俺の命を守るためなら、お前らを盾にする   作:最高司祭アドミニストレータ

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タチバナ視点


#3 旅の準備と最初の役得
計算通りのラッキースケベ


 人間の生涯における睡眠時間の割合を考慮すれば、寝具の質とはすなわち人生の質の直結であると言える。タチバナが王城で与えられた寝室のベッドは、まさにその理論の到達点であった。

 

 最高級の水鳥の羽毛が彼の身体の曲線に合わせて沈み込み、体重を均等に分散させる。敷かれた絹のシーツは肌との摩擦を極限まで減らし、寝返りのストレスを完全にゼロにしていた。

 

 

(…あと五分…いや、五時間は寝ていたい)

 

 

 至福のまどろみに沈み込もうとしたタチバナの意識は、しかし、物理的な防御手段を一切無視する暴力的な手法によって断ち切られた。

 

 

『起床の時間です。英雄が寝坊とは、世界の終わりも近いですね』

 

 

 脳髄に直接氷水を流し込まれるような感覚。聖剣の精霊、フィリアの冷徹な声だった。

 

 

(うっせ…! 誰のせいで寝不足だと思ってんだ…)

 

 

 タチバナは心の中で悪態をつきながら、渋々重い瞼を持ち上げる。昨夜は「いかにして安全に後方に陣取るか」という己の生存戦略を練るため、夜遅くまで頭を悩ませていたのだ。

 

 身体を起こすと、寝台の傍らに真新しい衣服一式が丁寧に畳まれて置かれていることに気がついた。純白の生地を基調とし、袖口や襟元に金糸で細やかな刺繍が施された、いかにも「選ばれし勇者」が身に纏うような上質な旅装束。真紅の豪奢なマントまでご丁寧に添えられている。

 

 

(うわ、めんどくさ…なんだこの目立つ服は)

 

 

 タチバナは深いため息を吐いた。理屈で考えてみてほしい。彼らはこれから、魔物が徘徊する危険地帯へと赴くのだ。そんな場所で、純白の服に金ピカの刺繍、さらに風でなびく赤いマントなど身に着けていればどうなるか。

 

「私はここにいます。どうぞ狙ってください」と自ら、標的になっているようなものだ。隠密性など皆無である。

 

 さらに言えば、この手の高級な生地は伸縮性に乏しく、いざ逃げ出そうという時に足の動きを阻害する可能性が高い。汚れを気にすれば、とっさに地面に這いつくばることも躊躇してしまうだろう。生存確率を上げるという観点から見れば、村で着ていた使い古しの麻の服の方が、よほど機能的で合理的であった。

 

 タチバナがしぶしぶと、まるで重い鎖でも身に纏うかのようにその勇者装束に着替えていると、視界の隅に銀色の光が集まり、フィリアが姿を現した。

 

 

『旅支度ですか。まるで、これから祭壇に捧げられる生け贄のようないでたちですね』

(縁起でもないこと言うな! ていうか、お前は俺の監視役か何かなのか!?)

『ええ、そうです。貴方の生存を管理し、任務を達成させるための監視役です。貴方が正しい方向へ進むよう、手綱を握っているだけのこと』

 

 

 フィリアの淡々とした言葉に、タチバナは出発の朝から腹の底に重たい泥が溜まるような感覚を覚えた。この絶対的な上下関係を覆す手段はない。彼はマントを羽織りながら、今日から始まる過酷な任務への不満をひたすらに噛み殺すしかなかった。

 

 豪華な朝食を終えたタチバナは、一人の騎士から声をかけられた。

 

 

「出発の前に、国王陛下が個人的にお話したいことがあるとのことです」

 

 

 案内されたのは、謁見の間ではなく、王城の奥深くにある王の私室だった。騎士は「ここでお待ちを」と言い残し、その場を離れる。重厚な木製の扉の前に立ったタチバナは、その扉がほんのわずかに隙間を開けていることに気がついた。

 

 

(…王様が個人的な話? なんだろうな。裏金でも渡してくれるのか?)

 

 

 タチバナの打算的な好奇心が鎌首をもたげる。情報を事前に得ることは、あらゆる交渉において優位に立つための基本だ。彼は呼吸を殺し、足音を忍ばせて扉の隙間にそっと目を近づけた。

 

 私室の中は薄暗く、重たい香の匂いが漂っていた。視線の先、豪華な天蓋付きの寝台の傍らに、国王リチャードと、すでに白銀の鎧を身に着けた王女騎士、アリシアの姿があった。

 

 タチバナが聞き耳を立てようとしたその時、部屋の中から、老齢の男が発するとは思えない、ひどく甘く、粘り気を帯びた声が漏れ聞こえてきた。

 

 

「アリシア…私の愛しい娘よ。お前は本当に美しい。その鎧姿も凛々しいが、やはりお前には透き通るような絹の衣服こそが似合う」

 

 

 王の手が、アリシアの白い頬をゆっくりと撫で回している。その光景を見た瞬間、タチバナの背筋にゾクリと悪寒が走った。

 

 

(うわ、なんだこの親父…娘に向ける目つきじゃないだろ)

 

 

 王の手は頬から首筋へと滑り落ち、そして、アリシアの胸当ての上へと移動した。素肌に触れるわけではないが、その指先はまるで鎧越しに彼女の胸の膨らみを愛しむように、執拗に円を描くようになぞり始めた。

 

 

「勇者の信頼を得るのだ。お前のその美貌と、その体を使えば容易いことだろう」

 

 

 王の言葉に、タチバナは耳を疑った。実の娘に対して「体を使って男を籠絡しろ」と命じているのだ。

 

 

「だが、忘れるでないぞ。お前が真に忠誠を誓い、その身を捧げるべき相手は……この私だけだということをな」

 

 

 冷たい金属の上を這う、執着に満ちた愛撫。それは愛情などではない。自分が所有する美しい道具に対する、絶対的な支配欲の表れだった。

 

 アリシアは、そのおぞましい接触を受けながらも一切の表情を変えず、ただ静かに目を伏せていた。しかし、タチバナの視力は、体の脇に下ろされ固く握りしめられた彼女の拳が、かすかに震えているのを確実にとらえていた。

 

 

「…御意のままに、父上」

 

 

 アリシアの口からこぼれたのは、感情の起伏を完全に削ぎ落とした、虚ろな声だった。

 

 

(うわああ…なんか、絶対に見ちゃいけないものを見てしまった…! あの王女様、王様からあんな異常な執着を受けてたのか。感情を押し殺してまで従わなきゃならないなんて、相当な苦労人だな…)

 

 

 タチバナの心に、普段のスケベ心とは全く違う気まずさと、ほんの少しの同情が湧き上がった。

 

 と同時に、彼の危機管理能力が最大級の警報を鳴らす。

 

 あれは泥沼の闇だ。王族の異常な愛憎劇。あんなものに巻き込まれたら、自らのささやかな平穏など一瞬で吹き飛んでしまう。王女に下手に手を出せば、あの粘着質な王様からどんな報復を受けるか分かったものではない。

 

 

(権力者の性癖なんて知ったこっちゃないが、俺に火の粉が降りかかってくるのは御免だぜ。…アリシアには、適度な距離を保って接するとしよう)

 

 

 タチバナは音を立てないように数歩後ずさりし、深く息を吐き出して、一切何も見ていないという無垢な表情を顔面に貼り付けた。

 

 王との表面的な激励の対話を適当な愛想笑いでやり過ごした後、タチバナは王城の中庭へと向かった。そこには、すでに旅の準備を進めている三人の美少女たちの姿があった。

 

 中庭の中央には王家が用意した豪華な馬車が鎮座しており、メグとセシリアが木箱に詰められた食料や水、ポーションなどの物資をせっせと荷台へ運び込んでいる。少し遅れて、先ほど私室にいたアリシアも、完璧な無表情を張り付けたまま合流した。

 

 当然ながら、タチバナは手伝う気など毛頭ない。理屈で考えてみてほしい。彼は「勇者」であり、この部隊の指導者なのだ。指導者というものは、現場の肉体労働に汗を流すのではなく、常に全体を見渡し、万が一の事態に備えて体力を温存しておくのが正しい役割である。

 

 いざという時に指導者が疲労困憊していては、部隊は壊滅してしまう。彼がここで荷運びを手伝わないのは怠慢ではない。極めて高度な危機管理の一環なのだ。

 

 タチバナは馬車から少し離れた日陰に立ち、腕を組み、さも全体の指揮を執っているかのように仁王立ちの構えをとった。そして、その実、汗を流して働く三輪の華の姿を、誰にも邪魔されない最高の特等席で鑑賞し始めたのである。

 

 

(おお…! アリシアが重そうな木箱を持ち上げたぞ!)

 

 

 タチバナの視線は、白銀の鎧を身に纏った王女騎士の動きに釘付けになった。彼女が腰を落とし、荷物を持ち上げるために膝を伸ばす。

 

 その瞬間、鎧のスカートアーマーの隙間から、引き締まった脚の筋肉が躍動するのがはっきりと見て取れる。さらに素晴らしいのは、金属の装甲で覆われているにもかかわらず、前傾姿勢をとることで強調される腰から臀部にかけての流麗な曲線美だ。

 

 

(なんという造形美だ…! 重労働をこなす王女様という背徳感も相まって、視覚的価値が跳ね上がっている。素晴らしい!)

 

 

 タチバナが内心で拍手喝采を送っていると、今度は視界の端で赤い髪が揺れた。

 

 

(んん!? メグが荷台によじ登ろうと身を屈めている!)

 

 

 天才魔法使いの彼女は、機動力を重視しているのか、極端に布面積の少ないミニスカート丈のローブを着ている。彼女が荷台に木箱を押し込もうと背伸びをした瞬間、ローブの裾がふわりと持ち上がり、白い素肌と布地の境界線が限界まであらわになった。

 

 

(あと少し…! あと指一本分布が上がれば、深淵の真理に辿り着ける…! 頼む、もう少しだけそのまま背伸びをしてくれ!)

 

 

 息を呑んで凝視するタチバナの視界を、今度は別の圧倒的な質量が横切った。

 

 

(ぐはっ! セシリアが木箱を持ち上げた時の、あの胸の揺れ!)

 

 

 心優しい僧侶である彼女は、力仕事には不慣れなのだろう。小さな木箱を持ち上げるだけでも、その全身が必死に連動している。

 

 だが、その結果として引き起こされる物理現象は天災の域に達していた。彼女が足を踏み張り、腕に力を込めるたびに、純白の法衣に包まれた二つの巨大な膨らみが、重力に抗い、そして屈服するように、上下左右に激しく波打つのだ。

 

 

(もはや地震! いや、大地の怒りだ! 柔らかさと質量が織りなす、完璧な振動の連鎖…。眼福、眼福…! 王城の朝から、こんな極上の景色を拝めるとは)

 

 

 タチバナの脳内で繰り広げられる、極めて下劣で欲情にまみれた品評会。しかし、その至福の時間を、冷ややかな声が容赦なく切り裂いた。

 

 

『…貴方の脳内は、常に発情期の獣と同レベルですね』

 

 

 隣の空中に透明化したまま浮遊しているフィリアが、氷のように冷たい思念を直接脳髄に送り込んでくる。

 

 

『思考の全てが、交尾の対象探しと、肉体的な品定めにしか向いていない。知性の欠片もありません』

(ほっとけ! これも立派な男のロマンだ!)

 

 

 タチバナは内心で力強く反論する。

 

 

(美しいものを美しいと愛でる。これこそが文化的な生活の第一歩だろ! 俺は今、彼女たちの労働意欲を視線によって後方支援しているんだ!)

 

 

『詭弁ですね。単に自分が動きたくない口実を、卑しい性欲で覆い隠しているだけでしょう』

 

 

 フィリアの容赦ない正論が突き刺さるが、タチバナは一切ダメージを受けない。図太さだけが彼の武器だ。フィリアの小言を適当に聞き流し、再び欲望の鑑賞会に集中しようとした、その時だった。

 

 

「わっ…ととっ!?」

 

 

 中庭に、メグの短い悲鳴が響いた。見れば、彼女は一度に運ぼうと欲張ったのか、ポーションの入った小箱を三つも四つも縦に積み重ねて抱えていた。そのアンバランスな荷物の塔がグラリと揺れ、彼女の小柄な体は完全に重心を失っていた。

 

 

「きゃっ!?」

 

 

 メグの足がもつれ、その体が、ちょうど腕を組んで立っていたタチバナの方向へと傾いてくる。タチバナの頭脳は、瞬きする間も惜しんで、目前の状況に対する最適な物理演算を開始した。

 

 

(荷物の重量、彼女の倒れ込む角度、地面までの距離…)

 

 

 避けられる。ほんの半歩、右へ体をずらせば、彼女はタチバナの横をすり抜けて地面に倒れ込むだろう。彼はかすり傷一つ負わずに済む。だが…ここで「避ける」という選択肢など、タチバナの辞書には存在しなかった。

 

 

(この絶妙な角度で倒れ込んでくるということは、俺が受け止めれば、間違いなく彼女の体正面が俺の胸に密着する。つまり…!)

 

 

 タチバナはコンパスで図形を描くように、素早く、かつ正確に両足のスタンスを広げた。腰を落とし、両腕を僅かに前に出す。それは彼女を救出するためではなく、天から降ってくる極上の果実を、一切の取りこぼしなく受け止めるための、完璧に計算された「歓迎の体勢」だった。

 

 

「危ない!」

 

 

 タチバナは、さも咄嗟に動いたかのように声を張り上げた。次の瞬間。

 

 ドサッ! という鈍い音と共に、メグの柔らかな体が、タチバナの胸の中へ勢いよく飛び込んできた。積み重なっていた木箱が崩れ落ち、周囲に転がる。タチバナは彼女の背中に腕を回し、衝撃を殺しながら、しっかりとその体を抱きとめた。

 

 

(…ぐっはあああああ!)

 

 

 タチバナの脳内で、歓喜のファンファーレが鳴り響いた。

 

 顔面に押し当てられた、彼女の燃えるような赤い髪。そこから漂ってくる、花の蜜のような甘く爽やかな香り。そして何より、胸板に押し付けられた、薄いローブ越しの、二つの柔らかな感触。想像を絶するほどの弾力と、女性特有の心地よい温もりが、彼の理性を一瞬で蒸発させる。

 

 

(これが天国か…! これが、無理やり勇者に任命された男に与えられた、正当な報酬なのか…! ありがとう、重力! ありがとう、世界!)

 

 

 タチバナが内心で昇天し、このまま時間が止まればいいと本気で願っていると、腕の中のメグがハッと我に返ったように体を強張らせた。

 

 

「ご、ご、ごめんなさい勇者様! あたし、欲張って運ぼうとしちゃって…わざとじゃなくて…!」

 

 

 メグは慌てて体を離し、顔を耳の先まで真っ赤に染めて謝罪の言葉を口にした。タチバナの胸元からあの極上の柔らかさが失われたことに、魂が削られるような喪失感を覚える。だが、ここで「もっとくっついていてもいいぞ」などと口走れば、築き上げた架空の高潔な英雄像は粉々に砕け散ってしまう。

 

 タチバナは、腹の底で煮えたぎる下心を完璧な分厚い鉄板で封じ込め、口角を僅かに上げた。これまでの人生で培ってきた「女を騙すための爽やかな笑顔」を、寸分の狂いもなく顔面に展開する。

 

 

「気にするな。怪我はないか?」

 

 

 タチバナはあえて声を低くし、落ち着き払った声で尋ねた。

 

 

「は、はい…! 勇者様が受け止めてくれたから…」

「なら良かった。荷物が落ちるくらい、どうということはない」

 

 

 タチバナは地面に転がった木箱を一瞥し、再びメグの琥珀色の瞳を真っ直ぐに見つめた。そして、とどめの一言を放つ。

 

 

「これも、仲間を支える俺の役目だ。…背中だけでなく、前で転びそうになった時も、遠慮なく頼ってくれ」

 

 

 自分でも吐き気がするほどキザな台詞だった。真意を翻訳すれば「もっと俺の胸に飛び込んでこい、なんなら毎日転んでくれ」という最低な欲望の吐露に過ぎない。だが、その言葉の破壊力は絶大だった。

 

 

「うぅ…っ。…優しい…!」

 

 

 メグは琥珀色の瞳を潤ませ、さらに顔を赤くして両手で自分の頬を覆った。彼女の視線からは、明確な好意と憧れのような光が漏れ出ている。

 

 それだけではない。一部始終を見ていた他の二人も、完全にタチバナの言葉に当てられていた。

 

 アリシアは、手にした木箱を下ろし、感心したように深く頷いている。そのサファイアの瞳には、揺るぎない尊敬の色が浮かんでいた。セシリアに至っては、胸の前で両手を組み、祈るような姿勢でうっとりとタチバナを見つめている。

 

 

(…勝った)

 

 タチバナは、三人の美少女たちからの一斉の尊敬と好意の眼差しを全身に浴びながら、鼻腔の奥に微かに残るメグの甘い香りを、誰にも気づかれないように深く吸い込んだ。

 

 危険な任務? 魔王討伐? 知ったことか。

 

 旅の始まりからこんな極上の恩恵と、圧倒的な好感度を獲得できるのなら、この勘違いだらけの勇者生活も悪くないかもしれない。タチバナは内心で、天に向かって力強く勝利のガッツポーズを決めた。

 

 そんな彼の有頂天な思考を、隣の透明な精霊がどれほど冷ややかな、軽蔑しきった視線で見下ろしているかなど、今の彼には全く関係のないことであった。




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