Fランク「鑑定士」の俺、ゴミ捨て場の「錆びた剣」が聖剣だと気づいてネットオークションに出品したら、宝くじ並みの値段で落札された件 ~ボロアパートから始まる、鑑定スキルでの現代成り上がりライフ~ 作:えだのあ
スイス・ジュネーブ。
レマン湖の静謐な水面を見下ろす、エデン・グループ本社ビルの最上階。
そこは、世界経済の裏側を支配するアダムス・ヒューズ会長の執務室だった。
普段は冷ややかな青白い月光と、極めて静かなシステム音だけが支配するその空間は、今やけたたましく鳴り響く赤い警告灯の光に染まっていた。
「……ッ!?」
デスクの前に立ち尽くしていたアダムスは、突如、自身の脳髄を直接針で突き刺されたかのような、激しい激痛に襲われた。
あまりの衝撃に、彼は高級なマホガニーのデスクを両手で強く掴み、かろうじてその場に踏みとどまる。
「何が起きた……?」
アダムスの額から、冷たい脂汗が滲み出る。
彼が感じたのは、ただの肉体的な痛みではない。
彼の魂と、量産型適合体『ノア』を繋ぎ止めていた、不可侵の支配呪術――『支配の箱舟《ドミネーション・アーク》』。
その強固な精神の鎖が、跡形もなく、綺麗に、そして冷酷に断ち切られた感覚だった。
「ノアとの接続が……切れた? 殺されたか……いや、違う。殺されたのであれば、私に分からないはずがない……一体、何が起きている?」
アダムスは震える指先で、デスクの上に浮遊するホログラムモニターを狂ったように操作した。
だが、彼の視線の先にあるノアのバイタルデータ、および魔力同調率を示すインジケーターは、ノイズを走らせることもなく、完全な『ゼロ』を示し続けていた。
それは、彼女の死を意味するものではなかった。
死を以てしても消えぬはずの、魂に刻み込んだ支配の呪詛そのものが、根元から綺麗に消滅したことを示していた。
「クソがっ!!」
ガシャァァァァァンッ!!!
アダムスはデスクの上にあった最高級のクリスタルグラスを、壁に向かって力任せに投げつけた。
極上の赤ワインが血のように壁を濡らし、静かに床へと滴り落ちる。その不気味な赤い染みは、警告灯の光を浴びて、執務室の暗闇の中で禍々しく不気味に反射していた。
「奴らか……おのれぇ……おのれ! Master_Eye! セイラ……ッ! この私に恥を……!」
アダムスは歪んだ顔のまま、激しく胸を上下させた。
かつてこれほどまでに、彼が怒りと屈辱に身を焦がしたことがあっただろうか。世界経済を裏から操り、人々の命も遺伝子すらも自らの所有物として扱ってきた絶対の支配者。その彼が、たった数人の極東の若造どもに、自慢の最高傑作(ノア)を奪われたのだ。
チリチリと、彼の脳内に残る『支配の箱舟《ドミネーション・アーク》』の残滓が、敗北の事実を容赦なく告げ続けていた。
ジジッ……ジジジジジッ!
その時、執務室の壁一面に並ぶ予備のホログラムモニターが、一斉に不気味なノイズを放ちながら明滅し始めた。
『――警告。警告。メインシステム、許容量を超える高密度魔力を検知。全館のセキュリティが一時的にオフラインになります』
「チィッ! ノアが逆走を止められなかった以上、こちらも限界か……! おい!!」
アダムスが怒声交じりにデスクの通信ボタンを叩きつけると、ノイズ混じりのホログラム画面に、冷や汗を流して顔面を蒼白にした第一秘書の男が映し出された。
『は、はい! 会長! 現在、ジュネーブ本社のメインシステムに、逆流した魔力が想定の数倍の勢いで雪崩れ込んでおります! 防衛プログラムが次々と物理的に焼き切られており、全館の魔力供給を強制遮断しなければ、メインサーバーが爆発します!』
「仕方ない……第一プラントを切り離せ! あの地は捨てる!!」
『だ、ダメです! 遮断回路がロックされており、遠隔でのハッチ閉鎖が受け付けません! このままでは、あと数分で本社の魔力炉心が過負荷で自爆します!』
「クソっ!!」
アダムスはデスクに拳を叩きつけた。
ノアとの戦闘の影響により、第一プラントの様々な設備が壊れ、制御不能になっていることなど知る由もなく、ただ混乱し、怒り狂うばかりだ。
「配置した全てのプラントの出力を全開にしろ。ヨーロッパの魔力を全て吸い上げる」
『ヨーロッパの、すべて、ですか……!?』
通信画面の向こうで、秘書が正気を疑うように絶句した。
エデン・グループが欧州各地に極秘裏に建設した魔力吸引プラントの総数は五箇所。そのすべての出力を限界まで解放すれば、地脈から吸い上げられた過密なエネルギーによって、各地のダンジョン生態系は完全に崩壊し、それこそ大陸全土で未曾有のスタンピードが同時多発的に発生しかねない。
それは世界最高峰の経済グループの代表として、破滅を選択するに等しい暴挙だった。
「プラントから吸い上げた全魔力は、ジュネーブ本社の地下魔力炉心へと直結させ、強制充填を行え。計画を前倒しにする」
『……! しかし会長! 現状でそれを行えば間違いなく制御不能になります! ……それに、プラントの調整にもかなりの時間を要します! それまで本社自体が持つかどうか──』
「うるさい!!」
アダムスの咆哮が、防音の行き届いた執務室に耳障りなノイズとなって響き渡った。
普段の彼であれば、これほどまでに感情を露わにすることなどあり得ない。常に優雅で、冷静沈着。チェスの駒を動かすように世界を操ってきた男。その仮面が、いま完全に剥がれ落ちていた。
「私の命令に異を唱えるか、愚か者が! 時間が足りんというなら、今すぐ取り掛かれ! 貴様から処分するぞ!」
アダムスはモニターの第一秘書を血走った眼で睨みつけ、唾を飛ばしてまくし立てた。
「本社が持つかどうかだと? 持たせるのだ。私が必要と言っている。私の言うことが、エデンの絶対のルールだ!」
アダムスの冷酷極まりない咆哮が、耳を劈く電子ノイズを伴って執務室に響き渡った。
画面の向こうの第一秘書は、魂を削り取られたかのように直立不動のまま、激しく全身を震わせている。アダムスをここまで怒らせた者がどのような末路をたどるか、彼は身を以て知っているのだ。
『は、畏まりました……! ただちに、ただちにスイス国内の予備回線と魔力貯蔵庫を全開放し、メインフレームへの供給を……ッ!』
「猶予はやらん。今この瞬間から、本社の全防衛システムを最大稼働《最大警戒モード》へ移行させろ。私兵部隊、そしてクローン兵の量産型もすべて最深部の炉心周辺に配置しろ。ネズミ一匹、このビルの敷地に入れるな」
『直ちに……直ちに手配いたします!』
通信がプツリと切れ、真っ黒になった画面を見つめながら、アダムスは深く、重いため息を吐き出した。
歪んだ怒りに燃える赤い瞳の奥で、彼の明晰な頭脳が、冷徹な生存戦略を組み立て直していく。
「……ここまで私を追い詰めるとはな、潰してやるぞ……Master_Eye。そして、お前もだ、セイラ」
アダムスは執務室の窓越しに、ジュネーブ本社の地下深く、不気味に赤黒く明滅を始めた魔力炉心の間を睨みつけた。
そこには、これまで造り出してきたクローンたちの中で、魔物の因子を過剰に投与され、人としての形を保てなくなった『実験作たちの完成体』が、今も数百体、培養液の中で眠り続けている。
そして、それらをすべて統べる、最後の力。
アダムス自身が、己の完璧な肉体に施そうとしている、古代魔導と魔物因子の「神化システム」。
「貴様らさえ手中に収めれば、私は神へと至り世界は、私の血を引く者たちだけで満たされた完璧な楽園となる」
アダムスの口元が、狂気に満ちた歪んだ三日月を描いた。
警告灯の赤。割れたワインの赤。
血の海を思わせる執務室の中で、アダムス・ヒューズは漆黒のキーを握りしめ、静かに、そして悍ましく笑い声を響かせるのだった。