俺の命を守るためなら、お前らを盾にする   作:最高司祭アドミニストレータ

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ヒロインたちの勘違いフィルター。


流石は勇者さま!

 王都を出立した四頭立ての堅牢な馬車は、整備された石畳の街道を抜け、木々が鬱蒼と生い茂る森の道へと差し掛かっていた。

 

 御者台では僧侶セシリア・ホワイトリリーが手綱を握り、馬たちに優しく声をかけながら慎重に馬車を進めている。車内では、王女騎士アリシア・フォン・ローゼンバーグと、天才魔法使いメグ・フレイムハートが向かい合わせに座り、声のトーンを落として言葉を交わしていた。

 

 見目麗しい乙女たちの和やかな旅の風景。だが、彼女たちが声を潜めているのには、明確な理由があった。三人の意識は、常に車内の奥の座席で沈黙を貫く一人の青年──勇者タチバナへと向けられていたのである。

 

 アリシアとメグの目から見て、タチバナの様子は明らかに尋常ではなかった。顔色は青ざめ、額には絶えず脂汗が滲んでいる。片手で胃のあたりを強く押さえ、時折、見えない何かに怯えるように視線を泳がせては、深く苦しそうな息を吐き出している。

 

 

(…勇者様、相当な負担をその身に強いておられるのだわ)

 

 

 メグの明晰な魔法使いとしての頭脳は、タチバナの苦悶の表情を、極めて論理的な「魔術的代償」として解釈していた。これから一行が進むのは、魔王軍の影響力が色濃く表れ始める危険地帯である。当然、いつどこで魔物の奇襲を受けてもおかしくはない。

 

 メグの推測によれば、タチバナは現在、自らの魔力探知網を馬車の周囲数十里にわたって、極限まで薄く、そして広く展開しているのだ。微細な魔力の波長や、木々の葉が擦れる音の裏に潜む殺気を拾い上げるため、脳の処理能力を索敵のみに集中させている。

 

 だからこそ、肉体的な機能が著しく低下し、顔面が蒼白になっているのだと。

 

 

(すごい集中力…あたしでさえ、移動中にあれほどの広域探知を維持し続けたら、魔力酔いで倒れちゃうのに。少しでも気を抜けば危険なこの森で、私たちの安全を確保するために、一人で神経をすり減らしてくれているんだ)

 

 

 メグが尊敬の眼差しを向ける隣で、アリシアもまた、全く別の、しかし同じく高度な騎士としての論理を構築していた。

 

 

(勇者様は今、頭の中で数千、数万のシミュレーションを繰り返しておられるのだ。地形、天候、敵の奇襲経路。あらゆる不測の事態を想定し、我々を無傷で導くための最善手を模索されている)

 

 

 アリシアは、タチバナが時折視線を泳がせている動作を、「周囲の木々の配置や死角を確認している」のだと受け取っていた。

 

 彼が何も語らず、ただ沈黙を貫いているのは、無駄な会話によってその極度の集中が途切れることを防ぐためだ。アリシアとメグは、彼を気遣うように視線を交わし、その「見えない重圧」と戦う背中に深く頭を垂れる思いであった。

 

 その時だった。ガクンッ! と、馬車が激しく揺れ、車輪が土を削る鈍い音と共に急停止した。御者台で手綱を握っていたセシリアの、緊迫した声が響く。

 

 

「タチバナ様、アリシアさん、メグさん! 前方に魔物です!」

(やはり! 勇者様の探知が捉えていた通りだわ!)

 

 

 メグとアリシアは瞬時に立ち上がり、タチバナの索敵が的確であったことに驚嘆しながら、武器と魔力を構えて馬車の外へと飛び出した。

 

 馬車の外へ出たヒロインたちの視界に飛び込んできたのは、街道を完全に塞ぐようにして群れる、緑色の醜悪な生物──ゴブリンの群れであった。数は十八。それぞれが赤黒く錆びた鉈や棍棒を手にしている。個々の戦闘力は取るに足らない下等な魔物だが、これだけの数に完全に包囲されれば、馬車という護衛対象がある状況下では極めて厄介な障害となる。

 

 アリシアは瞬時に白銀の剣を抜き放ち、前衛としての立ち位置を確保した。彼女の戦術的思考が、一瞬で戦場を解析する。敵は統率されていないが、本能的な飢えと殺意でこちらを狙っている。もし散開して多方向から襲いかかってくれば、乱戦となり、後衛であるメグや非戦闘員の馬に致命的な危険が及ぶ可能性が高い。

 

 

「勇者様! ご指示を!」

 

 

 アリシアは、部隊の指揮官であるタチバナへと視線を向けた。タチバナは、防具すら持たない布の服という無防備な出で立ちのまま、アリシアの少し後ろに立っていた。彼の顔は極度に緊張しているかのように引きつり、両膝は小刻みに震えている。

 

 

(…この不利な状況で、どのような陣形を取るおつもりか)

 

 

 アリシアが指示を待っていたその瞬間、信じられない光景が起きた。タチバナの膝がガクンと折れ、彼はそのまま地面に無様な尻餅をついてしまったのだ。剣を抜くどころか、完全に防御の姿勢を解き、地に這いつくばっている。

 

 

「…ッ!」

 

 

 アリシアとメグは、同時に息を呑んだ。一見すれば、恐怖に腰を抜かした臆病者の姿にしか見えない。だが、アリシアの鍛え上げられた騎士としての戦術眼と、メグの天才的な頭脳は、その常軌を逸した行動の裏に隠された「真の

頭脳」を瞬時に読み取っていた。

 

 

(なるほど…! なんという恐ろしいほどに冷徹な戦術…!)

 

 

 アリシアは戦慄した。なぜ彼があえて無防備な態勢をとり、地にへたり込んだのか。

 

 理由は明確だ。敵の数は多い。普通に剣を構え、威圧感を放って相対すれば、ゴブリンたちは警戒し、散開して森の中や多方向から攻めてくるだろう。だからこそ、タチバナは自らを「最も与しやすい、弱り切った獲物」として完璧に偽装したのだ。

 

 魔物や獣の習性として、群れの中で最も弱っている個体、無防備な個体を真っ先に狙う。タチバナが武器も構えずに座り込んだことで、ゴブリンたちの殺意と標的は、後衛の少女たちから完全に外れ、タチバナ一点へと集中する。

 

 

(己の身を極限の危険に晒す囮(おとり)となり、敵の散開を防ぐ。そして、敵が一点に群がったところを一網打尽にするつもりなのだ…! だが、少しでも反応が遅れれば、複数の刃を同時に浴びて絶命する。なんという胆力か!)

 

 

 メグもまた、同じ結論に達し、己の魔力を練り上げる手を止めた。ここで自分が魔法を放てば、勇者の命がけの「罠」を台無しにしてしまう。

 

 少女たちの推測通り、一匹のゴブリンが奇声を上げ、無防備なタチバナに向かって一直線に飛びかかっていった。他のゴブリンたちも、先を争うようにタチバナへと殺到し始める。

 

 

「勇者様!」

 

 

 アリシアが、たまらず援護に入ろうと地を蹴った、まさにその時。地に座り込んだままのタチバナの右腕が、弾かれたように動いた。

 

 御者台から飛び降り、後方で回復の祈りを準備していたセシリアは、目の前で繰り広げられる光景に、己の目を疑った。尻餅をついたタチバナに向かって、ゴブリンの錆びた鉈が振り下ろされる。刃がタチバナの身体に届く寸前。彼の腰の鞘から、白銀の閃光が奔った。

 

 タチバナの右腕だけが、常人の目では到底追いきれない神速の軌道を描いた。刃が風を裂く鋭い音。次の瞬間、空中に跳びかかっていたゴブリンの胴体が、綺麗に上下に両断され、汚らしい体液を散らしながら崩れ落ちた。

 

 

「あ…」

 

 

 セシリアの口から、感嘆の息が漏れる。タチバナは、地に座り込んだ体勢からバネのように跳ね起きると、殺到してくるゴブリンの群れの中へと、単騎で突入していった。

 

 それは、もはや戦闘というよりも、圧倒的な武力による一方的な蹂躙であった。

 

 彼の剣技には、一切の無駄も、迷いも存在しなかった。右から迫る棍棒を、手首の僅かな返しだけで弾き落とす。その動作の反発力を利用して身体を独楽のように回転させ、遠心力を乗せた刃で二体目の首を音もなく薙ぎ払う。背後からの奇襲に対しては、振り向きもせずに柄尻を後頭部へ叩き込み、体勢を崩した敵の心臓を背中越しに正確に貫く。

 

 流麗にして、苛烈。舞い散る血飛沫の中で剣を振るう彼の姿は、まるで神話に語られる戦神そのものであった。アリシアは、その非の打ち所のない剣の軌跡に、騎士としての魂を激しく揺さぶられていた。

 

 だが、三人の乙女の心を最も強く締め付けたのは、その美しすぎる剣技の合間に、タチバナの口から絶え間なく漏れ聞こえてくる「悲痛な叫び声」であった。

 

 

「ひぃぃぃっ!」

「助けてくれええ!」

「もうやめてくれええええ!」

 

 

 刃が骨を断ち、敵の命を奪うたびに、タチバナは顔を歪め、痛ましいほどの甲高い叫び声を上げている。その悲鳴を聞いた瞬間、セシリアのエメラルドグリーンの瞳から、ポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。

 

 

(…ああ。勇者様は、泣いておられるのですね)

 

 

 セシリアの僧侶としての高い感受性は、タチバナの悲鳴を、己の身を案じる恐怖によるものだとは微塵も疑わなかった。これほどまでに圧倒的な武力と深遠な戦術を持つ者が、下等なゴブリンごときに恐怖するはずがない。

 

 ならば、あの悲鳴の正体は何か。

 

 

(他者の命を奪うことへの、耐え難い苦痛と悲しみ…)

 

 

 タチバナは、いかに相手が邪悪な魔物であろうと、命を絶つという血塗られた行為に慣れることができないのだ。刃が肉を裂く感触。失われていく命の重み。それらを己の手に感じるたびに、優しすぎる彼の魂は深く傷つき、同調して悲鳴を上げている。

 

 彼は、セシリアたち純真な乙女を血の業から遠ざけるため、自ら進んで全ての殺戮を己一人で引き受け、その罪と悲しみにたった一人で耐えているのだ。

 

 

(なんという慈悲深さ。なんという自己犠牲…。私たちの手を汚させまいと、自らの魂を削って剣を振るっておられるのですね)

 

 

 セシリアは、胸の前で両手を固く組み、タチバナの痛みを少しでも分かち合おうと、必死に祈りを捧げた。彼の悲痛な叫び声が森に響くたびに、アリシアの騎士としての誇りも、メグの魔術師としての情熱も、そしてセシリアの聖母のような母性も、彼に対する果てしない愛情と尊敬で満たされていった。

 

 数分後。タチバナの周囲には、原型を留めないゴブリンの残骸の山が築き上げられていた。激しい剣戟の音は止み、再び静寂が森の街道に降り戻る。

 

 アリシアは、剣を構えたまま一歩も動くことができなかった。タチバナの剣技は、王宮の指南役を遥かに凌駕する次元にあった。無防備な囮となって敵を一点に集め、最小限の動きで致命傷を与え続ける。その一連の動作のどこにも、アリシアやメグが介入する隙は存在しなかった。

 

 タチバナは、剣を握りしめたまま、肩で激しく息をしている。その顔は涙と汗で濡れており、立っているのがやっとというほどに激しく消耗しているように見えた。

 

 アリシアは慌てて剣を鞘に収め、彼のもとへと駆け寄った。

 

 

「タチバナ様!」

 

 

 タチバナはビクッと肩を震わせ、袖口で乱暴に顔を拭った。他者に己の涙を見られまいとする、そのいじらしい仕草に、アリシアの胸が熱くなる。

 

 

「お見事でした、タチバナ様! あの、流れるような神速の剣技…! 我々が手出しをする隙すらありませんでした」

 

 

 アリシアは、熱を帯びた声で彼の武を称えた。そして、どうしても確認しておかなければならない戦術的疑問を口にする。

 

 

「ですが、一つだけお尋ねしてもよろしいでしょうか。開戦の直前…なぜ、あえて無防備に腰を抜かすような隙を見せたのですか? やはりあれは、敵を一点に集中させるための囮の戦術だったのでしょうか…?」

 

 

 アリシアが問いかけると、タチバナは一瞬言葉に詰まり、視線を彷徨わせた。己の戦術を語ることを良しとしない、その謙虚な沈黙。その間に、横からメグが目を輝かせて割って入った。

 

 

「あたし、わかっちゃった! わざと無抵抗なフリをして、敵を完全に油断させて引きつけてから、一網打尽にするっていうカウンター戦法でしょ! うわー、えげつなーい! でも、あの数の敵をたった一人で無傷で全滅させるなんて、超クール!」

 

 

 メグの魔術的な分析力もまた、アリシアの戦術的推論と同じ結論に行き着いていた。敵の行動心理を逆手に取った、冷徹で完璧な罠。さらに、セシリアが涙ぐんだ瞳でタチバナを見つめ、静かに首を横に振った。

 

 

「いいえ…。タチバナ様は、ただの戦術としてあのような危険を冒したわけではありません。私たちの手を汚させまいと、自ら過酷な役目を引き受けてくださったのですね。他者の命を奪う痛みに、あのように悲痛な声を上げながら…。なんとお優しい…」

 

 

 三人の乙女たちは、それぞれの専門分野と視点──武術、魔術理論、そして聖職者の感受性──から、タチバナの行動を極めて論理的に美化し、解釈していた。

 

 タチバナは、三人の言葉を聞いてしばらく呆然としていたが、やがて何かを飲み込んだように小さく咳払いをした。そして、聖剣の刀身に付着した血糊を、大仰で芝居がかった仕草で振り払ってみせると、フン、と鼻を鳴らした。

 

 

「…まあ、こんなものか。準備運動にもならなかったな」

 

 

 その言葉には、明らかな震えと虚勢が混じっていた。だが、アリシアたちの耳には、それが「自らの限界はまだまだ先にある」という、底知れぬ強者の余裕の宣言にしか聞こえなかった。恐怖による震えすらも、戦意を抑え込むための武者震いとして処理されてしまう。

 

 

(これほどの実力と、深遠な戦術、そして他者を思いやる慈愛を持ち合わせているとは…。私は、なんて素晴らしい御方に剣を捧げたのだろう)

 

 

 アリシアは、タチバナの頼もしい背中を見つめながら、改めて絶対の忠誠を誓った。メグは「次はあたしの魔法も見せてあげるからね!」と意気込み、セシリアは「すぐにお疲れを癒やしますね」と優しく微笑んでいる。

 

 勇者の見苦しい腰抜けと、ただの恐怖による悲鳴。それが、三人の乙女たちの高い知性と純粋さというフィルターを通ることで、完璧な「英雄の伝説」へと変換されてしまった瞬間であった。

 

 三人は、タチバナの背中から放たれる圧倒的な英雄のオーラに、深い感嘆と尊敬のため息を同時に漏らすのだった。




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