第7話
「はー、まっさかいいんちょーの本名がステラとかいうガチかわネームとかビックリだわ」
ガチかわ? たびたび彼女は私の知らない造語を口にするが、今回もどうやらその例らしい。これもいわゆるギャルっぽさ、って奴なのだろうか。メモを取っておこうかな、と先ほど手渡された紙ナプキンのあまりに「ガチかわ」と書き込んだ。
「本名がステラとかいいなぁ……。うらやま」
「私もこの名前は大切だけども、生まれてはじめてだよ。他人に羨ましがられたのは」
大体の人は私が「名前は九条流星です」と言うと、憐れむような目で見てきた。それはそれはなんともわかりやすく。
俗に言ういわゆるキラキラネームなるものへの社会の風当たりと言うヤツは厳しいということだろう。学校での点呼は言うに及ばず、病院での呼び出しや書類の提出なんかでもひと悶着あるのは慣れっこだ。
だからこそこの年齢にもなればこの名前を自分がいくら大切にしていようと、他人から尊重されることはないだろうと思っていたのだけど……
「えー、でもいいじゃんステラ。鬼かわだよ、鬼かわ。いいなぁ、うらやましい。なんなら私もステラがいいー」
「そういう貴女だって素敵な名前でしょ? 天音美鈴《あまねみすず》って、すっごく綺麗な名前」
「えー、どこがよ~。みすず、ってなんか古臭いじゃん。同じ漢字ならみすずよりミレイのが百倍かわたんだし」
ぶー、とそう言って不貞腐れる天音さん。どうやら本心から私の名前を羨み、そして自身の名前にコンプレックスを抱いている様子だ。
美鈴。天音美鈴。これは今風、ギャル風の価値観だとみすずって名前は無しなのか。美しい鈴の音を連想する、日本風でとても嫋やかなご両親の愛情を感じる名前だと私は勝手にそう思ってしまうけれども。
「あっ、いいんちょー……、じゃなくてステラも私のこと呼ぶときはみすずはノーだからね。天音の方かミレイってよんでよ? 友達にもそう呼んでもらってるし」
「……まぁ、貴女がそう望むなら」
しかし、うん。いくら私が彼女の名前に何を思おうが気にするかどうかは本人次第の問題だ。それこそウチの妹だってあまり自分の名前を気に入ってはいない。私としては可愛らしい彼女にピッタリだと思うが、やはり本人にしか分からない悩みと言うものなのだろう。
「……、んじゃあまぁ、そろそろ歌おっか」
そういってデンモクを軽く触った後にマイクを持ち上げる天音さん、ことミレイさん。立ち上がる途中、マイクを持つ手と反対の手でどこからかタンバリンを持ち出した彼女はそれを私に手渡すと
「何事も最初が肝心、ってわけだからさ。私が歌ってる時、一緒に盛り上げてよね?」
「盛り上げるって、具体的には――」
そう尋ねようとするも、私は言葉を止めてしまう。質問する意思が無くなったとか、答えが急に分かったから、とかそんな理由じゃない。もっと単純に、私の尋ねる声がそれ以上の音量にかき消されてしまったから口を閉じただけ。
「わっ、すごい大きい音……」
天上に設置されたスピーカーから信じられないくらいの音量で私が知らない音楽のイントロが流れ始める。ギターやベース、ドラムが縦横無尽に鳴り響き、なんだか曲に入る前の時点でサビを迎えているようなくらいの大騒動。
これが今、流行っている曲とか……なのだろうか。私は突然の爆音に少し眉をひそめながらも彼女の方を見つめる。
「んまぁ、そんな気負わなくってもいいよ。ノリで合わせてくれればおっけーだから」
「ノリって……」
そんな雑な指示……。私はそんな彼女の言葉に若干の戸惑いを覚える。
しかしその指示は私にとっては雑と思ってしまうものであっても、彼女にとってはこれ以上ない正確なメッセージだったらしく、彼女は困惑気味に見つめるこちらの目を上から覗き込むと
「ノリだよ、ノリ。何事も、今が楽しけりゃ少なくとも今はオッケーじゃん? 今が楽しくて、一秒後の自分は一秒後の自分が楽しんで。それをずっと続けられれば、そん時は一生ずっと楽しいってことよ。……ね?」
「……」
そう、彼女にしてはやや長い言葉を私に送った。私は、そんな彼女の言葉に言い返すことも、同調することもできず、ただ固まってしまう。
それは、私の知らない価値観だ。人生と言うモノはやはりどうしても続いていて、今さえ良ければ、なんて考えたことがない。考えるのはいつまで大丈夫か、いつから厳しそうか。その対策は何か、とかばかりで。一生、死ぬまで刹那を大切にするだなんてたいそれた思想を、私は抱いたことがないのだ。
今日が楽しいかどうかより、明日があるかどうかの方が大切。それが私、九条流星の価値観で、生き方。
どっちが良い、どっちが悪い、ではない。ただ私の価値観と彼女の価値観は全くの別物ってだけの話。よくある人の数だけ意見がある、ってだけだ。子供でも知っている、当たり前の常識。
でも。あぁ、そうか……。
大げさかも知れば良けれども、私は彼女の今の言葉に天啓を得た気分だった。つい先ほどまで居た暗闇の中、前も見えず彷徨っている私の前に現れた一筋の光。いや、それどころか暗闇に居ることすら自覚できずにいた私を救った一言。
まだまだ私には分からないことばかりだけれども。あのインタビューの真意はコレだったのか。私の中になかった、向こう見ずの、恐ろしいまでの無鉄砲で、おそれ知らずで、世間知らずで、社会できっと脆弱で、惰弱で、容易くて。
――だけれども、それなのに見ているこちらの口角が自然と上がるような、そんな無敵感を見せてくれるそれが……
「――ギャルはノリ!! だいたい、ノリだから!!」
私の知るべき、ギャル、というものなのだろう。
一つの価値観しか内に秘めていない、底の浅い人間な私が創作の世界で多彩な人間模様を描くためにも。私が文章を綴るページだって、表と裏とを集めてようやく1枚のページとして完成するのだから。
「やー、歌った~……。ってほどは歌ってないけども。だけども歌った~」
「私、授業以外で歌を誰かに聞かせたのなんて初めてかも」
「マ? いや、まぁカラオケ以外にそんな機会もないか~」
あれから三十分ほどして、入室から一時間が経過した私たちはカラオケから出る。先ほど支払いをした――今回は私のお願いが発端だったので全額をもちろん支払わせていただいた――のだけど、想った何倍も安くて驚いたことを思い返す。
平日だから、とか、高校生だから、とかで色々と割引されて気が付いたら二人分の支払いで千円程度になっていたし。確かにこんな値段設定なら高校生がカラオケをよく利用する、というのも頷ける話だ。
「にしてもステラってば、初めてだってのにタンバリンクソ上手かったじゃん。なにアレ、元吹部とか?」
「いやいや、ぜんぜん。ミレイさん、知らない歌ばっかり歌うから私も必死にリズムを追ってたよ」
「え~、知らない歌ばっかりってそんなことないでしょ~。私、自分で言うのもアレだけど超ミーハーだから、tiktokとかで流行ったヤツばっか歌ってたし」
そうなのか。彼女はアレコレと歌って、踊ってと忙しそうだったが、あれらはどうやら今流行っている曲だったのか。予測はしていたけども、どうやら当たっていたらしい。
……もしかして一曲も聞き覚えがない私の方が世間的には珍しいのだろうか。tiktokと言うのは聞いたことあるけども、それもどういうものかはよく知らないし。少し前に話題に上がったLINEやインスタとやらの友達だろうか。電話とメールは親戚みたいなものだと思うし、そんな感じ?
「あ、ギャルって言えばtiktokもか。日曜、ステラのギャルデビュー終わったら一緒に撮ろうよ。ステラの初ダンス、ウチがゲットしたいし」
「……私、たまにあなたが言っていることが全くわからなくなるよ。え、ギャルって歌意外にダンスもするの……? ほぼアイドルじゃん」
「あっはは、たしかに~」
「絶対思ってないでしょ?」
平坦な、何の抑揚もない声で「たしかに」なんて言われても信用できないし。彼女がたまにする、脊髄反射のような返答の一種だろうか。
「知らん歌でいうとそれこそステラのがそーじゃん。なにアレ、歌詞英語だし。私まったく意味わからんかったんだけど。なんかヤケにエロかったし」
「エッ、エロって……!?」
「――ッ」と思わずその場で吹き出し、咳込んでしまう。彼女の唐突な物言いに驚き過ぎたせいだ。呼吸が乱れておさまらない。
「あなた、こんな天下の往来で……!」
「いやー、アレはエロでしょ~。私は男だったら即、カラオケボックスがラブホ化してたよ。『誘ってんじゃ~ん』って」
「もうっ、やめてよね!」
そんな私の慌てる姿がお気に召したのか、彼女はニヤニヤと意地の悪そうな表情を浮かべるとこちらにすり寄り耳元でそう囁く。選ぶ言葉も先程までよりやや攻めたものであり、こちらの反応を伺っている。
しかし人間と言うのは不思議な生き物で、そう「自分が遊ばれている」と認識すると途端に落ち着くようで。
「……まぁ、確かにそう言う感じの歌だけどさ」
「へぇ……。なーんだ、ステラってば思ったよりもムッツリ?」
「からかわないでよ。私は単純に曲として、あの歌が好きなの」
「あははっ、焦ってる焦ってる。図星かぁ~~?」
「あなたねぇ。 ……はぁ、まったく」
ふぅ、と一つ大きくため息をする。ミレイさんは何が楽しいのかこちらの頬を「えいえい、えいえいっ」と人差し指で何回もつついてきて若干、鬱陶しい。しかし押しのけるほど不快なわけでもないので甘んじて受け入れる。
「ま、冗談は置いといてさ。確かにあの曲、めっちゃ耳に残ってるんだよね~。イントロもサビもなんかすごくてさ」
「あぁ、私も最初はそんな感じだったなぁ。最初は耳から離れなくて、何回も聞いてるうちに気が付いたら虜になってた、って感じ」
「なんだっけ、曲名? 歌ってんのがマイケルジャクソンなのは覚えてるけど」
「In the closetだね」
「あー、それそれ。帰ったら調べよー」
そう言いながら「~~♪」と鼻歌を始めるミレイさん。どうやら気に入った、というのは本当らしい。
私も八年ほど前、偶然この曲を耳にしてから彼の大ファンなんだけれども……。どうやら思わぬ場面で布教が出来たようで、若干嬉しくもある。
……と。そんな風に二人並んで歩きながら、たわいもない会話をして歩くこと十数分。カラオケに来るために降りた駅に私たちはたどり着いていた。
「駅着いたね」
「駄弁ってたら一瞬だったね~」
そう言ってはにかむミレイさん。確かに私も体感、行くときよりも帰った今の方があっという間に到着したような気がする。来るときは今みたいな会話もあんまりなかったし。
私は切符を来た時のように窓口近くの機械で購入すると改札に通し、ホームへと進む。私とミレイさんの家はココから反対方向にあるから、今日はココでお別れ。
こんな風にクラスメイトと放課後を一緒に過ごしたのも久しぶりな私は、若干の名残惜しさを感じ、髪の後ろを引っ張られているような気さえした。まだ、帰りたくはない、なんて。そんなワガママ。
「……」
けれども、あくまでそんな気がしただけだ。いくら名残惜しくても、終わりは終わり。そこで駄々をこねるほど幼くもないし、終わりには終わりなりの意味があることだってとっくに知っている。
「……それじゃあ、また明日。ミレイさん」
「うん、またねっ、ステラ!」
改札の向こう側でブンブン、と大きく彼女が腕を横に振る。私はそんな彼女の姿を視界に収めると、自然と笑みを浮かべ、そしてお返しのように控えめに、しかし確かに胸元で手を振り返すのであった。