私立桐葉高校。東京都内にありふれる、ごく普通の私立の高校の一つ。
偏差値は高めではあるが高すぎず、毎年卒業生の何人かが国内最高峰の大学に進学しはするが、だからといってそのボリューム層はそこそこといったレベルに落ち着く、進学校には一歩か二歩ほど足りない、準進学校といった学校。
通う生徒たちも私立と言うこともあり、大体は裕福な家庭出身ということもあって品や礼儀は最低限身に着けているが――もちろん、生まれが品や礼儀の全てとなると言いたいわけではないけれども――、一方でやはり飛びぬけて裕福な家庭出身だなんて言う人は珍しく、この点でもそれなりという評価がピッタリな学び舎。
そんな高校が私、九条流星が通う学校なのであった。
「あっ、委員長~。おはよ~!」
「はい、おはよう。朝から元気ですね」
ガラリ、と教室の入り口にある扉が音を立てて開くと同時に人影が飛び込んできて元気よく挨拶をする。私は振り向きながらその人影がクラスメイトの朝日奈さんであることを認識すると同時に、彼女の朝の挨拶へと返答した。
「委員長は今日も一番乗り~? 朝から黒板の掃除なんかしちゃってぇ、この優等生ちゃんめ~!」
「あははっ、もう、やめてよっ」
彼女の言った通り、時間を持て余していた私はなんとなく黒板に残っていた昨日の書き残しを右手に持つ黒板消しで掃除していたのだけれども、そんな私の様子が彼女のどこかしらの琴線に触れたのだろうか。瞳をキラキラと輝かせた朝日奈さんはこちらへと近づくと「えい、えいっ」と両手の人差し指でツンツン、と脇腹の辺りを刺激してきた。顔には何やら嗜虐的な色まで浮かんでいる。
私は少しの痺れる様な感覚に笑い声を抑えきれないまま、大した抵抗もせずにそれを受け入れた。まあ、よくある友達同士のじゃれあい、みたいなものだ。
「――、ふぅ。朝日奈さんはこれから朝練?」
「そーなの。こんな朝早くから練習とか嫌になっちゃうよ~」
少しして、彼女の中の謎の嗜虐心が収まったのか人差し指の猛攻も終わる。私は息を整え、次いで乱れた制服を整えてから会話に戻った。
「そんなこと言って、結局はサボらないでちゃんと練習に来てるんだから」
「そりゃそうよ~。夏の大会終わったら三年は引退じゃん? そしたら二年の私たちがトップだし。今の内から一年に舐められるわけにはいかんのよ~」
そう言いながらぐでぇ、と自身の体重をこちらの肩へと乗せながら倒れ込んでくる朝日奈さん。正直、少し重たい。けれども、女の子相手に「重いからどいて」と言うのもアレなので我慢することにする。
「およ? ところで委員長さ。今日なんかあんの?」
「なんか、というと……?」
必然、肩にのしかかられる程の距離感ともなると、それは普段ではありえないくらいには近づいている訳で。普段ならばあり得ないような至近距離で顔を覗き込まれ、尋ねられた。
しかしその質問の内容が「今日なんかあんの?」と、些か要領を得ないものであったために私はオウム返しのように聞き返してしまう。
なんか、とは、なんだろう。自分でも気が付いていないだけで、顔色でも悪いのだろうか。
「ん~~? いやぁ、そんな真剣な話じゃないのよ? ただ、いつもの委員長よりもちょいテンション高めだなぁ、って思って」
「……普通じゃない?」
「そう?」
朝日奈さんはじぃ、とこちらの顔をしばらく見つめた後
「……まぁ、別にいっか。テンション低いよりは、高い方がお得だしね」
気が済んだのか、そう言ってパッと体重をかけるのを止め、先ほど入って来たばかりの教室の出入り口へと向かう。
「んじゃ、私は部活行ってくるわ~」
そう言いながらヒラヒラと右手を背中越しに振って廊下へと消えていく朝日奈さん。私はそんな彼女の後姿を眺めて、
「……あぁ、そっか」
彼女に先ほど指摘された、「謎のテンションの高さ」の要因に思い当たって、一人勝手に納得するのであった。
そんなやりとりをしてから一、二時間経過し、教室内には次第に人が増えだしそれに伴って喧騒も増していた。
私はそんな中、何をしているかと言うと……。
泣く子も黙る、月に一度の抜き打ち身だしなみテストの真っ最中なのでした。
「うぇっ、委員長。……おっ、おはよ~」
「はい、おはようございます吉田さん」
そう言いながら私は今しがた教室に入ろうとしていた彼女……、吉田さんの姿を頭のてっぺんからつま先の先端までじっ、と眺める。
まるで間違い探しをする子供のように、まさしく食い入るように見つめ続けるのだ。髪、顔、首、胸、腕、手、腰回り、脚。自分の脳みその中のチェック項目に照らし合わせて、一つ一つ丁寧に。
「……吉田さん」
「はいっ!!」
ビシッ、と私の声かけに伴いその場で敬礼をする吉田さん。そんな彼女の様子に私は笑いを漏らしてしまいそうになるが、気合でそれを押しとどめる。
「私がこれから何を言うか、お分かりですね……?」
「えっと、その……」
「ん……?」
「ひゃいっ!」
ビクッ! とその場で大きく身体を跳ねさせる吉田さん。まるで陸上に打ち上げられた魚の様で、見ているこっちもここまで怯えられては心が多少痛むのですけれども。
「吉田さんは、何がダメだったと思います?」
しかしテストはテスト。私はクラスの委員長として、学校側からこの業務を仰せつかっている立場。ここは鬼の心で、マニュアル通りの対応を心がける。
……まぁしかし。いくらマニュアルとは言え自分の口から自身の身だしなみの問題点を宣言させる、と言うのは些かアレだと私も思いますが。
「ん……」
案の定、口で自分から申告するのは恥ずかしかったのか吉田さんはおずおずと自身の両の手をこちらに差し出す。手の甲を上にして、綺麗な左右五本ずつの指を真っ直ぐに。
その先端には……
「はい、そうですね。吉田さん、さすがにこの長さは看過できませんよ?」
「うぅ……」
その先端には、綺麗な桃色のラメで装飾された付け爪が、それはそれはたいそうな存在感を放っているのであった。具体的に言うと、普通の爪の長さにプラス一、二センチくらい足した感じで。
「流石にその長さでは勉強の妨げになるので、校則違反ですよ?」
この学校の身だしなみを規定するルール自体は特別厳しいわけではなく、むしろ一般的に見れば優しい方ではあるとは思う。髪は染めても良いし、ピアスも大丈夫。今回みたいにネイルなんかも、長すぎず、勉強の邪魔にならない位なら見逃されるし、化粧も濃過ぎなければお咎めなし。制服の着こなしは肌の露出さえ抑えれば、多少の着崩しも黙認、と言ったもの。
あくまで、勉強の妨げにならないのであれば多少のおしゃれは楽しみなさい、というスタンスらしい。
しかしここまで自由だと、何をしても良いと思ってしまう生徒も出てきてしまうのも当然で。誰しもが校則に目を通しているわけでもないため、だからこそこうして月に一度の委員長による抜き打ち検査が行われているのですが……。
「……、はい。この紙に反省文を書いて、後で私のところまで持ってきてください。期限は今日中なので、気を付けて」
そう言いながら手元の反省文用の紙を一枚抜き取り吉田さんへと手渡し、用事は終わったと「どうぞ教室へ」と告げて教室の中へと迎え入れる。
彼女は教室の中にそそくさと入っていき、自分が所属している派手めな女子達のグループへと駆け寄っていくと
「ヨッシー、災難だったねぇ」
「もー、マジ最悪。せっかくニューネイルでテンション上がってたのにさ」
と、こちらに聞える様な大声で不満をあらわにしだす。
「あっはは、まぁ私もスカートの丈で反省文だから後で一緒に書こーや」
「あーん? んなこと言ってリナ、全然スカートの丈直してねーじゃん」
「そりゃ、もち、いいんちょーの前では直してソッコーで教室ン中で巻いたわ。膝下丈とかクソダセーじゃん」
「うっわ、せっこー」
「そーいうヨッシーはチップ取るんですか~??」
「ばーか、取るわけねーし。せっかくのお披露目で隠すわけねーじゃんよ」
「あっはは、だよねー」
遠くから聞こえるそんなやり取りに私は内心、はぁ、とため息を零す。
委員長として彼女たちに一言、付け加えに行きたいところではあるのだけれども……。しかしこの持ち場を離れていてはそれこそ私が仕事放棄で反省文の刑だ。
そもそも、この抜き打ちテスト自体はいわばパフォーマンスの様なもの。外部、主に保護者に向けて私たち学校は、校内の風紀を守るためにこういった活動を行っているのですよ、という名目さえあれば学校としてもそれで十分なのだ。
校則記載の文章としてはアウト。だから学校としては取り締まりをします。そのための取り組みをしています。
この流れさえあれば学校としては問題なし、ということなのだろう。
少子化が叫ばれる現代の日本では、高校も学生を募集するのに必死だと言う。そういった理由からも、学校としては犯罪にでも繋がらない限りは生徒のワガママを聞こうと言うスタンスでもありそうだけれども。実際のところは、ただの子供でしかない私にはそこまではわからない。
わからない、けれども……
「はい、身だしなみ検査ですよ。そこに立ってください」
仕事は仕事である以上、真摯に向き合わなければならない。
だって、不真面目に取り組んで怒られこそすれ、真面目に生きて咎められることなどあるわけがないのだから。
「……げっ、いいんちょー」
「げっ、とはこれまた酷いもの言いですね」
検査も終盤、朝のホームルームが始まるであろう三分前になってやってきた彼女の姿を視界に収める。
長く、金と桃色に染めた髪を靡かせて。ぱちりと開いた両方の瞳は海のように青く、爽やかで。制服は暑いのか大きく着崩し、その白い肌を惜しげもなく世間にさらけ出す可憐な立ち姿。
それは、鋭い花のような香りをこちらへと漂わせてくる、見目麗しい少女。
「おはようございます、天音さん」
私はそんな彼女の姿を、慣れた作業のように頭のてっぺんからつま先まで、つぶさに観察し、脳内のチェックリストに照らし合わせて
「言うまでもなく、校則違反です。反省文、何枚書きたいですか――?」
そして手元にあった反省文の紙を適当に四、五枚抜き取ってにっこりと笑みをうかべるのであった。