俺の命を守るためなら、お前らを盾にする 作:最高司祭アドミニストレータ
王城の祝宴会場は、勝利の美酒に酔いしれる貴族たちの喧騒と、弦楽器が奏でる華やかな旋律に包まれていた。
しかし、そのきらびやかな空間の中心において、聖剣の精霊フィリアの視界に映る光景は、極めて低俗で、そして救いようのないほどに滑稽な喜劇のワンシーンに過ぎなかった。
フィリアは、主である勇者タチバナのすぐ隣の空中に、物質界の誰にも認識されることのない半透明の霊体として静かに浮遊していた。
彼女の紫水晶の瞳は、目の前の円卓で繰り広げられている、三人の少女たちによる露骨な「色仕掛けの波状攻撃」と、それに完全に翻弄され、鼻の下を限界まで伸ばしているタチバナの姿を、一切の感情を排した絶対零度の温度で観測していた。
フィリアの論理演算回路は、眼前の事象を即座に細分化し、それぞれの行動原理を極めて冷徹に解析していく。
(観測対象A:王女騎士アリシア・フォン・ローゼンバーグ。推測される行動原理は、国王リチャードより下達された『肉体を用いた勇者の籠絡と掌握』という政治的任務。
しかし、彼女の生真面目な騎士としての精神構造は、その屈辱的な命令をそのまま受容することを拒絶しました。結果として彼女は、『過酷な運命に絶望する勇者を癒やす』という自己犠牲的な献身のストーリーを脳内で捏造し、自身の行為を恋愛感情へとすり替えることで正当化を図っています。
…現在、彼女は自身の胸部装甲、すなわち乳房の膨らみを、タチバナの左腕に意図的に押し付けています。その接触角度と密着の度合いから算出するに、彼女の騎士としての矜持は完全に放棄され、女としての武器を最大限に活用する覚悟を決めた状態であると推測されます。……生真面目ゆえの暴走。実に、不器用で哀れな生態ですね)
フィリアの視線が、次に右側へと移る。
(観測対象B:天才魔法使いメグ・フレイムハート。
推測される行動原理は、対象Aに対する明確な対抗心と、極めて動物的な嫉妬。彼女の思考は常に直接的であり、アリシアの回りくどいアプローチを即座に模倣した上で、自身の露出度の高い真紅ミニドレスの特性を活かし、さらなる身体的密着と視覚的刺激によって優位性を確立しようと試みています。
…現在、彼女はタチバナの右腕に絡みつき、大腿部の露出と胸の谷間を同時に視界にねじ込むという、極めて扇情的なポジション取りに成功しています。思考が短絡的であるがゆえに、自らの性的価値を無自覚に安売りしている。非常に分かりやすく、御しやすい個体です)
そして、フィリアの視線は最後に、タチバナの正面へと向けられた。
(観測対象C:僧侶セシリア・ホワイトリリー。
推測される行動原理は、今朝の宿屋で発生した『下着姿でタチバナに馬乗りになっていた』という事象に起因する強烈な罪悪感と、無自覚な独占欲の混合状態。彼女の精神は極めて不安定であり、対象AおよびBの積極的な行動に触発され、半ばパニック状態で『癒やし』を提供しようとしています。
……現在、彼女はタチバナにスープを勧めるという名目で、テーブル越しに上半身を深く傾けています。その結果、純白のタイトなドレスの胸元が重力によって大きくたわみ、彼女の最大の武器である規格外の質量の『谷間』が、タチバナの網膜に直接投影される形となっています。
意図的な計算が一切存在しない天然の挙動であるがゆえに、三人の中で最も視覚的な破壊力が高い。本人はその事実に全く気づいていないようですが…)
フィリアは、この三者三様の、愚かで健気なアプローチ合戦の全容を完全に把握した。
そして、その全ての矛先が向けられている中心──つい数十分前まで、新たな魔王討伐の命令に絶望し、世界の終わりのような顔でヤケ酒をあおっていたはずの主、タチバナへと冷ややかな視線を下ろした。
彼の顔には、もはや絶望の欠片も残っていなかった。
両腕に押し付けられる二つの異なる極上の柔らかさと、真正面から眼球に飛び込んでくる圧倒的な渓谷の絶景。それらに脳の処理能力を完全に奪われたタチバナの顔は、だらしなく緩みきり、鼻の下はこれ以上ないほどに伸び、口元からは今にも涎がこぼれ落ちそうになっている。
フィリアは、己の内に湧き上がる深い嘆息を抑え込み、タチバナの脳髄に直接、氷のように冷たく、鋭利なテレパシーの針を突き立てた。
『…ほう。先ほどまで、世界の終わりのような顔をして、この世の全ての不幸を背負った悲劇の主人公のごとくヤケ酒をあおっていたのは、どこのどなたでしたか』
突然脳内に響いた声に、タチバナの肩がビクッと跳ねた。
『その緊張感の欠片もないだらしのない表情を見る限り、貴方の『世界を救う重圧』とやらも、『命の危険に対する恐怖』とやらも、若い雌の身体的特徴による視覚・触覚刺激によって、いとも簡単に雲散霧消してしまう、実に安っぽく、底の浅い代物だったようですね』
図星を突かれたタチバナの精神波長が、激しく乱れるのがフィリアには手に取るようにわかった。彼は慌てて取り繕うように、自己正当化のための薄っぺらな理屈を脳内で構築し、叫び返してくる。
『(う、うるさい! お前には人間の機微が分からんのだ! これは、その…だな! 仲間たちが、過酷な運命に打ちひしがれている俺のことを心から心配して、こうして身を挺して慰めてくれているんだ! その純粋な優しさと絆の深さに、俺は指揮官として深く感動しているだけだ! 決して邪な感情などない!)』
フィリアは、その見え透いた、あまりにもお粗末な言い訳を、音なき鼻で笑うように一蹴した。
『感動、ですか。それは奇妙な見解ですね。私の厳密な観測データによれば、ここ数分間における貴方の視線の焦点は、アリシアの露出した肩と胸の境界線、メグの押し付けられた胸の谷間と太もも、セシリアの前かがみになった胸の谷間の最深部に、それぞれ三・八秒、四・二秒、七・五秒という割合で固定されていました。さらに、貴方の心拍数は平常時の約一・八倍に跳ね上がり、呼吸は浅く荒くなっています』
フィリアは、容赦なく事実を羅列していく。
『この身体的な反応の数値が、仲間への感動の涙や高潔な絆の確認ではなく、ただの生殖本能の刺激と性的興奮からくる、極めて動物的な生理現象であることは、火を見るより明らかです。…まさか、否定するおつもりですか?』
『(ぐっ…! いちいち秒数まで正確にカウントしてんじゃねえよ! お前はストーカーか!)』
論理とデータによって完全に逃げ道を塞がれたタチバナは、反論の言葉を失い、苦し紛れの悪態をつくことしかできなかった。フィリアは、そんな主の無様さを一切意に介さず、さらに冷酷な分析結果を告げて追い打ちをかける。
『それにしても、上から俯瞰すればするほど、極めて興味深く、そして滑稽な光景です。アリシアは王命という『任務』を隠れ蓑にした『恋心』と嫉妬、メグは他者への『対抗心』と『独占欲』、セシリアは朝の事件による『罪悪感』と行き場のない『母性』。彼女たち三人は、それぞれが全く異なる、複雑にねじれた動機を原動力として、貴方というただ一点の目標を目指して身を削っている』
フィリアの紫水晶の瞳が、侮蔑の光を帯びて細められる。
『彼女たちのその熱量を一手に引き受けている貴方は、さながら、三つの異なる川から流れ込む泥水を、ただ溜め込むだけの汚れた沼のようですね』
『(誰が汚れた沼だ! 例えが酷すぎるだろ! 俺は彼女たちのオアシスだ!)』
タチバナの反発の思念に対し、フィリアはわざとらしく訂正の言葉を紡いだ。
『おや、失礼いたしました。表現が不適切でしたね。では、より正確な事実に即して訂正しましょう。貴方は、彼女たちの純粋な(と、彼女たち自身が信じ込んでいる)感情と肉体的な奉仕を、その一切の責任を伴わない下劣な欲望だけで受け止め、全てを己の都合の良いように濁らせ、消費していく…』
フィリアは、言葉のトーンを絶対零度まで落とし、タチバナの精神の核に直接刻み込むように言い放った。
『さしずめ、『感情のヘドロ処理場』とでも呼ぶべきでしょうか』
『(余計に酷くなってるじゃねえか!!! オアシス要素がゼロになってるぞ!!!)』
タチバナの内心の絶叫は、悲鳴に近いものであった。しかし、フィリアは彼の抗議を完全に無視し、ただ淡々と身も蓋もない事実を彼に突きつけ続けた。
現実の宴席では、タチバナの反応が少し遅れたことに不安を覚えたのか、三人の少女たちがさらに攻勢を強めていた。
「タチバナ様、いかがですか…? 私の温もりが、少しはお力になれていますでしょうか…」
アリシアが、吐息がかかるほどの距離で囁き、さらに身体の密着度を上げる。
「ねー、勇者様ってばー! あたしのこともちゃんと見てよ! ほら、ここ、すごく柔らかいんだから!」
メグがタチバナの腕に抱え込んだ自身の胸を、さらに無防備に押し付けてアピールする。
「あのタチバナ様…? お口に合いませんでしたか? もしよろしければ、私がフーフーして冷ましましょうか…?」
セシリアがさらに身を乗り出し、その圧倒的な谷間の奥の暗がりまでが見えそうになるほどのアングルをタチバナに提供する。
タチバナは、フィリアの痛烈な罵倒によって一瞬だけ引き戻されかけた理性を、再び目の前の圧倒的な「絶景と感触」の暴力によって完全に破壊されていた。
彼の頭からは「ヘドロ処理場」という不名誉な称号も、魔王討伐という命懸けの使命も、全てが綺麗に消え去り、ただただ目の前の快楽を貪ることしか考えられない猿へと成り下がっていた。
フィリアは、もはや反論する気力すら失い、完全に欲望の海へと沈んでいく主を一瞥すると、この下劣な喜劇の幕引きとして、静かに、そして決定的な宣告をテレパシーで落とした。
『現実逃避の時間は、もう終わりです、タチバナ』
その冷たい響きに、タチバナの意識の片隅がわずかに反応する。
『貴方の抱えていた絶望は、所詮、その程度の局所的な性的興奮で上書きされるほど、ちっぽけで薄っぺらいものだったということです。貴方には、悲劇の英雄を気取る資格すらありません』
フィリアは、タチバナが今まさに享受している快楽が、これから訪れる本当の地獄への「前払い」に過ぎないという真実を、無慈悲に突きつける。
『せいぜい、今夜はこの甘いアメをしゃぶり尽くし、脳内を麻痺させておくことですね。明日から始まる、次の四天王へと向かう血生臭い行軍と、貴方のその貧弱な精神と肉体を削り取る、絶望という名のムチに備えるために…』
フィリアは、最後に微かな、しかし背筋を凍らせるような冷酷な響きを込めて、こう締めくくった。
『マイマスター?』
その言葉が脳内に反響した瞬間、タチバナは背筋に氷柱を差し込まれたような、強烈な悪寒を感じた。
これから自分を待ち受けているのが、決して甘いだけのハーレム旅行ではなく、文字通り命を削る過酷な戦いの連続であることを、フィリアの冷徹な声が強制的に思い出させたのだ。
しかし。それでもなお、タチバナは目の前の「楽園」から視線をそらすことはできなかった。
左右から伝わる極上の柔らかさと体温。正面から迫り来る圧倒的な渓谷の誘惑。恐怖と絶望が確かに存在しているにもかかわらず、彼の雄としての本能は、それを遥かに上回る力で彼を快楽の底へと引きずり込んでいく。
「(…ああ、もうどうにでもなれ! 殺される時は殺されるんだ! ならば、今この瞬間の極楽を骨の髄まで味わい尽くしてやる! これが勇者の特権だ!)」
タチバナは、自暴自棄とも言える決意と共に、ついに完全に理性を手放し、三人の乙女たちが織りなす魅惑の波状攻撃へと、自らその身を投じていくのであった。
フィリアは、完全に欲望のヘドロへと沈みゆく主の姿を、もはや何の感情も浮かばない無機質な瞳でただ静かに見下ろし続け、自身は再び深い意識の底へと観測の座を移していった。
祝宴の夜は更け、英雄の凱旋は、欲望と勘違いが入り乱れる極めて俗悪な狂騒の中で、その幕を閉じていくのだった。