Fランク「鑑定士」の俺、ゴミ捨て場の「錆びた剣」が聖剣だと気づいてネットオークションに出品したら、宝くじ並みの値段で落札された件 ~ボロアパートから始まる、鑑定スキルでの現代成り上がりライフ~ 作:えだのあ
Side:酒井 凛
暗く、冷たい記憶。
私がまだ、純粋に『誰かを癒やすため』に魔法を使っていた頃の、愚かで惨めな記憶だ。
「――遅いわ、凛ちゃん。回復のタイミング、コンマ五秒遅いで」
血の匂いが充満するダンジョンの深層。
魔物の死骸が転がる泥の中で、私は息も絶え絶えに膝をついていた。魔力枯渇による激しい頭痛と吐き気で、視界がぐらぐらと揺れている。
そんな私を見下ろしていたのは、顔に傷のある男――鮫島だった。
「す、すみません……もう、魔力が……」
「魔力がない? ほーん。それ、僕らに何の言い訳になるん?」
鮫島はしゃがみ込み、私の髪を無造作に掴んで無理やり顔を上げさせた。彼の冷酷な瞳が、恐怖で震える私をゴミのように見据える。
「ええか。僕らが命懸けで稼いだ金で、お前は飯を食えとるんや。君自身には何の力もない。僕らに寄生せな、明日生きていく金すら稼げへんのやから」
「あっ、ぁ……」
「役に立たん寄生虫は、ただのダニや。ダニにやる餌は……ないで?」
ぞんざいに突き飛ばされ、私は泥水の中に這いつくばった。
金がなければ生きていけない。中学生で両親を亡くし、天涯孤独の身になって、金がないことでどれだけ惨めな思いをしてきたか。
どんなに過酷な環境でも、次に拾ってもらえる保証はない。
だから私は、必死に鮫島たちにしがみついた。理不尽な暴力を振るわれようが、人間扱いされなかろうが、彼らの機嫌を取り、必死に媚びへつらった。
魔物の群れの中に『囮』として放り込まれても。
魔力枯渇で吐血するまで、無理やり回復魔法を絞り出させられても。
彼らのブーツにこびりついた魔物の血と泥を「舌で綺麗に拭き取れ」と命じられても。
私はただヘラヘラと笑って、そのすべての要求に従い続けた。
だが、限界はあっけなく訪れた。
ある日唐突に、鮫島は路地裏のゴミ箱に空き缶を捨てるように、いとも簡単に私を切り捨てたのだ。
「お疲れさん。もう明日から来んでええよ。新しい、もっと優秀で愛嬌のあるヒーラー見つけたから。ほなお幸せに~」
そう言い残して去っていく彼の背中を、私はただ絶望の中で見送ることしかできなかった。
――その時、私は学んだのだ。
真の強者には、絶対に逆らえない。
彼らに自分の生殺与奪を握られるということは、常に『捨てられる恐怖』に怯え続けなければならないということだ。
だから、私はやり方を変えた。
次に身を寄せる相手は、強すぎず、賢すぎず……『私がコントロールできる程度の相手』でなければならない。
その条件にぴったり合致したのが、剛田だった。
そこそこの実力と稼ぎがありながら、自尊心だけが肥大化した愚かな男。
私が「さすが剛田さん」「剛田さんが一番です」と少し持ち上げてやるだけで、彼は簡単にいい気になり、気前よく報酬を分けてくれた。鮫島の底知れない恐ろしさに比べれば、剛田の粗暴さなど、ただ吠えているだけの犬のように御しやすかった。
だが、それでも『捨てられるかもしれない』という恐怖は、私の心の奥底にこびりついて離れなかった。
私がグループの中で安心感を得るための絶対条件。
それは、有能に振る舞うことだけではない。
『自分より下の人間、見下せる相手を常に身近に置いておくこと』だった。
ブレイブ・ソードにおいて、その役割を担わされたのが――相馬透だった。
Fランクで、戦闘能力は皆無。荷物持ちしかできない最弱の存在。
剛田が機嫌を損ねた時、真っ先に八つ当たりされるのは常に透くんだった。剛田が彼を罵倒し、蹴り飛ばすたびに、私は心の底で安堵の息を吐いていた。
(ああ、よかった。あいつが一番のゴミだから、私はまだ捨てられない)
彼がサンドバッグになってくれている限り、私の居場所は安全だ。
私は彼を積極的にいじめることはしなかったが、決して庇うこともしなかった。むしろ、冷ややかな視線を向け、「あんたの要領が悪いからよ」と心の中で見下すことで、自分の優位性を保っていたのだ。
なんて醜く、浅ましく、腐りきった性根だろうか。
◇
――バシャッ。
雨が降った帰り道。
私は踏みつけた水溜まりに写る自分を睨みつけた。
原宿の裏通りで鮫島に遭遇してから、心臓の嫌な動悸がずっと収まらない。
水溜まりに映る私は、あの頃から何も変わっていない。
他人に怯え、自分を守るために打算で動き、誰かを見下さなければ立っていられない、弱くて惨めな寄生虫。
剛田に見切りをつけ、Master_Eyeという新たな強者の匂いを嗅ぎつけてすり寄ったのも、結局は同じ生存戦略だ。
だが……決定的に違ったのは、そのガスマスクの奥にいたのが、私がかつて底辺だと見下し、安心するための踏み台にしていた相馬透だったということだ。
彼は、私を捨てなかった。
それどころか、莫大な金を預け、対等なビジネスパートナーとして頼ってくれている。
今日だって、私が疲れているのを見抜いて、セイラと一緒に地上へ遊びに行かせてくれた。
その優しさが、今はたまらなく怖い。
もしもそれが裏返ることがあったら。
「……嫌」
私は、震える両腕で自分の肩をきつく抱きしめた。
もう、あの冷たい路地裏に捨てられるのは嫌だ。
だけどそれ以上に……透くんのあの優しくて真っ直ぐな瞳に、軽蔑の色が浮かぶのを想像するだけで、息が止まりそうになる。
「私は……役に立つ。絶対に、透くんにとって手放せない人間にならなきゃいけない……」
ポタポタと、水に濡れた髪から水滴が地面に落ちる。
私は水溜まりの中の自分に言い聞かせるように、震える声で何度も反芻した。
有能でなければならない。
過去のトラウマにも、エデンという巨大な敵にも怯えない、彼を支える強い女にならなければならない。
今度こそ捨てられないように。
私は濡れた顔を乱暴に振ると、無理やりいつもの『強気な酒井凛』の仮面を被り直す。
そして、透くんのいる地下要塞へと足を踏み出した。