加工じゃない方が厄介だった 作:ひまんちゅ
コミケほどではないにせよ、十分に人が多い。
大型展示場の一角を借りたコスプレイベントは、開場から二時間が過ぎても熱気を失っていなかった。カメラのシャッター音、どこかで上がる笑い声、キャリーケースの車輪が床を転がる音。更衣室帰りのレイヤーたちが色とりどりの衣装で行き交って、そのたびに視界がきらきらとうるさい。
有栖川ひまりは、壁際に寄せた荷物の前でスマホのインカメラを覗き込み、前髪を指で整えた。
「よし……いける」
今日の衣装は、今季のソシャゲ新作に出てくる魔法少女キャラ。白とミントグリーンを基調にしたフリル多めのデザインで、ひまりの得意分野だ。写真映えするようにレンズもカラコンも選んだし、チークもハイライトも抜かりない。ここまで整えた自分は、ちゃんと可愛い。
そう確認しないと、会場に立つのは少し怖い。
「ひまり、おまたせー」
背後から肩を叩かれて振り向くと、友人の白瀬まこが飲み物を二本持って戻ってきた。
「はい、お茶。ひまり、今日も盛れてるじゃん」
「盛れてるって、会って一言目がそれ?」
「レイヤーへの最大級の褒め言葉でしょ」
「まあ、そうだけど」
受け取ったペットボトルの冷たさに少しだけ肩の力が抜ける。まこは周囲を見回して、にやっとした。
「ていうか今日、鳴海涼香いるらしいよ」
「は?」
思わず、可愛げのない声が出た。
「なんで先に言わないの」
「今言ったし」
「そういう問題じゃなくて」
「え、なに、意識してんの?」
その言い方がもう気に入らない。ひまりはすぐに否定しようとして、しかし言葉が一拍遅れた。その一拍のせいで、まこの目が余計に面白がる。
「してないけど」
「へえ」
「何、その顔」
「別にー? 苦手な相手がいるなら先に教えといてあげようと思っただけでー?」
苦手、という言葉にひまりは眉を寄せた。
苦手。そう、苦手だ。
鳴海涼香は、どうにも調子が狂う。
背が高くて、目元が涼しくて、何を着ても様になる美人系レイヤー。写真でも当然強いが、あの人は実物のほうがさらに強い。空気の切り取り方がうまいというか、ただ立っているだけで完成している感じがある。
そして何より、ひまりに向かって言うことがいちいち妙なのだ。
『有栖川さんって、加工だともっとふわっとしてるのに、実物は思ったよりシャープなんだね』
『そのキャラ、可愛い系なのに有栖川さんがやると品が出るね。元の顔が甘すぎないからかな』
『その表情、写真より生のほうが破壊力あるの、ちょっとずるいね』
褒めているようで、何か引っかかる。
貶しているようで、でも目は本気だ。
結局、喧嘩を売られているのか口説かれているのか、未だに分からない。
「別に、苦手っていうか……会うと変なこと言われるだけ」
「はいはい」
「ほんとに」
「でも、ひまりも毎回ちゃんと応戦してるじゃん」
「応戦って何」
「前回だって、『鳴海さんって写真だと近寄りがたいのに、喋ると意外とねちっこいですよね』って」
「あれは事実だから」
言い切ると、まこが吹き出した。
「相性良すぎるんだよなあ」
「悪いんでしょ」
「それ、紙一重」
そのとき、通路の向こうが少しざわついた。撮影の列が途切れたのか、人の流れがわずかに偏る。その間から、見慣れた長身がすっと現れた。
黒と深紅を基調にした軍服風の衣装。飾り気のあるジャケットを無理なく着こなして、長い脚がブーツにすらりと収まっている。ウィッグ越しでも分かる輪郭の綺麗さに、一瞬だけ周囲の景色が薄くなる。
いた。
鳴海涼香は、こちらに気づいたのか少し目を細めた。それだけの動きが妙に絵になって腹が立つ。
「うわ、来た」
「声が小動物」
「まこ」
「ほら、行ってきなよ」
「何しに」
「挨拶?」
「嫌」
そう言ったのに、目は逸らせなかった。
向こうもまっすぐこちらへ歩いてくる。人混みの中でも足取りが迷いなくて、こういうところがまた癪に障る。目の前まで来た涼香は、ひまりの全身を一度見て、それから口元だけで笑った。
「……やっぱり、その衣装似合うね」
「どうも」
「写真で見た予想より、ずっといい」
「それ、褒めてます?」
「褒めてるよ。現地で見たほうが完成度高いってこと」
「へえ」
反射で刺のある返しをしそうになって、でも今日は先手を取られた気がした。涼香の視線はいつも通り冷静なのに、変に細かいところまで見ている。
「そのレース、既製品じゃないよね。足した?」
「……分かるんですか」
「分かる。たぶん袖も少し詰めたでしょ。バランスよくなってる」
「見すぎじゃないですか」
「見てるから」
即答されて、ひまりは一瞬言葉を失った。
見てるから、って何。
何その返し。もっとこう、冗談っぽく逃がすところでは。
まこが横で無言になっている気配がして、余計に居心地が悪い。ひまりは咳払いして、視線を逸らした。
「鳴海さんこそ、今日やけに気合い入ってますね」
「やけに?」
「普段から完成されてて嫌味なのに、今日はさらに隙がないっていうか」
「それ、褒めてる?」
「一応」
「一応なんだ」
くす、と小さく笑われる。
その笑い方が思ったより柔らかくて、ひまりはむっとした。なんで向こうばかり余裕そうなのだ。
「でも、有栖川さんにそう言われると嬉しいな」
「……は?」
「見る目、厳しいでしょ。自分にも他人にも」
「別に」
「別にじゃないよ。写真の上げ方見れば分かる」
涼香はそこで一歩だけ近づいて、ひまりの肩先あたりを指さした。
「そこ、ラメ落ちてる」
「え」
「ちょっと失礼」
指先が、肩の布地をかすめる。
本当に一瞬だった。なのに、体温が触れたみたいにそこだけ意識が集まってしまって、ひまりは息を止めた。
「はい、とれた」
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
心臓に悪い。
距離感がおかしい。会場でこんなのは珍しくもないはずなのに、相手がこの人だと妙にだめだ。
ひまりが言葉を探していると、涼香は少し首を傾けた。
「今日、撮影もう回ってる?」
「これからですけど」
「じゃあ、列落ち着いたら撮らせて」
「えっ」
「嫌?」
「嫌っていうか……鳴海さん、人のこと撮るんですか」
「たまに。気に入ったときだけ」
「……ずいぶん選り好みするんですね」
「うん。有栖川さんは、撮りたい側」
まただ。
またこういうことを、変に真顔で言う。
ひまりはぐっと唇を引き結んだ。褒められているのは分かる。分かるのに、そのまま受け取るには照れくさすぎるし、何より腹が立つ。どうしてこの人は、こっちの心拍数だけ勝手に上げて平然としていられるのだろう。
「……鳴海さんって」
「うん」
「普段、加工しまくって可愛い系で売ってる人に喧嘩売ってます?」
「売ってないけど」
「じゃあ何なんですか、その言い方」
「本音」
涼香は少しだけ眉を下げた。
「写真の有栖川さんももちろん可愛い。でも、実物のほうがずっと綺麗で、目が離せない。だからそう言ってるだけ」
ひまりは、今度こそ固まった。
まこが横で「うわ」と小さく漏らしたのが聞こえる。うるさい。自分でも分かってる。今たぶん、顔が赤い。
「……そういうの、誰にでも言ってるんですか」
「言わないよ」
「じゃあ余計たち悪いです」
「なんで?」
「なんででもです」
逃げるようにペットボトルの蓋を開け、一口飲む。全然落ち着かない。冷たいはずのお茶が何の役にも立たなかった。
涼香はそんなひまりを見て、また少し笑った。さっきより楽しそうで、それもまた癪だ。
「有栖川さん」
「何ですか」
「今日、夕方までいる?」
「……いますけど」
「じゃあ、帰る前にもう一回会えるね」
「会える前提なんですか」
「探すから」
「怖」
本当に怖いのは、その言葉に少し期待してしまった自分だ。
涼香は用件を済ませたみたいに軽く手を振ると、「じゃあ後で」と言い残して人混みのほうへ戻っていった。長い背中が離れていくのを、ひまりは反射的に目で追う。見失ったところで、ようやく息を吐いた。
隣で、まこがにやにやしている。
「何」
「いやあ」
「何」
「口説かれてたね」
「違う」
「どこが?」
「全部」
「無理あるって」
ひまりは反論しようとして、それがうまく言葉にならないことに気づいた。
違う、と言い切るには、さっきの視線も声もまっすぐすぎた。
でも、あれをそのまま受け取るのも、なんだか負けた気がする。
「……あの人、ほんと無理」
「顔真っ赤で言っても説得力ないって」
「暑いだけ」
「はいはい」
まこは笑いながらスマホを構えた。
「ほら、そんな顔してるほうが可愛いから一枚撮っとく」
「やめて!」
「大丈夫、上げない上げない。個人鑑賞用」
「最低!」
抗議しながらも、ひまりの頭の中にはさっきの言葉が残り続けていた。
実物のほうがずっと綺麗で、目が離せない。
そんなの、反則だ。
加工でもフィルターでも誤魔化せない温度で言われたら、もう、ただの悪口として流せない。
会いたくない。
でも、次に会ったら何を言われるのか、少しだけ気になる。
それが一番、厄介だった。