昨日のカラオケ騒動から一夜明けて今日。大きなイベントがあった後だと言うのに、夏らしい蒸し暑い気候や私たちを取り巻く校則やなんやといった常識は当然変わることなく続いている。
当たり前と言えば、当たり前。そもそもたかが二人だけの間に会った珍事で急に気温が落ち着き出したり、学校のルールが変わったりなんてするはずもない。
けれども……
「……おはよう、ミレイさん」
「ん、おはよ。ステラ」
――けれどもやっぱり、ちょっぴりだけ昨日までとは違う、そんな雰囲気。
まるで夢の中のような、少しだけ浮ついた様な気分の中、私はそう新しい友人に挨拶をするのであった。
「ちょ、ちょ、ちょっ!? 何事なのさ!?」
「……?」
駆け足で寄ってくるクラスメイト――、朝日奈さんに問われるも首をかしげる。
何事、何事とは……?
彼女が一体、なににこんなにも慌てているのかがわからない私は正直に、黙って首を横に倒す「私、わかりません」アピールをするのが精いっぱいであった。
「何とぼけてんのよ~」
「とぼけるも何も……。さっきからなんのこと言ってるの?」
「なんのことって……。委員長ってば、マジ~?」
「マジも何も、朝日奈さんが何を言いたいのかさっぱりなんだけど」
具体的なワードが最初からずっと省かれてるし。わからないものはわからないのだ。数学で言うと、xとかyとかの変数ばっかりの式を見ているような感じ。答えがわかるのはそのxやyの中身が一つに定まってからであって、それまでは解は一意に定まらない。
「……」
「……」
しばらく互いに無言で見つめ合うこと数十秒。その沈黙を破ったのは私ではなく、目の前の彼女の「はぁ~」と大きく吐き出した溜息であった。なんというか、言外に「しょうがねぇな~」とすごく呆れられたような気がする。解せない。
ただこの際、私が解す、解さないなんかは置いておこう。本題は彼女の質問の意味の方。
朝日奈さんに話の続きを無言で促すと、彼女もようやく観念したのかゆっくりと口を開き始める。あれだけ勿体ぶって、どんなことを聞こうと……
「――さっき教室の入り口で天音さんと仲良さそうにしてたよね?」
そして彼女の口から漏れ出た言葉を聞いた瞬間、先ほどまで全身に走っていた緊張感はどこえやら飛び去り、ひどい虚脱感に襲われ始めた。
「あぁ、なんだ。そんなこと……」
「そんなって何さぁ。私にとっては天変地異級のイベントだったんだぞぅ?」
ぶー、ぶー、とこちらに抗議をし始める朝日奈さんを視界に収めながら苦笑する。天変地異だなんて、大げさすぎる。先ほどまでの「何事!?」みたいな雰囲気もそうだけども、驚き過ぎにもほどがあるでしょうに。
「驚き過ぎも何も、昨日はあんなに反省文を何枚も書かせていたってのにさぁ。翌日になったら互いに仲良さそうに「おはよ~」なんて言い合ってんだよ? そりゃあ天変地異くらいの驚きはあるよぉ」
……いや、まぁ。言いたいことはわかるけども。確かに昨日の今日とで、私とミレイさんとの間の距離が縮まりすぎかもしれないから傍から見たら驚いてしまうのはなっとくだろうけども。いや、それでも。
「私とミレイさんが友達になるっていうのはそんなに変?」
「変って言うかさぁ。私からしたら水と油が勝手に混ざってマヨネーズが勝手に出来ていたって感じなのよ~。なんてーか……、普通にビビる」
「……マヨネーズは酢と油じゃない?」
そうツッコミを入れてみるも、荒れ狂う朝日奈さんは華麗にスルーを決め込み躱されてしまう。
朝日奈さんの狂乱はもう少し続きそうなので話題に上がったし、と、なんとなくミレイさんの方を見る。……あ、目が合った。どうやら彼女は彼女でこちらを見ていたらしい。
ミレイさんの周囲には彼女の仲のいい友人が数人、彼女を取り囲むように立ち並んでいる。もしかして、ミレイさんもミレイさんで今の私と同じことを聞かれているのかな。
……というかみんな、そんなに私と彼女が仲良くなったということが驚きなのだろうか。
(……そうだ)
私はなんとなく、目が合ったのにこのまま無視するのも気が引けたので彼女に向かって軽く手を振ってみる。もちろん、振るといっても胸の前くらいまで右手を持ってきて、左右に軽く、ゆっくりとふりふりするだけだけども。昨日、駅のホームの前で別れる際のように、控えめに、しかししっかりと。
どうせだったら振り返してくれないかなぁ、だなんて思いながら少し続けていると。
(……あれ?)
「――!?」
教室の中にガタン、と大きな物音が響き渡る。クラス中の誰しもが驚き、一度肩を跳ね上げさせてから音の発生源へと目を向けだす。当然、私も目を向けた。
……いや、正確に言うのならば私は目をわざわざ向けてなどはいない。だって、最初から目線を向けていた先が音の発生源であったのだから。
――音の発生源は私の視線の先、ミレイさんその人であった。
「ちょっ、ミレイ!? どったの、急に気が狂った!?」
「急に自分から机に頭ぶつけて、とんでもない音したけど!?」
彼女の突然の奇行に驚きつつも、心配した友人たちが彼女に駆け寄る。その中心でミレイさんは「いったぁ……」とやや大きめな声で呟きながら頭を両手で抑えていた。そりゃあそうだ、かなりの勢いで頭を打ち付けていたんだ。ちゃんと始終を見ていた私には、その頭突きの威力はきちんと伝わってきている。
私はもしかしたらケガをしたかも、と駆け寄りたくなる衝動を抱き、席を立ち上がるため腰を浮かす。
「……いや」
……が、周囲にあれだけ人が居る状態で私がわざわざ向かう必要もないかもしれない、と浮かしかけた腰を椅子におろした。部位が部位だから心配だけれども、あれだけ音が大きかったってことは衝撃の大半も音となって逃げたのかもしれない。
実際、彼女は額を抑えながらも「だいじょーぶ、だいじょーぶ!」と自身の無事を友人たちにアピールしてる。
(……よかった)
ほっ、と一人勝手に胸をなでおろす。遠くからのぱっと見だが、彼女に目だった障害は現れていないようだし。本当によかった、よかった。
そして先ほどの大きな音で、狂乱していた朝日奈さんもどうやら現実の世界へと戻って来たらしい。朝日奈さんは、私と同じ方向へとやや半目の呆れを帯びた視線を向けている。
「……あんま言いたかないけどさ。委員長も友達は選びなよ?」
私はそんな彼女のあんまりな物言いに、曖昧な笑みを返すことしかできなかった。