「リモート魔王」――改善してたら魔王に定義されました。家族との絆が削られる魔王に… 作:遠藤 世羅須
直人はコマンド【訓練部屋】を押した。
切り替わった瞬間、空気が変わる。
広い。天井が高い。床は石。
壁際にはクッションみたいな魔法障壁が張られていて、
衝突しても大丈夫な感じがする。
そして何より――
魔物がいる。
スライムが跳ねている。
小型のゴブリンが木剣でチャンバラしている。
どこからか、甲冑みたいな音がして、角のある何かが走り回っている。
そして、遠くで何やらの魔獣が火を吹いている。
直人は固まった。
「……ここ、訓練部屋だよな」
ミリアが即答する。
「はい♡」
「遊んでるけど」
「遊び場でもあります♡」
「兼用は事故る」
「兼用は効率的♡」
「今だけは効率を憎む」
スライムがぷるん、と直人の靴先に当たって跳ね返った。
痛くはない。
でも、“接触”した感触だけが妙にリアルだ。
直人は目を細める。
(現実じゃない。夢でもない。……最悪に現場だ)
「異界の魔王さま。邪魔です」
声が硬い。
その一言で、空気が締まった。
シズクが、壁際に立っていた。
いつもの黒白メイド。武装。無表情。
そして、こちらを見ているのに“歓迎”がない。
直人は一歩だけ下がる。
「……現世にいないのは助かる」
ミリアが横で囁く。
「シズクは異界のみです♡」
直人は頷く。
「良い。家庭内が終わる」
シズクが淡々と告げる。
「異界の魔王さま。確認です。現世で訓練を始めるつもりでしたか」
「いや、ここだろ」
「正解です。現世で始めたら、床が終わります」
「終わるのは床なのか」
「まず床です。次に家庭です」
直人は口を閉じた。
容赦ないのに、正しい。
シズクは視線を訓練部屋全体に投げる。
「ここは訓練部屋です。同時に、魔物の遊び場です」
「危なくないのか」
「危ないです」
「即答かよ」
「だから訓練します」
ミリアが小声で言う。
「教育♡」
直人が睨む。
「ここでは趣味を出すな」
ミリアが、また露骨に不満な顔になる。
「……はい♡」
直人は、石床を見下ろす。
自分の手袋。自分の靴。自分の角。
全部“機能”。
でも、使い方は分からない。
直人は低い声で言った。
「……最初にやるのは」
シズクが即答する。
「壊さない訓練です」
「やっぱりそこか」
「はい。異界の魔王さまは“力”を得ましたが、“止め方”がありません」
背後でゴブリンが木剣を振り回し、スライムが飛び、何かが壁に激突して弾んだ。
相変わらず火を吹く魔物……
遊び場は賑やかだ。
そして――訓練環境として最悪にちょうどいい。
シズクが一歩前に出る。
武器には触れない。触れないのに、圧がある。
「異界の魔王さま。第一課題」
「……何だ」
「この部屋の魔物を、一匹も泣かせずに止めてください」
直人は固まった。
「止めるって、遊びを?」
「はい」
「泣かせずに?」
「はい」
「それ、戦闘より難しくないか?」
シズクは瞬き一つせずに返した。
「難しいです。ですので、訓練になります」
ミリアが横で、嬉しそうに囁きかけ――直人の視線で止まる。
ミリアは拗ねた顔のまま、黙った。
直人は息を吐いた。
Lv1。ミュート5分で1日。
数字は最小。
なのに現場は最大に面倒。
直人は、戦闘メイドと遊び場の魔物たちを見回して、静かに言った。
「……分かった。やる」
シズクが一礼する。
「承知しました。では――開始します」
直人は一歩、スライムの方へ出た。
スライムがぷるん、と跳ねる。
直人が手を伸ばすと、スライムが一瞬止まり――次の瞬間、猛ダッシュで逃げた。
「逃げた」
シズクが淡々と切り捨てる。
「はい。怖いからです」
「俺、何もしてない」
「“しそう”だからです」
「理不尽だな」
「魔物はだいたい理不尽です」
直人は深呼吸する。
やるなら、現実の仕事と同じだ。
相手を怖がらせずに、行動だけ変える。
(……声かけ)
直人は小さく手を上げた。
「止まって。危なくない。怖くないよ……大丈夫」
スライムは止まらない。
逆に速度が上がった。
ぷるるるる、と波打ちながら逃げる。
ミリアが、笑顔のまま囁く。
「直人さま♡ それ、現実の部下にも効きません♡」
「わかってる」
今のが”怪しいおじさん”なのは理解してる・・・
直人は、靴の機能を思い出す。敏捷。
追いつくのは簡単だ。
問題は――追いついた後。
直人が一歩踏み出した瞬間、身体が軽い。
軽すぎる。
石床を蹴った足が、勝手に予想より前に出る。
「うわっ」
直人は止まろうとして、逆に滑った。
絨毯がない。石床だ。
足が踊る。
ゴブリンたちが「おっ」と声を上げて見ている。
シズクが淡々と告げる。
「今のは、追跡ではなく突進です」
「言語化されると落ち込むぞ」
「必要です」
直人はやっと止まり、息を吐いた。
追えば怖がられる。
止めれば逃げる。
詰んでる。
そのとき、シズクが一歩前に出た。
武器には触れない。
触れないのに、空気が変わる。
「模範を示します」
シズクは、魔物の遊び場の中央へ歩いていった。
影を踏まない。
目線が優しい……わけではない。
スライムが跳ねる。
ゴブリンが木剣を振る。
角のある何かが突進して――シズクの足元で止まった。
止まった、というより。
止められた。
シズクは、何もしていない。
手も上げていない。
ただ、呼吸を一つ落としただけだ。
魔物たちが、自然に円を作って座る。
遊びが終わる。
誰も泣かない。
でも、逆らえない。
直人の喉が鳴った。
(……何だ今の)
シズクが振り向いた。
「異界の魔王さま」
「……何」
「今のが“止め方”です」
「説明が足りない」
「足りないのが、訓練です」
ミリアが、悔しそうに小声で言う。
「……かっこいい♡」
直人が睨む。
「それ俺が言う感想だ」
シズクは直人の手袋を見る。
怪力。
そして、壊す力。
「第二課題。異界の魔王さまは、触れずに止めてください」
直人は即答する。
「無理」
「無理です。だから課題です」
「魔界も大概ブラックだな」
訓練の合間。
シズクは当然のように「休憩」を宣言した。
宣言だけは、優しい。
「補給します」
そう言って、銀のトレーを出す。
湯気。椀。
そして、また“鮮度”。
直人は椀を覗き込んで、無表情で言った。
「……これ、動いてる」
シズクは即答。
「鮮度です」
「鮮度って言葉の概念よ」
ミリアが横から囁く。
「直人さま♡ 魔界は“食べる=制圧”です♡」
直人が眉をひそめ。
「制圧ってそういう概念?」
直人は椀を持ち上げた。
湯気が頬に当たる。
匂いはうまそうだ。悔しい。
一口飲む。
うまい。さらに悔しい。
「……味は普通に良いんだよな」
シズクが淡々と返す。
「当然です。死にたくないので」
直人は止まった。
「ん?」
直人は椀を見つめて、喉の奥で嫌な想像を転がした。
ここは異界。魔王。魔物。
回復スープ(鮮度)。
危険要素しかない。
直人は真顔で聞いた。
「もしこれ食べて死んだら?」
「死にません」
シズクは瞬き一つせずに首を振った。
ミリアがニヤッとする。
「良い質問♡」
直人が睨む。
「良い質問なのか?」
シズクが、事務的に答える。
「異界の魔王さまは、異界の魔王さまです」
「それ答えになってない」
「なります」
直人は椀を置いて、低い声で言う。
「俺が死んだらどうなる」
空気が少しだけ締まる。
ミリアの煽り笑顔が、ほんの少し真面目に寄る。
シズクが淡々と告げた。
「復活します」
直人は眉を寄せる。
「復活?」
「魔界仕様です」
「いつ?」
「いまは短いです」
「短いってどれくらい」
シズクは一拍置いて言った。
「一年」
直人は固まった。
「一年」
「はい。異界の魔王さまはLv1なので」
「一年もいねぇのに“短い”って」
「魔界基準です」
ミリアが小声で付け足す。
「現実の一年じゃないかも♡」
直人が即座に顔を向ける。
「ミュートすれば短い…か」
ミリアは肩をすくめる。
「条件次第♡」
「どういうこと?」
シズクが言い直す。
「異界の魔王さまが“死ぬ”ほどの損害を出すと、現場が一年無人になります」
直人は息を止めた。
ここを1年空ける。
その間に門が無防備になる。
そしてすぐに計算した。
仮に「ミュート中」に死んだとして、
こちらの1年は、現実では約30時間にしかならないが、
それは――現実の家庭で30時間も居ない。
完全に「行方不明」じゃないか。
仕事もあるが、何より妻と娘が残る。
そして門の残留。
それらが“無人”になる。
さらに、ミュートが切れると、丸々1年……
「……死ねないな」
シズクは即答。
「はい。死なないでください」
直人は苦笑しそうになって失敗した。
笑えない。
「それは、俺が異界人だからか?」
「いいえ、魔界規定です」
ミリアが、珍しく煽りを抑えた声で言う。
「直人さま♡ だから訓練です♡」
直人は小さく頷いた。
「……分かった」
直人は椀を持ち上げ、飲み干した。
鮮度は最後まで鮮度だった。
目を逸らした。
直人は訓練部屋の魔物たちを見る。
止め方が分からない。
でも、止めないと壊す。
壊してばかりで装備使えなければ、戦えない。
「討伐」され死ぬかもしれない。
死んだら一年いない。
一年いないのは、絶対にダメだ。
直人は唇を噛み、シズクを見る。
「あんた、強すぎる。俺が魔王なのに、俺より強い」
シズクは平然と返す。
「当然です。異界の魔王さまはLv1です」
「そこを殴るな」
「殴っていません。評価です」
直人は息を吐いた。
そして、最も現実的な問いを口にする。
「……どうやったら、レベル上げられる?」
ミリアが、待ってましたとばかりに笑った。
「聞いちゃいましたね♡」
シズクは、武器に手を添えずに答える。
「まず、異界の魔王さまは――」
そこで、訓練部屋の奥で何かが大きく跳ねた。
魔物の炎が他の魔物を焼いたようだ。
遊び場の音が戻る。
会話が寸断される。
直人は拳を握った。
答えが欲しい。
答えがないと、次も事故る。
「続きを」
直人が言うと、シズクは一歩だけ近づいて、淡々と告げた。
「その前に訓練です」
「容赦ないな」
「……少しだけな」
シズクが厳しい眼のまま。
「はい。少しだけです。壊すので」
「壊さない」
「確定的未来です」
シズクが淡々と告げる。
「課題。泣かせず止める。三十秒」
「短っ」
「異界の魔王さまの集中が三十秒しか持たないので」
「俺弱」
「評価です」
直人は“触れずに止める”を思い出し、角に意識を向けた。
魔術。出力制御。
やり方は分からない。
でも――“圧”なら分かる。
直人は小さく息を吸って、吐いた。
「……落ち着け」
声じゃない。感覚で。
魔物たちの動きが、ほんの少しだけ鈍る。
スライムの跳ねが低くなる。
ゴブリンの木剣が止まる。
「お」
直人が手応えを感じた、その瞬間。
床の石が、ミシ、と鳴った。
直人は慌てて出力を引っ込めた。
「やばっ」
シズクが即答。
「はい。やばいです」
「床が?」
「床もですし、異界の魔王さまもです」
「俺が危ない?」
ミリアが横で、まだ少し不満げに口を尖らせている。
「夜の雰囲気がないから、乱れるんです♡」
直人は即切る。
「廃止」
ミリアが露骨に拗ねた。
「……は~い♡」
「次回です。異界の魔王さまは、今日はもう壊しそうなので」
「くっ」
ミリアが、ぬるく笑う。
「壊すの得意♡」
「うるさい」
直人はつぶやく
「訓練部屋の賑やかさは救いだな…」
(つづく)
段々紐解かれる呪縛。魔王の仕事はまだ端緒についたばかり。次々と「仕事」が続く。
相変わらずシズクにディスられる直人。よく胃がご丈夫で(笑)