都内から車で三時間。
かつては観光客と富裕層の別荘で賑わった土地。
バブルの頃には高級ホテルが立ち並び、ゴルフ場には予約が殺到し、温泉街には連日人が溢れていたという。
今はもう、その面影も薄い。
寂れた商店街。
潰れたホテル。
草に埋もれた看板。
……が。
その一角だけは異様だった。
整えられた森。
舗装された私道。
外灯。
監視カメラ。
高い塀。
人の気配はないのに、手入れだけは完璧。
その中心にあるのが、 巳神家本邸。
ホテルか城かという規模の巨大な本宅は、長老たちが認めた血族のみが住まうことを許される。
そしてその奥。
深い森の先にあるのが――“巣”。
「……だる」
巳神沙羅は、 高級車を降りてため息をついた。
仕事帰り。
スーツ。
ヒール。
残業後。
そこから三時間。
終わってる。
ほんと終わってる。
本宅から続く石畳の道。
夜露に濡れて鈍く光っていた。
左右には蛇を模した石灯籠。
口元や目の奥に、 青白い火が揺れている。
ゆらり。
ゆらり。
風もないのに。
周囲は鬱蒼とした森。
本来なら、 虫の声くらい聞こえそうなものだが――静かだ。
不自然なほどに。
風もない。
葉擦れもない。
ただ。
ざり……
ざり……
何かが石を擦るような音だけがする。
長いものが、 這い回るような音。
沙羅は足を止めず、 ちらりと横目で見た。
次の瞬間。
す、と。
灯籠の上に影が現れる。
巨大な蛇。
灯籠にとぐろを巻き、 鎌首をもたげていた。
青白い火に照らされ、 黒い鱗が鈍く光る。
理知的な瞳。
人のように。
墳墓を守る眷属。
長老の血を飲み知性を得た使い魔とも。
人とレプティリアンの交わりの果てに生まれた、 なりそこないとも言われる存在。
真偽は知らない。
興味もない。
ただ――
幼い頃。
この広すぎる森で迷った時。
泣いていた自分を、 こいつは本宅まで導いてくれた。
ぴたりと寄り添って。
優しかった。
少なくとも、 親戚よりは。
「……ただいま」
ひらり。
手を振る。
蛇は、 すう、と舌を出し。
わずかに頭を下げた。
「……相変わらずかわいい」
ぼそり。
普通なら悲鳴ものの光景だが、 沙羅には日常だ。
森が開ける。
そこにあるのは、 巨大な墳墓。
古墳めいた、 古い塚。
表向きは巳神家先祖代々の墓。
実際は――“巣”。
「……はぁ」
ため息をつき、 中へ入る。
◇
墳墓の内部は、 石造りの回廊だった。
冷たい。
湿っている。
壁には蛇の浮彫。
古代日本のものとも、 異星由来のものともつかない紋様。
混ざっている。
奥へ進むと、 古めかしいエレベーター。
黒鉄の格子扉。
重厚な装飾。
蛇。
蛇。
蛇。
「……趣味悪……」
ぼそり。
扉が開く。
乗る。
閉まる。
軋む音と共に、 ゆっくりと地下へ。
下へ。
さらに下へ。
深く。
深く。
降りるほどに、 空気が重くなる。
圧が増す。
嫌な感じ。
到着。
格子扉が開く。
その先は――聖堂。
天井は高い。
薄暗い。
燭台。
青白い炎。
巨大な蛇神像。
壁一面に蛇。
柱にも蛇。
床にも蛇。
「……ほんと終わってる」
いかにも邪悪な宗教が作りました、 と言わんばかりだった。
その中央。
蛇神像の前に、 場違いなプロジェクター。
その横には、 一人の小間使い。
分家筋の若い男。
血は薄い。
ほとんど人間と変わらない。
顔面蒼白。
額には脂汗。
震える手でリモコンを握っていた。
ここで失敗すれば死ぬ。
冗談ではない。
以前、 操作を誤った者がいた。
首が飛んだ。
それを沙羅は知っている。
男の喉が、 ごくりと鳴った。
その音すら聞こえそうなほど静かだった。
沙羅はそれを見て、 ふ、と口元を歪めた。
冷笑。
哀れだと思った。
血が薄いだけで、 こうして使い潰される分家も。
それを当然とする長老達も。
そして。
そんな世界の中で、 涼しい顔をして立っている自分も。
何もかも。
時代遅れだ。
「巳神沙羅、参りました」
頭を下げる。
礼儀だけは完璧。
その先。
祭壇。
奥に並ぶ玉座。
そこに座すのは、 長老達。
老人の姿をしていても、 隠しきれていない。
鱗。
瞳。
爪。
空気。
圧。
いるだけで、 本能が膝を折りそうになる。
沈黙。
わざとだ。
数秒。
十秒。
(だる……)
『顔を上げよ』
低い声。
首領格。
黄金の縦瞳。
「……はい」
『貴様に任務を与える』
「はぁ」
軽く返した瞬間。
圧。
「……っ」
肺が潰れる。
膝が折れかけた。
『返事は』
「……はい」
素直に言い直す。
クソジジイ。
『映せ』
小間使いがびくりと震えた。
「は、はいっ……!」
慌てて操作。
プロジェクター起動。
映像が蛇神像の前に映る。
そこにいたのは――男。
配送業者の制服。
黒髪。
不機嫌そうな顔。
どこにでもいそうな男。
『名は黒崎遊馬』
黒崎遊馬。
「……誰?」
睨まれる。
黙る。
映像が切り替わる。
路地裏。
タブレット。
操作。
光。
粒子。
そして――肉。
「……は?」
次。
肉を食う。
走る。
速い。
「……は?」
次。
アクセ装備。
荷物を軽々持つ。
「……は?」
次。
空間収納。
生成。
複製。
次々。
「……え、何これ」
本音が漏れた。
『我らにもわからぬ』
「いや、わからないんかい……」
空気が冷える。
やばい。
『結界下において日常的に魔術を行使している』
『既知の体系ではない』
『詠唱なし』
『儀式なし』
『契約痕なし』
『だが本物』
沙羅は黙った。
映像を見る。
肉食ってる。
なんか嫌だ。
でも異常。
『接触しろ』
「……は?」
『聞き出せ』
「無理でしょ」
即答。
『なぜだ』
「いや……」
映像を見る。
「なんかヤバいじゃないですか」
沈黙。
そして。
クク……と笑い。
長老の一人だった。
『正直な娘よ』
「褒められてます?」
『だからこそだ』
首領格が言う。
『敵意なく』
『敬意をもって』
『接触せよ』
『若き血で最も濃きお前なら』
『こちらの誠意も伝わる』
つまり。
使いっ走り。
「……だる……」
『方法はこちらで用意する』
映像が変わる。
配送伝票。
高額案件。
時間指定。
特別料金。
届け先――自宅。
「……は?」
『貴様が呼べ』
終わってる。
ほんと終わってる。
沙羅は頭を抱えた。
画面の中で。
黒崎遊馬が肉を食っていた。
「……何なのあいつ……」
心の底からそう思った。
数日後。
その“何なのあいつ”と、 本当に会うことになる。
◇
ChatGPTくんのサブスク入った記念に沙羅のイメージ画像も追加しました。