加工じゃない方が厄介だった   作:ひまんちゅ

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第一話「加工じゃないほうが厄介だった」

コミケほどではないにせよ、十分に人が多い。

 

 大型展示場の一角を借りたコスプレイベントは、開場から二時間が過ぎても熱気を失っていなかった。カメラのシャッター音、どこかで上がる笑い声、キャリーケースの車輪が床を転がる音。更衣室帰りのレイヤーたちが色とりどりの衣装で行き交って、そのたびに視界がきらきらとうるさい。

 

 有栖川ひまりは、壁際に寄せた荷物の前でスマホのインカメラを覗き込み、前髪を指で整えた。

 

「よし……いける」

 

 今日の衣装は、今季のソシャゲ新作に出てくる魔法少女キャラ。白とミントグリーンを基調にしたフリル多めのデザインで、ひまりの得意分野だ。写真映えするようにレンズもカラコンも選んだし、チークもハイライトも抜かりない。ここまで整えた自分は、ちゃんと可愛い。

 

 そう確認しないと、会場に立つのは少し怖い。

 

「ひまり、おまたせー」

 

 背後から肩を叩かれて振り向くと、友人の白瀬まこが飲み物を二本持って戻ってきた。

 

「はい、お茶。ひまり、今日も盛れてるじゃん」

「盛れてるって、会って一言目がそれ?」

「レイヤーへの最大級の褒め言葉でしょ」

「まあ、そうだけど」

 

 受け取ったペットボトルの冷たさに少しだけ肩の力が抜ける。まこは周囲を見回して、にやっとした。

 

「ていうか今日、鳴海涼香いるらしいよ」

「は?」

 

 思わず、可愛げのない声が出た。

 

「なんで先に言わないの」

「今言ったし」

「そういう問題じゃなくて」

「え、なに、意識してんの?」

 

 その言い方がもう気に入らない。ひまりはすぐに否定しようとして、しかし言葉が一拍遅れた。その一拍のせいで、まこの目が余計に面白がる。

 

「してないけど」

「へえ」

「何、その顔」

「別にー? 苦手な相手がいるなら先に教えといてあげようと思っただけでー?」

 

 苦手、という言葉にひまりは眉を寄せた。

 

 苦手。そう、苦手だ。

 鳴海涼香は、どうにも調子が狂う。

 

 背が高くて、目元が涼しくて、何を着ても様になる美人系レイヤー。写真でも当然強いが、あの人は実物のほうがさらに強い。空気の切り取り方がうまいというか、ただ立っているだけで完成している感じがある。

 

 そして何より、ひまりに向かって言うことがいちいち妙なのだ。

 

『有栖川さんって、加工だともっとふわっとしてるのに、実物は思ったよりシャープなんだね』

『そのキャラ、可愛い系なのに有栖川さんがやると品が出るね。元の顔が甘すぎないからかな』

『その表情、写真より生のほうが破壊力あるの、ちょっとずるいね』

 

 褒めているようで、何か引っかかる。

 貶しているようで、でも目は本気だ。

 

 結局、喧嘩を売られているのか口説かれているのか、未だに分からない。

 

「別に、苦手っていうか……会うと変なこと言われるだけ」

「はいはい」

「ほんとに」

「でも、ひまりも毎回ちゃんと応戦してるじゃん」

「応戦って何」

「前回だって、『鳴海さんって写真だと近寄りがたいのに、喋ると意外とねちっこいですよね』って」

「あれは事実だから」

 

 言い切ると、まこが吹き出した。

 

「相性良すぎるんだよなあ」

「悪いんでしょ」

「それ、紙一重」

 

 そのとき、通路の向こうが少しざわついた。撮影の列が途切れたのか、人の流れがわずかに偏る。その間から、見慣れた長身がすっと現れた。

 

 黒と深紅を基調にした軍服風の衣装。飾り気のあるジャケットを無理なく着こなして、長い脚がブーツにすらりと収まっている。ウィッグ越しでも分かる輪郭の綺麗さに、一瞬だけ周囲の景色が薄くなる。

 

 いた。

 

 鳴海涼香は、こちらに気づいたのか少し目を細めた。それだけの動きが妙に絵になって腹が立つ。

 

「うわ、来た」

「声が小動物」

「まこ」

「ほら、行ってきなよ」

「何しに」

「挨拶?」

「嫌」

 

 そう言ったのに、目は逸らせなかった。

 

 向こうもまっすぐこちらへ歩いてくる。人混みの中でも足取りが迷いなくて、こういうところがまた癪に障る。目の前まで来た涼香は、ひまりの全身を一度見て、それから口元だけで笑った。

 

「……やっぱり、その衣装似合うね」

「どうも」

「写真で見た予想より、ずっといい」

「それ、褒めてます?」

「褒めてるよ。現地で見たほうが完成度高いってこと」

「へえ」

 

 反射で刺のある返しをしそうになって、でも今日は先手を取られた気がした。涼香の視線はいつも通り冷静なのに、変に細かいところまで見ている。

 

「そのレース、既製品じゃないよね。足した?」

「……分かるんですか」

「分かる。たぶん袖も少し詰めたでしょ。バランスよくなってる」

「見すぎじゃないですか」

「見てるから」

 

 即答されて、ひまりは一瞬言葉を失った。

 

 見てるから、って何。

 何その返し。もっとこう、冗談っぽく逃がすところでは。

 

 まこが横で無言になっている気配がして、余計に居心地が悪い。ひまりは咳払いして、視線を逸らした。

 

「鳴海さんこそ、今日やけに気合い入ってますね」

「やけに?」

「普段から完成されてて嫌味なのに、今日はさらに隙がないっていうか」

「それ、褒めてる?」

「一応」

「一応なんだ」

 

 くす、と小さく笑われる。

 その笑い方が思ったより柔らかくて、ひまりはむっとした。なんで向こうばかり余裕そうなのだ。

 

「でも、有栖川さんにそう言われると嬉しいな」

「……は?」

「見る目、厳しいでしょ。自分にも他人にも」

「別に」

「別にじゃないよ。写真の上げ方見れば分かる」

 

 涼香はそこで一歩だけ近づいて、ひまりの肩先あたりを指さした。

 

「そこ、ラメ落ちてる」

「え」

「ちょっと失礼」

 

 指先が、肩の布地をかすめる。

 

 本当に一瞬だった。なのに、体温が触れたみたいにそこだけ意識が集まってしまって、ひまりは息を止めた。

 

「はい、とれた」

「……ありがとうございます」

「どういたしまして」

 

 心臓に悪い。

 距離感がおかしい。会場でこんなのは珍しくもないはずなのに、相手がこの人だと妙にだめだ。

 

 ひまりが言葉を探していると、涼香は少し首を傾けた。

 

「今日、撮影もう回ってる?」

「これからですけど」

「じゃあ、列落ち着いたら撮らせて」

「えっ」

「嫌?」

「嫌っていうか……鳴海さん、人のこと撮るんですか」

「たまに。気に入ったときだけ」

「……ずいぶん選り好みするんですね」

「うん。有栖川さんは、撮りたい側」

 

 まただ。

 またこういうことを、変に真顔で言う。

 

 ひまりはぐっと唇を引き結んだ。褒められているのは分かる。分かるのに、そのまま受け取るには照れくさすぎるし、何より腹が立つ。どうしてこの人は、こっちの心拍数だけ勝手に上げて平然としていられるのだろう。

 

「……鳴海さんって」

「うん」

「普段、加工しまくって可愛い系で売ってる人に喧嘩売ってます?」

「売ってないけど」

「じゃあ何なんですか、その言い方」

「本音」

 

 涼香は少しだけ眉を下げた。

 

「写真の有栖川さんももちろん可愛い。でも、実物のほうがずっと綺麗で、目が離せない。だからそう言ってるだけ」

 

 ひまりは、今度こそ固まった。

 

 まこが横で「うわ」と小さく漏らしたのが聞こえる。うるさい。自分でも分かってる。今たぶん、顔が赤い。

 

「……そういうの、誰にでも言ってるんですか」

「言わないよ」

「じゃあ余計たち悪いです」

「なんで?」

「なんででもです」

 

 逃げるようにペットボトルの蓋を開け、一口飲む。全然落ち着かない。冷たいはずのお茶が何の役にも立たなかった。

 

 涼香はそんなひまりを見て、また少し笑った。さっきより楽しそうで、それもまた癪だ。

 

「有栖川さん」

「何ですか」

「今日、夕方までいる?」

「……いますけど」

「じゃあ、帰る前にもう一回会えるね」

「会える前提なんですか」

「探すから」

「怖」

 

 本当に怖いのは、その言葉に少し期待してしまった自分だ。

 

 涼香は用件を済ませたみたいに軽く手を振ると、「じゃあ後で」と言い残して人混みのほうへ戻っていった。長い背中が離れていくのを、ひまりは反射的に目で追う。見失ったところで、ようやく息を吐いた。

 

 隣で、まこがにやにやしている。

 

「何」

「いやあ」

「何」

「口説かれてたね」

「違う」

「どこが?」

「全部」

「無理あるって」

 

 ひまりは反論しようとして、それがうまく言葉にならないことに気づいた。

 

 違う、と言い切るには、さっきの視線も声もまっすぐすぎた。

 でも、あれをそのまま受け取るのも、なんだか負けた気がする。

 

「……あの人、ほんと無理」

「顔真っ赤で言っても説得力ないって」

「暑いだけ」

「はいはい」

 

 まこは笑いながらスマホを構えた。

 

「ほら、そんな顔してるほうが可愛いから一枚撮っとく」

「やめて!」

「大丈夫、上げない上げない。個人鑑賞用」

「最低!」

 

 抗議しながらも、ひまりの頭の中にはさっきの言葉が残り続けていた。

 

 実物のほうがずっと綺麗で、目が離せない。

 

 そんなの、反則だ。

 加工でもフィルターでも誤魔化せない温度で言われたら、もう、ただの悪口として流せない。

 

 会いたくない。

 でも、次に会ったら何を言われるのか、少しだけ気になる。

 

 それが一番、厄介だった。

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