事な『部下』で、『仲間』だから。自分が戦いやすい環境を整えてくれることには感謝してるけど……そのせいでヒナノが傷つくのは嫌だから、怒ってるんだよ"」

 

 「――」

 

 その瞬間、ヒナノの動きが完全に停止した。

 瞬きすら忘れ、呼吸も止まっているかのように。微かに揺れていた青褐(あおかち)色の髪すらも、まるで時間を止められたかのように静止している。

 

 「"ヒナノ?"」

 

 「……再定義、開始」

 

 微かな、しかしひどく熱を帯びた呟きが漏れた。

 

 「イオリさんは、私を案じている……? 私のようなただの機構の損傷を、ご自身の感情の揺らぎとして処理してくださっている……?」

 

 ヒナノの瞳に、ぞくりとするような『熱』が灯った。

 イオリが『ねっとりしていて気持ち悪い』と評した、あの石油のように重く黒い感情の奔流。冷徹な機械の仮面の奥底で煮えたぎる、狂信的な愛。

 

 「あぁ……なんという……なんという慈悲深さ。我が存在理由(カミ)は、どこまで完璧で美しいのでしょう……」

 

 ヒナノは自らの両腕を抱きしめ、うっとりとした表情で虚空を見つめ始めた。

 

 「私が盾になることすら、彼女の心を痛める要因になるというのなら。

 私は……いっそ、弾丸が放たれる前に世界から全ての敵を排除するアプローチへと、思考モデルを再構築しなければ……。はい、急務です。イオリさんの精神的負担をゼロにするための、完全な殲滅論理を――」

 

 ブツブツと、再び彼女だけの世界に沈み込んでいくヒナノ。

 その様子を見て、先生は内心で深く首を縦に振った。ああ、これはイオリが怖がるのも無理ないな……と。

 

 狂気的なまでの有能さと、重すぎる執着。

 彼女の狂気の内側を垣間見てしまった先生は、これからも振り回され続けるであろう銀髪の風紀委員の平穏を、ただ密かに祈るしかなかった。




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