二人は超問題児?(もしよう実世界に「九条の大罪」悪徳弁護士と半グレが入り込んだら〜) 作:きんぴら大根
波の音だけが規則的に響いている。周囲に人影はなく、Bクラスのキャンプ地から少し離れた死角だ。鼻炎の症状はまだ残っていたが、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。
足音が近づいてきた。
「……九条か」
神崎隆二が、わずかに警戒を滲ませた声で言った。Bクラスの制服は砂と汗で少し汚れ、表情は硬い。九条の顔を見た瞬間、眉間に深い皺が寄った。
九条はいつもの穏やかな笑みを浮かべ、軽く頭を下げた。
「神崎さん、急にすみません。ちょうど人気の少ない場所におられて助かりました」
神崎は岩に軽く腰を下ろし、腕を組んだまま九条を正面から見据えた。声は低く、感情を極力殺したドライな響きだった。
「用件を簡潔に。俺は一之瀬に知られたくない。お前との接触自体がリスクだ」
九条は頷き、すぐに本題に入った。声も抑え、しかしはっきりとした調子で続ける。
「話の続きです。ポイント還流計画——Dクラスで意図的にクラスポイントを還流させ、上位クラスからプライベートポイントを融通してもらう件について……もう少し具体的に動くタイミングが近づいています」
神崎の表情は変わらない。ただ、目だけがわずかに細くなった。
「それで?」
「その還流を進める上で、ひとつ、重要な警告があります。Cクラス——特に龍園くんが動いているようです。Dクラスに対してはすでに伊吹さんが妨害工作を仕掛けてきていますが……Bクラスにも同様の手が伸びる可能性が高い」
九条は岩の表面に指で軽く線を引きながら、淡々と続けた。
「具体的には、Cクラス内で『龍園派から爪弾きにされた』ふりをして接近してくる生徒が出てくるかもしれません。表向きは『龍園に反発している』とか『情報を提供したい』と言って、親しげに接触してくる。実際は、妨害や情報収集が目的です。Bクラスが還流計画に協力していることを嗅ぎ取られた場合、龍園は遠回しに撹乱を仕掛けてくるはずです」
神崎はしばらく無言で九条の言葉を聞いていた。やがて、冷ややかな声で切り返した。
「……お前がそんな情報をどこまで持っているのか、俺には興味がない。ただ、警告自体は受け取っておく」
彼は立ち上がり、九条を真正面から見下ろした。視線に好意の欠片もない。
「還流の件は一之瀬に知られない範囲で協力すると約束した。それ以上でも以下でもない。お前がDクラスでどんな動きをしていようと、俺はBクラスの安全を最優先にする。龍園の工作が本当にあるなら、こっちで対処する。余計な世話は無用だ」
九条は穏やかな笑みを崩さず、静かに頷いた。
「了解です。神崎さんなら、そう言われると思っていました。ただ、念のため伝えておきたかっただけです。……何か動きがあれば、可能な限り連絡を取ります」
神崎は鼻で小さく息を吐き、踵を返した。
「連絡は最小限に。俺はお前と『仲良く』する気はない。取引だ。それだけを覚えておけ」
足音が遠ざかっていく。
九条は岩場に一人残り、夜の海を見つめながら内心で冷たく呟いた。
(……相変わらず、好感度は低いな。まあ、それでいい。神崎くんがドライに徹してくれれば、こちらも動きやすい。Bクラスへの警告は済んだ。あとは壬生くんと連携して、Cクラスの動きを監視するだけだ)
波の音だけが、静かに響いていた。
九条間人は、いつもの目立たない優等生の仮面を被り直し、ゆっくりとDクラスのキャンプ地へと引き返し始めた。
しばらくして、Dクラスのキャンプ地は九条が懸念していた通り——騒然となった。
「ちょっと待って! 私の下着が……ない!」
軽井沢恵の甲高い声が響き渡り、女子テント周辺が一瞬で凍りついた。すぐに「マジかよ」「誰だよ犯人!」と男子側からも声が上がり、男女の対立が一気に表面化した。
「男子が女子テントに近づいてた奴、いるだろ!?」
「は? お前らこそ勝手に疑うんじゃねえよ!九条も言ってたろ!伊吹がDクラスへの嫌がらせでやったんだろ!」
池と須藤が声を荒げ、佐藤や松下が「絶対男子の誰かでしょ!」と反論。平田が必死に仲裁に入ろうとするが、すでに口論の熱は収まらない。
九条間人は少し離れた木陰からその様子を静かに観察していたが、内心で小さくため息をついた。
(……案の定、起きたか。十中八九伊吹の仕業だな、ご丁寧に俺がいないタイミング狙ってやったんだろうが。牽制したつもりだったけど余り効果は無さそうだ。このタイミングでクラス内の不信感を煽られるのは、かなりまずいな)
彼は鼻を軽くすすりながら、真剣な表情を保って輪の中に入った。まだ目立たない程度に、しかし自然に軽井沢の近くへ近づき、冷静に声をかける。
「軽井沢さん……落ち着いてください。いつ、どのタイミングで気づいたんですか? テントに入った直後でしたか? それとも——」
九条が淡々と質問を続けようとした瞬間、女子の一人——松下千秋が、苛立った声で切り返した。
「ちょっと、九条くん! あんたこそ犯人の可能性、捨てきれないじゃん! さっきまでキャンプ地うろうろしてたでしょ!?」
その言葉に、場が一瞬静まり返った。
「え……九条くん?」「マジで?」 女子たちの視線が一斉に九条に向き、男子側からも「九条が……?」という疑いの声が上がる。山内が「待て待て、九条はそんなことしねえだろ!」と擁護したが、すでに収拾がつかなくなっていた。
伊吹がテントの陰から冷たい目でこちらを見ているのも感じられた。
九条は内心で舌打ちをした。
(……目立つリスクが、また増えた。松下の奴、タイミングが良すぎる……)
その時——。
「九条くんは犯人じゃないと思います」
控えめだが、はっきりとした声が響いた。
佐倉愛里が、頰を少し赤らめながらも一歩前に出ていた。彼女は九条を庇うように立ち、クラスメイトたちを見回した。
「そんなことする人じゃないし……それに、九条くん、鼻炎がすごく酷いじゃないですか。すぐバレると思いますから……」
一瞬の沈黙の後——。
「ぶっ……!」
最初に吹き出したのは池寛治だった。
「ははっ! 鼻炎でバレるって……! 確かに、くしゃみ連発しながら下着盗むとか、ありえねえわ! 想像したらヤバい!」
池の爆笑をきっかけに、須藤が「げははっ!」と腹を抱え、平田も思わず吹き出し、山内が「マジでそれな! 九条の鼻水が証拠残りそう!」と追従した。女子側からも、佐藤がくすくすと笑い始め、松下でさえ「ちょっと……佐倉さん、斜め上すぎ……」と肩を震わせた。
軽井沢も呆れたようにため息をつきながら、口元を緩めた。
「はあ……佐倉、ありがと。でもマジで最悪のフォローね」
キャンプ地全体に笑い声が広がり、さっきまでのピリピリした空気が一気に和やかになった。九条は苦笑いを浮かべたまま、内心で安堵と苦笑いを混ぜていた。
(……佐倉さん、助かったけど……そのフォロー、かなり斜め上だな。 まあ、これで不信感は一旦収まった。伊吹の監視も続けやすい……)
彼は鼻を軽く押さえながら、佐倉に小さく頭を下げた。
「ありがとう佐倉さん、おかげで助かりました。流石にそのフォローは予想できませんでしたが」
佐倉は耳まで真っ赤になりながら、小さく首を振った。
九条は笑い声に包まれるキャンプ地を眺め、胸の奥で気を引き締めるよう自分に言い聞かせる。
(浮かれるなよ九条間人、これはただの仮初の結束に過ぎない。優先事項は環流計画だ。それに伊吹がここにいる以上、いつ事態が急変するか分からない。俺の役目はDクラスの崩壊を予防しつつ、大量得点を「適度」に抑えること、それだけだ。このクラスを裏切る側に自分がいること、それだけは忘れちゃいけない)
南国の夜風が、笑い声と共にキャンプ地を優しく吹き抜けていく中、仮面を被りつつ自分の気を引き締め直していた。
笑い声が徐々に収まった頃、平田が手を叩いてみんなの注意を引いた。
「よし、みんな一旦落ち着こう。軽井沢さんの下着がなくなったのは事実だし……ここでちゃんと話し合って、再発防止策を決めないと」
少し後で、平田の声掛けで少人数での話し合いがその場で始まった。軽井沢、佐倉、平田、堀北、綾小路、そして九条の六人だけが、少し離れた焚き火の近くに集まった。伊吹は女子テントの近くで休ませてあり、他のクラスメイトたちは遠巻きに見守っている。
軽井沢は膝を抱えるように座り、苛立った表情で口を開いた。
「……私、夕方4時くらいに一度テントに入って荷物を確認したときは、まだ全部あったの。次のチェックがさっき、6時過ぎだったから……その間の2時間くらいの間に盗まれたってことよね」
佐倉が控えめに頷いた。
「私もその時間帯、テントの近くにいたけど……特に怪しい人は見かけなかったかも……」
堀北は腕を組んだまま、その視線を軽井沢に向けた。
「つまり、皆が女子テントに近づける隙があった時間帯ね。犯人はその間に忍び込んだ可能性が高いわ」
平田が真剣な顔でメモを取りながら言った。
「再発防止策として、スポット探しみたいに皆がキャンプ地から離れるときは、必ず荷物番を置くべきだと思う。男子・女子それぞれで交代制にして、テントの入り口を見張る形はどうかな?」
九条は鼻炎で少し息苦しさを堪えながら、穏やかな声で静かに発言した。
「それがいいと思います。荷物番は最低2人体制で、あと、貴重品はなるべく自分の体から離さないように……特に下着類は、寝るときもバッグの中にしまっておくとか」
彼はそこで少し声を落とし、焚き火の炎を見つめながら続けた。
「それと……やはり、女子テントに侵入しやすい伊吹さんが怪しいと思います。彼女はCクラスでありながら今、Dクラスの女子テントの近くで休んでいる。同じ女子として自然に近づける立場です。龍園の指示で動いている可能性も高い以上、彼女の行動は特に注意した方がいいでしょう」
その言葉に、場がわずかに緊張した。
軽井沢が眉を寄せ、佐倉が不安げに伊吹のいる方向をチラリと見た。堀北は「そうね」と小さく頷き、平田も表情を引き締めた。
話し合いは比較的冷静に進み、具体的な再発防止策——夜間2人体制の見張り、荷物の管理方法、怪しい人物がいた場合の即時報告ルール——が決まった。
九条は鼻炎で鼻を抑えながら、状況を整理する。
(……これで最低限、牽制を強めることはできた。伊吹への疑念をクラスに植え付けておけば、彼女が動いたときに即座にマークされる)
話し合いが終わると、九条はゆっくり立ち上がり、焚き火の近くに残っていた佐倉のところへ静かに近づいた。
「佐倉さん」
穏やかな声で呼びかける。焚き火の橙色の光が、彼の顔を柔らかく照らしている。
「さっきは本当にありがとうございました。あのタイミングで僕を庇ってくれなかったら、クラス全体がもっとギスギスした雰囲気になっていたと思います。僕自身もあのまま疑われ続けるのは辛かったし……特に、鼻炎の話でみんなを笑わせてくれたこと、すごく嬉しかったです。ファインプレーでしたね。」
佐倉は耳まで真っ赤になり、指先で自分の制服の裾をぎゅっと握りながら、恥ずかしそうに俯いた。
「う、ううん……私、ただ……九条くんが犯人なんかじゃないって、ちゃんとわかってたから……。あの、鼻炎の話は……ちょっと、変なこと言っちゃったかなって……今思うとすごく恥ずかしいです……」
彼女の声は小さく、でも心からの温かさが込められていた。
九条は小さく笑い、優しく首を横に振った。
「変なんかじゃないですよ、本当に効果的でした。あの場で一番必要な笑いだったと思います。先ほどのハンカチもそうでしたけど、周りのことしっかり見てくれているんですね」
佐倉の頰がさらに赤くなり、嬉しそうに、でも照れくさそうに視線を少し逸らした。焚き火の炎が彼女の瞳を優しく輝かせている。
「……ありがとう、九条くん。私こそ……九条くんがいてくれてよかったって、思いました。いつも静かだけど、この前のテストのときも、池くんや須藤くんのフォローをしたり、ちゃんとみんなのことを考えて動いてくれるから……安心するんです」
九条は柔らかく目を細め、静かに頷いた。
「これからも、もし何かあったら遠慮なく声をかけてくださいね。僕も佐倉さんの力になりたいと思います。一緒に、このクラスを少しでも良い方向にしていきましょう」
佐倉は小さく、でもはっきりと微笑んだ。照れくさそうにしながらも、嬉しさが溢れるような表情だった。
「……うん。よろしくお願いします、九条くん」
九条はもう一度優しく頭を下げ、佐倉の温かさを胸の奥にそっとしまってから、焚き火から少し離れた自分の位置へと戻っていった。