第15話
「ほら、これ!」
そういってこちらに何かを差し出すミレイさん。これは……、紙袋か。メイクに服に、とギャルというものを知るために色々とやったけれども、まだまだ先があるというのだろうか。今の時点ですごく変化したと自分自身でもそう思っているのだけれども。
私は驚きと、そして「これより上が……?」といった若干の好奇心に惹かれるまま彼女の差し出した紙袋をマジマジと見つめ……。
「え……」
そして、言葉を失う。
「そ、それって……」
失礼ながらも思わずわなわなと指先を震えさせながら差し出された紙袋を指し示す。「ん?」とミレイさんは何でもないようにこちらに微笑んできた。
黒く、マットな質感の厚紙を用いて作られているそれ。表層には金色の装飾で意匠……、おそらくその紙袋を使用しているお店のロゴと、その下にはその店名であろう英字がプリントされている。
――VELLSA。
あまり、というよりも全くと言っていいほど服飾などのブランドに対する知識がない私だけれども、そのブランド名だけは知っている。……いや、正確には違うか。知っている、だとずっと前から、今日に至るまでずっと名前を知っていたということになる。
でも、そうではない。私がこの「VELLSA」というブランド名を知ったのは……、あくまで今日、それもたった数時間前の話であるというのだから。
そして、そこまで思い当たった私には、その紙袋の中身まで開けることなく看破できる。間違いようもない。推理、だなんて難しいことも要らない。むしろ、私が今の今まで鈍感過ぎただけなのだ。彼女はあれだけあからさまであったというのに、私はそれを何の気にも留めずに受け入れてしまった。
これはきっと、そんな些細な行き違いが生んでしまった悲しい現実なんだろう。
「ミレイ……」
「ん、なーに? お礼? いーの、いーの、大した金額じゃないし!」
そう無垢に、無邪気に笑顔を浮かべる彼女の顔を見て、これから放つ言葉に心が引き裂かれそうになる。本当にこれは彼女の悪気ではなく、純真なる善意で起きてしまった行き違いだってわかるから。
でも、そこで怯えていてはいけない。私は覚悟を決めて、口を開いた。
まっすぐと、彼女の目を見つめて。
「それは……、駄目だよミレイさん。そんなことをしては、駄目」
「…………え」
瞬間、彼女の顔から表情が抜け落ちる。私はそれを見て、胸が張り裂けそうで目を逸らしたくなるも逸らすことはしない。私がここで逃げていいわけがない。
「……ぇ、でも、さ? その、……ステラ、これはさ……。一緒に遊んだ記念、的な、さ? わかるでしょ? ね?」
そもそもこの行き違いが生じたのは彼女の善意と……、それに甘え続けた自分自身の怠慢さが原因なのだから。
こちらに一歩、二歩と歩み寄るミレイさん。その表情から先ほど笑みは抜け落ちたが、今では焦りのような表情がその殆どを埋め尽くしている。
「……ね?」
そもそも私と彼女との間に距離と言う距離は無かった。彼女が私に紙袋を手渡す為に近寄っていたので、二人との間には五十センチ程度の隔たりのみ。
当然、そんな距離しかなかったのだから一歩、二歩と近寄られればすぐさま二人の距離はゼロとなって……
「ねぇ???」
「――ッ、ミレイさん」
私はミレイさんに両肩を手で掴まれて身動きが取れなくなった。そもそも二人の身長差は十数センチ近く存在しているのだ。私が彼女に本気で捕まれば、逃げようもない。
……顔が、近い。必死にこちらの瞳の中を覗き込んで、懇願するような視線を私の瞳へと注ぎ込む。ドロドロとした、蜂蜜のような視線だ。こちらも心を強く保たねば絡め捕られそうなほどに甘くて、魅力的。
(あぁ、そう言えば……)
至近距離で彼女の顔を見つめながら、ふと思い出す。そういえば、そうだったっけ。そもそも私と彼女との交友は始まって間もないけれども、その始まりはこんな感じだったはずだ。今とは私と彼女との立場が逆だったけれども。
夕暮れの教室の中、私が不躾にも呼び出した彼女にすべての発端となる「お願い」をしようとして、けれども中々煮え切らない私にしびれを切らした彼女が教室を出ようとしたあの日。私はそんな彼女の背中を見て、焦り、彼女を抱き寄せて「お願い」を口にした。
あの日もこんな風に、私と彼女との距離はゼロへと近づいて……。そしてこんな風に顔を近づけ合うことになったっけ。可愛らしいというよりは綺麗な、彼女の顔《かんばせ》。いつもそこには笑顔があったのに、今はそれが失われた。他ならぬ、私のせいで。
いつも自身に満ち溢れた、そんな彼女の表情が私は大好きだったのに。
だから私は……。
「……え?」
「ごめんなさい、ミレイさん」
だから私は彼女に取り巻く焦りを取り除くべく、目の前に置かれた彼女の顔を抱き寄せた。彼女の頭の後ろに両手を左右から回し込み、引き寄せ、額と額とをくっつあう。
これまでの時点で二人の距離などほぼゼロであったが、もはや比喩でも何でもなく私たちの間に空間は存在しなくなった。私の視界にはもはや彼女の両目しか映らない。青い、空の様なカラーコンタクトの色とその奥に隠れる彼女本来の瞳の色だけしか見えない。
「ちょっと、ミレイ……。何、して……」
きっと彼女は彼女で私と同じような視界なのだろう。彼女には私の瞳しか見えていない。彼女が選んでくれたブラウンカラーのカラーコンタクトを着用した私の両目が。
「すぅ……。はぁ……」
深めの深呼吸で呼吸を整える。呼吸音はわざと大きめにした。ミレイさんの呼吸は焦りからか若干乱れていたようだったので、私が先導するようにリズムを作って、吸って……、吐いて……。吸って…………、吐いて…………。
二人の呼吸のタイミングをまったくの一緒にする。イメージとしては互いが吐き出した息を次の息継ぎで吸い込むようなくらいの同タイミングで。もちろん、それでは酸素が足りないからこれも比喩でしかないけれども。
そうして暫く。乱れかけていた彼女の呼吸が整ったことを自身の耳で確認した私はようやく自身の想いを口にする。
「ミレイさん……、私はあなたのことを大切な友人だと思ってるの。そして、あなたにもそう思ってもらえていたら嬉しいんだ。……だからこそ言わせてほしい。それはダメだって」
「私だって、ステラは大切で……。だから……さ、ステラ?」
受け取ってよ。そう言おうとする彼女の言葉を遮って、私は言葉をつづけた。
「まずもってね。ミレイさんの気持ちはとても嬉しいの。私のことを想っての行動だってことはわかるからね? その行動に、何の悪気もないことは短い付き合いでも、よくわかってる」
「……嬉しいならさ、良いじゃんか。……それで」
「そう言うことじゃないの。そもそも、それを買ったお金って元は誰のなの? それは、ミレイさんが働いて稼いだお金?」
「それは、違うけど……」
「だよね。ウチの学校って、アルバイトは原則禁止だよね。多分、ご両親から貰ったお小遣いとかで買ったんでしょ?」
そう尋ねるとミレイさんは僅かに震えながら、コクリ、と頭を縦に振った。額越しに彼女の動きが伝わってくる。
「でもさ。元はそうでも、お小遣いとしてもらった後は私のお金で……、私が好きに使っても良いじゃんか」
「たしかにこれがコンビニで飲み物を買ってもらう、とかだったらまだわかるよ。でも、さ。これは到底、そんなレベルじゃないの」
先ほど差し出された紙袋を思い返す。今はミレイさんが私の肩を掴んでいるために紙袋も私の背中側へと回ってしまったが、その特徴的な見た目から忘れるはずもない。あの、外装の時点で明らかに高級な雰囲気を醸している紙袋を私はこれまでに見たことがなかった。
そしてその中身だってそうだ。忘れるはずもない。取り出してこそしてないけれどもまず間違いなくその中身はあの時、ショッピングからの帰宅中に彼女が偶然見つけたネックレスのはず。紙袋に印刷されていた「VELLSA」のブランドロゴも踏まえれば、まず間違いない。
「このお家を見ても、私とミレイの持つ金銭感覚に違いがあるってことくらいはわかる。ミレイからしたら、このネックレスの……、二万二千円って金額も、私がさっき例に出したジュースくらいのつもりだったのかもしれない」
こうして彼女の自宅までつれてきてもらった私だけれども、そもそもまずもって私はその自宅の大きさに驚かされた。まさか東京と言う日本国内でも土地の価値が頂点であろう都市の中に置いて、ここまで立派な邸宅を構えられるだなんて。そう圧倒されるような光景に、私は息をのんだのを覚えている。
私たちが通う桐葉高校は中流から上流と呼ばれるような家庭出身の生徒がボリューム層となる私立高校であるため、きっと彼女はその中でも上位に位置する家庭の出身なのだろう。
そんな家庭環境の中で育った彼女と私とでは、そりゃあ金銭感覚やなんやに差があるのも当然だ。これはどっちが悪い、じゃない。あくまで育った環境が違うから、ってだけの話。高所で育った彼女と、低所で育った私とでは呼吸一つとっても最適な酸素濃度が違ってくる、みたいな、ね。
だからこそ、この金銭感覚の差によるすれ違いにおいて彼女に何ら落ち度はないと私はそう思う。
「けど……。これは、私の頭が固いのかもだけどね。……そもそも、友達同士で、ご両親から貰ったお小遣いで奢った、奢られただなんてのはそれこそ、コンビニのジュースとかでもやっちゃいけないことじゃないかって私は思う」
けれども、それとこれとは話が別として。
金額の多寡に対する認識が違うのは当然としても、そもそもの話として、友人同士で「奢る、奢らない」だなんてものは不健全だって私はそう思う。
だって、友人関係って言うのはあくまで対等であって。それこそ、生まれに差がある私と彼女とでも対等に笑い合える関係に慣れるからこそ、友人関係ってのは尊いはずなのだ。
まして、そこで介入する金銭が自身の労働の対価ではなく、両親が子供に対する愛情として与えたものであるだなんてことは、あってはいけない。
この想いを言葉にするのはとても難しくって、作家志望の癖に情けないと自信を卑下したくもなるけれども……。一言で表すのならば、そう。これはただの感情論でしかないけれども。
嫌、なのだ。ただ、ただ、嫌だ。
会ったことも、話したこともないような人が額に汗を流しながら稼いだであろうお金を、お礼も言えない立場でただ享受するのが嫌だ、って理由もあるけれども。でも第一は変わらず、先ほどまでの感情論だ。
友達に奢ってもらう、なんてのはされたくない。
……そう、私は自身の思いの丈を、若干言葉に詰まりながらも眼前の彼女に囁く。自分の気持ちを隠すことはせず、思ったまま、彼女に私が拒絶した理由を伝えた。
そして暫しの間、私たち二人はともに口を閉じ、そして……
「……ごめん。ごめんね、ステラ」
そう、ミレイさんは謝罪の言葉を口にした。けれども違う。「ごめんなさい」は彼女の言葉ではない。それを言うべきはむしろ私の方だ。
何度も重ねるが、彼女はあくまで彼女の常識の範囲内で善意でプレゼントをしようとしてくれたってだけであって……。むしろそんなプレゼントをさせてしまう様な関係性を築いてしまったのは、間違いなく私の責任でしかない。
「謝らないでミレイさん。……私が悪かったの。私が貴方の善意に甘え過ぎていた。これは、そんな私の情けなさが生んでしまった行き違いなの」
「……そんな。ステラに悪いところなんて、ないし……」
いいや、そんなことはない。私はううん、と首を横に振る。額をくっつけている性質上、同じように彼女の頭も左右に振れた。
「……よくよく考えたらね。いや、よくよく考えなくてもだけど、急に今まで話したこともない人間がさ。……『ギャルを教えて欲しい』だなんて変なお願いをして。それに嫌な顔を一切せず、こうして付き合ってくれる、貴女のやさしさに付け込んでしまっていた」