「バアッ!!」
研究所で缶詰めになっているといきなり銀髪にバツマークの特徴的なサングラスをした青肌の男が闇より出でた。
「お……おう。」
亜人だろうか、三次元の空間移動が出来るとは高位な知性があるに違いない。
「……反応薄いなー……もっと驚くでしょ、普通。」
男は空いている椅子に座って背もたれに体重を掛けた。
「一応聞く、名は?目的は?なぜ今ここにいる?どうやって来た?」
恐らくマトモな返答は望めないだろうと、半ば諦めて質問をした。
「5W1H、社会人の基本だね。僕はハッピーケイオス。特に目的はないけど、此処に来たいと願ったから此処にいる。そんな理由だったら素敵じゃないかな?」
顕微鏡から目を離してプレパラートを回収する。
「質問を質問で返すな。基本が成ってないな。結果があるから過程があるとするなら、鶏が先か卵が先かの因果問答になる。」
ケイオスと名乗る男は机に近づいて研究機材を覗き込んだ。
「その答え、知ってる?」
背が高い。上から顔が近づいた。
「知っている。お前は?」
ケイオスは肩をバンバンと叩いた。
「君こそ質問を質問で返してるよ。答えはオムレツ。オムレツがあるから卵も鶏も存在している。」
概念の話になるとまた変わるだろうが。
「鶏が先だ。鶏が変異して卵を産み、卵を産む鶏が繁殖したのだ。卵が先になることなどはない。卵は結果なのだから。」
彼は指をポキポキと鳴らして伸びをした。
「鶏も成長した結果じゃん。屁理屈だよ屁理屈。」
そう言ってソファにある他の研究員の私物を放り投げて寝始めた。
「研究成果を盗みに来たという単純な理由ではないな。」
腰にはガンベルト、二丁拳銃を所持している。
今日が自分のハッピーデスデイになるだろう。
「分かんないよ、すべての理由は単純から始まり複雑怪奇となり単純にまた回帰するから。」
どうやら言葉遊びをしたがるようだ。
「ケイオス、青肌が珍しいから触ってもいいか?」
ソファに寝そべる彼に一歩近づいた。
「その知的好奇心、高く付くかもよ?」
「青肌だからひんやり冷たい……ではなかった。」
膝をついて割れた腹筋に手を当てるが、体温があるとも言えない。
強いて例えるなら『石を触っている』ような温度を感じた。
「そう、目に見えている状態で安易にそのものの本質を見ようとすれば、見たいように事象はねじ曲がるからね。」
となると気になるのは頭に追従している輪だ。
「輪は触れたら斬れるのか?」
ケイオスはソファに肘をついて頭をこちらに向けた。
「触ればわかる。触れればの話。さて、この輪は土星の輪のように細かな氷の礫で構成されているかな?」
指先を輪の外周部分に当てるとホログラムのように円の中に進んだが、ある一定にまで到達すると皮膚が切れて出血した。
「意味があるから存在する。……で、何時まで此処にいるつもりだ?」
彼は脚を組み替えてぶらぶらと足首を揺らした。
「さあね〜君が望むまで居ようかな。君は旅をするのに地図とコンパスを使うかい?」
彼が羽織っているのはシークレットサービスのジャケット。
血痕の飛沫有り。
つまり誰かに危害を加えた後である。
「旅が目的を要するものか、無いまま進むものかによるな。次の休暇には何も持たずに彷徨うのも有りだ。ただ、海や山ではGPS位の文明の利器は持ちたいね。」
そう答えると革の指抜き手袋が頬をなぞった。
「気が合うかもしれないね。僕も地図に無いものが見たいから。というのは2時間前までの感想かな。」
この男に定常的な答えを求めるのは困難だろう。
「ツノ、ツノも触っていいか?」
表面上だけでも友好的なポーズを取るのなら、利用しつくそう。
「いいよ〜君はドラマは好き?」
ツノを触るが爪のような質感をしている。
「ああ、イーストウッドやギリアム等が作る人間ドラマが好きだ。」
手を離して、ソファに跪いた状態のまま天井を見た。
「僕も人間が抗う様を描いたドラマが好きなんだ。」
ケイオスはサングラスをズラして眉間を押さえる。
「そうか。同じだな。一部においては。」
彼は指先一つで命を奪うことが出来るのだと解る。
「リアルに勝るものはないからね。同じ様な体験として実感できるか、心情を慮れるか。いくら架空で楽しい話もそれは空想に過ぎない。空想は現実に勝てないから。」
硬い指先が手首に触れた。
「実在性、果たしてそうだろうか。筆は剣より強しと言うように物語で大衆を扇動出来ることにおいて、現実に空想は勝てると言える。」
手首を握られる。
引かれたら終わり、押されても終わりだ。
「確かにね、ところで喉が渇いたんだけど。この研究室にはポリシーの都合上休憩に関するホスピタリティが無いのかな?」
「コーヒーでいいか?」
立ち上がって膝についた埃をはたいた。
「やだよ。苦いじゃんアレ。ミルピコないの?ミルピコ。」
ミルピコ……確か贈答品として冷蔵庫の下にしまってあったはず。
「確認する。」
研究室から続く扉を開けて休憩室の冷蔵庫を開く。
簡易炊事場からグラスを取り出してミルピコ注ぎ、氷を入れると背後にケイオスが立っていた。
「ミルピコってさ、分離するでしょ。撹拌しなければ分離してしまう。世界もそうだ。掻き乱すものがいなければ進退がない、変化が起こらない。」
グラスを受け取るとゴクゴクと飲み干して、空きグラスを渡してきた。
「そうだろうか、掻き乱すものを定義しないと。生物は生きている限り変質し続ける。混乱の為の石を水面に投じずとも細かな波紋は既に立っている。」
ケイオスが炊事場の鉄部分を指の腹で撫でると剥がれるようにして変形して鉛玉、銃弾に再形成された。
「僕はね、欲望が生まれた無垢に、欲求を抱ける世界を見続けさせたい、意欲というエゴをぶつけられる世界にしたいんだ。」
彼は銃弾を指で摘みながら反射光を見ている。
「成る程、愛か。」
「僕に愛があるか試してみる?」
、、、
「冗談通じないね。」
銃を突きつけられて指が引き金を引いた時に舌を噛んだが、指に阻止された。
「ふが、トリガーが引かれたら死を受け入れる。」
銃口が下を向いて彼は頭を掻きむしった。
「そういうことじゃないんだよ、生きるっていうことは。一旦落ち着こう。」
床に胡座をかいたので自分も同様に座った。
「ケイオス、お前は不死に近いのだろう。哀れだな。」
ケイオスは手を後ろについて、天井を見ている。
「なぜ不死を哀れというのかな?」
戯け。
「生の実感がないからだ。デウス・エクス・マキナのように、客からは煙たがられ劇作家からは扱いに困るとして利用されない。不死とは完全無欠のご都合主義の物語、物語としての死であるから。」
彼はサングラスをカパカパと動かしては、止めた。
「展開を変えよう。」
、、、
「ふ〜んふん、ソファに座る二人。この初々しいやり取りから始めてみよう。」
研究室をただ眺めた。
ケイオスが現れて暫く経つというのに、他の研究員達が現れない。
……そういうことなんだろう。
「そうだな。初めまして。」
「こちらこそ初めまして。また会えて嬉しいよ。」
「君は男性かな?女性かな?まあどっちでもいいんだけど、観測者によって作家がキャラクターを動かすより、キャラクターが自発的に動いたほうが良いからね。良いシナリオっていうのはキャラクターが筆致を選ぶんだ。」
女性だった場合を用意してる。
優しいのがいい?→次かな
それとも激しくされたい?→最後らへん
男性だった場合……女体化とかしたほうがいいかな?
「残念、慣れないことはするもんじゃないからね。無理に筆を執らせようとしたらインク切れみたいだよ。またおいで。じゃあね、バイバイ。え?みたい?……仕方がないなあ。」
、、、
「観測者の視点によって君が女性である場合、この先は性的接触、つまりセックスするのが望まれたシナリオだよね。」
ケイオスは虚空を見ながら呟いた。
「確かにそうだな。突然現れた男、密室、相手は武器を持っている。」
これがロマンス小説ならそうならざる負えない。
「ん〜、でもあまりに安直だと思わない?僕から押し倒して〜っていうありきたりな展開は。」
彼は腕を頭の後ろで交差させて背もたれに背中をつけた。
「ではキスをしてみないか?こちらからの提案だ。」
サングラスが蛍光灯に反射して目元が伺いしれない。
「お〜、状況的に被害者側が望むやつか〜……やってみる?」
ソファに座るケイオスに覆い被さるように唇と唇を付けた。
唇を離そうとすると上唇、下唇を交互に喰まれて下半身に痺れが走った。
足を閉じようとすると長い脚に邪魔されて開脚させられ、頭と背中を押さえつけられて舌が捩じ込まれ、息ができない。
「ふ……」
舌同士が絡み合う感触、唾液が混ざる不快感。
「あ……」
耳障りなリップ音、舌が粘液を啜る如何わしい音。
暫く口づけは続き、顔が離れるまで相応の時間を要した。
「やっぱり見ず知らず同士がいきなりエッチな雰囲気とか、無理があるよね〜……って蕩けてるじゃん、大丈夫?」
頬をペチペチと叩かれる。
はぁはぁと呼吸を荒くしているのは自分だけだ。
「……命吊り橋効果、否ストックホルム症候群とでもいうのか……命の危機が差し迫っているから、自分の方はこうなってしまうらしい。」
既にズボンの下はびしょびしょに濡れてしまっている。
命が関わる状態、危機に瀕すれば瀕するほど生きようとする性が強くなるのだろう。
「う〜ん、それじゃあフェアじゃないね、難しいな……あ!じゃあ君を触ってみてもいい?さっき僕を触ったから。」
ソファの上に抱っこされている状態で服の下に手が滑り込んでくる。
「ああ、構わない。」
輪郭を確かめるように肌が暴かれていく。
「やっぱり柔らかいもんだな……」
へそのあたりを押されて身体が弓なりに反った。
「ああ……う……」
腕を掴まれて引き戻される。
「あ〜……出来上がっちゃったね。なんかごめん。」
手をこちらのズボンの中に手を入れて布の湿りを確認した。
「……この状況では如何せん、そうなってしまう。」
彼は手を引き抜いて肩に掛けた。
「じゃあ話そうか、君の好きなこと。」
ふぅ、と呼吸を整える。
「実は知育菓子が好きでね……デスクに隠し持っているんだ。」
するとケイオスは自分を抱きかかえて研究室を歩き始めた。
「お!知育菓子、やってみたいな〜、君のデスクどこ?」
、、、
「これがイチの粉、二の粉……。」
ケイオスは説明書を読みながら菓子を練った。
「お前、案外不器用なんだな。」
そう言うと彼はムスッとした顔をした。
「初心者なんだ、誰にだって初めてはあるし最初からすべてをできる者など居ないからね!」
黒い爪に粉末をつけながらようやく棒に菓子を絡め取れたようだ。
「はい、あ〜ん。」
差し出した菓子を口に含んだ。
薬品のような甘さ。
「むぐ……んっ……」
ケイオスは無意識なのか、顎の下に手を置かれてやんわりと撫でられたため嬌声に近い声が漏れた。
「様子がおかしいけど大丈夫?熱あるの?」
真顔で額に手が置かれる。
「いや、身体が出来上がってんだ、仕方がないだろ。」
彼は驚いたようで、少しの間何かを考えていた。
「あー……性差を含めてなかったなあ、なら先に熱を解消しようか。」
服が乱雑に捲り上げられ、隠されていた乳房にケイオスの唇が落ちた。
、、、
「……情が通じた男女になってしまったな。」
ケイオスとまた二人、ソファに座っている。
「ね、陳腐だ。いかにもな低俗ポルノ小説。」
サングラスを外しながら眉間を押さえている、疲労しているようだ。
「一言いいか?ケイオス、お前経験無いんだな。」
彼は目元を手で擦りながら呟いた。
「おっと、経験無いことを悪とするのかな。僕からもいい?君も経験ないでしょ。」
自分も目を擦った。
「研究ばっかりしてたからな。」
視界がクリアにならない。
「僕も似たようなもんだよ。一人でさ……寂しいものだったから。」
ケイオスは座ったまま項垂れた。
「それで辛い過去を話し、同情心を買って弱みを見せて惚れさせる。チープだな。」
深い溜息が互いに落ちた。
「君はそんなことで惚れたりしないだろう。たまには昔を振り返りたい時もあるじゃん。」
彼は手を合わせながら指を擦り合わせている。
「そうだな……。」
振り返ることで、得られるものがあれば。
「全知全能ってさ」
「無だろ。」
ケイオスはサングラスを頭に掛けて笑った。
「そう、そういうこと……眠いからここで寝ていい?」
自分も笑った。
「お前、寝るんだな。」
彼はそのまま頭を膝の上に乗せてきた。
輪が当たらないように慎重に。
「まあ、寝ることもあるよ。存在している限り。」
太ももには想像よりも重い、重さが乗った。
「他の研究員たちが来るまで好きにしろ……来たらの話だがな。」
「なら、ずっとだね。」
「やあ、会うのは何秒ぶりかな?それとも何年ぶり?なかなか望みは叶わないものだね。また遊ぼう。また会えるその時まで、バイバイ。……あ、まだ何か?」
、、、
「君って油断を罠として安直に配置するにしても、流石にこの状況では迂闊だと思わない?結構期待したんだけど。」
ソファに押し倒されてホルスターから拳銃が素早く抜き取られて顎に銃口がついた。
「ふが……他の研究員達はどうした?せ、生存者はいるのか?」
口元が圧迫されて上手く発話できない。
「生存者バイアスだね、口だけは回るようだけど是迄のブランク時間に思考を巡らせて最悪のエンディングを回避することも出来たはず、そうは思わない?」
天井を見上げるが、薄灰色の板が剥き出しになっているだけだ。
等間隔に回る換気扇、チカチカと点滅を繰り返す蛍光灯、ブラインドカーテンに溜まった塵、水が足りない観葉植物。
空気の悪い部屋、無菌室とは程遠い埃にまみれた実験器具、投げやりに置かれた白衣と防御ゴーグル。
「この世界はメッシュが粗いダウンコンバートされたような紛い物だと思った。鮮明でない、くすみ濁りのある使い古されたブラウン管のガラス面に静電気が帯びているかのようだ。」
ケイオスのバツマークのサングラスに光の射線が入る。
「多次元論、超ひも理論だとして世界は」
「一本の糸で出来ている。」
彼は口角を上げた。
「んふふ、ふははは。……その一本の糸を結んだり紐解いたりして、これからも一緒に遊ぼうよ。ID10780731。」
、、、
「もっと刺激が欲しい?欲張りだね、君。」
、、、
「ぐっ……あっ」
自分の手首を噛まされて腕を押さえつけられながら身体を揺らされる。
乾いた肌同士がぶつかる音、金属類同士が擦れる音、金具と革物が揺れる音が交互に耳を劈く。
「君の欲望の醜さ、思慮の浅はかさ、全て。ことが終われば無に帰す浮かされた熱。」
ガラス面が陰り、虚無の色彩を映しだす。
「う……」
銀色の毛先の束が肌を掠めるたびに脳内に白い煙が立ちこめる。
「熱が冷めた時、残るのは炭になった廃材か、再利用出来うる物質足り得る何かになっているか。君の存在証明、存在価値、そして意義を成すもの。」
天井を見る。
そこには確かに、空間があった。
「は……」
手首を噛んだ。
出血による血と涎の入り混じった液体が喉を伝う。
「フィナーレを迎える時、君が主役の座を降りて観客席に座っているとしたら。それは君自身が独楽として回り続ける観測者による手持ちの駒であったに過ぎないという仮説を裏付けることになる。僕と君は似ている。ある一点においては。」