ポケットモンスター 元プラズマ団・Nが、伝説のポケモンと往く「トモダチ」ではない「愛」を探す世界再発見の旅 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
「……全長を、歩数で割る。1212。1213。ああ、この巨大な構造物は、人間が自然界という神の数式を無視して書き加えた、醜悪な注釈(アノテーション)だね」
僕はスカイアローブリッジの、天を突くようなワイヤーの隙間から吹き抜ける風を浴びていた。
眼下には海が広がり、前方にはヒウンシティの摩天楼が、まるで重力の計算を間違えた積み木のように歪にそびえ立っている。
物理的な重量。
経済的な熱量。
そして、そこに押し込められた数百万の生命が発する、ノイズの総体。
この橋を渡るという行為は、人間が作り上げた文明という名の「重圧」を、そのまま脳髄にダウンロードするようなものだ。
「……ねえ。君には、この橋が何に見える?」
僕は、いつの間にか僕の背後、一定の距離感(ディスタンス)を保って歩いていたあのトレーナーに問いかけた。
振り返らなくてもわかる。君の歩幅、靴底がアスファルトを叩く周波数、そして君の隣で羽ばたいているポケモンの、生命の鼓動。
「……すごく大きくて、景色が綺麗だよ。空を飛んでいるみたいだ」
「景色が綺麗……? 君は、表面のテクスチャに騙されているだけだ」
僕は足を止め、欄干から身を乗り出すようにして街を見つめた。
「この橋は、人間がポケモンという種を効率よく運搬し、消費し、管理するための回路(サーキット)だ。空を飛んでいる『みたい』だって? 冗談じゃない。本物の空を知っているポケモンたちが、これを見たらどう思うか考えたことはあるかい? 彼らは翼を持っているのに、人間が作ったこの鉄の道を通らなければ、向こう岸へ行けない個体もいる。自由を謳歌すべき翼を、君たちの経済活動の歯車として組み込んでいるんだ」
「そんな風に考えたこと、なかったよ……。でも、ここを通る人たちは、みんな目的地があるんだよ。誰かに会いたいとか、何かをしたいとか」
「目的。……その単語は、常にエゴを正当化するために使われる。1人の人間の『目的』のために、何匹のポケモンの静寂が奪われる? この巨大なコンクリートを支えるために、どれほどの自然定数が書き換えられた? 0を1にするために、人間はあまりに多くのマイナスを撒き散らしている」
風が強くなる。
海鳥のポケモンが1匹、橋の頂点を掠めて飛んでいった。
その声は、僕の脳内で哀切な旋律(メロディ)へと変換される。
(……とおくへ。もっと、だれもいないところへ)
「……聞こえるかい。あの子は、この文明の重圧から逃げたがっている。君たちが作り上げたこの『便利な世界』は、彼らにとっては息の詰まるような、巨大な鳥籠(ケージ)でしかないんだ」
「N……君は、この世界をどうしたいの?」
「リセットだよ。1度、すべてを零(ゼロ)に戻すんだ」
僕は自らの掌を見つめた。
ここにある生命の線は、伝説のドラゴンと繋がるための導線(リード)だ。
「伝説のポケモン。真理を司るもの、あるいは理想を司るもの。その絶対的な力を使えば、この複雑怪奇に絡まり合った人間中心の社会システムを、一瞬で初期化(フォーマット)できる。人間とポケモン。混ざり合って濁ってしまったこの色を、もう1度、白と黒に分かつのさ」
「……そんなの、悲しすぎるよ。みんながいなくなっちゃう」
「みんな? 君の言う『みんな』に、ポケモンは含まれているのかい? 含まれているなら、彼らが望まない戦いを強いられ、ボールという閉鎖空間に押し込められている現状を、君はどう説明するんだ? 君が守ろうとしているのは、ポケモンたちの未来じゃない。君たちが心地よく彼らを利用し続けられる『現状』という名の既得権益だ」
僕は、自分のカバンからモンスターボールを1つ取り出し、指先で弄んだ。
この中にいるトモダチ。
彼らと僕は、いま、一時的な協力関係(アライアンス)にある。
彼らは僕に力を貸してくれる。僕が、彼らを王座へ導くための演算装置であることを理解しているからだ。
「……僕が王になれば、この橋も、あの街も、すべてはただの記録(ログ)に変わる。ポケモンたちが人間に怯えることなく、自分たちの数式で生きられる世界。それが僕の描く理想のグラフだよ」
「……。……。……」
トレーナーは黙り込んだ。
その沈黙の長さは3.5秒。
不確定な未来を恐れる人間の、典型的な反応。
だが、その瞳だけは、文明の重圧に屈することなく、僕の視線をまっすぐに跳ね返してきた。
「僕は、君を止めなきゃいけない気がする。君の言うことが、全部間違っているとは思わないけど……でも、今のこの世界を全部消しちゃうのは、やっぱり違うよ」
「……。……。……」
僕はふっと、自嘲気味に口角を上げた。
「……面白いね。君は、自分の論理が破綻していることを自覚しながら、それでもなお僕に立ち向かおうとしている。確率論的に言えば、君の勝利は極めて低い。けれど、君が発するその『熱量』だけは、どうしても僕の計算機が無視できないエラーとして残るんだ」
僕は橋の向こう側に広がる、巨大な街へと歩き出した。
コンクリートの感触が、足の裏から僕の決意を固めていく。
「伝説は目覚めるよ。僕がそれを望むからじゃない。この世界が、あまりに歪で、あまりに不条理だからだ。均衡(バランス)を取り戻すために、神の数式は必然として発動する」
僕は一度も振り返らずに、ヒウンシティの喧騒へと身を投じた。
スカイアローブリッジ。
人間が誇るその飛翔の軌跡は、僕の目には、ただ大地に縛り付けられた巨大な足枷にしか見えなかった。
「……飛ぶのは、僕たちの番だ」
1212。1213。
僕は数字を数え続け、文明という名の不協和音の中に消えていった。