タイトルが原案のままで投稿していたことに気がついたため変更しました
旧タイトル:堅物委員長→新タイトル:委員長
第1話
人間、誰だって何かしらに憧れる瞬間が一度は訪れる。私、九条流星はそう言うモノなのだと思っていた。
小さい女の子の、お花屋さんやケーキ屋さんになりたいといった夢だとか。幼い男の子の、スポーツ選手やプロゲーマーになりたいという願いだとか。
自身の能力や才能の限界、身の回りの環境といったリアリティは一切考慮せず、なんならなりたい理由やなるための努力と言った過程さえも少しの間だけは無視をしてしまって。将来への展望として明確なカタチを得た『夢』ではなく、あくまで朧気でぼんやりとした『憧憬』が心にペッタリと張り付くそんな瞬間、そんな時期。
かくいう私も幼い頃は――、否、恥ずかしながらこの歳になってさえも憧れから脱却できずにいるそんなよく居る少々情けない人間の一人なわけでして。分不相応にも十年弱ほど小説家、といったものに強い憧れを抱き続けているのですが……。
いやはやまさか、まさか。そんな自分が今になって新しい憧れを抱くようになるだなんて思ってもみなかった。
……まぁ。正確には憧れ、とはちょっと、いえ結構、なんならだいぶ違うのですけれどもね。別に身を焦がすような衝動に焚きつけられているわけでもなし。
しかしここまで興味関心を強く抱くようになったことなぞ、それこそ幼き日に小説家と言うモノに憧れたあの日以来と言うのも事実。この想いが憧れそのものであるとは言い難いが、強いて何に類似しているかと問われたらおそらく一番近くにあるものも憧れ、という言葉なんじゃないかって、そう思う。
だからもうそこから先はどうでもいい。これ以上突き詰めて考えようとしても思考の坩堝にハマるだけだって何となく私自身わかっているから、ここから先へは踏み込まない。そのものではなくても、すごく近いって言うのなら私のこの想いは憧れと呼んでも問題はないでしょう。カニカマだって真に迫ればカニなのです。
訂正を訂正しましょう。私は間違いなく今、憧れているモノがあります。なれるかどうか、とか、どうやったら、とかそういう具体的な話は無しにして、漠然とただそれになってみたい、知ってみたいと思っています。
十年ほど前に私が『小説家』というものに憧れたとき。普段通り、学校の図書室で気になった本を借りて読んでいたあの日。自分が夢中になり、架空の世界へと導いてくれる目の前のそれこそ、お宝の様であった本と言うモノが実は、自分自身も何気なく使っている日本語だけで構成されているということに気が付けたあの瞬間。
――まるで雷に打たれたかのような衝撃でした。
それまでは自分の中で本と言うのは何というか特別で、厳かで。目を使って手で掴んで、ただ読むことのみが許されている、自分なんかよりも何段も格が上の存在だと思っていたというのに。
しかし実際は百枚程度の紙にインクで文字を綺麗に印刷したものを綴じただけのもので。あくまでその本の価値は印刷された文字列であり、どこかに住む、どこかに生きる、顔すら知らない誰かが綴った文章こそが本の価値であった。
そしてその、私と言う人間を虜にする本の価値といったものを生んでいるのはほかならぬ、自分も普段から使っている言語の巧拙だけ、だっただなんて……。
今となっては何を当たり前な、と言った話ですが、その当時、まだ幼かった頃の私にとっては正に青天の霹靂だったのです。目の前の本は手の届かないところにある存在なんかでなく、それどころかその種は自身の中にさえ植えられていたというのに気が付けたのは。
私はそんなほんの些細な、そして当たり前な事実に気が付けた瞬間から今日に至るまで、愚かにも小説家と言うモノに憧れてきてしまっています。
本は好きだ。大好きだ。よくよく考えてみたら本って言うものは結局言葉の羅列だぞ。言葉だったら自分も使える、使っている。
――なら、書けるのでは?
そう無自覚のまま脳の奥の奥で悟ってしまったであろう幼き日の私は、その日の晩から熱に浮かされるように未使用のノートに削りたての鉛筆を立てて、衝動に突き動かされるまま見様見真似で文字を書き綴ったのを昨日のことかのように鮮明に覚えています。
結果として生まれたのは小説なんかではなく、ただの黒歴史そのものな二万字程度の落書きでしたが。今でもそのノートを正面から目を逸らすことなく読むことはできませんけども……。
でもやはり、そこで立ち止まることなく動けたから今日まで憧れと言う靄を払うことなく生きていられたのだと思うと恥ずかしさと一緒に誇らしさも覚える、そんな思い出。
自己分析、というのはあまり得意ではないけれども、自分の長所を挙げるとしたらそんな自分の無鉄砲さ、向こう見ずさだと思っています。よく言うのならば即断即決、でしょうか。こう、と決めたらすぐに実行。終わった後に恥をかく。
かつて私は小説家というものに憧れて――、その日の内に文章を書き殴った。
ならば今は? 今こうして、小説家に次いだ憧れを獲得した私は、いったい何をする。何をすればいい?
――決まっている。もとより自分の得意なことなどこれくらい。不器用な自分はいつだって真っ直ぐに、一直線に生きるのみ。
憧れるものがあると言うのなら……、動けばいいのだ。十年前のように。
「……んで、話って何? いいんちょーさんがワザワザ呼び出しとか」
くるくる、と細長く美しい指で自身の染めた金の髪を弄くる少女を真正面にとらえる。その瞳には警戒心とか、倦怠感とか、若干のイラ立ちだとか、様々な感情が込められている。
私はそんな彼女の様子に申し訳なさを覚えながらも、しかしこれだけは見逃して欲しいと内心言い訳をして立ち向かった。
「えっと、その……、ね」
言葉が詰まる。息が途切れそうになる。緊張感で逸った心臓が全身に血液を高速で運び、頬に熱が帯びだした。
「……??」
そんな私の様子を怪訝そうな表情で見つめる少女。
なんて情けない。既に腹は括ったつもりだったくせに、今になって怖気づいている。自慢の向こう見ずさは何処に行った、無鉄砲さは消え去ったのか。ぎゅう、と強く両手の拳を握り締めた。
「……あのさ、いいんちょーさんがどう思っているかとかは知らないけどさ? ウチだって暇じゃないワケなんだけど。用がないなら……」
「あ――」
はぁ、といつまでたっても煮え切らない態度を示す私に呆れ果てたのか、大きめなため息を一つ吐いて背中を見せる少女。さらり、とその動きで揺れる金色の髪を綺麗だな、と呑気にも思ってしまう。ちゃんと見たことは無かったから気が付かなかったけど、毛先は別の……、赤と桃の中間のような色で染まっている。
そんな風に、彼女の髪に見惚れてしまっていたからだろう。
すぐに意識を戻すも、気が付けば彼女と私との距離は先ほどまでの倍以上もあり、今も一歩ずつ呼び出した教室の外へと近づいていっている。一秒ごとに彼女の背中が小さくなっていった。
正直に暴露すると、私はその後姿に後悔と同時に安心感を覚えてしまった。今このまま目の前の彼女が居なくなるのを待てば、今日の呼び出しは無かったことになる。彼女の中で私に放課後、教室に呼び出されたという記憶の結末は結局、意味の分からないまま終わってしまった事、と片づけられるだろう。恐らく明日の休み時間、彼女の友人たちにこの話題を共有してそれでおしまい。そこから先は……、無い。
土台が恥知らずな話ではあったのだ。クラスの委員長として普段彼女たちに厳しく当たっている私が今更になって頼み事だなんて。むしろ今日の呼び出しに応じてくれた彼女の律義さにびっくりした程だ。そしてだからこそ、そんな彼女の良識を正面から叩くような真似をしてしまうことに、強い罪悪感を抱いてしまう。せっかく時間を割いてくれたと言うのに、その結末がこれだなんて自分のことながら悲惨すぎるだろう。
「あ、あぁ……」
とうとう彼女が教室の扉に手を掛けた。律儀な彼女はやはり律儀にも教室に入った時に扉を閉めていたらしい。後はその手を横にスライドさせるだけで廊下と教室との間にあった隔たりは消え失せる。それと同時に私の呼び出しも無と帰すだろう。
本当にこれで良かったのか?
脳内で自分が自分に問いかける。シンプルながら、場を的確に捉えた質問だ。容赦なく私の心を抉り取る。
本当に良かったのか? 良かったのかだって――?
そんなの……。
「――ッ」
無論、良くなかったに決まっている。というより、そんな質問など今日この場に至る前に脳内で何度も、答え切っていただろうに。だというのに実際の場に直面して尻込みしてしまった。
これでおしまい? そこから先は無い? 何を日和った九条流星。重要だから、大切だからと踏み込んだ一歩がこれだろう。歩き初めてすぐに未知の終わりを予感してどうするというのだ。十年前のお前はそんな弱気じゃなかっただろう。
先がないと言うのならばそれこそ、私の現状の方こそだ。十年前に歩み始めた道に突如現れた大穴、それを飛び越える為に動いたのが今、この瞬間のはず。
一瞬の気まずさと長くの憧れ。両者の終わりのどちらが尊いか、どちらを選ぶべきかだなんて決まりきっている。
私はようやく固まっていた自身の両足を働かせ、可能な限りの速度で扉の前に居る彼女へと近寄り――
「……えっ!?」
「わたし、に――」
そして扉に手を掛けていた彼女の右腕を自身の右手で掴み取った。可能な限り急いだから体勢はどこか変で、まるで後ろから抱き着くような姿勢になってしまったが気にしない。突然後ろから腕を掴む、といった無礼を詫びることも、先程するべきであった呼び出しの要件の説明さえも省く。今は一秒でも早く、本題と自身の想いを目の前の彼女に伝えなければいけない。
私はそんな、自身の本能の様な勢いに身を任せるようにして身体を動かす。こんな間隔、十年前、初めてノートに文字を書き殴ったあの日以来かもしれない。
「ちょっ、えっ!? なっ、なんなの――!?」
「私、に……」
流れるように掴んだ彼女の腕を引っ張り、背中を向けていた状態の彼女をこちらへと振り向かせる。無理な体勢の変化だ、無論バランスを崩しそうになる。私はそんな彼女の背中へと空いていた左腕を回し込み、抱きとめた。
こちらを向いた彼女の眼を見つめる。何かを入れ込んでいるのだろう。日本人らしい黒や茶の色ではなく、青い、サファイヤの様な瞳が視界に大きく映り込んだ。私は自身の想いを視線だけでも彼女に全て伝われ、と一瞬たりとも視線を彼女の眼から外すことなく、まっすぐに覗き込んだ。
どくん、どくん、と背中に回した左腕から彼女の心臓の躍動を感じる。唐突の事態にびっくりしたのだろう。無理もない。私はかつて妹をあやした時の感覚で、軽くリズムよく叩くように摩りながら心拍と呼吸を落ち着かせようと試みる。
「私に……、教えて欲しいの」
「……教えて欲しいって。……なに、を?」
そんな試みが功を奏したのだろう。つい先ほどまで荒かった呼吸や語気も鳴りを潜め、私の想いを汲んでくれたのか彼女はこちらに相応の真剣さを帯びた視線と声とを返してくれた。
私はそんな今日何度目かもわからない、彼女の律義さに感銘を受ける。そして感銘と同時に勇気をもらい受け、先ほどは言えなかったお願いの言葉を今度こそ紡いでいく。
「ギャルを――」
ぐぐ、と全身に力がめぐる。ただでさえ近かった私と彼女との間の距離がさらに縮まり、もはやゼロ距離と言っていいくらいだ。それくらいなまでに視線と視線とを交わしている。
すぅ、と息を軽く、素早く一度だけ吸い込む。次の一言で、自身の中にある憧れと言った感情を全て吐き出して見せるのだ、と意気込んで。
律儀な彼女はこちらの頼みが真剣であれば耳を傾けてくれるだろう。それくらいのことは、先ほどまでの短いやり取りでさえ見て取れた。逆に言えば、こちらが少しでも嘘や誤魔化しが含まれていれば直ぐにでも彼女はこの腕を振りほどいて外へと出ていくはずだ。
それは、ダメだ。絶対にダメだ。私が何のために彼女を呼び出したのかを思い出せ。初心を今一度思い返せ。
……よし。
私は自身の中で全ての準備が整ったことを悟り、覚悟を決めた。もはや間はいらない。取るのは行動、待つのは結末だ。
私はゆっくりと、一音ずつはっきりと発音するように口を開き発声する。
「――私に、ギャルを教えて欲しいの」
私が、小説家になるために――。
私はそう、彼女に頼み込んだ。
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