俺の命を守るためなら、お前らを盾にする   作:最高司祭アドミニストレータ

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策士の挑戦と無欲の勝利

 巨大な岩石の塊であったゴーレムが、メグの極大魔法によって砂利へと変えられ、その土煙が収まるのを待たずして一行は迷宮の最深部へと足を踏み入れた。

 

 そこは、これまでの湿っぽく殺風景な回廊とは打って変わり、壁一面を埋め尽くす膨大な量の羊皮紙と魔導書が整然と並べられた、広大な書庫のような空間であった。

 

 天井は高く見上げるほどの高さから、魔力で灯された淡い光の球が幾つも浮遊し、静謐ながらも威圧的な空気を醸し出している。

 

 部屋の中央には黒檀で作られた豪奢な玉座が鎮座しており、一人の男が優雅に足を組んで座っていた。

 

 長く伸びた銀髪を絹のように輝かせ、左目には精緻な彫金が施された片眼鏡を光らせている。男は手にしたワイングラスをゆっくりと揺らしながら、その知的な双眸を勇者一行へと向けた。

 

 

「ようやくここまでたどり着いたか。歓迎しよう勇者一行よ。私が魔王軍が知恵を司る四天王”策士”のインテリオだ」

 

 

 男は立ち上がると、芝居がかった所作で両手を広げた。その瞬間、タチバナたちの目の前の床から重厚な音と共に三つの宝箱が出現した。

 

 一つは黄金に輝き、幾千もの宝石が散りばめられた豪華絢爛な箱。

 一つは深い闇を凝縮したような黒曜石で作られ、重厚な魔力のプレッシャーを放つ箱。

 そして最後の一つは、街の市場でも見かけないほど古びた何の変哲もないただの木の箱であった。

 

 

「さあ最初の試練だ。この三つの箱にはそれぞれ『一国の国家予算に匹敵する富』、『大陸全土に轟く絶対的な名誉』そして『この迷宮から脱出するための鍵』が入っている。お前たちの欲望の深度が試されるぞ勇者タチバナ。お前が真に世界を救うに値する無欲の英雄であるならば…目先の誘惑に惑わされず正しい選択ができるはずだ」

 

 

 インテリオは片眼鏡の奥で嘲笑を浮かべていた。彼の論理によれば人間という種はどれほど高潔を装ってもその根底にある強欲からは逃れられない。

 

 富か名誉かあるいは臆病風に吹かれて鍵を取るか。どの選択を選ぼうとも、その迷いはインテリオにとって相手の精神的弱点を突く絶好の材料となるのだ。

 

 タチバナは腕を組み、眉間に皺を寄せてその三つの箱を黙って見つめていた。

 

 背後では、ヒロインたちが緊張した面持ちでタチバナの背中を見守っている。

 

 

(タチバナ様…貴方様ならきっと…!)

 

 

 アリシアは拳を握りしめ、勇者の高潔さが試されているこの瞬間に己の心臓の鼓動が高まるのを感じていた。

 

 

(勇者様はあたしたちのために戦ってくれてるんだもん! 富とか名誉なんて絶対に選ばないよね!)

 

 

 メグもまた、タチバナの「無欲」を確信していた。

 

 しかし、その期待を一身に受けているタチバナの脳内は、彼女たちの崇高な推測とは離れた極めて低俗で個人的な不満に支配されていた。

 

 

(はぁぁぁぁめんどくせええええええ!! 何なんだよこいつは! 会うなり三択クイズかよ! 腹減って死にそうなんだよこっちは! さっさとこんなカビ臭い部屋から出して家に帰らせろよ!)

 

 

 タチバナにとってインテリオの語る富や名誉などという言葉は、現状の不快指数を上回る魅力を持たなかった。

 

 

 金貨? あとでもらえばいい。

 名誉? 今さら言われなくても勝手に祭り上げられている。

 

 

 今の彼にとって最も価値があるのは「移動距離を最小限に抑えつつ、最短時間でこの面倒なやり取りを終わらせること」であった。

 

 彼は品定めするように、三つの箱を交互に見やるふりをした。

 

 

 黄金の箱。重そうだ。あんなのを持って帰る筋力などない。

 黒曜石の箱。見るからに不吉だ。あんなのに触れて呪いでもかかったらどうする。

 木箱。軽い。

 

 そして何より──

 

 

(うーん。よし。この真ん中の木の箱。これが一番俺の手前にあって少し手を伸ばすだけで届きそうだし取りやすそうだな)

 

 

 タチバナは身体の重心を移動させることすら惜しみ、最も運動エネルギーを消費せずに済むという物理的な怠惰のみを判断基準として、真ん中の木箱を指差した。

 

 

「これだ」

 

 

 タチバナの迷いのない即答。

 その瞬間、インテリオの自信に満ち溢れていた笑みが石膏のように固まった。

 

 

「な、なぜだ…!? なぜ一切の迷いもなく黄金にも名誉にも目もくれず、最も地味で価値のない木箱を選べた!? まさか貴様は、中身が脱出の鍵だと確信していたというのか? 人間の欲望の深層まで計算し尽くした私の心理トラップを、ただの直感で打ち破ったと…!? 馬鹿な! ありえん!」

 

 

 インテリオは片眼鏡をずらし、わなわなと震えながら後ずさった。

 

 彼にとって「無欲」とは、長年の修行の末に辿り着く聖人の境地である。それを目の前のどこか眠たげな青年が、呼吸をするのと同じ自然さで成し遂げた。

 

 

『見事な選択でしたね。貴方のその「面倒事を一刻も早く終わらせたい」という一点の曇りもない純粋な怠惰の心が、結果として彼の知的な挑戦を完膚なきまでに打ち破りました。実に貴方らしい下劣で合理的な勝利です』

 

 

 脳内に響くフィリアの冷徹なツッコミに、タチバナは内心で鼻を高くした。

 

 

(だろ!? 俺の無駄のない判断に間違いはなかったというわけだ!)

 

 

 彼は自らがただ楽をしたかっただけだという真実を完璧に棚に上げ、「欲に溺れない俺」という外面を補強した。

 

 

「おのれ…! 私の完璧な論理をこんな出鱈目な勘で汚すとは…! だがまだだ! まだ終わらんぞ勇者よ!」

 

 

 プライドをズタズタに引き裂かれたインテリオが激昂し、手にした杖を床に叩きつけた。瞬時に部屋の床に巨大で複雑な魔法陣が展開され、不気味な紫色の光が溢れ出す。

 

 

「いでよ! 我が知性の結晶! 複数の生命の理を統合し最適化させた古代魔獣、キマイラよ!」

 

 

 魔法陣の中心から凄まじい咆哮と共に、巨大な異形が姿を現した。

 

 黄金のたてがみを持つライオンの頭部から山羊の頭が突き出し、その巨躯の末端には意思を持つ毒蛇の尻尾が蠢いている。

 

 

「(うわああああキモッ!! なにあの詰め合わせセットみたいな生き物!! 悪趣味だろ!!)」

 

 

 タチバナが本能的な嫌悪感で脱兎のごとく後ずさるのをヒロインたちは「勇者が戦術的後退を行った」と判断し、即座に前に躍り出た。

 

 

「タチバナ様はお下がりください! 貴方様の手を汚すまでもありません!」

 

 

 アリシアが剣を抜き放ちライオンの鋭い爪を真っ向から受け止める。

 

 

「あたしの魔法で一気に丸焼きにしてあげる! 勇者様見ててね!」

 

 

 メグが詠唱を開始し、その周囲に火球が渦巻く。

 

 

「皆様にお加護を…! 穢れし獣に聖なる裁きを!」

 

 

 セシリアの祈りが空間を満たしキマイラの動きを魔力の鎖で縛り上げる。

 

 戦闘は熾烈を極めたが、三人の連携は完璧であった。

 アリシアの剣が山羊の角を切り落とし、メグの放った火球がライオンのたてがみを焼き焦がす。セシリアの張った結界が蛇の尻尾から放たれる猛毒の霧を完全に遮断していた。

 

 タチバナはその光景を少し離れた頑丈そうな石柱の陰から、ガタガタと震えながら見守っていた。

 

 

(やべえ…! あいつら怒らせるとキマイラより怖いな…絶対に逆らうのはやめよう…)

 

 

 追い詰められたキマイラが最後の力を振り絞り、自爆に近い勢いで暴れまわった。

 巨大な前肢が周囲の壁を粉砕し、その衝撃で天井から巨大な瓦礫の塊が雨あられと降り注いでくる。

 

 

「危ない!!」

 

 

 タチバナは反射的に叫んだ。

 

 それは、自分自身の頭上に瓦礫が落ちてくるのを回避するための咄嗟の叫びであったが、彼の身体は同時に最も「柔らかそうな避難場所」へと動いていた。

 

 彼はすぐ近くで祈りを捧げていたセシリアを庇うフリをしながら、彼女の身体を地面に押し倒すようにして覆いかぶさった。

 

 

「ひゃんっ!?」

 

 

 セシリアの悲鳴を心地よいBGMにしながら、タチバナは瓦礫の直撃を避けつつ、その両腕でセシリアの豊満で温かな肉体を、しっかりと抱きしめていた。

 

 僧侶服越しであっても伝わってくる、驚異的なまでの柔らかさと重量感。

 

 

(うひょー!! この究極の包容力! これぞ聖母の加護だ! これならどんな巨大な瓦礫が降ってこようと俺の心は折れないぜ!)

 

 

 タチバナがその至高の感触を堪能している頃反対側ではアリシアがキマイラの突進を剣の腹で受け止めようとしていた。

 

 だが衝撃は凄まじくアリシアの身体は木の葉のように吹き飛ばされ壁面の本棚へと激突した。

 

 棚から雪崩のように落ちてくる分厚い魔導書の山に彼女の身体が埋もれる。

 

 

「きゃっ!? …く…っ」

 

 タチバナの視線の先。本の山から這い出そうとしたアリシアは、激しい衝撃によって鎧の連結部分が破損し、胸当てが大きく右側へとずれてしまっていた。

 

 そしてあろうことか鎧の下に着用していた白いインナーの襟元が激しく引き裂かれ…。

 

 普段は鉄壁の装甲によって厳重に守られていた彼女の豊かな双丘の谷間が、今はその中心部から上部にかけて惜しげもなく露わになっていた。

 

 汗ばんだ肌が月光に照らされ神々しいまでの光沢を放っている。

 

 

(な、なんだと…!? アリシアのあの硬そうな防御の下に……あのような破壊力抜群の秘密兵器が隠されていたというのか…! 見えた! 伝説の騎士姫の禁断の領域が見えたぞ!)

 

 

 タチバナが興奮で鼻血を噴き出しそうになった瞬間。

 

 

「これで最後よぉぉぉぉっ!!」

 

 

 メグの絶叫と共に、天井まで届くほどの巨大な氷の槍が降り注いだ。

 キマイラの心臓を正確に貫いた氷柱は、その魔力を凍結させ異形を光の粒子へと変えていった。

 

 静寂が戻った書庫の中でインテリオは、己の銀髪をかきむしりながら狂ったように笑い始めていた。

 

 

「馬鹿な…! 私の知性の結晶が…私の論理が…! なぜだ!? なぜ私の完璧な演算がこの男には一切通用しない!? 奴の動きには一貫性がない! 恐怖しているように見えて次の瞬間には平然と不条理な選択を下す…! 天才なのか!? 究極の愚者なのか!? 一体お前は何なのだぁぁぁぁぁ!!」

 

 

 インテリオの瞳からは理性の光が消え、もはや策士としての面影はどこにもなかった。

 

 理解できないものを恐怖し、理解できないものに自己を破壊された男の末路。

 タチバナは柱の影からそっと顔を出し、その錯乱した姿を冷めた目で眺めた。

 

 

(うわ、完全にいっちゃってるよこいつ。知性派を自称する奴に限って想定外の事態に弱いんだよな。もっと気楽に生きろよ…)

 

 

 戦闘を終えたヒロインたちが荒い息をつきながら、タチバナの元へと駆け寄ってくる。

 

 

「タチバナ様! お怪我はありませんか!?」

 

 

 アリシアは胸元を必死に手で押さえながらも、タチバナの安否を最優先に確認する。

 

 

「大丈夫だった!? 怖かったよね勇者様!」

 

 

 メグがタチバナの腕に抱きつき、自らの手柄を誇るように顔を覗き込む。

 

 

「さあすぐに癒やしの祈りを。あのような卑劣な四天王から、私たちが貴方様をお守りしますわ」

 

 

 セシリアもまた潤んだ瞳でタチバナを見つめた。

 

 彼女たちはタチバナが終始怯えていただけだという事実に気づくどころか、「我々のために一人で策を練りつつ危険な戦場を耐え抜いた」とさらに評価を底上げしていた。

 

 そして次の瞬間。

 三人の視線が同時に玉座の前でうずくまるインテリオへと向けられた。

 

 その瞳に宿るのは、先ほどまでの乙女の輝きではない。自分たちの愛する「神」に不快な思いをさせ、危険に晒した大罪人への絶対的な殺意であった。

 

 

「よくもタチバナ様を、このような埃っぽい穴ぐらに引きずり込んでくれたな」

 

 

 アリシアの声が低く響く。

 

 

「あたしたちの勇者様を怖がらせた罪は万死に値するよ?」

 

 

 メグの周囲に黒い火花が散り始める。

 

 

「貴方様のような傲慢な知性は、一度徹底的に粉砕されるべきですわね」

 

 

 セシリアの微笑みが逆に血も凍るような恐怖を演出していた。

 

 

「え…?」

 

 

 インテリオがふと我に返った時、そこには絶世の美貌を持った三人の復讐の女神たちが、武器を構えて自分を包囲している姿があった。

 

 

「ひっ…! 待て! 話せば分かる! 私はただ魔王様の命に従い、お前たちの資質を…」

 

 

 しかし勇者を盲信する狂信者たちの耳に敗者の弁明など届くはずもなかった。

 

「「「覚悟(しなさい・しなよね・してください)!!!!」」」

 

 

 三人の怒号が書庫に響き渡り哀れな策士へと向かって愛の鉄槌が振り下ろされた。

 

 タチバナはその様子を「俺があれに巻き込まれなくて本当によかった」と心から安堵しながら、フィリアと一緒に安全圏から眺めるのであった。

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