空の宮の庭にも、春はあった。
むしろ地上のどんな庭よりも、やわらかな春だった。白詰草が風に揺れ、空はいつも高く、光は透き通っている。
ルカは最初こそ、その美しさに居心地の悪さを覚えた。
鍛冶場の煤も、村の泥道もない世界だ。自分の足だけが不釣り合いに思えた。だがアルシオンは、そんなルカに気づくと、肩を並べて歩きながら言った。
「ここはぼくの宮だけど、きみが来た日から、きみの場所でもあるよ」
その言葉に、どれだけ救われたかわからない。
ふたりの時間は、劇的というより静かに流れた。
朝、空の端に昇る光を一緒に見る。昼、庭で剣の素振りをするルカをアルシオンが眺める。時には逆に、神の力の使い方を教えると称して、風を少しだけ操って見せたりもする。
「便利だな」
「でしょ」
「でも剣は振れないだろ」
「振れるよ」
「嘘つけ」
「ほんとうに」
そう言ってアルシオンが木剣を持つと、見事なくらい下手だった。
踏み込みが甘く、腕に余計な力が入り、すぐに体勢が崩れる。
ルカは腹を抱えて笑った。
「なんだそれ、赤子より危ない」
「笑わないでよ」
「無理だ」
「昔は褒めてくれたのに」
「昔はお前が木の枝振り回しても可愛かったからな」
「今は?」
ルカは、少し考えるふりをしてから答えた。
「今はもっと可愛い」
アルシオンは真っ赤になって黙り込み、そのあと小さく「ずるい」と呟いた。
そんな反応を見るたび、ルカは神を恋人にした実感を、妙に人間くさい形で得るのだった。
シーン二 約束の続き
ある日の午後、ふたりは庭の芝に並んで寝転んでいた。
白い雲がゆっくり流れていく。風が花の香りを運ぶ。
「ルカ」
「ん?」
「きみ、ほんとうに守ってくれたね」
ルカは空を見たまま答えた。
「約束したからな」
「ぼく、あのとき半分は信じてなくて、半分は信じたかった」
「半端だな」
「神だって、臆病になることあるよ」
ルカは横を向き、アルシオンを見る。
横顔は穏やかで、昔の寂しさはもう薄れていた。
「これからも守る」
「ぼく、神なんだけど」
「知ってる」
「空も風も呼べるんだけど」
「それでもだ」
「どうして?」
ルカは少し考え、それから笑った。
「好きだから」
アルシオンはしばらく瞬きもせずにルカを見つめ、それから観念したように笑った。
「それ、たぶん何にでも勝つ言葉だ」
「実際、お前に勝った」
「そうだね。決勝より前に、ずっと前から負けてたのかも」
アルシオンは白詰草を摘み、器用に編み始めた。
昔、ルカが不格好な冠を作ったのとは違い、神の指先は驚くほど美しい輪を編み上げる。
「はい」
差し出された花冠を、ルカは受け取った。
「今度はぼくから」
「ありがたくもらう」
頭に載せられると、花の香りがふわりと広がった。
子どもの頃の約束が、めぐりめぐって返ってきたのだと思うと、胸が静かに満たされる。
「似合う?」
アルシオンが尋ねる。
「お前が作ったなら、何でも嬉しい」
「……またそういうこと言う」
「事実だ」
アルシオンは少し照れたように笑い、ルカの肩にそっと頭を預けた。
空の宮には、もう孤独はなかった。
春は終わらず、白詰草は揺れ続ける。約束は果たされ、そして果たされた先にも、穏やかな日々が続いていく。
神へ捧げられるはずだった花嫁は、
神が長く待ち続けた恋人となった。
そして神は、もうひとりではなくなった。