俺の命を守るためなら、お前らを盾にする   作:最高司祭アドミニストレータ

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タチバナ視点


#10 王都への凱旋
新たな指令


 四天王の一角、”剛拳”のブライアンが討ち取られたという報せは、風よりも速く王国中を駆け巡っていた。討伐を果たした街から王都へと帰還する勇者一行の道中は、数日前に同じ道を辿った時とは、比較にならないほど快適かつ厳重なものへと変貌していた。

 

 

「勇者様ご一行のお通りだ!」

「道を開けよ! 英雄たちの凱旋である!」

 

 

 王の勅命を受けた近衛騎士の小隊が馬車の前後を固め、街道の警備は文字通り鉄壁であった。野盗の類は言うに及ばず、魔物一匹たりとも彼らの視界に入ることは許されない。

 

 タチバナは王室が特別に用意した大型の馬車の中で、最高級のビロードが張られたふかふかの座席に身を深く沈めていた。

 

 

(いやー、快適快適。馬車の車輪に組み込まれた緩衝用の魔術機構が、石畳の振動を完全に殺している。これなら何日乗っていても腰を痛める心配はない。これが国家の最高賓客として扱われる、英雄の特権というやつか)

 

 

 タチバナは窓の外に広がるのどかな田園風景を眺めながら、手元に置かれた冷たい果実水を一口飲んだ。

 

 道中で立ち寄る村や街では、もはや彼の顔を知らない者はいなかった。馬車が停まるたびに、熱狂的な群衆が押し寄せ、「我らが救世主!」と涙ながらに彼を称え、最高の酒や食材を貢ぎ物として差し出してくる。

 

 

(まあ、あの巨大なゴリラを倒したのは俺じゃなくて、全部そこの銀髪女が勝手にやったことだけどな! 俺は意識を失って白目を剥いていただけだ!)

 

 

 彼は内心で身も蓋もない真実を毒づきながらも、窓の外の民衆に向けては、一切の淀みもない完璧な「英雄の微笑み」を浮かべ、優雅に手を振って応えていた。

 

 

『…貴方も随分と「勇者ごっこ」が板についてきたようですね。その堂に入った笑顔、腹の内の醜悪な本性を知らなければ、慈悲深き聖人と見間違えるかもしれませんよ』

 

 

 隣の空間で透明化している精霊フィリアが、絶対零度の皮肉を脳髄へと直接送り込んでくる。今のタチバナにその程度の嫌味は全く通用しなかった。

 

 

(フン、これも実力のうちだ。為政者や権力者というものは、大衆の不満を逸らすための象徴を常に必要としている。民衆が求める「無敵の英雄」という偶像を完璧に演じ切り、国を安定させてやるのも、英雄に課せられた立派な責務だからな。俺はただ、彼らの需要に対して的確な供給を行っているに過ぎない)

 

 

 タチバナは自らのペテンを「高度な政治的貢献」へと見事にすり替え、心の中で高らかに胸を張った。彼は、完全に調子に乗っていた。

 

 優雅な旅を経て、一行を乗せた馬車はついに王都の巨大な正門をくぐった。その瞬間、タチバナの鼓膜を破らんばかりの、凄まじい大歓声が空気を震わせた。

 

 

「勇者タチバナー!」

「タチバナ様、万歳! 魔王軍を打ち砕く我らの光!」

 

 

 王都のメインストリートは、勇者の姿を一目見ようと集まった数万の民衆で完全に埋め尽くされていた。建物の窓や屋上から、色とりどりの花びらが祝福の雪のように舞い降り、馬車の屋根や道を美しく彩っていく。

 

 

(うおおお…! すげえ…! これが、凱旋パレード…!)

 

 

 タチバナは、そのあまりの熱狂ぶりに一瞬圧倒されたが、すぐに最高の気分へと至った。馬車の上から身を乗り出し、歓喜に沸く民衆に向けて両手を高く掲げる。黄色い声援を送ってくる愛らしい町娘たちを見つければ、惜しげもなく極上のウィンクまで飛ばしてやるサービスっぷりだ。

 

 彼の隣で白馬に跨る王女騎士アリシアも、赤毛を風に揺らす魔法使いメグも、祈るように両手を組む僧侶セシリアも、皆一様に誇らしげな表情で民衆の歓呼に応えている。彼女たちは皆、自分たちの指導者であるタチバナが、これほどまでに民に愛され、称賛されている事実を、我がことのように喜んでいた。

 

 

(そうだ…この名声も、栄光も、そしてこの絶世の美少女たちも、全てこの俺のものだ!)

 

 タチバナの頭の中は、これから謁見の間で王から与えられるであろう、莫大な報酬の計算で埋め尽くされていた。四天王の一角を討伐したのだ。その功績は計り知れない。

 

 

(山のような金貨! 眩いばかりの宝石! そして王都の一等地に建つ、美女をはべらせるための広大な豪邸! 一国の国家予算に匹敵する財を手に入れれば、もう俺が危険な真似をする必要はどこにもない。これで一生働かずに、完全な安全圏で安泰な余生を送れる! 村に戻ってアンナたちも呼び寄せれば、この三人と合わせて最強のハーレムが完成する…! ぐへへへへ!)

 

 

 果てしなく広がる欲望の青写真。タチバナの脳内では、魔王の存在などすでに完全に過去のものとして処理されていた。

 

 熱狂のパレードを終え、一行は王城の最奥部、謁見の間へと通された。広間には国の重鎮、将軍、高位の貴族たちが勢ぞろいしており、その誰もが畏敬と称賛の入り混じった眼差しをタチバナに向けている。

 

 

「よくぞ戻った、勇者タチバナよ! そして、彼を支えし仲間たちよ!」

 

 

 玉座から立ち上がった国王リチャード三世は、自ら階段を降りてタチバナの前まで歩み寄ると、その華奢な肩を力強く叩いた。

 

 

「まさか、あの恐るべき四天王の一角を、これほど早く打ち破るとは! 見事という他ない!」

 

 

 王の言葉を皮切りに、居並ぶ大臣たちからも賞賛の嵐が巻き起こる。

 

 

「素晴らしい! まさに一騎当千の英雄!」

「我が国どころか人類の宝だ!」

 

 

 タチバナは、謙虚さを装いつつも得意満面の笑みを浮かべ、その言葉を全身で受け止めていた。

 

 

(もっとだ…! もっと俺を褒め称えろ! 俺の市場価値を限界まで引き上げるんだ!)

 

 

 そして、ついにタチバナが待ち焦がれていた瞬間がやってきた。王が片手を高く上げ、広間を静まらせる。

 

 

「そなたらの偉大なる功績に、王家より最高の褒賞を与える! まずは、金貨一万枚! そして、我が王家に代々伝わる最高級の宝剣と、あらゆる災厄を退ける魔除けの盾を授けよう!」

(金貨一万枚!? ひょえええええ!!)

 

 

 タチバナは、あまりの桁違いの金額に、内心で狂喜乱舞した。金貨一万枚。それは平民が使い切れないほどの、途方もない大金である。それに加えて国宝級の武具。これを裏ルートで売り捌けば、さらに資産は倍増する。彼の「究極の楽隠居ハーレム計画」は、この瞬間、完全に達成の条件を満たした。

 

 タチバナは、これまでの人生で最も深く、最も丁重な礼を取り、王に向かって感謝の言葉を述べた。

 

 

「身に余る光栄でございます、国王陛下」

(よし、完璧だ。あとはこの場で、『この多大なる恩賞を手切れ金…もとい、退職金とし、後進に道を譲るため、勇者の座を辞させていただきます』と、スマートかつ感動的に切り出すだけだ…!)

 

 

 タチバナは、顔を上げ、勝利を確信した笑顔で口を開きかけた。

 

 タチバナが勇退の宣言を喉の奥から紡ぎ出そうとした、まさにその時だった。国王リチャードは、満足げに深く頷くと、謁見の間に響き渡るような、高らかで力強い声でこう宣言したのである。

 

 

「──そして、これは、まだ始まりに過ぎぬ!」

「……は?」

 

 

 タチバナの思考が、一瞬完全に停止した。

 今、何と言った。始まり? 何の始まりだ。

 

 王は、タチバナの困惑などお構いなしに、拳を握りしめて熱弁を振るい続けた。

 

 

「魔王軍の四天王は、まだあと三人残っている! 彼らを全て打ち倒し、魔王の首をこの王城に持ち帰り、この世界に真の平和が訪れるその日まで! 我々の過酷なる戦いは、決して終わらぬのだ!」

 

 

 その熱い演説に呼応するように、アリシア、メグ、セシリアの三人が、決意を新たにした凜々しい表情で力強く頷いた。

 

 

「ハッ! この命に代えましても!」

「もちろんだよ! 全部あたしたちが吹っ飛ばしてあげる!」

「はい…! タチバナ様と共に、どこまでも参ります」

 

 

 広間が割れんばかりの拍手と歓声に包まれる。しかし、タチバナ一人だけは、その言葉の意味が脳内で論理的な繋がりを持たず、完全に理解を拒絶していた。

 

 

(…え? 続きがあんの? 嘘だろ? 四天王って、あの化け物ゴリラみたいな奴がまだ三匹もいるのかよ!? なんでだよ!? 魔王を倒すまで終わらない!? 俺の優雅な楽隠居生活はどこ行ったんだよ!?)

 

 

 王は彫像のように固まっているタチバナの肩を、再びバンッと力強く叩いた。

 

 

「勇者タチバナよ! 予はそなたに底知れぬ期待を寄せているぞ! 次なる四天王を討伐し、再びこの王都に、今日以上の良き知らせをもたらしてくれることを!」

 

 

 謁見の間が、再び「おおおっ!」という地鳴りのような歓声に包まれる。その熱狂と祝祭の渦のど真ん中で、タチバナはただ一人、顔から全ての表情筋のコントロールを失い、蒼白な顔で完全に石化していた。

 

 彼の頭の中で緻密に描かれていた輝かしい未来予想図が、ガラガラと音を立てて粉々に崩れ去っていく。

 

 

『…残念でしたね。どうやら、貴方の勇者としての契約期間は、まだまだたっぷりと残っているようですよ。次の討伐目標の生息域や弱点の情報でも、今のうちに私の知覚網で探知して解析しておきましょうか?』

 

 

 フィリアからの、全く慰めにならない、むしろ傷口に塩と劇薬を同時に塗り込むような無慈悲な思念が、彼の絶望に満ちた脳内に静かに響き渡った。タチバナの物語は、彼自身が全く、微塵も望んでいない死と恐怖の次なるステージへと、国家の総意によって強制的に進められていくのであった。

 

 その夜、王城の大広間では、勇者一行の凱旋を祝う歴史的な規模の祝宴が開かれていた。

 

 最高級のワインが樽ごと振る舞われ、大陸中から集められた希少な食材がテーブルを埋め尽くしている。美しい絹の衣装を纏った踊り子たちが、華麗な舞で宴に華を添えていた。

 

 しかし、広間の特等席に座るタチバナの心は、分厚い雨雲に覆われたように全く晴れなかった。

 

 

(なんでだよ…。なんで俺が、またあんな命がけの戦場に行かなきゃいけないんだよ…! 金は十分すぎるほどもらっただろ! もう目的は達成したじゃないか!)

 

 

 彼は、目の前に並べられた豪華な肉料理にも、妖艶な踊り子の肢体にも一切目もくれず、ただひたすらに、純銀のグラスに注がれた強い酒をヤケクソのようにあおっていた。

 

 そんな彼の元へ、美しいドレスに着替えた仲間たちが、弾むような足取りでやってきた。

 

 

「タチバナ様、次の敵はどのような相手になるのでしょうな! いかなる強敵であろうとも、貴方様の背中は私が必ずやお守りいたします!」

 

 

 アリシアが、サファイアの瞳を闘志に輝かせて告げる。

 

「今度は、あたしももっともっと修行して、すごい魔法で勇者様を助けてあげるからね! 期待しててよ!」

 

 

 メグが、琥珀色の瞳をキラキラとさせて意気込む。

 

「私も、皆様の痛みを一瞬で癒やせるようお支えいたします。ですからどうか、ご無理だけはなさらないでくださいね」

 

 

 セシリアが、慈愛に満ちた聖母のような微笑みを浮かべる。

 

 3人のあまりにも純粋で、希望と前向きな決意に満ちた瞳。それが、今のタチバナには、ただひたすらに眩しく、そして精神を抉るほどに鬱陶しかった。

 

 これほどの才色兼備な乙女たちから絶対の信頼を寄せられているというのに、彼の胸の中にあるのは「お前らがやる気になればなるほど、俺の引退が遠のくだろうが」という逆恨みにも似た理不尽な感情だけであった。

 

 

「…ああ、そうだな。頼りにしてる」

 

 

 タチバナは、引きつった頬の筋肉を無理やり動かし、ひきつった笑顔でそう答えるのが精一杯だった。

 

 

『酒に逃げて現実逃避を行っても、全くの無駄ですよ。貴方の次なる死地への出立は、国家の決定事項としてすでに盤石なものです』

 

 

 頭の中で、フィリアの正論が容赦なく突き刺さる。

 

 

『むしろ、彼女たちのその無駄に高い士気をさらに煽り、戦力を底上げしておくことの方が、貴方自身の生存確率を少しでも高めるための戦略として、極めて賢明な判断と言えるでしょう。…もっとも、貴方のその貧弱な精神が、次なる四天王の威圧に耐えられる保証はどこにもありませんが』

(うるさい! 黙れ! 俺は今、深い悲しみによる傷心中なんだ! 誰にも邪魔されず、そっとしておけ!)

 

 タチバナは、フィリアの完璧な論理による事実の突きつけから逃げ出すように、卓上にある最も度数の高い酒瓶を掴み取ると、グラスに注ぐことすらも面倒に感じ、直接ラッパ飲みで一気に呷るのだった。

 

 彼の意識がアルコールの海に沈むその瞬間まで、迫り来る新たな死への恐怖が消えることはなかった。




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