どんな事件があったとしても、世界は構わず時を進める。
ミレイさんと買い物に行ったり、お家でメイクをしてもらったり、ちょっとした行き違いをしたり、とそれはそれは色々とあったけれども、それももう昨日の話だ。休日である日曜日は過ぎ去り、代らぬ平日の始まり、月曜日が今週もやって来た。
そして私もいつもと変わらないように、みんなよりも早めに学校にやってきては時間を持て余し、教室の黒板を掃除する。右に、左にと黒板消しを動かしていけば先週の金曜から残っていたであろうチョークのカスが取り除かれ、綺麗になっていき気分がいい。
「~~♪」
気分がいいのでちょっとだけ、鼻歌なんかも歌ってみたりもして。軽く身体を揺すってリズムをとりながら、黒板を掃除する。
ちらり、と左手側にある窓の方を見る。今日も夏らしく朝から太陽は元気に地上を照らしているようだ。きっと外に出たらすぐに汗をかいてしまうくらい暑いのだろう。
「……いい天気だなぁ」
窓越しに見える青空と白い雲。夏、と言われて凡そ全ての人間が連想するであろう、心の奥にある原風景に、一人教室の中で感嘆する。とても清々しい景色だ。
「……よしっ」
そんな景色に応援されたような気がして私は、きゅっ、と黒板をこれまでよりも強めに横に滑らせてチョークの粉を落とすのだった。
「でさー、この土日もずーっと部活漬けだったのよ~。委員長、なぐさめて~」
「ちょっと、朝日奈さん。食事中に寄りかかってこないでよ、制服が汚れちゃうよ」
「んい~~」
教室で朝日奈さんと二人、昼食をとりながら雑談に耽る。
私は自作のお弁当、朝日奈さんは購買の総菜パンを二個、と二人ともに高校生らしい昼食内容だ。普段、朝日奈さんは食堂で昼食をとっているけども、今日は四限の授業が長引いて席がとれなかったらしい。こうして一緒にお昼ご飯を食べるのは一か月ぶり、とかだろうか。
「あ、委員長の玉子焼き美味しそ。一個ちょーだい?」
「はいはい、どうぞ」
「やりぃ! あんがと、委員長~」
乞われたのでズイ、と自身のお弁当箱を彼女の方に少しだけ進めると彼女はひょい、と指で玉子焼きをひと切れ掬い上げ、口に含んだ。
その行儀の悪いさまに一言何か言おうか、とも迷ったが、しかし「美味し~!」とそれはそれは満足そうにしているところを見るとそんな気分はすぐさま霧散してしまう。こういう、なんというか、人に好かれるような雰囲気がきっと朝日奈さんの一番の魅力なのだろう。
「んじゃお返し~。コロッケをぷれぜんと・ふぉー・ゆー。……コロッケパンのだけど」
こてん、とお弁当の白米の上にコロッケパンのコロッケが置かれる。パンにはさむために半分に切られ、表面にはたっぷりソースがかけられている。よく見れば一緒に挟まれていたであろう千切りキャベツがいくらか衣に張り付いている。
玉子焼き一個とコロッケ半分はややこちらが貰いすぎな気もしなくはないが……。仕方ない。
「朝日奈さん。ウインナーも一本あげるから、好きに食べてね」
「マジ? 委員長、太っ腹ぁ」
そう言って「ではさっそく……」と、玉子焼きと同様に指でウインナーを一本抜き出しては口に含む朝日奈さん。またすごく美味しそうな顔をするものだから、私もつられて笑ってしまった。
……と、
「ねぇねぇ、ちょっといーい?」
「……はい?」
急に後ろから声を掛けられたので振り返る。少しだけビクッとしてしまったのは内緒とばかりに、なんでもない風を装って。と言うか、この声って……
「天音さんじゃーん」
「あ、ホントだ」
振り返るとそこに居たのは彼女、金色に染めた長い髪がトレードマークの天音美鈴さんその人であった。
「アタシもステラの卵焼き食べたいんだけどさ、交換オッケーなタイプ?」
「交換って……。別に駄目とかじゃないけどもね。そんなたいそうなモノじゃ……」
って、聞いてないし。「よっしゃー」とか言いながら朝日奈さんと同様、素手で私のお弁当箱から卵焼きをひと切れひょいっ、と摘まみ上げては口に運んだ。
「ステラのお弁当って全部手作りなんでしょ~? せっかくだからアタシ、ステラの手料理、食べてみたかったんだ~」
「手料理、ってほどのものでもないでしょ。すっかり冷めちゃってるし」
昨日買い物に行っている間の雑談の一つとして話したんだけれども、それが彼女の興味を誘ったのだろうか。わざわざこうして食べに来るだなんて。
いつも彼女は仲のいい友人数人と教室の真ん中で机を円形にしてお昼ご飯を食べているけれども、どうやらそこから歩いて来たらしい。教室の中央では吉田さんなんかが「ちょっとミレイ、急にどしたの!?」なんて彼女の突飛な行動に驚いているみたいだし。……正直、私も同じ気分です。
ミレイさんはミレイさんで「すぐ戻る~」だなんて返事しているし。
「ステラん家はだし巻きなんだ。ウチは甘い系の卵焼きだからなんか新鮮かも」
「ご飯のおかずにするならだし巻きの方がいいでしょ? だから我が家はだし巻き派なんだ」
「え~。甘い系でも醤油かけたらめっちゃオカズだよ?」
そりゃあ醤油に甘みを足したらだし巻きに近づくしね。そこに出汁とかを追加したら完全一致だし。
「あっ、これ交換の品ね? はいどーぞ」
「あ、ありがとう……。って、これ……」
そう言って彼女は両手で私の手に何かを握りこませる。なんだろう、少し無機質な感触がする。こうやって手渡すあたり、これは包装の感触だろうか。
私はそれに目を向けて……、って、えぇ……?
「コレ……」
「ウチのイチバンのお気に入り、ツナマヨおにぎり! ツナよりマヨ多めなのがいいんよね」
「いや、えっと……」
「オカズ交換でおにぎり差し出す人間、初めて見たよ……」
そう呟く朝日奈さんに私も完全同意である。ご飯のおかずの交換で、まさかご飯そのものが手渡されるとは思ってもみなかった。普通、この場合はツナマヨおにぎりじゃなくって中身のツナマヨが送られるのではないだろうか。
「それ、購買のおにぎりん中だったらダントツでうまいから! ステラも食べてねっ、んじゃ!」
そう言い残すと彼女は元来た場所へと戻っていく。まるで台風そのものであった。急に後ろにいたと思ったら気が付けば卵焼きがツナマヨおにぎりになるだなんて。
「……あむ」
しかしいつまで呆けていても仕方がない。昼休憩の時間が終わってしまう。
そう覚った私は包装を破り、中からおにぎりを取り出し海苔を巻いて口に少しだけ含んで嚙み切った。売られているおにぎり特有の、パリッとした海苔の感触が心地いい。
「……ほんとだ、おいしい」
瞬間、口内に広がる海苔の風味とマヨネーズの酸味。そして噛めば噛むほど広がるツナの風味とがイイ感じにマッチして、彼女の言っていた通り確かにこのおにぎりはとても美味しい。
「……けぷ」
でもそれはそれとして、やっぱりおにぎり一個は普通に多い。私はそれを食べきったことでほぼ満腹となったので、余ったオカズをいくらか朝日奈さんに食べてもらうことで、なんとか今日のお弁当を完食するのであった。
「……よし」
自宅のリビングに置いてあるパソコンを立ち上げ、いつも使ってる小説執筆用のソフトを立ち上げる。いつもは保存フォルダ内の作業中のテキストを呼び出すことで執筆を行っているのだけれども……、今日はそうはいかない。今日からは新作を書き始めるから、そもそもの作業中のファイル、ってものがないのだ。
時刻は現在、夜の十時。既に家族はそれぞれの自室へと籠っている。家族共用パソコンとしてリビングに設置しているため、私が執筆作業中はみんな気を使って私一人にしてくれるのだ。別に居てくれてもいい、と言っているんだけれども、結局今日までずっとこうだから私ももう最近は何も言っていない。
「……」
すっ、と両手をキーボードの上に揃えて重ねる。
プロットはすでに考えた。キャラクターも主要キャラは登場させるかは置いておいて、十人は形作っている。ジャンルは青春、ただし恋愛は無し。あくまで誰しもに与えられた短い期間における魂の躍動だけを描くのみ。
部活動に打ち込む主人公と、部活動なんかに真剣になるなんてダサいと考えているヒロイン。ひょんな出来事でヒロインは主人公が率いる野球部のマネージャーをすることになるも、最初はやはり毎日のように外を走る回る高校球児を見下しているが、次第に……。
そんな感じの、よくある感じの部活動ものの小説だ。
「…………」
カタカタ、カタカタ、と文章を打ち込み始める。プロット通りに、展開に合わせキャラクターが会話をし、物語は進展して、空想の世界が成り立ち始める。自画自賛ではないが、ここまでは上手く書けていると思う。
……だけど。
「……っ」
だけど、それではダメだ。私が上手く書けている、とそう判断した作品は悉く講評にて「キャラクターが硬い」と評されてきた。今書いている作品に対しこれまでの私と同じ評価をしている、というのならそれはつまり、これまでの作品から何も成長していないということになるだろう。
私はこの自身の欠点をどうにかするためにミレイさんにギャルというものを教えてもらおうとした。その発端は尊敬する作家の白峯先生のインタビュー記事にある。
一度きりとは言え私は昨日、ミレイさんの部屋でギャルになったのだからもしかして今なら、少しくらい成長したのでは、と新しく物語を綴り始めてみたのだけれども……。
(なにも、成長していない……)
やはり、たった一回ギャルの恰好をしただけでは駄目であったということなのだろうか。別に、一気に変わっていて欲しい、だなんて思ってはいなかったけれども、ここまで何の変化も無いとなると、今の方針が正しいのか疑念を抱いてしまう。
そして疑念が少しでも生まれてしまうと、それはどんどん大きくなっていき……。
最終的に執筆中の私の思考は物語の展開よりも、現在への疑念の方が多くを占めるようになってしまった。キーボードをたたいていた両手が、止まる。
(……ミレイ、さん)
そこで私は何故か、ふと急に最近できた友人の顔を思い出した。やっぱり印象が強いのは笑顔の彼女だからか、浮かんできた顔も満開の絵顔。
そしてふと、彼女なら今の私と同じようになったらどうするか、だなんて考えて……。
「……書こうか」
そしてそれを切り止めて、止めていた両手を再度動かし始める。
そもそもその疑問に解は無い。ならば考えるだけ無駄と言うもの。そんなことを考えている暇があるくらいなら、一文字でも多く書いた方がよっぽど建設的だ。
(ミレイさんなら、そもそも止まらないよね……)
今やっていることに意味があるのか、なんてきっと彼女は考えない。もしかしたら意味がないのかも、だなんて疑わない。
常に前向きに、常に果敢に、常に最強に。そんな精神性だからこそ、彼女はきっと私を受け入れてくれたのだろう。
本当に、敵わない……。
「~~♪」
気が付けば私は身体を横に揺らしだす。鼻歌も、小さい音量ながらいつからか始めていた。
その夜、私の手が止まることはもうなかった。