「トレーナー、珍しく勝ってたね、アルダン」
「……いけません。これはいけませんよ、テイオーさん」
「……? どういうこと?」
「トレーナーさんが勝った時は、必ず良くないことが起きるんです……!!」
「え〜? なにそれ〜?」
お母さんの作るご飯が好きだった。
お父さんと一緒に見るウマ娘のレースが好きだった。
呪われたこの眼を持つ僕を嫌うことなく、愛してくれた両親が大好きだった。
そんな両親が死んだ。
居眠り運転の事故で、即死だったらしい。
運転手はブラック企業に勤めていて、精神に異常をきたしていたとかで、罪は軽かったらしい。
でも僕は、何も感じなかった。
それから僕は、親戚の家を転々とした。
厄介者みたいに押し付けられて、
この眼を面白がられて、利用されて、
気づけば、身体は傷だらけになっていたらしい。
“らしい”というのは、自分では気づかなかったからだ。
痛くもなかった。
何も感じなかった。
何も、見えなかった。
なぜなら———
『種目別競技大会』。
それは、担当トレーナーがいないウマ娘が、トレーナーに自身を売り込むことができる学内イベントだ。
走る距離もコースも自由。
自分の得意をぶつけ、たった一度で未来を掴むことができるのだ。
そんなイベントに、俺は足を運んでいる。
理由も目的も特にない。
ただ、昨日久々にパチンコで大勝ちして、非常に気分が良かったからだ。
懐が温かいと、人間はどうでもいいことにも首を突っ込みたくなるのだ。
多くのウマ娘が走る中、俺はレースを観ている人混みの間を掻き分け、当てもなく歩き続ける。
歓声、足音、実況。
熱気が、肌にまとわりつく。
このイベントは、学園外部の人間も見学することができる。
娘の晴れ舞台を一目見ようと、遠方からやってくる親も少なくない。
外から見れば、ただの運動会だろう。
だが実際は、ウマ娘たちの未来がかかった、選別の場だ。
ここで結果を残せなければ、声はかからない。誰にも選ばれないまま、埋もれていく。
本人たちからすれば、お遊び感覚で来られるのは、たまったものじゃない。
……と、柄にもなく同情めいたことを考えながら歩いていると突如、会場の空気が変わった。
ざわめきが、波のように広がっていく。
『ここでケイエスミラクル! ケイエスミラクルがやってきた! ケイエスミラクル、一気にスパート! ここから先頭に立つか!』
思わず、足を止める。
視線の先。
そこにいたのは、透き通るような青髪のウマ娘だった。
華奢な身体。
折れてしまいそうなほど細い四肢。
———なのに。
その脚は、常識を踏み越えていた。
前を走っていたウマ娘たちを、まるで止まっているかのように抜き去っていく。
(速い……いや、速すぎる……)
違和感が、胸に刺さる。
ただ速いだけじゃない。
『ケイエスミラクル先頭! ケイエスミラクル先頭! 残り200m、完全に抜け出したっ!! ———ゴールインっ!! お、恐るべき走りです、ケイエスミラクル! 2着との差は驚異の9バ身! 1着はケイエスミラクルです!』
歓声が、爆発する。
観客は沸き立ち、新人トレーナーたちは目を輝かせる。
「ケイエスミラクル……なんてすごいウマ娘なんだっ!!」
トレーナー手帳を取り出し、名前を書き込む音があちこちで鳴る。
だが対照的に。
G1、G2の担当バを持つ敏腕トレーナーたちは、揃って視線を逸らしていた。
額に浮かぶ、じっとりとした汗。
あの走りの“意味”が分かっている人間の反応だ。
(ぶっ壊れるぞ、あんな走りを続けてたら……)
いや、違う。
あれはもっと質が悪い。
「肉体に対して、想いが強すぎるのか……」
理性のブレーキが、最初から壊れているみたいな走り。
いや、違うな。
彼女は自分の意志でブレーキを踏んでいない。
何が彼女をそこまで駆り立てるのか。
俺には見当もつかない。
だが、このまま走り続ければ、壊れるどころか、確実に死ぬ。
そんな未来が、この眼を通して見えた。
たづなちゃんなら当然気付いているだろうが、念のため伝えておくべきかもしれない。
そう思い、彼女の元へ向かおうと足を踏み出した———その時。
「父さん! 母さん! 先生っ! 勝てた……勝ったよ! あはっ……おれ、やったよ!! 1着だ!!」
———足が、止まった。
振り返る。
そこにいたのは。
「おれが、1番! 速かったんだよ———!!」
子供みたいに、無邪気で、まっすぐで。
眩しいほどの笑顔だった。
その瞬間、理解した。
あの娘が、なんのために
「ケイちゃん……すごいよ……本当に……っ!!」
母親と思われる女性が、涙を流していた。
誇らしさと、安堵と———ほんの少しの、不安を滲ませながら。
その姿を見た瞬間。
考えるより先に、身体が動いていた。
「ケイエスミラクルさんの、お母様ですか?」
「……ぐすっ……え、えぇ……そうです、けど……っ……貴方は……?」
「失礼しました。私は、このトレセン学園のトレーナーでして」
そして、一拍置く。
「———おりいって、お母様にお願いがございます」
俺は初めて。
自分の意志で。
担当ウマ娘を決めた———
ケイエスミラクルの走りを見た新人トレーナーたちは、レース後の彼女の元へと殺到していた。まるで、群がる虫のように。
「ケイエスミラクル! 是非俺と契約を結んでくれ!」
「いいえ、私よっ! 私と共にトゥインクルシリーズを駆け抜けましょう!」
彼女の“本質”を知らない者たちが、我先にと声を上げる。その言葉の全てが軽かった。
「あっ、えっと……その……」
囲まれたケイエスミラクルは、困惑しきった様子で視線を彷徨わせていた。
「どけ新人!! ケイエスミラクルと契約するのはこの俺だっ!!」
そこへ、中堅トレーナーたちが割り込んでくる。
声が大きい者、実績を誇る者。
だがその目は———どれも同じだ。
“自分のため”の瞳。
その光景を見過ごすことのできない敏腕トレーナーたちがついに動こうとした———その瞬間。
低く、濁った声が、場を切り裂いた。
「失せろ凡人共」
空気が、止まる。
「低貸甘パチしか打ったことしかねぇケツの青いガキの出番は、ここには無ぇんだよ」
パチンカスは、鬱陶しい虫でも払うかのように手を振った。
それだけで、新人トレーナーたち人が退いた。
理屈じゃない。
本能が、距離を取らせていた。
「失せるのはお前だ、このカス野郎ッ!」
中堅トレーナーの一人が、怒りに任せて胸ぐらを掴み上げる。
「お前みたいなカスは、ケイエスミラクルに悪影響だッ!」
響き渡る怒号。
それに同調する数々の罵声。
だが、パチンカスには届いていない。
まるで、雑音のように。
パチンカスは、ただ冷めた目で彼らを見下ろしていた。
そして、吐き捨てるように言う。
「———彼女に人生を捧げる覚悟も無い中途半端のカス共が、イキがってんじゃねぇぞ……ッ!!」
その一言で、場の温度が凍りついた。
「ッッッ……」
そして、後退る。
一歩。
また一歩と、逃げるように。
その様子を見た敏腕トレーナーたちは、揃って頭を抱え、天を仰いだ。
その胸の内は、奇妙なほどに澄んでいた。
ついにアイツが動いてしまったと。
中堅トレーナーたちに軽く舌打ちをし、トレーナーは迷いなくケイエスミラクルへと歩みを進める。
「っ……」
反射的にケイエスミラクルの身体が引いた。
それでも。
トレーナーは歩みを止めない。
彼女の怯えなど意に介さず、真正面に立つ。
「えっ……と……」
ケイエスミラクルは言葉が、うまく出てこない。
そんな彼女を、トレーナーは真っ直ぐに見た。
覚悟が籠った瞳で。
そして、ゆっくりと手が差し出される。
「ケイエスミラクル」
一切のブレもなく、名前を呼ぶ。
「どうか———」
「俺の担当ウマ娘になってくれないか?」
「ッッッ!! これは……!!」
「うわっ!? び、びっくりしたなもう〜。急に叫ばないでよ!」
「浮気ですか……トレーナーさん……!!」
「ピエッ……か、顔が怖いよ、アルダン……?」