俺の命を守るためなら、お前らを盾にする   作:最高司祭アドミニストレータ

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インテリオ「ハレンチだぞ!」

 地下深く、冷たい岩盤をくり抜いて造り上げられた広大な空間。古代迷宮『賢者の試練』の最深部に位置する「観測の間」は、持ち主の冷徹な知性を反映するかのように、一切の無駄を排した静謐さに包まれていた。

 

 部屋の中央に設えられた豪奢な玉座。そこに深く腰を沈めるのは、魔王軍四天王が一角、”策士”のインテリオである。

 

 彼は右手に極上の赤ワインが注がれた薄張りのグラスを持ち、左手で顎を撫でながら、眼前に浮かぶ巨大な水晶球を見つめていた。

 

 水晶球の表面には、迷宮の入り口に到着したばかりの四人の男女──勇者タチバナ一行の姿が、鮮明な映像と音声を伴って映し出されている。

 

 

(…ほう、ようやく到着したか。我が美しき迷宮の挑戦者たちが)

 

 

 インテリオは、長い銀髪を揺らして薄く笑った。

 

 ブライアンの力任せの蹂躙やリリスの精神を弄ぶ幻術など、彼から言わせれば野蛮で品性の欠ける下等な戦術に過ぎない。

  

 真の戦いとは、暴力の衝突ではない。張り巡らされた盤上において、論理と知識、そして時に非情な決断力を駆使し、相手の思考を完全に封じ込める知的な遊戯こそが至高である。

 

 この古代迷宮は、インテリオが自らの知性の粋を集めて改築した、完璧な論理の構築物であった。力ずくで壁を破壊しようとすれば即座に崩落の罠が作動し、思考を放棄した者は永遠に同じ回廊を彷徨うことになる。

 

 インテリオの冷ややかな視線は水晶球に映る一行の中心、勇者タチバナへと注がれた。

 

 

(あれが、ブライアンを単独で討ち果たしたという勇者タチバナか。報告ではどれほどの化け物かと思っていたが、見たところ、魔力も覇気も感じられぬただの軟弱な男にしか見えんがな…まあ、よい。強大な武力など、この迷宮にお

いては何の意味も持たないのだから)

 

 

 タチバナは迷宮の入り口でどこか退屈そうに、あるいはひどく嫌そうに顔をしかめて立っていた。インテリオはその表情を、「未知の知恵比べを前にした凡人の恐怖」と解釈した。

 

 

(さあ、見せてもらおうか、勇者よ。貴様の貧弱な知性が、私の芸術的な罠の数々にどこまで通用するかを。精々、恐怖と絶望に顔を歪めながら、私の掌の上で無様に踊るがいい)

 

 

 インテリオは、これから始まる一方的な知的蹂躙のショーに、胸の奥で静かな高鳴りを感じていた。

 

 水晶球に映る一行は、迷宮に入ってすぐ、最初の試練に直面していた。全く同じ意匠で作られた、右と左の二つの分岐路。三人の女たちが立ち止まり、それぞれが己の持つ知識を動員して、極めて的確な推論を交わし始めた。

 

 

『左の通路は、壁の石材の劣化が少ない。つまり建設された年代が、右の通路よりも新しい可能性がある。重要な区画は、後から増設されたと考えるのが定石だ』

 

 

 金髪の騎士が、石の摩擦と築城の歴史から構造学的なアプローチを試みる。

 

 

『でも空気中の魔力の残留濃度は、右の方がほんの少しだけ高いんだよね。これは過去により強力な魔術的なトラップや、魔力を持つ存在が右の通路に配置されていたってことじゃないかな?』

 

 

 赤毛の魔導士が、空間に漂う微細な魔力痕跡の偏りから反論する。

 

 

『通路の奥から聞こえる、反響音の質がわずかに異なります。右の通路の奥は、空間がより開けているような音が…巨大な落とし穴がある可能性も、捨てきれませんわ』

 

 

 純白の僧侶が、研ぎ澄まされた聴覚による音響学的な推測を加える。

 

 インテリオは、彼女たちの議論を聞きながら、満足げにワイングラスを揺らした。

 

 

(ふむ。構造学、魔力学、音響学か。それぞれが己の専門分野から事実を抽出し、見事な論理を展開している。素晴らしい基礎教養だ。彼女たちにこれほどの知性があるとは、良い意味での誤算だ)

 

 

 この分岐路の正解は「右」である。左は精巧な偽装が施された行き止まりの罠だ。

 

 インテリオが仕掛けたのは、一見すると左が安全に思える物理的証拠に対し、魔力と音響という目に見えない情報で矛盾を突きつけ、どちらの論理を信じるかという決断力を試す心理的トラップであった。

 

 

(さあ、この高度な矛盾の中で、指揮官であるお前は、いかにして情報を統合し、正解のロジックを導き出すか…)

 

 

 インテリオが期待に満ちた目でタチバナを注視した、その時であった。それまで腕を組み退屈そうに黙っていた勇者が、何の前触れもなく唐突に口を開いたのだ。

 

 

『…右だ』

 

 

 インテリオは、ピタリとワイングラスの動きを止めた。

 

 

(…は? 今、なんと言った? 右? なぜだ? まだ三人の意見のすり合わせすら終わっていない。何の根拠をもって、右だと断言した…?)

 

 

 水晶球の中では女たちがタチバナの即決に驚き、やがて「我々の見えない真理を直感で悟ったのだ」と勝手に感銘を受けていた。

 

 タチバナ本人はただ鼻をヒクつかせ、どこか遠くを気にするような素振りを見せただけで、何の説明もせずに右の通路へと歩き出してしまった。

 

 

(…ただの勘か? 圧倒的な情報不足のまま、二分の一の確率に命を懸けたとでもいうのか。ふん、愚者の幸運というやつか。まあ、よかろう。最初の扉くらいは、まぐれ当たりでくれてやる)

 

 

 インテリオは己の心を落ち着かせるようにワインを喉に流し込んだが、彼の整然とした精神の湖面に、決して無視することのできない「不協和音」の波紋が確かに生まれていた。

 

 そのささやかな不協和音は、この後インテリオの精神を徹底的に破壊し尽くす、おぞましい悪夢の序曲に過ぎなかった。

 

 一行が足を踏み入れたのは、床に重量を感知する石版がランダムに敷き詰められた「矢の回廊」であった。ここを突破するには、壁の装飾と床の模様に隠された数列の法則性を読み解かなければならない。少しでも計算を誤れば、壁から無数の矢が射出される致死の空間だ。

 

 水晶球の中のタチバナは、魔導士が法則を見つけ出そうとするのを手で制し、自らスタスタと歩き出した。

 

 彼は、数列の法則など全く見ていなかった。

 

 ただ「通路の中央部分の石畳だけが、定期的に掃き清められているかのように埃が少ない」という、罠の設計とは無関係の、極めて低俗な視点──清掃の有無──だけで、安全なルートをひょいひょいと歩いていくのだ。

 

 

(な、なんだ、あの男は。私の計算し尽くされた数学的な罠の配置を、まるで道端のゴミ拾いでもするかのように、足元の汚れ具合だけで突破しているだと…!?)

 

 

 インテリオの眉間に深いシワが刻まれた。そして、通路を抜けきる直前、挑戦者の恐怖心を煽るために通路の明かりが完全に消灯する「暗闇のトラップ」が作動した。

 

 暗視の術式を編み上げるか、音を頼りに進むか。知性と冷静さを試すはずのその仕掛けの中で、インテリオは水晶球の暗視映像を通して、信じられない光景を目の当たりにした。

 

 勇者タチバナが、暗闇に乗じて態勢を崩すフリをし、あろうことか、あのスタイルの良い赤毛の魔導士の胸の膨らみを、両手でがっしりと鷲掴みにしていたのだ。

 

 

「…は?」

 

 

 インテリオの口から、およそ知性派らしからぬ間抜けで素っ頓狂な声が漏れた。

 

 彼は水晶球に顔を近づけ、自分の目が狂ったのではないかと瞬きを繰り返した。映像は紛れもない事実を映し出している。タチバナは魔導士の胸を意図的に、そして確かめるように数回揉みしだいていた。

 

 

(なな何をしているんだ、あの男は!? 私の、挑戦者の精神力を試すための神聖なトラップの中で、なんという下劣で破廉恥な行為を…!)

 

 

 インテリオは極度の生理的嫌悪感によって、顔面がカッと火のように熱くなるのを感じた。知性を競い合う盤上で、突如として糞尿を投げつけられたかのような、理解を絶する汚悪さ。

 

 タチバナの冒涜はそれだけでは終わらなかった。次に彼らが直面したのは、重厚な扉に刻まれた古代文字の仕掛けであった。

 

 この暗号は、三つの古代言語の知識を複合的に組み合わせなければ解読できない。

 

 騎士の娘が必死に法則を解き明かそうと唸っている間、タチバナは全く文字を読む素振りも見せず、「一番押しやすそうな位置にある」という信じられないほど短絡的な理由だけで、中央のボタンを躊躇いなく押し込んだ。

 

 ゴゴゴ、と扉が開く。それが正解であったことにインテリオが戦慄する間もなく連動した落下トラップが作動し、一行は斜面を滑り落ちていった。

 

 そして彼らが転がり落ちた下の階層で、インテリオは再び目を疑う光景を見た。

 

 落下の衝撃で転倒した金髪の王女騎士。その彼女の、大きくめくれ上がったスカートアーマーの下。

 

 タチバナは、偶然を装ったかのように彼女の股の間に顔を埋め、普段は決して見ることのできない、純白のレースに包まれた秘められた場所を、至近距離で真正面から凝視していたのである。

 

 

 ガシャンッ!!! 

 

 

 インテリオの手から高級なワイングラスが滑り落ち、硬い石の床に打ち付けられて粉々に砕け散った。赤ワインが血のように床に広がっていく。

 

 

(ば、馬鹿な…! 私の、知的なトラップが! 挑戦者のチームワークと冷静さを試すための、芸術的な仕掛けの数々が! 全てあの男の単なる変態行為の、下劣な『舞台装置』にされているだと!? これは私と美学に対する、許し難い冒涜だ…!)

 

 

 インテリオの整った顔立ちは、屈辱と怒りによって完全に真っ赤に染まっていた。ワナワナと肩が震え、冷静な呼吸すらも忘れてしまっている。

 

 そして極めつけは、次の階層に用意した「圧殺の部屋」であった。部屋に入ると同時に四方の壁が迫ってくる、古典的だが物理的な法則に基づく確実な処刑室。

 

 三人の女たちが、壁の魔力回路を停止させようと必死に論理的対処を試みている中、タチバナはただ一人、「ここだけ風通しが良くて涼しい」という、およそ戦場の思考とは懸け離れた理由で部屋の隅の一点へと移動した。

 

 直後、真のトラップである天井の崩落が起きた。タチバナが気まぐれに移動したその場所だけが、崩落を免れる唯一の安全地帯だったのだ。

 

 

(空間の気流の微細な変化を読み取り、安全地帯を特定したというのか…!? いや、違う! あの男の目には、そんな知的な計算の光など一切ない!)

 

 

 インテリオの混乱が極まる中、崩落の余波で床が激しく揺れた。その揺れを利用し、タチバナは後ろにいた僧侶へと倒れ込み、今度は彼女の豊かな臀部を、両手で的確に鷲掴みにしたのである。

 

 僧侶の口から漏れる、甘い悲鳴。

 

 

「う、うう…っ! この、ハレンチ者がァァァァァッ!!」

 

 

 ついに、インテリオの強靭な自制心は決壊した。彼は玉座から弾かれたように立ち上がり、誰もいない観測の間に向かって狂ったように絶叫した。

 

 

(もうやめてくれ! 私の美しく計算された迷宮を、これ以上貴様の低俗な性欲で汚さないでくれ! お前は世界を救う勇者などではない! ただの痴漢だ!)

 

 

 彼の知性派としての誇り高きプライドは、もはや原形を留めないほどにズタズタに引き裂かれ、踏みにじられていた。

 

 インテリオは玉座の前を落ち着きなく行ったり来たりしながら、自身の美しい銀髪を両手で力任せにかきむしっていた。そこには、先ほどまでの優雅で余裕に満ちた四天王の姿はどこにもない。

 

 

(分からない。私には、もう、あの男の行動原理が、全く、微塵も、理解できない…!)

 

 彼の行動は表面上をなぞれば、全てが行き当たりばったりの本能にのみ従った愚者のそれだ。食欲、怠惰、そして性欲。

 

 結果だけを見れば、その全てがインテリオが心血を注いで作り上げた完璧な論理の防壁を、いとも容易く突破している。

 

 

(…まさか、あの男は、私の知性を遥かに超える、次元の違う『法則』に基づいて行動しているというのか…? 私の論理や計算など足元にも及ばない、全てを超越した神の領域の思考…!?)

 

 

 彼は、己の知性を超える天才なのか。

 それとも、ただの、究極の馬鹿なのか。

 

 その判断が、全くつかない。いかなる魔術的演算を用いても、彼の行動に合理的な数式を当てはめることができない。

 

 それこそが”策士”インテリオにとって、死よりも耐え難い最大の「屈辱」であった。

 

 知性とは未知を解析し法則を見出し、既知へと変える力である。理解できないものを分類し、自らの知識体系の支配下に置くこと。それが彼のアイデンティティだ。

 

 しかしこの勇者タチバナという存在は、彼のあらゆる分析を分類を、根底から拒絶する。「理解できない」という分厚く冷たく、そして絶対的な壁。

 

 

「くっ…! 舐めるなよ、人間風情が…!」

 

 

 水晶球の中に休憩を終え、最深部へと真っ直ぐに向かってくる一行の姿が映し出された時、インテリオは悔しそうにギリッと歯噛みした。彼は水晶球に魔力を送り込み、最後の物理的防壁である巨大な石のゴーレムを起動させた。

 

 

(そうだゴーレムだ! どのような理解不能の直感を持っていようと、純粋な質量と破壊力の前には知恵など無意味! やれ! あの理解不能な痴漢を、その身ごと肉塊に叩き潰してしまえ!)

 

 

 インテリオは、血走った目で水晶球を睨みつけた。壁を破壊して現れた巨大なゴーレム。それを見た勇者タチバナは、驚くべき反応を示した。

 

 彼は顔面を蒼白に引きつらせ、「ひいいいいっ!」と、およそ英雄とは思えない、極めて情けない悲鳴を上げてその場に腰を抜かしたのだ。

 

 

(…は? 腰を抜かした? 先ほどまで神業でトラップを突破してきた男が、ただの動く石くれに怯えているだと?)

 

 

 インテリオの思考が再びショートしかけた、その直後である。腰を抜かした勇者の後ろから、三人の女たちが恐るべき鬼の形相をして武器を構え、ゴーレムへと突進していったのだ。

 

 

『タチバナ様、お下がりください!』

『ここは、あたしたちに任せて!』

 

 

 水晶球越しに響く、彼女たちの悲痛なまでの叫び。

 

 インテリオは、その狂気を孕んだ光景を見て、わなわなと全身を怒りに打ち震わせた。

 

 

(なんなのだ、こいつらは! あの腰抜けの変態男を、『様』付けで呼び、自らの命を投げ打ってまで守ろうと必死になっている! 一体、どういう道理なのだ!? 私の構築した論理が私の美学が私の絶対の知性が…この不条理でハレンチで醜悪極まりない光景、断じて絶対に許さん!!)

 

 

 四天王インテリオの胸の内に渦巻いているのは、もはや強敵に対する警戒でも恐怖でもなかった。

 

 それは「憤怒」と、理解を拒絶する不条理への「嫌悪感」であった。

 

 彼にとってこれから自ら手を下すこの戦いは、もはや玉座を守るための単なる迎撃戦ではない。

 

 自身の知性と美学の全てを懸け、あの不愉快極まりない破廉恥な男と、それに盲信する愚かな女たちを、完全なる論理の暴力で断罪するための、血を吐くような「聖戦」と化していたのである。

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