ポケットモンスター 元プラズマ団・Nが、伝説のポケモンと往く「トモダチ」ではない「愛」を探す世界再発見の旅 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
「……計算が合わない」
僕はカラクサタウンの広場を埋め尽くす群衆の端で、小さく呟いた。
空気は不快な振動で満ちている。人間の呼気、足音、衣擦れの音。それらすべてが僕にとっては耳障りなノイズだ。この世界の解像度を下げる濁濁とした情報の濁流。
広場の中央では、七賢人の1人であるゲーチスが演説を行っている。
「皆さん、よくお聞きなさい! 我々人間は、これまでポケモンという存在をどう扱ってきたか! 共に歩むパートナー? 絆で結ばれた友? 違います! それは欺瞞、己の支配欲を正当化するための美しい嘘に過ぎない!」
ゲーチスの声が空間を支配する。整然としたロジック。完璧な扇動。
僕が城で教え込まれてきた「真実」が、いまこの場所で民衆に向けて出力されている。
「ポケモンは未知の可能性を秘めた生き物! 彼らから学び、彼らをあるがままの姿に解き放つことこそ、我々人間の義務なのです! さあ、今こそポケモンを解放するのです!」
民衆の反応は千差万別だ。困惑する者、鼻で笑う者、そしてわずかばかりの恐怖を感じる者。
僕は彼らの肩越しに、彼らが連れているポケモンたちの「声」を拾う。
(……暗い。狭い。ここから出して)
(……戦いたくない。怖い。痛い)
聞こえる。やっぱり、僕の計算通りだ。
モンスターボールという名の小さな檻に閉じ込められ、数字としての強さを競わされる生命の悲鳴。人間とポケモンが共存しているという状態は、統計的に見てもただの奴隷制度に他ならない。
演説が終わり、プラズマ団が去っていく。民衆がざわめきながら散っていく中で、僕はその「不自然な点(ポイント)」を見つけた。
1人のトレーナー。
まだ幼さの残る顔立ちだが、その瞳には奇妙な透明感があった。
そして、その肩に乗っているポケモン……ミジュマル。
「……君」
僕は無意識に足を踏み出していた。早口になるのは僕の癖だ。思考の速度に言葉を追いつかせようとすると、どうしてもピッチが上がる。
「今の演説、どう思った? ポケモンは人間から解き放たれるべき。君もそう思わないかい?」
相手は驚いたように僕を見た。その沈黙は0.5秒。
「えっと……よくわからないけど、この子は一緒にいて楽しそうだよ」
そんなありきたりな、しかし致命的に論理を欠いた言葉が返ってくる。
「……楽しい? ポケモンが? それは君の主観による勝手な解釈だ」
僕は一歩詰め寄る。僕の視線はトレーナーではなく、そのポケモンに固定されている。
僕はポケモンの声を聞く。解析する。
……。
……?
「……おかしい」
僕の脳内の数式が、激しいアラートを鳴らし始めた。
これまでのサンプルデータでは、トレーナーに従うポケモンの声には必ず「強制」や「諦念」の周波数が混じっていた。
しかし、このミジュマルから発せられる音は、あまりにも純粋で、かつ複雑だった。
(……。……!)
意味がわからない。
ミジュマルは僕を見て、それからトレーナーを見て、誇らしげに胸を叩いた。
そこにあるのは、支配でも隷属でもない。
「不確定な調和(カオス・ハーモニー)」。
計算式に代入できない未知の変数が、僕の理論を内側から破壊していく。
「君のポケモン……何を言っているんだ? 僕は、君たちが何を話しているのか……理解できない」
「え? ポケモンの声がわかるの?」
「わかる。わかるはずなんだ。でも、君のポケモンの声は、まるで……数式が解ける直前のノイズみたいだ。不完全で、それでいて完成されている……」
僕は混乱した。
完璧な世界の再構築のために、僕は「王」としてここにいる。
ポケモンを苦しみから救う。それが僕に与えられた唯一の解(アンサー)だったはずだ。
なのに、目の前のこの1人と1匹は、僕の知らない「解答」を持っているかのように振る舞っている。
「……証明してほしい」
僕はポケットからモンスターボールを取り出した。
皮肉なものだ。ポケモンを解放するために、僕もまたこの檻を使わなければならないなんて。
「君と、君のポケモンの関係が、僕の理想を打ち砕くほどの『真実』なのかどうか。僕のトモダチと戦って、君たちの数式を見せてくれ」
戦闘が始まる。
相手の命令は簡潔だ。しかし、ミジュマルの動きには迷いがない。
まるで意思が重なっているかのような、0.1ミリのズレもない同期。
(……。……!)
戦いの中で、ミジュマルの声がさらに加速する。
(もっと。もっと高く。この人と一緒に!)
「くっ……!」
僕のトモダチが倒れる。
敗北の計算結果が表示されたわけではない。
僕の心が、その「響き」に圧されているのだ。
「……。……。……」
戦闘が終わり、僕はトモダチをボールに戻した。
指先が微かに震えている。
「君……名前は?」
相手が名を名乗る。その響きすら、僕にとっては異質な記号として刻まれた。
「そうか。……君は、僕の計算を狂わせる特異点(シンギュラリティ)だ。今の戦い、僕の負けでいい。でも、納得したわけじゃない」
僕は身を翻し、広場から立ち去ろうとする。
背後で、あのミジュマルが元気な声を上げた。
(バイバイ! またね!)
「……またね、か。ポケモンの口からそんな言葉を聞くことになるとは思わなかったよ」
僕は歩きながら、再び脳内で計算を始める。
1+1は、2になるはずだ。
人間1人とポケモン1匹。合わさっても2であるべきだ。
だというのに、先ほどの彼らから感じた熱量は、3にも、10にも、あるいは無限大にも見えた。
「……ゲーチスは言った。世界は白と黒に分かたれるべきだと」
カノコタウンへと続く道。境界線の街。
僕の目の前には、まだ見たことのないイッシュの景色が広がっている。
「でも、もし……計算式そのものが間違っていたとしたら?」
そんなはずはない。僕の頭脳は完璧だ。僕の使命は絶対だ。
僕は「王」であり、この世界の不条理を終わらせる者。
「……次は、もっと複雑な式を用意しよう。君というエラーを完全に修正するために」
僕は走り出す。
時速20キロメートル。心拍数110。
胸の奥で燻る、この不快で、それでいて微かに心地よい熱の正体を、僕はまだ「好奇心」という言葉に変換できずにいた。