ポケットモンスター 元プラズマ団・Nが、伝説のポケモンと往く「トモダチ」ではない「愛」を探す世界再発見の旅   作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった

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空白の2年 / TWO YEARS LOG

「……730日。あるいは17520時間。僕が『王』という記号を剥ぎ取られ、ただの浮遊する素粒子として世界を彷徨い始めてから、それだけの定数が上書きされたんだね」

 

遠く離れた異国の地。名もなき荒野の夜。

僕は焚き火の爆ぜる音を聴きながら、ボロボロになった帽子のつばを指でなぞっていた。かつて僕の頭に載っていたのは、ポケモンを解放するための選民思想という名の王冠だったけれど、いま僕の頭を覆っているのは、砂埃と後悔を吸い込んだただの布切れだ。

 

「……(……。……?)」

 

足元で丸まっていたトモダチが、微かに喉を鳴らして僕を見上げる。

そのパルスは、僕という空虚な存在を案じている、あまりに純粋な優しさの波形。

 

「……大丈夫だよ。僕はただ、計算しているだけだ。かつての僕が『悪』と切り捨てた人間の営みが、この2年間、どれほどの多様性を持って僕の視界を横切っていったかをね」

 

僕は空を見上げた。

イッシュで見た星空と、この地で見上げる星空。座標が変われば観測される天体も変わる。当たり前の物理現象。なのに、どうして僕の心象風景だけは、あの白と黒が激突した城の最上階でフリーズ(停止)したままなんだろう。

 

「……(……! ……)」

 

「ああ、わかっている。彼らは……人間は、相変わらず非効率で、非論理的だ。今日も街の広場で見かけただろう? 自分の食い扶持を削ってまで、怪我をした野良のポケモンに木の実を分け与える老人を。数学的に考えれば、リソースの無駄遣いだ。けれど、その老人が見せた周波数は、僕が城の中で学んだどの数式よりも高いエネルギーを放っていた」

 

僕は、人間と話すことをやめた。

僕が口を開けば、どうしても言葉は鋭利な論理(ロジック)となって相手を傷つけてしまう。あるいは、僕自身の「化け物」としての本性が、彼らの平穏な日常を汚してしまう。

だから僕は、遠くから観測する。

市場で笑い合う親子。

失恋して涙を流す若者。

老衰した相棒の最期を看取るトレーナー。

それらすべては、僕という無機質な計算機には決して出力できない、血の通った「バグ」たちのパレードだった。

 

「……ねえ。僕は、自分が何者でもないという事実を、ようやく受け入れ始めた気がするんだ」

 

僕は膝を抱えた。

「王」でもなく、「解放者」でもなく、ましてや「神の代理人」でもない。

僕はただ、ポケモンの声が聞こえすぎる、少しばかり耳のいいだけの、壊れた個体。

そう定義し直したとき、不思議と肺の中に流れ込む酸素の密度が上がった気がした。

 

「……(……?)」

 

「不思議だね。アイデンティティを喪失することが、これほどまでに自由へのベクトルを加速させるなんて。ゲーチスが僕に与えた『ハルモニア』という名前さえ、いまは風に舞う塵のように軽い。……僕は、空っぽだ。空っぽだからこそ、世界が発する支離滅裂な音色を、そのまま受容できるのかもしれない」

 

焚き火が爆ぜ、火の粉が夜の闇へと溶けていく。

その0.5秒の輝き。

2年前のあの日、あのトレーナーが僕に言った言葉を思い出す。

『それでも君は、人間だ』

その言葉は、僕の回路に埋め込まれた最大のウイルスであり、唯一の救済(パッチ)だった。

 

「……君は、いまどこで、誰と笑っているんだろうね。君の数式は、2年経ったいま、どれほど複雑で美しい多項式に成長したんだろう」

 

僕はカバンから、古びたメモ帳を取り出した。

そこには、僕がこの2年間に訪れた場所、出会ったポケモンたちの「声」が、独自の記号で記されている。

けれど、人間の言葉を記したページは、いまだに真っ白なままだ。

僕にはまだ、彼らの感情を記述するための言語が備わっていない。

 

「……空白の2年。世間はそう呼ぶかもしれない。けれど、僕にとっては、この空白こそが、新しい真理(あるいは理想)を描くための真っ白なキャンバスだ」

 

僕はゆっくりと立ち上がった。

夜が明ければ、また新しい座標へと移動する。

目的地はない。

ただ、ポケモンと人間が織りなす、この不完全で美しいノイズを、世界の果てまで聞き届けるだけだ。

 

「……行こう。夜明けまでの時間は、あと3時間42分。次の街に着く頃には、僕の心拍数も、少しは彼らの生活リズムに同期(シンクロ)できているといいんだけどね」

 

僕は火を消し、深い闇の中へと歩き出した。

ボロボロの帽子を深く被り直し、僕は自分という「無」を噛みしめる。

「王」を辞めた僕の足取りは、かつてないほどに軽やかで、そして、どうしようもなく孤独で、暖かかった。

 

「……サヨナラ、昨日の僕。……おはよう、何者でもない、僕」

 

僕は一歩、また一歩と、自分という存在を証明するための、長い長い計算式の続きを書き込みにいった。

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