花冠の生贄   作:怠惰OO

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第二章 神婚の年 ②

その夜、鍛冶場にはいつもより長く火が入っていた。

父は無言のまま鉄を打ち、ルカはその横で鞴を踏み続けていた。外はもう暗い。夜気と炉の熱の差で、工房の入り口に白い湯気が流れている。

 

やがて父が言った。

 

「出るんだな」

 

ルカは足を止めた。

 

「うん」

 

「勝てると思ってるのか」

 

「わからない。でも、行かなきゃたぶん一生後悔する」

 

父は鼻を鳴らした。

 

「恋か」

 

「……そうなのかもしれない」

 

「相手は神だぞ」

 

「わかってる」

 

「人間じゃない」

 

「それもわかってる」

 

父は打ちかけの鉄を火床へ戻し、ようやく息子を見た。

炎に照らされた横顔は厳しいが、その目の奥にあるものはいつもより柔らかかった。

 

「お前の母さんも、そういう顔をしてた」

 

「母さんが?」

 

「俺と結婚すると決めた時だ。村いちばんの変わり者だった」

 

思いがけない言葉に、ルカは少し笑った。

 

「親父が言うか、それ」

 

「事実だ」

 

父は壁際の箱を開き、中から一振りの剣を取り出した。

飾り気のない片手剣だった。柄革は黒ずみ、鍔には古い傷がある。だが、刃だけは静かに光を返していた。

 

「これは、若い頃の俺が打った」

 

「親父が?」

 

「未熟だったぶん、妙に意地だけは入ってる。折れんよ」

 

ルカは両手で受け取った。

見た目は質実剛健そのものだが、握った瞬間、手に吸いつくようになじむ。まるで、ずっと前から自分のために作られていた剣みたいだった。

 

「これを持って行け」

 

「大事なもんじゃないのか」

 

「大事だから、お前にやる」

 

父は視線を逸らしたまま言う。

 

「相手が神でも人でも、会いに行くなら半端な刃じゃ足りん。

 約束を果たしに行くなら、折れない剣を持て」

 

ルカの胸が熱くなった。

礼を言おうとしたが、うまく言葉にならない。

 

父はそんな息子を見て、少しだけ口元をゆるめた。

 

「ただし、死ぬな」

 

「努力する」

 

「努力じゃ困る」

 

「……必ず帰る、とは言えない」

 

その言葉に、父の目がわずかに細くなる。

だが彼は怒らなかった。

 

「なら、せめて悔いなく行け。

 鍛冶屋の息子が、中途半端な覚悟で剣を握るな」

 

「わかった」

 

父は背を向け、再び槌を取った。

 

「寝ろ。明日から出立の準備だ」

 

その背中が、いつもより少しだけ大きく見えた。

 

 

旅立ちの前夜、ルカは久しぶりに夢を見た。

 

白詰草の丘に、幼い自分が立っている。

風が吹き、花が揺れ、その向こうにエリアスがいる。

 

「遅いよ、ルカ」

 

あの日と同じ声だった。

けれど、夢の中の彼は子どもの姿のままなのに、その目だけがどこか大人びていた。

 

「待ってたんだ」

 

「……知ってる」

 

「ほんとう?」

 

「たぶん」

 

エリアスは笑った。

 

「たぶんじゃなくて、信じて」

 

ルカは夢の中で歩き出す。だがいくら進んでも距離が縮まらない。花が波のように揺れ、空が遠ざかり、相手だけがそこにいる。

 

「迎えに来てって言っただろ」

 

「行く」

 

「怖い?」

 

「少し」

 

「それでも?」

 

ルカは剣の柄に手を置いた。

 

「それでもだ」

 

その答えに、エリアス――アルシオンは、ひどく安堵したように目を細めた。

 

「じゃあ待ってる」

 

目が覚めたとき、窓の外はもう白んでいた。

夜明けの空は、あの瞳と同じ色をしていた。

 

ルカは起き上がり、父にもらった剣を腰に帯びる。

革の留め具を締めた瞬間、不思議と心が静まった。

 

これは戦いに行く朝だ。

けれど同時に、誰かに会いに行く朝でもあった。

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