ポケットモンスター 元プラズマ団・Nが、伝説のポケモンと往く「トモダチ」ではない「愛」を探す世界再発見の旅 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
「……0.0001パーセント。人間がポケモンの真意を汲み取れる確率は、限りなく零に近い」
サンヨウシティの東に位置する「夢の跡地」。かつてエネルギーの研究が行われていたという廃墟の湿った空気の中で、僕は1人、崩れたコンクリートの壁に指を滑らせていた。
ここには「夢の煙」を出すムンナが棲んでいる。彼らの吐き出す煙は、深層心理に眠る「真実」を可視化するという。
「トモダチ……。君は、何を求めているんだい?」
僕の問いかけに、草むらから現れたムンナは「きゅう……」と短く、震えるような音を発した。
その声は、僕の脳内で瞬時に波形へと変換される。
(……こわい。にんげん、いやだ。あつい……痛いのは、いやだ)
「そうだね。僕にも聞こえる。この場所を汚し、君たちの安らぎを奪い去ったのは、いつだって効率と進歩を標榜する人間たちだ」
そこに、複数の足音が近づいてきた。
プラズマ団のしたっぱたちが、ムンナを追い詰めている。彼らの目的は、夢の煙を回収し、人の心を操るための研究材料にすることだ。ゲーチスが掲げる「理想」のためには、多少の犠牲は統計上の誤差として処理される。
「待ちなさい」
僕はしたっぱたちの前に立った。
「あ、N様! ポケモンを解放するためのサンプル回収を……」
「サンプルの回収? 君たちの動きは雑だ。120点満点中、15点。ポケモンの恐怖心を煽って得られるデータに、何の価値があるというんだい? 恐怖というノイズが混じった時点で、それは純粋な祈りではなくなる」
僕はしたっぱたちを下がらせ、ムンナの前に膝をついた。
そのとき、また別の気配がした。
例の「特異点」――あのトレーナーだ。
「……君か。どうしてここへ?」
「ムンナを助けに来たんだ。プラズマ団がひどいことをしてるって聞いて」
「ひどいこと、か。定義が曖昧だね。だが、否定はしない。人間がポケモンに対して行うすべての行為は、僕から見れば等しく『ひどいこと』だ」
僕はゆっくりと立ち上がり、空中に漂い始めたピンク色の煙を見つめた。
ムンナが放った「ゆめのけむり」。
それは空間を歪め、ぼんやりとした映像を映し出していく。
「見てごらん。これがポケモンの夢だ。彼らが心の奥底に秘めている、最も純粋な願いの断片だ」
映像の中に映し出されたのは、人間がいない深い森だった。
太陽の光が100パーセントの透過率で降り注ぎ、ポケモンたちがただ「あるがまま」に存在している世界。そこには指示を与える者も、ボールを投げる者も、バトルの勝敗を記録するスコアボードも存在しない。
(……ただ、いっしょに、いたい)
(……だれにも、しばられたくない)
「聞こえるかい? これが彼らの『祈り』だ。彼らが求めているのは、君たちが与える『愛情』という名の首輪じゃない。ただの自由だ。人間という種から完全に切り離された、絶対的な静寂なんだよ」
僕は胸の奥が熱くなるのを感じた。
計算機のように冷徹でありたいと願う僕の回路が、ムンナの純粋な拒絶に共鳴して、激しく火花を散らしている。
「……でも、N。ムンナは今、震えてるよ。それは自由を求めてるんじゃなくて、助けてほしいって言ってるんだよ。誰かに、手を貸してほしいって」
トレーナーの言葉に、僕は鼻で笑った。
「手を貸す? その手が、次の瞬間にはモンスターボールを握るというのに? それは欺瞞だ。0.99の善意に0.01の支配欲を隠した、悪質な論理だよ」
僕は自分のトモダチであるチョロネコを前に出した。
「君とのバトルは、計算を乱すから本来は避けるべきだ。けれど、このムンナの祈りを守るためには、君というノイズをここで排除しなければならない」
バトルが始まる。
夢の煙が漂う幻想的な空間の中で、ポケモンたちの技が交差する。
(……。……!)
トレーナーのポケモンから伝わってくるのは、以前よりも強固になった「信頼」のパルスだ。
それは1次関数的な成長ではなく、指数関数的な、予測不可能な膨らみを見せている。
「なぜだ……! なぜ君たちの攻撃には、迷いがない? 支配されているはずのポケモンが、なぜ自発的に、これほどの出力を出せるんだ?」
「命令してるんじゃない。僕たちは、同じ夢を見てるんだ!」
「同じ夢……? 人間とポケモンが同じ座標を共有するなど、幾何学的にありえない!」
最後の一撃が、僕のトモダチを退かせた。
決着。
だが、僕がショックを受けたのは敗北そのものではない。
倒れた僕のチョロネコが、苦しそうな表情を浮かべながらも、トレーナーとそのポケモンに向けて「穏やかな視線」を投げかけたことだ。
(……やさしい、ね)
チョロネコがそう呟いたような気がした。
「……。……。……」
煙が晴れていく。
ムンナはトレーナーの元へ寄り添い、それから僕を一度見て、森の奥へと消えていった。
「……純粋な祈りさえも、君は塗り替えてしまうのか。人間という種の厚かましさには、改めて嫌悪感を禁じ得ないね」
僕は帽子を目深に被り、トレーナーに背を向けた。
「ポケモンの夢を汚すのは、いつだって人間の欲望だ。たとえ君がどれほど『善き人』を演じたとしても、その存在自体が彼らにとっての足枷(制約)であることに変わりはない。……僕は、それを証明するために伝説の王になる」
「N、待って!」
「呼ばないでくれ。君の言葉を聞くたびに、僕の中の完璧な数式に0.0000001の不純物が混ざる。それは、僕にとって死よりも恐ろしいことなんだ」
僕は地下跡地の冷たい壁を伝って、闇の中へと消えていった。
脳内では、先ほどのムンナの夢がリピートされている。
人間を拒絶する真っ白な世界。
その美しさだけが、僕の唯一の救いであり、進むべき指針だった。
「……人間は、いらない。僕も、含めてね」
ひとりごちは、湿ったコンクリートに吸い込まれ、誰に届くこともなく消滅した。