アタシの興奮鼻血事件から十数分。頭を上に向け、丸めたティッシュを鼻に詰めて、それからしばし安静に、とその場で出来る簡単な応急処置を行い、血は既に止まっていた。
「本当、大丈夫?」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ! 元気ピンピンよ!」
そう心配そうにこちらを見つめるステラにブンブン、と大降りに腕を回しながら自身の回復を伝える。まぁ流石に血を出したから少し貧血気味ではあるが、これくらいならなんてことはない。先ほどまで全身に満ちていた熱気はどこへやら、今あるのは微かな虚脱感のみである。
……と、少し変な空気になってしまった。それもこれもアタシが勝手に暴走したからなので面目ない事この上ない。
なので自分で乱した空気を元に戻すべく、アタシは「さぁさぁ!」と、まくし立てるように次の話題へと進めることにする。
「ほらほらっ、メイクで顔をガチ盛り出来たんだから次は服で身体の方を飾らないと! いつまでも制服でいちゃ、メイクした意味がないっしょ!」
「え、あ……、うん。それは、そうだけど……」
未だこちらを心配そうに見つめるステラをやや強引気味に立たせ、アタシは部屋の身に置いておいた幾つかの紙袋を取ってくる。もちろん中身は今日買ってきたばかりの新品の服だ。
まぁ正直なところ、制服JK×ギャルメイクって王道も王道で今の状態で十分完璧なんだけれどもね。どんな女の子にもたった三年間しか許されない無敵期間でのみ許される装備、って感じだし。制服でランド、ってのも鉄板だしさ。
「ホントなら着替えてからメイクしとけよ、って話なんだけど買ったばかりの服だから汚しちゃうかもってなるとアレだったしね~。ほらほら、タグ切ってあげるから、ステラは着て着て!」
しかしあくまでそれはそれ。いくら制服が期間限定の最強装備とは言っても、最強が一つだけとは限らない。最強なんてもんは、あればあるだけお得なんだから。
制服は正味、どんなメイクや髪形でも似合う。派手めだろうが芋っぽかろうが、陽だろうが陰だろうが、ギャルだろうが委員長だろうが、誰にだって。あくまで似合うかどうかの基準は着る人間の年齢次第でしかないのだ。おばさんが着ると途端にキツくなるけど、若い子が着るなら誰だって最強。それが制服である、といっても過言ではない。
「ちょっと……。もう、わかった、わかったから、あんまり急かさないで」
てか、だからこそみんな高校を選ぶときは制服を最重要視するんだしね。可愛くない制服の学校とか、行きたくないし。可愛い制服が着れるからその学校にする、なんてのは割とオーソドックスだ。
一方で私服となると、途端に話は変わる。制服みたいに年齢だけじゃなくって、顔のレベルやメイクのタイプ、髪型、果てや骨格や肌の色で正解が一人一人違ってくるのが常。いくら可愛い子でも着るものをミスったら事故になるし、逆にあんまり可愛くない子でも服さえ自分に合ったものを着ればトータルのレベルが大分上がる。
要は、私服ってのは零点から百点までがシビアに存在しているわけだ。常に九十点をくれる制服とは訳が違う。センス次第では百点を出せて制服以上の最強になれるし、ちょっとでも選択をミスれば途端、制服以下の中途半端な選択になる。
……と、アレコレと蘊蓄、っていうか御託が長くなったけれども。今回のステラの制服から私服への着替えで言うと……。
「え、えっと。確かこれは、こう……」
アタシから手渡された紙袋を広げ、中身を取り出し床に並べた後、自信なさげに制服へと手を伸ばすステラ。夏なのにきっちり前のボタンまで留めたブレザーへと両の手を伸ばし、プツ、とボタンを一つずつ外していく。
ボタンを外し終えた後はゆっくりと右腕、左腕と順番に抜くようにしてブレザーを脱ぎ去り、軽く畳むと、先ほど床に広げた買ってきたばかりの服の近くへと、軽く座り込み優しく置いた。前にカラオケで雑に脱ぎ捨てたのを怒られたけども、まさかここまで慎重に制服を扱っているだなんて思ってもいなかった。
ステラはその場から立ち上がると、そのまま流れるように手を再度胸元へ伸ばしてネクタイをこれまた丁寧に外す。もちろんそれから、これも屈んで床に置き、再度立ち上がる。まるで機械のように無駄のない動きだ。
そしてもう一度、彼女はその白魚のような綺麗な指先を自身の胸元へ伸ばすと、今度はブレザーの下に着ていたシャツのボタンを外そうとして……
「……あの、えっとさ。その」
「…………へ?」
そこで気が付く。ステラがこちらをそれはそれは恥ずかしそうに見つめていることに。
頬は羞恥の紅色に染まり、瞳はやや潤いながら揺れている。
「えっと、……ちょっと、見過ぎかなぁって、思って……。恥ずかしいから、できれば後ろ、向いててもらえる?」
「あっ、そうだよね!? ごっ、ごめんっ!」
言われてすぐさまアタシは彼女に背を向けるようにして身体を百八十度旋回させる。
(バカすぎでしょ……)
そう自分を心の中で叱咤する。本日何回目かわからない自分への罵倒だ。さっきなんて興奮しすぎて鼻血まで出したというのに、ホント学ばない。
しばしアタシは気まずい沈黙の中、ひっそりと息を殺す。もう、ホント申し訳なさすぎてヤバい。今すぐ土下座でもして謝りたいが、そうなると振り返ることになるのでそれも無理。だからただ今は動かず、ジッとするのみ。
しばらくしてステラも落ち着いたのか、制服の脱衣を再開させたようで後ろから衣擦れの音が聞こえてきた。
スリ、スリ。シュルリ、シュルリ。
普段ならば気にも留めない衣擦れ音も、沈黙に包まれたこの部屋の中では唯一の音源となり、いやでも目立って耳から離れない。自然と頭の中ではステラが今、どの服を、どのように脱ぎ去り、そしてそれをどうしたのかをくっきりとしたイメージで妄想してしまう。
それは如何に同性であろうと、許されない程に背徳的な思考であろう。だけどもダメだと思うほどに強く意識して止められない。
今のアタシの脳内では、ステラは先ほどまで脱ぎ掛けていたシャツを脱ぎ去り、上半身にはもう下着のみを着用した像となってしまった。きっと脱いだシャツはこれまで同様、畳んで床に置いたのだろう。
当然だけどアタシはステラの下着だなんて見たことがない。今日の買い物だって試着室の中でステラが着替えるのを待っていただけだし、そもそも会話するようになってまだ一週間も経っていないのだ。体育の着替えなんかで視界の中に入ったことはあったとしても、意識して記憶に残したことなんて一度も無いのだ。
だからこそ、アタシの脳内で描かれるステラの下着姿は全てアタシの妄想、願望でしかない。ステラならこんな下着を着けそう、こういうのを着けていて欲しい、着けているところを見てみたい。そんな理由で色々なパターンを思い浮かべる。
色はどうなんだろう。やっぱり彼女の純粋な性格らしく、白色なのだろうか。それとも大人びた性格をしているし黒色? ピンクや紫なんてのもきっと似合うはずだ。
柄は? お花とか、きっとカワイイ。形状はどうする。布地は多いか、少ないか。ステラっぽいのは布多めだけど、そこで布少な目の方もギャップがあっていい。
普通に考えて、クラスメイトと買い物に行くだけなんだからそんな可愛らしい下着を着用する理由なんてないし、ステラのことだから機能性第一の可愛らしさの少ない下着を使っているんだろうけども。上下で揃っている保証もない。いや、ステラの性格的に揃ってないとかは嫌がりそうだけども。
女の子らしい華奢な身体付き、ほっそりとした腕や腰つき、その上に飾るように取付けられているはずの女の子の下着。
(あ……)
ジーッ。
後ろから先ほどまでの衣擦れとは異なる、金属的な音が聞こえてきた。この音が何か、アタシにはわかる。アタシだって、平日は毎日着ている制服から出る音だ。そりゃあピンとくるよ。
これは……、ジッパーだ。スカートのジッパー。留め具を外して、ジッパーを下ろして。固定を緩めて、腰のあたりから下に落として脱ぎ去るために、スカートのジッパーを緩めた音。
そしてアタシの予想を肯定するように、ぱさりと、スカートが床に落ちたとしか思えない音が聞こえる。
その音でアタシの妄想はさらに加速し始める。
(ありえない、ありえないんだけどさ……!)
もし。普通ならありえないけども、妄想なら何でも許されるだろうから、と言う理由でイフを想像する。
普通だったら着替えをするとき、上と下とをすべて脱いで、それから上と下を着る、なんて奇妙なことはしない。上を脱いだら上を着て、下を脱いだら下を着る、って順番なはずだけれど。ステラだってきっとそういう順番で後ろで着替えているはずだけれども……。
アタシの脳内でだけは、そんな現実とは異なる世界線を妄想する。
ステラが、上のシャツを脱いだ後、買ってきたトップスを着用するより前にスカートを脱いだ世界線。上も下も、服と言う服は存在せず、身に着けているのは布と言うには心もとない下着だけになった、そんなイフ。
ステラが今、背を向けるアタシの後ろでブラとパンツの二つだけを着ているという異常事態を、愚かにもアタシは考えてしまったのだ。
(少しだけ、少しだけなら……)
だから、魔が差した。ふと気になってしまったのだ。自分の妄想が、もしや現実なんじゃないかって。今アタシの脳内にだけある世界線は、実は本当にアタシの後ろで繰り広げられているんじゃないか、って。
確かめたくなった。
……でも。
(流石に、ダメ、だよね……)
いくら何でもそれは節操がなさすぎる。ただでさえ先ほどステラに咎められて、自分で自分を叱責したというのに、ここで振り向いては流石にクズ過ぎる。
だからアタシは後ろ髪惹かれる思いを断ち切り、ステラに背を向けたままその場で静かに佇むのであった。
暫くしてステラがどうやら着替え終わったらしく、後ろから「もうこっち向いていいよ」とのお許しが下る。
アタシはずっと堪えていた振り向きたいという欲求をようやく解放できるぞ、とステラの言葉を認識したと同時に振り向いて……
「……どう、かな?」
「やっば……」
そしてただただ、アタシは絶句した。
「え……、かわっ、エロ。エロかわで……、綺麗で……え、やばっ……」
言葉に詰まる。目の前の存在を自分の言葉で形容したいのに、あれこれと言いたい欲求に駆られて言葉がまとまらず、結果として途切れ途切れでしか生み出せない。
可愛いと言いたい、エロいと言いたい、綺麗と言いたい、総じて最高と言いたい。
でもそれらを同時に言う手段が無いから、それぞれの言葉が事故を起こしてしまって一つもまともに言えていない。
可愛いって褒める。エロいって褒める。綺麗って褒める。
……どうやって褒める? 今目の前にいる存在を、アタシはどう言葉で表現すればいい。こんなことだったら普段から本とかを読めばよかった。それこそ、ステラの書いたっていう小説とかを読んでおけば、多少はマシな語彙力を手に入れられていただろうに。
今のアタシじゃあ、何も言えない。まるで女の子と初めて話した童貞みたいな挙動不審だ。普段のアタシが傍から見ていたら、自分を自分で笑っていただろう。
でも、いつまでたってもずっと挙動不審でいていいはずもない。だからアタシは自分の中にある、数少ないボキャブラリーを総動員して自身の中の感動を表現しようと努力して……
「くそかわを超えてヤバかわじゃん……」
そして何とか言葉を捻り出す。
意味が通じているか、とかはこの際いい。今の言葉が、アタシの中の感動を、アタシの言葉で表現する上でできる最大値だったのだ。
もしかしたらステラの悩みもこれなのかもしれない。多分、悩みとしてのレベルは大きく離れているだろうけど、自分の中の感動を、物語を、どうにかして表現したいのに、表現できない。だから自分とは異なった価値観を知りたいってそう思った。
アタシは勝手にそう、ステラへの親近感を高めながらもう一度、今度はゆっくり目の前の彼女の姿を眺める。
メイクは先ほどアタシが施した白ギャル系。カラコンはブラウンで黒目を大きく見せるタイプ。
黒のトップスはデコルテを広めに曝け出すタイプのカジュアルな奴で、ボトムスは上のカジュアルさに合わせてデニム生地のパンツを選択。長さはショート過ぎず、歩いたときにうっすら腿が見えるくらいのをチョイスした。
……で、ショッピングの時はメイクや服はバラバラで似合うだろうな、って脳内で組み合わせるだけだったわけで、こうして実際にステラの身体で組み合わせたのは初めてなんだけれども。
「え……。ステラなんだよね? 学校でいいんちょーやってる、超真面目ちゃん系の、あのステラで。……急に人が入れ替わったりしてないよね?」
「何を馬鹿なことを、って言いたいけど……。たしかにコレは、私もびっくりかも……」
そう、ステラは自信なさげに壁に立てかけてあるミラーの正面に立ちながら答えた。 自分で自分を自分とは思えない、みたいな様子だ。
わかる。すごくわかる。メイクしたのも、服を選んだのもアタシなのに、今目の前に居るのがあのステラだ、ってイコールで結びつかないもん。
普段からビジュが強いステラだけども、それはずっと原石のままでさ。磨く前のダイヤモンド、って感じだってけれども。
今こうして前に立つのは研磨も終え、最終的な完成品となった状態の完全なる宝石そのものでしかなくて……。正直、メチャクチャ眩しい。
……でもアタシはなんだかその立ち姿には何か一点だけ、足りていないような気がする。その完全なギャルとして生まれ変わった、クソかわのステラに、一点だけの足りない点。
開かれた胸元と、露わになった肌の白さと肉の柔らかさ。これらをきゅっと引き締めてくれる、彼女の印象にあった、鋭く美しいモチーフがあれば……。
そう思った私は「やはり間違っていなかった」と。自信をもって、脇に置いた鞄から紙袋を取り出す。
「ねー、ねー、ステラ?」
「なに、ミレイ?」
振り向いた彼女の表情はまるで花のよう。彼女も鏡の中の全く新しい自分の姿に高揚しているのだろう。やっぱり、イメチェンをしてみて実際に変わった自分を見るとテンション上がるよね。アタシも髪型を気分で変えるけど、鏡で髪型変えた後の自分を見ると興奮するし。
髪型でさえそうなんだ。全身イメチェンともなれば、その感動も計り知れない。
でもまだまだ、これくらいじゃあ終わらない。感動はまだまだ控えている。
「まだまだ、終わりじゃないよ!」
「えっ……? ギャルってメイクや服とか意外にも、更に何かしたりしているの?」
ステラはこちらに「嘘でしょ」みたいな驚きの顔を向けながらも、同時にその表情には「さらに先があるの!?」みたいな向上心が上乗せされている。アタシはそんな彼女の顔を見て、ニンマリと口角を上げた。
「んーん、そーじゃなくてさ!」
そう言ってからアタシは自身の背後に隠していた紙袋をステラに差し出す。
「ほらこれ!」
「……え?」
そして「ほらほら、受け取って!」と紙袋の持ち紐の部分を彼女に半ば強引にも握りこませた。ステラはすっかり「何が起きたのかわからない」、みたいな顔をする。ハトが豆鉄砲を食らった、ってのはきっとこういう時に使う言葉なんだろう。
それくらいちょっと間抜けで、思わず吹き出してしまいそうだ。
でも、せっかくのプレゼントの時間なんだから。そういう人を馬鹿にするような笑いってのは控えて、もっと和やかに、幸せに行こうとアタシは込み上げる笑い声を噛み殺して、それから口を開いた。
このプレゼントを買った理由と、それを彼女に送る理由を伝える為に。
「ステラはお金なくて買えないって言ってたじゃん? ――だからさ、代わりにアタシが買っといたのよ! これ着けたらもっと最強だってさ、そう思わない?」
――それが間違いだと、疑うこともせずに。