ポケットモンスター 元プラズマ団・Nが、伝説のポケモンと往く「トモダチ」ではない「愛」を探す世界再発見の旅 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
「……3000万年前。あるいはもっと昔。時間の堆積というやつは、どうしてこうも残酷なんだろうね」
僕はシッポウシティにある博物館の、静まり返った展示ホールの中心に立っていた。
天井から吊るされたカイリューの骨格標本。ガラスケースの中に陳列された化石。それらすべてが、かつて鼓動を刻んでいた「生命」の成れの果てだ。
1つの生命が維持されるための膨大な代謝プロセス。それが停止し、水分が失われ、タンパク質が変質し、石の層に置き換わる。その変換式はあまりに無慈悲で、完璧だ。
「N様。まもなく作戦を開始します。プラズマ団の正義のため、この博物館に眠る『骨』を回収いたします」
闇の中から現れたしたっぱたちの声が、大理石の床に反響する。
彼らは博物館を略奪し、古代の遺物、特にドラゴンの骨を手に入れようとしている。ゲーチスが求める「伝説」の鍵、あるいはその代替品として。
「……好きにすればいい。僕にとって、動かない石ころに興味はない。僕が守りたいのは、今この瞬間も絶望に震えている『声』だけだ」
僕はゆっくりと歩き、壁に掲げられたイッシュ地方の歴史年表を見上げた。
そこには「人間とポケモンの共生」という言葉が、嫌になるほど並んでいる。
「共生、か。歴史とは常に、勝者である人間によって書き換えられた都合のいいスクリプト(台本)だ。0と1で構成された論理的なデータではなく、主観と願望で塗り固められたゴミの山だよ」
「あ! またあなたね!」
聞き覚えのある、周波数の高い声。
あの「特異点」のトレーナーが、博物館の入り口に立っていた。
背後にはジムリーダーのアロエもいる。彼女は博物館の館長でもあり、その瞳には歴史を守る者の強い意志が宿っていた。
「……君か。どうしてこうも僕の計算式に割り込んでくるんだろうね。君の存在確率は、僕の予測モデルではもっと低いはずなのに」
「骨を盗むなんて、そんなの絶対におかしいよ! ポケモンたちだって悲しんでる!」
「悲しんでいる? ……ふむ。アロエさん、だったかな。君に聞きたい。この博物館に並べられた剥製や化石に、魂の残滓(残り香)が1パーセントでもあると断言できるかい?」
僕はアロエを指差す。
「君たちは、死んだポケモンの残骸を美しく飾り立て、自分たちの知的好奇心を満たすための『トロフィー』にしている。過去を保存するという名目で、生命の尊厳を静止画(フリーズ)させているんだ。これこそが人間の傲慢さの証明だと思わないかい?」
「……。坊や、あんたの言い分は極端だね。これは未来へ繋ぐための記憶だよ。彼らが生きていた証だ」
「記憶? 記憶は主観によって劣化する。証? 証拠なら生きたポケモンたちの悲鳴だけで十分だ。死んだ骨に執着する君たちと、それを奪おうとする僕の部下たち。どちらも『物質』に囚われている点では同じだ。……ああ、反吐が出る」
僕はカバンからモンスターボールを取り出した。
自分の指先に伝わる冷たい金属の感触。
僕は自分を軽蔑している。ポケモンを解放するために、ポケモンを戦いの道具として「計算」に組み込んでいる自分を。
「……証明しよう。過去の遺物にしがみつく君たちの論理と、未来をリセットしようとする僕の意志。どちらが現在の座標において優位にあるかを」
バトルが開始される。
展示ホールの高い天井が、技の閃光を反射して万華鏡のように揺れる。
僕はトモダチの声を聞く。
(……。……!)
相手のポケモンから発せられる信号は、やはり理解不能な「信頼」のコードを含んでいる。
なぜ?
なぜ君たちは、博物館という「ポケモンの墓場」を守るために、自らを犠牲にして戦えるんだ?
「……なぜだ! この骨の山に何の意味がある? 人間が勝手に定義した歴史の破片に、命を懸ける価値があるというのかい?」
「価値があるかないか決めるのは、あなたじゃない! 誰かが大切だと思っている気持ちを、勝手に『ゴミ』って決めつけないで!」
トレーナーの叫びが、僕の脳内の演算を強制終了(シャットダウン)させる。
大切だと思っている気持ち。
それは、数式には代入できない、最も非論理的で、最も強力なパラメータだ。
(……。……!)
最後の一撃。
僕のトモダチが膝をつく。
だが、その時。剥製のように動かなかった博物館の空気が、微かに震えた気がした。
「……ち。これ以上の交戦はリソースの無駄だね」
したっぱたちが骨を持って逃走するのを確認し、僕は帽子を深く被り直した。
勝利も敗北も、今の僕にとっては二次的な事象に過ぎない。
「……アロエさん。君の眼差しは、常に死者へ向いている。だが僕は、今この瞬間も息をしているポケモンにしか興味がない。歴史なんて、人間が自慰的に書き連ねた嘘の記録だ。そんなものは、伝説の炎で一度焼き尽くしてしまえばいい」
僕はトレーナーを一度も見ずに、出口へと歩き出した。
背後で展示品を守ろうとする人々の安堵の声が聞こえる。
それは僕にとって、不快極まりない「偽りの平和」の音だった。
「……生きた真実は、剥製にはできない」
外に出ると、シッポウシティの冷たい夜風が吹き抜けた。
僕は夜空に浮かぶ星々を数える。
星の光もまた、何万年も前の過去の残像だ。
結局、僕はこの世界という名の巨大な博物館に閉じ込められているだけなのかもしれない。
「……次は、もう少し『現在』を破壊する手段を選ばなきゃね」
ひとりごちは風に解け、僕の足跡だけが、偽りの歴史の上に刻まれていった。