俺の命を守るためなら、お前らを盾にする 作:最高司祭アドミニストレータ
聖なる都と英雄への熱狂
四方を堅牢な白い城壁に囲まれ、中央に天を貫く巨大な大聖堂の尖塔を抱く祈りと信仰の中心地、聖都サンクチュリア。
その壮麗な正門前は、今、かつてないほどの熱狂と喧騒に包まれていた。空には祝福の花びらが舞い、石畳の街道の両脇には、身分を問わず数え切れないほどの民衆が押し寄せている。
彼らの目的はただ一つ。魔王軍の脅威から世界を救うべく現れ、すでに二人の四天王を討ち果たしたという生ける伝説──勇者タチバナ一行を一目見ることである。
その熱狂の渦の最前列で、三人の年頃の少女たちが、押し合いへし合いする群衆の波に耐えながら、固唾を飲んで市門の奥を見つめていた。
「来る…! 噂の勇者様が、ついにお姿を現されるわ…!」
パン屋の看板娘である少女は、可愛らしいそばかすのある頬を紅潮させ、胸の前で両手をぎゅっと握りしめていた。
彼女は毎朝かまどに火を入れながら、吟遊詩人たちが語る英雄譚に胸をときめかせていた。魔物を一刀両断にし、巨人をねじ伏せる無敵の戦士。当然、山のように隆起した筋肉と、歴戦の傷跡を持つ無骨な大男を想像していた。
だが、城門の影から光の中へと歩み出てきたその人物の姿を視界に捉えた瞬間、彼女の想像は根底から、そして極めて美しい形で覆された。
(きゃあっ…! ほんものだ…! あの人が、勇者タチバナ様…!)
群衆の歓声に応え、ゆっくりと歩を進めるその青年は、無骨な大男などでは断じてなかった。
少し長めに切り揃えられた柔らかな黒髪が風に揺れ、優しげに弧を描く瞳が周囲を穏やかに見渡している。肌は白く滑らかで、その体躯はむしろ細身ですらあった。
おとぎ話の絵本から抜け出してきたような、繊細で気品のある王子様そのものの顔立ち。
少女の頭脳が、その外見と「四天王を二人も討ち破った」という事実の矛盾を、極めてロマンチックな理屈で補完していく。
(そうか。真に武の極致に達した方は、見せかけの筋肉など必要としないのだわ。全ての無駄を削ぎ落とし、ただ純粋な剣の技と魔力のみで強敵を打ち倒す。だからこそ、あのようにしなやかで美しいお姿を保っておられるのね。それに…)
少女は、タチバナが群衆に向けて微かに微笑んだその口元に、深い憂いの影を見出した。
ただの驕り高ぶる戦士ではない。その瞳の奥にはどこか悲しげな、世界全ての重圧を背負い込んでいるかのような儚さが宿っているように見えたのだ。
(きっと私たちの想像を絶するような、辛く悲しい戦いを幾度も乗り越えてこられたんだわ…! 奪いたくもない命を奪い、その痛みをたった一人で心に秘めて…あの憂いを帯びた瞳、素敵すぎる…!)
タチバナが、ただ単に「早く宿屋に入って休みたい」「歩くのが面倒くさい」と感じているだけの虚ろな表情が、少女の純粋なフィルターを通ることで、「凄惨な死線を越えてきた男が持つ、生命への悲哀」へと完璧に変換されていた。
少女は熱い吐息を漏らし、憧れの英雄の姿を目に焼き付けた。
その隣で仕立て屋の娘である少しおませな少女もまた、タチバナの姿に完全に心を奪われていた。
彼女の視点は、隣のパン屋の娘とは少し異なっていた。
(やだなに、あの人…超イケメンなんだけど…!)
彼女の目は、美しい衣装の仕立てを見るような鋭さでタチバナを観察していたが、その奥には明確な熱情が灯っていた。
ただ顔の造形が整っているだけの男なら、王都の貴族の中にもいるだろう。だが、勇者タチバナから放たれる魅力は、そのような表面的なものではなかった。
(見て、あの少し気だるそうな視線の流し方! 民衆の歓声に対しても、決して媚びることなく、かといって冷たくあしらうわけでもない。あの完璧な距離感…余裕のある大人の男の振る舞い…!)
彼女の理屈はこうだ。強大な力を持つ男が、あえてそれをひけらかすことなく、どこか隙のあるような気だるい態度をとる。それは、己の絶対的な実力に対する揺るぎない自信の表れである。
その「隙」こそが、女性の本能的な部分を強烈に刺激するフェロモンとなっているのだ。
(あの無造作に羽織っただけの布の服も、一見粗末に見えるけれど、彼のあの色気を引き立てるために計算し尽くされた着こなしだわ…! きっと、夜はあの気だるい表情が一変して、信じられないくらい情熱的で獣みたいになるんだろうなぁ…ああ一度でいいから、あのしなやかでたくましい腕に、強引に抱きしめられてみたい…!)
タチバナが民衆の中に好みの美少女を見つけて下心丸出しで視線を送っているだけの行為が、彼女の目には「女を誘惑する流し目」として映っていた。
彼女は周囲の友人たちに気づかれないよう、自らの熱病に浮かされたように燃え上がっているのを感じながら、その想像の中で甘い陶酔に浸っていた。
その二人の少女のさらに隣。神官見習いとして日々祈りを捧げている真面目な少女の目には、勇者タチバナの姿は、全く別の神聖なる次元の存在として映っていた。
(あれが伝説の聖剣に選ばれし、我らが勇者様…なんと清らかで、高潔な魂の輝きなのでしょうか…)
彼女の霊的な感受性は、タチバナの周囲の空間そのものが、他の場所とは異なる澄んだ空気に包まれているように錯覚していた。
何万という民衆が熱狂し、自らの名を呼び称えているというのに、彼の歩みは決して驕り高ぶることなく、淡々としている。その姿は、現世の欲望や名誉といった俗物的な価値観を完全に超越した者の立ち振る舞いであった。
(常人であれば、これほどの歓声を浴びれば己を見失い、傲慢な顔を曝け出すはず。しかし、タチバナ様は違う。あの方にとって、富も名誉も、そしてこの熱狂すらも、世界を救うという崇高な使命の前には些末な出来事に過ぎないのです。まるで、神の御許より遣わされた、迷える子羊を導く無私の聖人のよう…)
彼女には、タチバナの身体の輪郭から、眩いほどの聖なるオーラが立ち上っているように見えた。彼がゆっくりと手を振り返すたびに、その指先から慈愛の光が降り注ぎ、人々の心にある穢れを洗い流していくかのような錯覚すら覚える。
(ああ、神よ…! 終わりの見えない魔王軍との戦火の中で、恐怖に震える我らの世界に、これほどまでに素晴らしい御方を遣わしてくださり、心より感謝いたします…!)
彼女は感極まり瞳に涙を浮かべながら、敬虔な祈りを込めて十字を切った。
三者三様、全く異なる角度からの熱狂と憧れ。武の極致として。男の理想として。そして信仰の対象として。
彼女たちにとって目の前を歩く勇者タチバナは、いかなる欠点も存在しない完璧なる英雄であった。その純粋な一点の曇りもない尊敬と熱情の眼差しが、一斉に彼へと注がれる。
少女たちの視線はタチバナという「太陽」を映し出すと同時に、彼の背後に影のように付き従う三人の女性の存在にも気づいていた。
(すごい。あの方たちが、タチバナ様を支えるという、選ばれし仲間の方々ね…)
金髪の王女騎士は、歩く彫像のように気高く美しい。
赤毛の魔法使いは、燃えるような生命力と可愛らしさを併せ持っている。
桜色の髪の僧侶は、神々しいまでのプロポーションと包容力を放っている。
同性である彼女たちから見ても、圧倒的な劣等感を抱かされるほどの絶世の美女たち。
その完璧な美女たちの様子が、どうもおかしい。
パン屋の少女が、不思議そうに首を傾げた。
(あら? 王女騎士様、なんだかとても不機嫌そう。腕を固く組んで、私たちの方を一切見ようとしないで、ツンとそっぽを向いていらっしゃるわ)
仕立て屋の娘も、目を丸くした。
(魔法使いの女の子、何かブツブツ文句を言ってるわね。タチバナ様の背中を睨みつけながら、『あたしたちの勇者様なのに…! なんであんなに群がるのよ…!』って聞こえたような…?)
神官見習いの少女も、心配そうに僧侶を見つめる。
(僧侶様は、悲しそうに俯いておられる。大切な宝物を誰かに取られてしまうのを恐れているかのように、法衣の裾をきつく握りしめて…)
三人のモブ美少女たちは、顔を見合わせた。そして、女同士の鋭い直感と論理的推論によって、一つの明確な結論へと到達した。
(間違いない。あの方々、タチバナ様に群がる私たちに、猛烈に『嫉妬』していらっしゃるんだわ!)
その事実が導き出された瞬間、少女たちの胸の中で、勇者タチバナという存在の価値が、さらに天文学的な数字へと跳ね上がった。
(国を代表するような誇り高き王女様や、天才的な魔法使い様、そして高位の僧侶様でさえも…タチバナ様の前では、ただの一人の恋する乙女になってしまうのね…!)
(あんなに美しくて強い側近の方々が、余裕をなくして独占欲を露わにするほど、タチバナ様は底知れぬ魅力と男としての度量を持ち合わせているということ…! すごい、凄すぎるわ!)
(これほどの女性たちから想いを寄せられながらも、誰か一人を特別扱いすることなく、万民に対して等しく微笑みかける。やはり、タチバナ様は俗世の愛憎を超越した、真の英雄なのですね…!)
熱狂する美少女たち。それを見て、分かりやすく頬を膨らませ、嫉妬の炎を燃やすヒロインたち。
その状況の全てが、「勇者タチバナ」という存在を完璧な神話の主人公へと祭り上げるための、壮大な舞台装置として機能していた。民衆の熱気は最高潮に達し、聖都サンクチュリアの空を震わせる。
その熱狂の中心で、当の勇者タチバナが、
(うひょー! 聖都、最高だぜ! レベルの高い美女が入れ食い状態じゃねえか! ぐへへへ、どの子からお持ち帰りして、俺の夜の熱烈な祈りのお相手をしてもらおうかな…! あ、あのパン屋の娘のそばかす、結構好みかも…!)
という、英雄の欠片もない下劣極まりない品定めと性的妄想に脳内を支配されていることなど、純真な少女たちは、当然のことながら知る由もなかったのである。