俺の命を守るためなら、お前らを盾にする   作:最高司祭アドミニストレータ

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フィリア視点


精霊の論理的終止符と、美しき虚像の再構築

 石畳が爆ぜ、大気が焦げ付くような魔力の残滓が漂う街の広場。聖剣の精霊フィリアは、一切の質量を持たない霊体として、戦場の中心に静かに浮遊していた。彼女の無機質な紫水晶の瞳が捉えているのは、胸を聖剣で貫かれ、武人としての満足げな笑みを浮かべたまま絶命した四天王ブライアンの巨躯。

 

 そして、その傍らで白目を剥き、口端から一筋の涎を垂らしながら、糸の切れた人形のように立っている契約者――タチバナの無様な姿であった。

 

 

(…自律戦闘術式の完遂を確認。対象の生命活動停止。脅威の排除を完了しました)

 

 

 フィリアは、脳内の論理回路で事務的にリザルトを書き込む。タチバナの肉体は、現在フィリアが聖剣を通じて流し込んでいる微細な魔力操作によって、辛うじて直立状態を維持しているに過ぎない。彼の意識は、ブライアンが放った最後の一撃のプレッシャーに耐えきれず、数分前にとうの昔に霧散している。

 

 

(意識を失いながらも敵を討つ不退転の勇者…傍から見ればそのように映るのでしょうが、実態は恐怖のあまり脳の防衛本能が強制終了を選んだだけの、空っぽの肉塊です。これを英雄と呼ぶのは、言語に対する冒涜に近いものがありますね)

 

 

 フィリアは、物質界の塵を払うように小さくため息を漏らした。彼女の知覚回路には、ここ数日間の出来事が「修正不可能なエラーログ」のように蓄積されている。

 

 つい先刻、宿屋の部屋で繰り広げられた卑劣な逃亡劇。

 

 タチバナは、三人の乙女たちが命を懸けて広場へ向かった直後、迷わず裏窓から逃げ出そうとした。あの時の彼の瞳に宿っていたのは、仲間への信頼でも勝利への執念でもなく、ただ「自分だけは助かりたい」という、家畜以下の生存本能のみであった。

 

 フィリアが、裏路地に潜むリザードマンの存在を理詰めで指摘し、正面突破の不可能性を提示しなければ、彼は今頃、野良犬のように路地裏で首を跳ねられていたはずだ。

 

 さらに遡れば、あの市場での出来事も、フィリアの理解を超える人間の「醜悪な創意工夫」に満ちていた。

 

 女性用下着店という、勇者の尊厳とは対極にある場所で、下劣な妄想を膨らませて鼻血を噴き出した男。それを見咎められた際、彼は軒先の子供用衣類を指差し、「貧しい孤児たちを想って血の涙を流している」という、吐き気を催すほどの偽善的な嘘を並べ立てた。

 

 驚くべきは、その稚拙な詐術を、天才魔法使いメグが「極限の共感能力による聖痕」だと、高度な魔法理論を駆使して勝手に美化し、信仰を深めてしまったことだ。

 

 

(賢い者ほど、自らが構築した論理の整合性を優先し、眼前の『真実という名の汚物』から目を逸らす。人間という種が持つこの致命的なバグこそが、タチバナという虚像を支える唯一の基盤となっているのですね)

 

 

 フィリアの観測範囲内で、変化が生じた。ブライアンの猛攻を受け、広場の端で倒れ伏していた三人のヒロインたちが、震える身体を支えながら、ゆっくりと意識を取り戻し始めていたのだ。

 

 

「う、あ…タチバナ、様…?」

 

 

 最初に声を上げたのは、王女騎士アリシアであった。彼女は血の混じった土を吐き出しながら、霞む視線で戦場の中心を見据えた。彼女の目に映っているのは、フィリアが魔力で吊り上げている「直立したまま動かないタチバナ」と、その足元で物言わぬ肉塊となった最強の四天王。

 

 

「信じられない。あの化け物を…たった一人で…?」

 

 

 メグも、セシリアも、這いずるようにして立ち上がる。彼女たちの瞳には、戦慄を通り越した「絶対的な畏怖」が宿っていた。自分たちが束になっても傷一つ負わせられなかった強敵を、防具すら纏わぬ身体で、一歩も引かずに仕留めてみせた男。その背中から放たれる(ように見える)圧倒的なまでの静謐な覇気。

 

 実際には、タチバナは気絶しており、フィリアが返り血を浴びないよう魔力障壁を張っていたため、彼の服は新品のように清潔なままである。それがかえって、「強敵を無傷で圧倒した」という絶望的なまでの実力差を演出してしまっていた。

 

 

(…さて。そろそろ、この人形を覚醒させる必要がありますか)

 

 

 フィリアは、聖剣の柄を通じて、タチバナの神経系に微弱な電気刺激(魔力パルス)を送り込んだ。脳の覚醒領域を強制的に叩き起こす、極めて乱暴な目覚ましである。

 

 

「ひ…っ!? ひ、ひぃぃぃぃっ! やめてくれ! 助けて! 俺が悪かった、何でもするから食わないでくれええええ!!」

 

 

 意識が戻った瞬間、タチバナの口から飛び出したのは、英雄の凱旋とは程遠い、命乞いの絶叫であった。彼はガタガタと全身を激しく震わせ、周囲をキョロキョロと見回しながら、今にも脱兎のごとく逃げ出そうと足をもたつかせる。

 

 だが、この情けない第一声すらも、ヒロインたちの「高性能な翻訳フィルター」は、光の速さで神聖なものへと変換した。

 

 

「…ああ、タチバナ様。貴方は、勝利した後ですら、あのような痛ましい声を…」

 

 

 セシリアが、胸の前で手を組み、涙を流しながら呟いた。彼女の耳には、タチバナの悲鳴が「滅ぼした敵の魂を弔い、奪った命の重みに耐えかねて魂が叫んでいる慈悲の咆哮」として届いていた。

 

 

「『俺が悪かった』…ですか。敵に対してすら、自らの力が及ばず命を奪うしかなかったことを悔いておられるのですね…。なんと、なんと深き慈愛…!」

 

 

 アリシアも、剣を杖代わりに立ち上がり、そのサファイアの瞳を尊敬の色で潤ませている。

 

 

「…敵の首魁を討ち取った直後に、勝利に酔うことなく己の未熟さを説く。王族として、騎士として、私はあの方の足元にも及びません」

 

 

 メグに至っては、タチバナの震える姿を見て、興奮で赤毛を逆立てていた。

 

 

「わかる、わかるよ勇者様! あの極限の『無念無想』の状態から、急に現実の意識に戻ってきたから、魂の波長が乱れてるんだよね!? さっきまでのあの神がかった動き…あれ、自分の意識を完全に消して、聖剣の理と完全に同調してたんでしょ!? うわぁ、今の悲鳴も、魔力回路の急激な冷却現象によるものに違いないわ! かっこよすぎる!」

 

 

 タチバナは、彼女たちの言葉を聞いて、ようやく自分が置かれている状況を理解し始めた。

 

 目の前には、巨大なゴリラ。もとい、四天王の死体。そして、自分を拝むように見つめる、ボロボロになりながらも熱狂的な目をした三人の美女。

 

 

(…え? あ、あれ? 俺…勝ったのか? あの化け物を倒しちゃったのか!?)

 

 

 タチバナの脳内で、先ほどまでの死の恐怖が、瞬時に「莫大な功績」という名の資産へと書き換えられていく。

 

 彼は震える手で聖剣を鞘に納めると、わざとらしく大きく一つ深呼吸をした。そして、顔についた鼻水を袖で素早く拭い取り、もっともらしい「悟りを開いた英雄」の面構えを無理やりに作り上げた。

 

 

「ふぅ…皆、無事か。奴は、なかなかの手練れだったよ」

 

 

 自分は気絶していただけだという事実を宇宙の果てまで放り投げ、タチバナは芝居がかった重々しい口調で語りかけた。

 

 

「我に返るのが少し遅れた。…彼のような武人を、我が手で葬らねばならなかったのは…実に、心が痛む」

(よし。慈悲深い俺、完璧だ。これでこいつら、もっと俺の言うこと聞くだろ!)

 

 

 タチバナが内心で醜悪な計算を完了させたのと同時に、ヒロインたちは「「「タチバナ様…!」」」と同時に感嘆の声を上げ、彼の元へと駆け寄った。彼女たちは彼の両腕に抱きつき、その無傷の肉体を涙ながらに確認し、その勝利を祝福し始めた。

 

 フィリアは、三人の美少女に囲まれて鼻の下を伸ばし始めた主を一瞥し、己の演算領域に結論を書き出した。

 

 

(…結果として、四天王の一角が消滅し、勇者パーティの結束…もとい、タチバナ教の狂信度は、不可逆的な段階まで高まりました。戦略的な目的は達成されましたが…)

 

 

 フィリアは、タチバナには聞こえない、絶対零度の「肉声」を、風の中に溶け込ませた。

 

 

「貴方のその運命すらも下劣な欲望の糧にする図太さ。…やはり、一度その神経束を全て切断し、一から再構築すべきか、真剣に検討の余地がありますね」

 

 

 タチバナの背筋に、戦いとは無関係な鋭い寒気が走ったが、彼はそれを「勝利の余韻」だと思い込み、自分に抱きつくメグの柔らかな感触を堪能することに全神経を集中させていた。

 

 魔王軍の脅威が現実のものとなり、一行の旅はここからさらに過酷さを増していくことになる。

 

 しかし、フィリアには確信があった。どのような強敵が現れようとも、タチバナという名の「中身のない神」は、彼女たちの純粋な勘違いという不滅の盾に守られ、自らの欲望のままに世界を救い続けてしまうのだろう、と。

 

 フィリアは冷酷な管理者として、再びタチバナの影へと姿を消した。

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