俺の命を守るためなら、お前らを盾にする   作:最高司祭アドミニストレータ

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勘違いフィルターオン。


国王リチャード三世

 重厚な両開きの扉が、衛兵の手によって厳かに閉ざされた。扉の向こうへと消えた勇者タチバナの背中が見えなくなってもなお、謁見の間には、ある種の熱病にも似た興奮の余韻が漂っていた。

 

 玉座に座る国王リチャード三世は、深々と溜め息をついた。それは憂いによるものではなく、極度の緊張から解放された安堵と、予想を遥かに上回る成果を得たことによる満足の息吹であった。

 

 

「…皆、どう見た?」

 

 

 王の重々しい問いかけが、静まり返った広間に響く。最初に口を開いたのは、白髪の宰相グランデルであった。彼は長年、王の側近として数多の人傑を見てきた古狸であり、その観察眼は鷹のように鋭いと評されている。

 

 

「陛下。…正直に申し上げまして、私は戦慄いたしました」

 

 

 グランデルは、興奮を抑えるように震える手で髭を撫でた。

 

 

「あの若さ、あの風貌。一見すれば、どこにでもいる村の青年に過ぎません。しかし…彼がこの広間に入室した瞬間の挙動、ご覧になられましたか?」

 

 

 王は頷く。

 

 

「うむ。落ち着きなく、しきりに周囲を見回しておったな」

「左様でございます。凡庸な若者であれば、この王城の絢爛豪華さに圧倒され、視線は上滑りし、ただ呆然とするものです。あるいは、金銀財宝の輝きに目を奪われることでしょう」

 

 

 宰相は、さも我が意を得たりといった表情で言葉を継いだ。

 

 

「しかし、タチバナ殿の視線は違いました。彼はシャンデリアの輝きや、黄金の玉座そのものには目もくれず…『柱の配置』や『窓の位置』、そして『衛兵の配備状況』を瞬時に確認しておりました」

 

 

 宰相の分析に、周囲の大臣たちが「おお…!」とどよめく。タチバナが実際には『あのシャンデリアはいくらで売れるか』『あそこの柱の金箔は剥がせるか』と値踏みしていただけだという真実など、彼らの高尚な脳内には存在しない。

 

 

「あれは、戦士としての本能的な索敵行動です。未知の空間に入った際、瞬時に退路と死角を確認し、戦場の地形を把握しようとする…歴戦の傭兵ですら持ち合わせぬ、天性の危機管理能力と言えましょう。彼にとって、この煌びやかな城でさえも、一歩間違えば戦場になり得るという『常在戦場』の心構えがあるのです」

「なるほど…。欲に目が眩むことなく、常に有事を想定しているというわけか」

 

 

 王は感心したように玉座の肘掛けを叩いた。続いて進み出たのは、この国の財政と兵站を管理する財務大臣だった。彼は常に数字と理屈を重んじる現実主義者だが、その彼もまた、紅潮した顔で熱弁を振るう。

 

 

「私が注目いたしましたのは、陛下が魔王討伐を依頼された直後の、あの『沈黙』でございます」

 

 

 財務大臣は、拳を握りしめた。

 

 

「陛下のお言葉に対し、彼は即答を避けました。浅はかな功名心に駆られた若者であれば、二つ返事で『お任せください』と安請け合いするところです。しかし、彼は黙り込み、床を見つめ、数秒間の沈黙を守りました」

「うむ。少々、悩みすぎではないかと不安になったが」

「いいえ、陛下! それこそが信頼の証なのです!」

 

 

 財務大臣は力説する。

 

 

「あの数秒の間…彼の脳裏には、膨大なシミュレーションが駆け巡っていたに違いありません。魔王軍の規模、必要となる物資、進軍ルート、そして伴うであろう犠牲…。それら全ての『現実的な困難』を瞬時に計算し、天秤にかけていたのです」

 

 

 タチバナが実際には『どうやって断れば殺されないか』『どんな言い訳が有効か』を必死に考えていただけだったという事実は、ここでは語られない。

 

 

「彼は理解していたのです。魔王討伐という任務が、単なる冒険ごっこではなく、血と鉄と泥にまみれた過酷な事業であることを。だからこそ、軽々しく即答しなかった。あの沈黙は、事の重大さを理解できる高い知性と、責任感の表れでございます!」

「理路整然とした分析だ。確かに、無知な者ほど早く答えるものだからな」

 

 

 王の心の中で、タチバナの評価はうなぎ登りになっていく。そこに、控えに回っていた王宮騎士隊長ガレインが一歩進み出た。彼こそ、タチバナを村から連行…護送してきた張本人であり、最も近くで彼を見てきた人物だ。

 

 ガレインは胸に手を当て、軍人らしい硬質な声で報告する。

 

 

「陛下、私からも証言させていただきたく存じます」

「許す。申してみよ、ガレイン」

「ハッ。…私は彼を村で確保した際、彼が村人たちからどれほど慕われているかを目撃いたしました。娘たちは涙を流し、男たちは敬意を込めて彼を見送っておりました。しかし、タチバナ殿は…一度として後ろを振り返りませんでした」

 

 

 ガレインの脳裏に、あの時のタチバナの背中が蘇る。実際には「連行される姿を見られたくない」「早く逃げ出したい」という一心で俯いていただけなのだが、ガレインのフィルターを通すと、それは全く別の意味を持つ。

 

 

「故郷への未練、愛する者たちとの別れ…それらは、戦士の心を鈍らせる楔となります。彼はそれを理解しているがゆえに、あえて非情に徹し、無言の背中で決意を示したのです。その精神的タフネスは、我が騎士団の精鋭ですら及びません」

 

 

 そして、ガレインは謁見の間でのタチバナの様子について言及した。

 

 

「先ほど、彼の手足が小刻みに震えていたことにお気づきでしたでしょうか」

「うむ。見ておったぞ。やはり、恐怖を感じていたのではないか?」

 

 

 王の問いに、ガレインは首を横に振った。

 

 

「いいえ、陛下。あれは恐怖による震えではありません。…『武者震い』、そして『義憤』による怒りの震えです」

「義憤、とな?」

「はい。陛下が語られた、魔王軍に焼かれる村々、虐げられる民の惨状…。タチバナ殿は、その理不尽な暴力に対する激しい怒りを、必死に抑制していたのです。彼の目には涙が浮かんでおりました。あれは、己の身を案じた涙ではありません。会ったこともない民の痛みを我が事のように感じ、魂が共鳴したゆえの、慈悲の涙でございます!」

「おお、なんと…!」

 

 

 王は感嘆の声を漏らした。タチバナが実際には「死にたくない」「帰りたい」という極めて利己的な理由で泣き震えていただけだという真実は、あまりにも美しすぎる誤解によって塗り潰された。

 

 

「知略に優れ、責任感に厚く、鋼の精神を持ちながら、民のために涙を流せる慈悲深き心を持つ…。まさに、完璧ではないか」

 

 

 王は立ち上がり、天井のシャンデリアを見上げた。まるでそこに、タチバナという英雄の輝かしい未来が見えるかのように。

 

 

「そして極めつけは、最後のあの言葉だ」

 

 

 王の声に、大臣たちが居住まいを正す。

 

 

『俺のような若輩者に…自信はありません』

『ですが、民の涙を拭う一助となるならば…この命、喜んで捧げさせていただきます!』

「あの言葉に、嘘偽りはなかった」

 

 

 王は断言した。長年、人の上に立ち、数多くの嘘や阿諛追従を見抜いてきた王の目を持ってしても、タチバナの言葉は「本物」に聞こえた。なぜなら、タチバナは本当に「命の危機」を感じていたからだ。

 

 

「(断ったら)死ぬ」という切迫感が、彼の言葉に真に迫るリアリティを与え、それを王たちは「(魔王と戦って)死ぬ覚悟」と解釈したのだ。

 

 

「自分の弱さを認め、自信がないと正直に吐露する。それは、己の限界を客観視できている証拠だ。その上で、逃げることなく『命を捧げる』と言い切った。…あれほどの覚悟、余は久しく見たことがない」

「誠に。…私、不覚にも目頭が熱くなりました」

 

 

 財務大臣がハンカチで目元を拭う。

 

 

「聖剣が彼を選んだ理由、今ならばはっきりと分かります。剣の強さだけではない。その魂の高潔さこそが、聖剣に見初められたのでしょう」

 

 

 宰相グランデルも深く同意する。広間は、タチバナへの称賛と、彼を勇者として迎えたことへの高揚感で満たされていた。

 

 誰も疑わなかった。誰一人として、たった今まで自分たちが絶賛していた青年が、今頃控え室の絨毯の上で「死にたくない、働きたくない」と駄々をこね、精霊に脅迫されて泣いている姿など、想像すらしなかった。

 

 

 あまりにも都合の良い解釈。

 あまりにも完璧な論理のすり替え。

 

 

 彼らは「自分たちが信じたい勇者像」をタチバナに投影し、勝手に感動し、勝手に期待値を限界まで高めていた。

 

 王は、力強く宣言した。

 

 

「国庫を開け! この国の持てる最高の装備、最上の魔導具を彼に与えるのだ!」

 

 

 財務大臣が一礼する。

 

 

「ハッ! 予算の上限は設けません。伝説の勇者に相応しい支度を整えさせます!」

「そして、宰相よ」

「ハッ」

「彼と共に旅をする仲間たちの選定はどうなっている?」

「抜かりありません。王国中から選び抜かれた、才色兼備の英傑たち…。剣の腕においては王国の至宝と謳われる『王女殿下』。魔法の理(ことわり)を若くして極めた『天才魔導士』。そして、神の愛娘とも呼ばれる『聖女のごとき僧侶』。現在、中庭にて待機させております」

「うむ。タチバナほどの男に見合う者たちであれば、彼女ら以外にはおらぬだろう」

 

 

 王は満足げに頷き、未来への希望に瞳を輝かせた。

 

 

「タチバナと、三人の英傑たち…。彼らが出会った時、歴史は動くであろう。魔王討伐の悲願、彼らならば必ずや成し遂げてくれると信じている」

 

 

 王の言葉に、全員が深く頭を垂れる。その場にいる全員が、確信していた。世界は救われる、と。この完璧な勇者、タチバナによって。

 

 こうして、タチバナ本人の意思とは裏腹に、彼を支える(という名目で逃げ道を塞ぐ)最強の布陣と、無限の予算、そして国家規模の重すぎる期待が、着々と準備されていくのであった。

 

 それはまさに、タチバナが望んだ「楽な生活」とは対極にある、英雄という名の強固な檻の完成でもあった。




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