「リモート魔王」――改善してたら魔王に定義されました。家族との絆が削られる魔王に… 作:遠藤 世羅須
直人たちは玉座の間から出て、B1の奥の影に隠れる。
B1の空気は、汗と油と松明で濁っていた。
曲がり角の向こうから、足音が来る。四つ。侵入者パーティ。
直人は壁際で息を殺し、UIを開く。
【推奨ルート:ON】
【撤退優先:ON】
(……事故ったら現実に刺さる)
ミリアが隣で囁いた。
「直人さま♡ 不安そう♡」
「不安だ。戦えない」
「はい♡」
直人はB1の“監視”を指で弾く。
文字だけのログが流れる。
【侵入者:4名】
進行:推奨ルートに乗る
反応:罠警戒あり/撤退判断保留
直人は低い声で言った。
「……来る」
そのとき、通路の奥の空気が“沈んだ”。
デーモンロードが“いる”という支配だけが、通路全体に行き渡った。
侵入者側の声が一段落ちる。
「……空気が変わった」
「魔王だ。出てくるぞ」
「いや……見えない。こっちを“見てる”」
直人は背筋が伸びた。
(出ない。出ないのに、統治してる)
UIの文字ログを横目に、
直人は壁の向こうから聞こえる侵入者の声に耳をそばだてた。
次の瞬間、合図も号令もないのに、配置が動いた。
スケルトンが二体。
ゴブリン隊が三。
ワーウルフがニ。
メイジが一。
それぞれが“飛び出さない距離”で、侵入者の進行線だけを切る。
剣士が叫ぶ。
「おい! なんでこんな綺麗に出てくんだ!」
弓手が歯を食いしばる。
「……指揮官がいるだろ。」
魔法使いが短く。
「統制が出来てる」
神官が泣きそう。
「“統制”って、また魔王……」
戦いは始まる。
だが、お互いの致命打が一切ない。
スケルトンは張り付かず、盾になり“進路”だけをずらす。
ゴブリンは刺さず、盾で押し、槍で牽制し、一方向だけ空ける。
ワーウルフは噛まず、吠えて、追撃の気配を匂わせる。
メイジが魔法無効化を使う。
どちらがパーティかわからない統制の取り方。
侵入者たちは戦うが、有効攻撃が通らない。
代わりに相手の攻撃もあまりない。
時間ばかりが過ぎる。
そこに、追い打ちでリザードマンが現れる。
長期戦で疲弊していたパーティは、混乱する。
残る選択肢は、ひとつ。
剣士が苛立って叫ぶ。
「倒せない! いや倒せるけど、倒すとまずい感じがする!」
弓手が呻く。
「……撤退導線を作られてる」
魔法使いが火球を構えるが、撃てない。
撃てば崩落する位置に誘導されている。
神官が半泣き。
「やだぁ……相手の方が“統制”されてる……」
――その時、通路の奥で“声”がした。
低い。遠い。
どこから響いているか分からない。
「撤退を許可する」
一言だけ。
命令でも挑発でもない。
ただの“決裁”。
侵入者パーティが凍る。
「……今の聞いたか?」
「聞いた」
「魔王だ!引くぞ」
撤退の瞬間、魔獣たちは一斉に圧を落とした。
追わない。背中を斬らない。
ただ、逃げ道の安全だけを確保する。
侵入者パーティは走り去っていく。
松明の光が遠ざかり、やがて消えた。
B1に静けさが戻る。
直人は、ようやく息を吐いた。
「……見事に、撤退させた」
ミリアが嬉しそうに囁く。
「KPI達成♡」
直人が呟く。
「……Sだな」
通路の奥の圧が、少しだけ戻る。
デーモンロードは姿を見せないまま、淡々と言った。
「雑魚に出るほど、暇ではない」
直人は小さく頷いた。
(……信頼できる。“統治”で勝つタイプだ)
直人は低い声で言う。
「……ありがとう。任せられる」
ミリアが小さく拍手しそうになり、直人の視線で止まる。
「信頼♡」
「定義なしだからな」
玉座の間に戻り、直人はすぐに【階層管理】を開いた。
B2は出来たばかり。未配置。
B3は計画段階。
「次。B3増設」
ミリアが甘い声で言う。
「1日1階層縛り♡」
直人は唇を噛む。
「分かってる。現実のミュート5分を、また資材にする」
直人はクリックし――実行は“保留”にした。
現実で黙るタイミングが要る。
その前に、B2を整える。
直人は【配置】を開く。
B1からB2へ、人員(魔物)を回す必要がある。
B1を空にしたら意味がない。
直人は現実の言葉で言った。
「……転勤希望、募るか」
ミリアが目を丸くする。
「魔物に転勤希望♡」
「言葉は通じる。仕組みにすれば動く」
「直人さま、現実を持ち込みすぎ♡」
「現実でしか管理できない」
直人はデーモンロードを見る。
「B1からB2への“転勤希望”を募れ。優先は――適性と士気」
デーモンロードが即答する。
「了解した。志願制にする」
直人は頷く。
「強制はしない。撤退率が落ちる」
直人は続ける。
「新規雇用も必要だ。フロアボスは俺が面接する。だが、それ以外の雑務――」
「私がやる」
デーモンロードが言い切った。
「候補の目利きも、配置も、教育も」
直人は短く言った。
「任せる」
ミリアが、また露骨に拗ねる。
「推しの出番が減る♡」
直人が即答。
「減らす」
「……は~い♡」
シズクが淡々と割り込む。
「異界の魔王さま。増やす前に、食事です」
直人は疲れた顔で言った。
「……増やす前に食うのか」
「倒れたら復活が延びます」
直人の顔が固まる。
「それ、限定説明じゃわからん」
「必要情報です」
シズクは当然のように椀を差し出した。
戦闘後の配食。補給。回復。
魔界は全部これで回っている気がする。
「回復スープです」
直人は椀を覗く。
今日も、鮮度がある。
動いている。見なかったことにする。
ミリアが囁く。
「戦闘後配食♡」
「軍隊みたいだな」
直人は一口飲む。
熱い。うまい。悔しい。
胃の奥の緊張が、少しだけほどけた。
「……うまい」
シズクが淡々と言う。
「当然です。次は増築です」
直人はため息をついた。
「……次はB3だな」
ミリアが、拗ねたまま言う。
「魔物、増えます♡」
直人は即答する。
「増える」
ミリアが肩を落とす。
「管理、増えます♡」
直人は椀を飲み干して、低い声で言った。
「増える。だから任せる」
デーモンロードが静かに笑う。
「ようやく魔王らしくなってきたな」
直人は睨む。
「俺は管理者だ」
スープの湯気が、しばらくだけ現実を忘れさせた。
でも、UIの端には“増築:+1階層”が待っている。
直人は椀を置き、息を吐く。
「……B3増設、やるか」
ミリアが、少しだけ不満そうに、でも笑った。
「はい♡ 魔王さま♡」
ミュートを再度確認して、現実のワーニングが無いか確かめる。
そして、直人はUIを開き、B3増築をコマンドした。
ただの「増築」のはずだ。
ただの……
現実のリビング。
直人は一度、深呼吸した。
時計を見る。
壁時計。スマホ。PC。
三点確認。社会人の癖。
「……時間、合ってる」
合ってる。
なのに、喉の奥がざらつく。
何かが――欠けている。
いや、正確には「欠けたこと」だけが、指先の感覚にある。
直人は寝室の妻の方を見る。
娘の部屋の方も見る。
(大丈夫だ。家族はいる。……いる、はずだ)
その“はずだ”が、怖い。
直人は無意識にスマホを開いて、家族のグループチャットを探した。
いつもなら指が勝手に動く。
なのに、指が一拍迷う。
「……あれ」
何を確認したかった?
何かを――報告しようとしていた?
でも、その“何か”が思い出せない。
直人は眉間に皺を寄せる。
(仕事の癖か? 疲れてるだけか?)
違う。
疲れとは別の、空白だ。
直人は低い声で呟いた。
「……気持ち悪い」
背後から、ぬるい声。
「違和感、出ましたね♡」
振り向くと、ミリアがそこにいた。
現実の顔。幼稚園の先生みたいな顔。
でも目だけが、異界のまま。
直人は反射で言った。
「お前、いつから」
ミリアがにっこり。
「ずっといました♡」
「それが怖いって言ってる」
ミリアは指を一本立てた。
「直人さま♡ B3できました♡」
直人が固まる。
「……は?」
「増築完了♡ そして――Lv3♡」
直人の胃が沈む。
(だからズレるのか。だから空白が――)
直人は短く言う。
「……魔界に戻る。確認する」
zoomでミュートする。
PCの“魔王”コマンドを押した。
玉座の間。
無駄に豪華。圧がある。
座らない。
直人は喉を押さえる。
「……だから、体感がズレてる?」
ミリアが頷く。
「はい♡ レベルが上がると、ミュートの効きが変わります♡」
「効きって便利な言葉だな」
「効きます♡」
直人は短く言った。
「数字で」
ミリアは涼しい顔で即答する。
「はい♡ 直人さま、計算大好き♡」
「好きじゃない。逃げられないだけだ」
ミリアは指を折る。講師みたいに。
「Lv1:ミュート5分で、魔界1日。復活は1年♡」
直人は頷く。そこは知ってる。嫌になるほど。
「Lv2:ミュート5分で、魔界2日。復活は3年♡」
直人の胃が沈む。
「……倍になって、罰も伸びる」
「はい♡」
ミリアは最後に、指を三本立てた。
「Lv3:ミュート5分で、魔界4日。復活は7年♡」
直人は目を細めた。
「……四日?」
「四日です♡」
「会議一回黙るだけで四日進むのかよ」
「黙るほど進みます♡」
「たった5分でか」
直人は息を吐いた。
違和感の正体が、数字になって胃に落ちる。
現実では5分。
異界では四日。
その差が、身体感覚として残る。
“処理が増えた”感じがするのは当然だ。
直人は低い声で言った。
「……便利になるほど、死ねなくなるやつだ」
ミリアが嬉しそうに頷く。
「理解が早い♡」
「どちらにしても死ねないからな」
直人はもう一つ聞く。
「で、レベルはどうやって上がった」
ミリアがにこっとする。
「階層が成立したら上がります♡」
「成立?」
「B2出来たとき、Lv2になりました♡」
「……うん」
「B3出来たとき、Lv3になりました♡」
直人は眉間に皺を寄せる。
「じゃあ今は“1階層=1レベル”じゃねえか」
ミリアは笑う。
「今は♡」
「でも」
「そのうち重くなります♡」
「どのくらい」
ミリアはニコニコ笑うだけ。
玉座の間。
豪華。無駄。圧がある。
今は座る。考えたい。
UIが点灯していた。
【魔王Lv:3】
【ミュート5分=異界4日】
【復活:7年】
直人は低い声で言った。
「数字はいい。分かった。問題は――」
ミリアが即答する。
「代償ですね♡」
直人は目を細める。
「……今、現実で“何か”が抜けた」
ミリアは涼しい顔で頷いた。
「はい♡ 記憶が一つ、消えます♡」
直人は固まる。
「……は?」
「レベルが上がるたびに♡ 直人さまは人間なので♡」
「待て待て待て」
直人は一歩前に出た。
声が出そうになって、喉で止める。
ここで叫ぶと、世界が加速する。
最悪の反射神経だ。
直人は低い声で、噛み殺すように言った。
「……なんで今言う」
ミリアがにっこり。
「聞かれなかったので♡」
「聞く前提にするな!大事な事だろ!ロールバック(復元)できないのか!」
「できません♡」
「仕様書……持ってるわけないな……」
ミリアは指を折って説明する。わざと優しい口調で。
「魔界住人は関係ありません♡
でも、異界の人間は“器”が違うので、レベルアップの負荷が“記憶”に来ます♡
消えるのはたぶん一つ。昔だったり、直近だったり、ランダムです♡」
直人の顔が引きつる。
「ランダムって……娘の顔とか消えたらどうする」
ミリアは少しだけ目を細めて、楽しそうに言った。
「だから♡ 軽々しくレベルを上げない方がいいんです♡」
直人は呻くように言った。
「……それを先に言え」
「言ったら上げないから♡」
「当たり前だろ!」
直人は息を吸って吐く。
頭の中で、恐怖が現実の形になる。
(ミュート5分で4日進む)
(復活は7年)
(そしてLvアップのたびに、記憶が一つ消える)
直人は、ようやく理解した。
これは強化じゃない。
記憶の切り売りだ。
直人は絞り出すように言った。
「……俺は、何を失った」
ミリアが首を傾げる。
「それは、直人さまにも分かりません♡」
「そんなバカな」
「はい♡」
背後から、氷みたいな声。
「異界の魔王さま。訓練です」
シズクだった。
いつの間にか、もうそこにいる。
存在が理不尽。
直人は振り向く。
「今それどころじゃ――」
シズクが即答する。
「今です。忘れる前に体に覚えさせます」
直人は乾いた笑いを漏らしそうになった
シズクは淡々と言う。
「記憶が削れるなら、動きは反射に落とします。訓練です」
ミリアが小声で言った。
「合理的♡」
直人は低い声で返す。
「合理的にすぎて怖い」
シズクが直人の袖を掴んだ。遠慮ゼロ。
「訓練部屋へ」
「待て」
「待ちません」
「俺、今、人生の――」
「人生は後で。訓練が先です」
「雑すぎる」
「魔界は雑が標準です」
直人は抵抗を諦め、喉を鳴らした。
「……くそ」
訓練部屋の扉が開く。
遊び場の魔物たちが、なぜか一斉に静かになった。
直人は奥歯を噛み締め、言葉を絞り出す。
「……これ以上、失いたくない」
(続く)
思わぬ落とし穴がある事を聞かされ、直人は衝撃を受ける。気持ちの整理がつかないまま、次々に事態は進んでゆく。