花冠の生贄   作:怠惰OO

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第四章 月下の決勝

神婚祭の決勝戦は、月の下で行われる。

それが古い掟だった。

 

夜の闘技場は昼間とはまるで違う顔をしていた。

観客席に灯された無数の火が揺れ、中央の円形舞台には銀の砂が撒かれている。空にはほとんど満ちた月がかかり、その光が白い石壁を青く染めていた。

 

ルカは控え室でひとり、父の剣の柄を握っていた。

ここまで来た。あとひとつ勝てば、神殿の奥へ行ける。だが、その先にあるのが幸福なのか、破滅なのかは誰にもわからない。

 

「怖いか」

 

低い声がした。

振り向くと、決勝の相手セファールが立っていた。

 

神殿の守護剣士。

若いが、その名は王都で知られている。長身痩躯、白銀の法剣を帯び、夜のように静かな男だった。

 

「少しは」

 

ルカが答えると、セファールは淡々と言う。

 

「それでいい。恐れを知らぬ者は、たいてい最初に死ぬ」

 

「親切だな」

 

「親切ではない。私は、お前を侮りたくないだけだ」

 

ルカは相手の目を見る。

そこには傲慢さも、慢心もなかった。ただ、長年ひとつの道だけを見てきた者の静かな執念があった。

 

「お前も神の花嫁になりたいのか」

 

「なりたいのではない」

 

セファールは月明かりの方へ目を向けた。

 

「そのために育てられた」

 

その言葉には、少しだけ空の音がした。

自由に見えて、実は逃げ場のない人生。ルカは相手に一瞬だけ親近感を覚えた。

 

「ならなおさら、負けるわけにいかないな」

 

「私もだ」

 

二人はそれ以上何も言わず、舞台へ向かった。

 

開始の合図と同時に、セファールが動いた。

細身の剣が月光を引き、ほとんど音もなく喉元へ伸びる。

 

速い。

 

ルカは盾で逸らしたが、衝撃は軽い。なのに刃筋だけが鋭い。重さで押すのではなく、正確さで切り込んでくる剣だ。二撃目が肩を狙い、三撃目が脇腹を狙い、四撃目にはもう退路を塞がれている。

 

「くっ……!」

 

浅く傷が入る。

布が裂け、熱が走る。

 

観客のざわめきが波のように高まる。

セファールは一切表情を変えず、次々と刺突を繰り出してきた。

 

「願いだけで、ここまで来たのか」

 

「願いだけじゃない」

 

「なら何で立っている」

 

ルカは盾を突き出し、間合いをずらす。

だがすぐに剣先が追ってくる。細剣とは思えないほど執拗だ。

 

「約束だ」

 

「約束?」

 

「昔、迎えに行くって言った!」

 

セファールの眉がわずかに寄る。

 

「子どもの戯れ言に命を賭けるのか」

 

「戯れ言じゃない!」

 

ルカは踏み込んだ。

重い一撃。受けられる。返される。盾に傷が増え、腕に衝撃が積もる。セファールの剣は冷静だ。焦りも怒りもなく、ただ勝利へ向けて最短距離で刃を運ぶ。

 

その冷たさが、かえって恐ろしかった。

 

やがて鋭い斬撃が盾の縁をえぐり、木が軋む。

もう一撃。

盾が割れた。

 

観客席から悲鳴が上がる。

左腕に残ったのは革の持ち手だけだった。

 

セファールの剣先が、月明かりの中で一直線に伸びる。

胸を狙った必殺の突き。

 

普通なら、ここで終わっていた。

 

だがルカの体は先に動いた。

半身になって刃を外し、左腕で無理やり剣身を抱え込む。皮膚が裂け、熱い血が流れた。だが手放さない。

 

「何……!」

 

セファールの目に初めて驚愕が走る。

 

「俺は――」

 

ルカは痛みで歪む顔のまま、右手の剣を振り上げた。

 

「会いに行くんだ!」

 

下から跳ね上がる斬撃。

セファールの手から法剣が弾き飛ばされ、銀砂に突き立つ。

 

静寂が落ちた。

 

それから、地響きのような歓声が闘技場を包む。

鐘が鳴る。月の下で、花弁が降り始める。

 

セファールは呆然とした顔で立ち尽くし、やがてゆっくりルカを見た。

 

「……そこまでして」

 

「そうだ」

 

「それほど、会いたいのか」

 

ルカは息を荒げながらうなずいた。

 

「会いたい」

 

セファールは目を閉じ、そして小さく笑った。

 

「なら、負けを認めよう。

 神に選ばれるのは、きっとそういう者なのだろう」

 

決勝のあと、ルカは勝者として白い礼装を着せられた。

傷には簡単な手当てが施され、血のついた衣は取り替えられたが、腕の痛みも、胸の高鳴りも消えない。

 

神官たちに挟まれ、神殿の奥へ進む。

長い回廊には百合の香が満ち、足元には白い布が敷かれている。まるで婚礼の道だ。けれどどこか、棺へ向かう行列にも似ていた。

 

人々は勝者が「花嫁」になると信じている。

その言葉の響きに、ルカは不思議と抵抗を覚えなかった。相手があの少年なら、呼び名などどうでもいい。

 

青銅の大扉の前で、神官長が止まった。

 

「ここから先は、神と勝者のみ」

 

「……ああ」

 

「引き返すなら今だ」

 

ルカは扉を見上げた。

その向こうに、十年待たせた相手がいる。

 

「引き返さない」

 

神官長は何も言わず、合図を送る。

重い扉がゆっくりと開いた。

 

月光のような光が、その奥から流れ出してきた。

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