思った以上に見にくいなと思ったので修正しました
この世界で初めての大学登校を終えた帰り道、俺は拍子抜けしていた。
男女比が極端に狂っているという話を聞いて、自分の知っている日常とはかけ離れた事態が起こるのでは、と身構えていたからだ。
だが、いざ今日半日を過ごしてみると、すれ違う女性からの視線を痛いほど感じるくらいで、それ以外は拍子抜けするほど普通だった。
比率がおかしくなっているといっても、所詮は一対十程度。
男は珍しい。だが、絶滅危惧種かと言われればそこまででもない。四十人クラスなら男子が四人はいる計算だ。
それは言わば、元の世界における工業高校の男女比を逆転させたようなもの。
かつての工業高校で、女子生徒が一人いたからといって、その全員がアイドルのように崇め奉られていたか? 答えはノーだ。中にはモテる奴もいただろうが、大半はクラスメイトとして風景の一部に埋もれていくものだ。
……前の世界で工業高校に通っていたわけではないので、あくまで想像でしかないが。
「案外大した変化はないような気がするな」
平穏に終わった半日に、俺はそんな甘い見通しを立てていた。
時刻は午後二時。
昼下がりの駅の改札を抜け、比較的空いている車両に乗り込んだ俺は、適当な空席を見つけて腰を下ろす。
家の最寄り駅までまだ時間がある。ネットでも見て時間を潰そうと、ポケットからスマホを取り出した。
この世界には、俺の常識とはかけ離れた設定の漫画やアニメ、ゲームが溢れている。
それらを眺めているだけでも、退屈はしそうになかった。
(……なんだこれ。『追放された王女様、闇堕ちして復讐の末にイケメン美少年100人をはべらせる』?)
逆だ、逆。
前の世界でも似たようなタイトルが流行っていたなと思い出し、つい口角が上がる。
結局、人間の欲望の根幹なんて、世界が変わってもそう変わらないのかもしれない。
そんな風に、どこか他人事のようにスマホを操作していると、ふと、甘いお菓子のような香りが鼻をくすぐった。
(ん…?)
顔を上げると、隣に一人の小さな女の子が座ってきた。
小学校くらいだろうか。頭のてっぺんから、触覚のようなツインテールをぴょこぴょこさせている。
この年で電車通学なんて大変だな、などと場違いな同情をしながら、その姿を盗み見る。
その子はよほど眠気の限界なのか、座ってから暫くすると、首をこっくりこっくりと、まるで振り子のように揺らし始める。
必死に重い瞼と戦っている姿は、小動物のようで実に微笑ましい。
そんな平和な光景に癒やされていた時、ポケットのスマホが短く震える。
先ほど連絡先を交換したばかりの紗羅からだ。
『講義めんどくさいよー! 集中できないからサボりたーい!』
スマホの向こうで、机に突っ伏してジタバタと悶絶している彼女の姿が目に浮かぶ。
派手な見た目のわりに、文句を言いながらもしっかり講義に出ているあたり、根は真面目なのだろう。
そんな彼女を適当にあしらうべく返信を打ち込み始めたその最中、右肩にふにゃりと柔らかい重みがかかった。
「んぅ……っ……」
何事かと思い隣に目を向けると、先ほどまで睡魔とデッドヒートを繰り広げていたツインテールの女子小学生が、俺の肩に頭を預けてスヤスヤと寝息を立てている。
どうやら、彼女の壮絶なバトルは敗北に終わったらしい。
『ゆーぽん今、電車? あれ、電車通学だっけ? へーき? なんともない!?』
その姿にほっこりしていると、紗羅から追撃が届く。
「ゆーぽん」という絶妙に気の抜けるあだ名は、さっき一方的に決められたものだ。
しかし、ただ電車に乗るだけで何をそんなに大騒ぎしているのか。
初めてのお使いを見守る、心配性の母親か何かかお前は。
『なんでそんな心配するんだよ。ただ電車に乗って帰るだけだろ』
呆れ気味にそう返すと、すぐさま既読がついた。
『よくニュースでやってるじゃーん。男子が痴漢被害に遭ったとか、白昼堂々ストーキングされたとか!』
確かにネットでそんな物騒な記事を目にしたことはあるが、どうしても他人事にしか感じられない。
そもそも、男の体なんて触って何が楽しいんだ。
いざ自分が被害に遭ったとしても、羞恥心より先に戸惑いが来る気がする。
(満員電車ならまだしも、この空いてる車内で痴漢なんてしたら即逮捕だろ)
俺は紗羅の心配を笑い飛ばすべく、スマホの画面を叩く。
『考えすぎ。隣で小学生が寝てるくらいだ。肩にもたれかかってきて、むしろ可愛らしいくらいだぞ』
『……は?』
返信が途絶える。
数秒の空白の後、画面に表示された文字には、先ほどまでの軽口とは違う、どこか冷ややかな響きが混じっていた。
『それ、わざともたれかかってんじゃないの?』
『そんなわけないだろ。相手小学生だぞ。ただ眠気に負けただけだ』
講義のストレスで、少しばかり疑心暗鬼にでもなっているんだろうか。
俺は紗羅の警告に苦笑いしながら、ふとドアの上の案内図に目を向ける。
降りる駅までは、あと少しだ。
スムーズに降りるには、この隣で寝ている少女を起こさなければならない。
だが、あまりに幸せそうな顔で寝息を立てている彼女を見ていると、わざわざ起こすのも少しだけ罪悪感があった。
「(……まあ、駅に着く直前でいいか)」
そんな風に、穏やかな悩み事に耽っていた、その時だった。
「…………っ」
ふと、刺すような強い視線を感じて、俺は反射的に顔を上げる。
視線の先――隣の女子小学生は、相変わらず俺の肩を枕にして熟睡していた。
閉じられた瞼、微かに震える長い睫毛。
(気のせいか……?)
少女が起きたのかとも思ったが、どうやら違う。
俺も慣れない世界での初登校で、思いのほか疲れているのかもしれない。
やがて電車が駅に滑り込み、ドアが開く。
俺は意を決して、肩に頭を預ける少女の肩をやさしく揺する。
「そろそろ起きてくれ」
「……んぅ、あ……お兄ちゃん……?」
寝ぼけ眼の少女が目を開け、寝言を呟く。
兄と間違えるなんて、寝ぼけてるのだろう。
お兄さんじゃないよ、と告げると、名残惜しそうに俺の腕を一度だけぎゅっと掴んでからゆっくりと離れていく。
そんな彼女の可愛らしい仕草に、つい頬が緩んだ。
まるで、妹でもできたような気分だ。
席を立ってホームに降り、改札を抜け、爽やかな風を浴びて帰路につく。
するとポケットの中で、スマホがまた一回震えた。
『ゆーぽん、既読にならないけど大丈夫!?襲われたか!?』
液晶に浮かぶ紗羅の必死な言葉を、俺は「また大袈裟な」と思い画面を閉じた。
この時、自分が車内の女性たちからどんな視線を向けられていたのか。
そして、この世界の女性がどのようなものなのか。
この世界で初めての登校を終えた俺は、まだ何も知らなかった。
『てなわけで、無事初登校を完遂したぞ。褒めろ、称えろ、崇めろ』
『スゴイデスネー。長年の引きこもり脱却、本当におめでとうございます。イェーイ、パフパフ』
その日の夜。ネトゲの相棒である花梨に大学初日の報告をすると、チャット欄にはこれ以上ないほど心のこもっていない棒読み風の返信が並んだ。
『全然興味なさそうだなお前。親友が社会という空へ羽ばたいたんだぞ。泣いて喜べよ』
『そんなことを言われましても。雪音ちゃんが外に出ようが部屋の隅でカビていようが、私的にはどちらでもいいですし。……あ、レアドロップ。いただきますね』
画面の中でパーティを組み、群がる敵をなぎ倒しながら花梨がさらりと言う。
こいつ、知り合った当初は俺に対して結構気を使ってくれていたはずなのだが、付き合いが長くなるにつれて扱いが目に見えて雑になってきている。
『あとは精神的に成長すれば、ようやく「ホモ・サピエンス」の完成ですね。……お、また出ました。今日はツイています』
「また出ました」じゃねえよ。
それは俺が削った獲物だ。横取りのプロかお前は。
あまりの図々しさにムカついた俺は、アイテムを回収していた花梨のキャラクターの背後を取り、不意打ちのスキルを叩き込む。
『……大体、いつから私たち、親友なんて不名誉な関係になったんですか?』
しかし、奴は事前に察知していたかのように最小限の動きで俺の攻撃を回避し、即座にカウンターを合わせてきた。
そこからは、もはや一方的な虐殺タイムだ。
花梨の操作するキャラクターから、敬語の静かさとは裏腹な、容赦のない猛攻が叩き込まれる。
奇襲に失敗したと悟った俺は、必死にガードを固めながら逃げ回る。
だが、プレイ歴数年のベテランである花梨と、始めて一ヶ月程の俺とでは、プレイヤースキルの差が絶望的すぎた。
初撃を避けられた時点で、俺に勝ち目など万に一つもない。
『……俺は、固い絆で結ばれた親友だと思ってたんだがな!』
『雪音ちゃんの言う親友って、背後から全力で首を獲りにくる関係のことを指すんですね。物騒すぎて涙が出ます』
一切の手加減なしに俺のキャラを殺しにくる彼女は、チャットの文字越しでも伝わるほど冷静で、それゆえに少しだけ怖かった。
『ま、そんな冗談はさておき。……で、どうだったんですか、実際に外の空気を吸ってみた感想は。』
ゲーム画面の中、転がっている俺の死体を無慈悲に踏んづけたまま、彼女のキャラクターがふと、そんなことを聞いてきた。
『んー、まあ、思ったより普通だったな。もっとこう、天変地異でも起きるかと思ってたんだけどさ』
『まあ、そんなものですよね。大学に行けばバラ色のキャンパスライフが待っていると夢想していたのでしょうが、人生そこまで甘くはありません。現実が知れて良かったですね』
画面に映る俺の死体を、グリグリと親の仇のように踏んづけてくる花梨のキャラクター。
こいつ、薄々感づいてはいたが、相当にいい性格をしている
『でも、校舎裏で告白して成功してる女子は見かけたぞ』
『えっ!?!?』
その事実を伝えた瞬間、チャット欄が爆発した。
よほど興奮しているのか、これまでの冷静さが嘘のような、記号と誤字まみれの返信が飛んでくる。
『……お前、異性の話題に関しては露骨にテンション上がるよな。』
『上がっていません! これはあくまで、純粋かつ単なる好奇心といいますか……!』
チャットの打ち込み速度が、明らかにさっきの三倍は出ている。
こいつ、リアルだと絶対むっつりスケベだろ。
『でも、告白されてた奴、かなり威圧的な態度だったぞ。あれが魅力的に見える奴の気が知れん』
ふと、あの校舎裏の光景を思い出す。
あの時はテンションがあがって深く考えなかったが、今思えば「付き合ってやるから感謝しろ」とでも言いたげな、尊大な態度だった気がする。
『世の男子はそんなもんですよ、大体どこに行っても偉そうにふんぞり返っていますから』
あっさりと、花梨から冷めた返信が届く。
『へー、そんなもんなのか』
少し考えてみれば、すぐに思い当たる節があった。
確かに、国からの手厚い男性支援金や、女性たちからの熱っぽい視線。
産まれた瞬間からそんな環境に晒され続けてきたのだとしたら……。
自分を特別な特権階級だと勘違いし、増長してしまうのも無理はないのかもしれない。
いわば、この世界の男は「選ぶ側」であり、女は「選んでもらう側」なのだ。
そこで俺は、ふと思い至った。
だから紗羅は、俺のことを「変わっている」と表現したのではないのだろうか。
『まあでも、そんな男ばかりじゃないだろ』
『そうだといいんですけどねー! 万が一そんな優しい男の子が実在して私の前に現れたりしたら……即座に檻にぶち込んで、二度とシャバの汚れた空気は吸えない体にして差し上げますよ。ヌフフ』
『……怖えよ』
こいつが言うと、どこか生々しい実行力が伴っているようで笑えない。
俺を女だと思い込んでいるからこその、過激な冗談だと思うが。
そんな、少しだけ不安になるようなやり取りをしているうちに、液晶越しの夜は更けていった。