加工じゃない方が厄介だった 作:ひまんちゅ
イベントが終わって、帰りの電車に揺られて、家に着いて、メイクを落としてもなお、ひまりの頭の中には鳴海涼香の声がしつこく残っていた。
実物のほうがずっと綺麗で、目が離せない。
「……知らないし」
洗面台の鏡に向かって小さく毒づく。すっぴんになった顔はイベント会場の自分よりずっと頼りなく見えて、余計に腹が立った。
あの人は本当に、言い方がよくない。
いや、よくないというか、危ない。人を変に意識させる言い方ばかり選んでいる気がする。無自覚ならなお悪いし、自覚してやっているならもっと悪い。
タオルで顔を拭きながら部屋へ戻ると、ベッドの上に放り出していたスマホが通知で光っていた。イベント後のいつもの波だ。相互フォロワーからの「今日は会えてよかったです!」、カメラマンからの速報写真、タグ付き投稿、メッセージ。
ひまりは深呼吸して、まず自分のアカウントを開いた。
今日撮った速報用の自撮りは、すでにそこそこ伸びている。会場の照明がいい角度で入っていて、頬の艶も目のきらめきも上手く乗っていた。盛れている。少なくとも、普段のフォロワーが求める「有栖川ひまり」はちゃんとそこにいた。
少しだけ安心しかけた、そのときだった。
「……は?」
通知欄の上のほうに見慣れたアイコンがある。
鳴海涼香が、ひまりの投稿を引用していた。
嫌な予感しかしない。
指先で恐る恐る開く。
『写真でも十分かわいいのに、現地で見るともっと綺麗なのずるい』
ひまりはしばらく無言で画面を見つめた。
「何これ」
心臓に悪いとかそういうレベルではない。
文面だけ見ればただの褒め言葉だ。むしろかなり真っ直ぐ褒めている。なのに、あの人が書くとどうしてこうも人をざわつかせるのか。
しかも引用元は、ひまりが自分で厳選して上げた“かわいい私”の写真だ。そこに対して「現地のほうが綺麗」という一言を被せられると、なんだか写真が負けたみたいで悔しい。
悔しい、のか?
いや、違う。違わないかもしれない。
「ひまり、いま見た?」
ちょうどそのタイミングで、まこから通話がかかってきた。
出るなり、向こうは笑いを堪えきれていない声だった。
「見た?」
「見たけど」
「何あれ」
「こっちが聞きたい」
「完全に口説いてるじゃん」
「違うでしょ」
「どこが?」
「……分かんないけど」
ベッドに腰を下ろし、ひまりはスマホを睨む。引用はすでにそこそこ反応を集めていた。リプライ欄にも妙に察しのいいフォロワーたちが湧いている。
『このお二人、空気感が良すぎる』
『また絡んでる、助かる』
『現地のほうが綺麗って最高の褒め言葉じゃん』
『鳴海さん、さては有栖川さんのこと好きだな?』
「最悪なんだけど」
「おもしろすぎるんだけど」
「まこ、味方して」
「してるしてる。ひまりがかわいそうなくらい分かりやすく振り回されてて」
「してない」
通話越しにまこがケラケラ笑う。
「ていうか、返すの?」
「返さない」
「へえ」
「何」
「ひまりって、ほんとにどうでもいい相手には秒で塩対応するじゃん」
「……」
「でも今、返さない理由を考えてる」
「うるさい」
図星だった。
返さないのが正解だとは思う。これに何か反応したら、また変な空気になる。周囲も面白がるし、鳴海涼香もたぶん、平然とさらに妙なことを言う。
でも、完全に無視するのも負けた気がする。
何に負けるのかは分からない。
分からないまま、ひまりはもう一度引用投稿を見た。
文面は飾り気がなくて、変な絵文字も媚びた語尾もない。ただ事実を述べているみたいな感じで、それが余計に厄介だった。
「……まこ」
「ん?」
「これ、なんて返すのが正解なの」
「知らない。『写真の鳴海さんも綺麗ですけど、実物はもっと性格悪そうですね』とか?」
「喧嘩になるでしょ」
「でもひまりっぽい」
「嫌だよ」
少し考えて、ひまりは小さく呟いた。
「ていうか、性格悪いのはあっちだから」
「そうかなあ」
「そうだよ。こんなの、人がどう受け取るか絶対分かってるじゃん」
「分かってなかったら?」
「それはそれでたち悪い」
そう言いながら、ひまりは自分の投稿のコメント欄を開いた。指が止まる。
何を書いても、自意識過剰っぽい。
軽く流したい。でも軽すぎると悔しい。
褒め言葉として受け取ったふうにするのも癪だし、棘を返しすぎると自分ばかり意識しているみたいだ。
「無理……」
「珍しく詰んでるね」
「だって相手が悪い」
「いいから、ちょっと素直に返せば?」
「それができたら苦労してない」
結局、ひまりは引用ではなく普通のリプライ欄に短く打ち込んだ。
『現地確認しすぎでは?』
送信してから、しまった、と思った。
もっとあるだろう。ありがとうございました、とか。嬉しいです、とか。いくらでも無難な返しはあったはずなのに、出てきたのはそんな言葉だった。
「うわ」
「何、送った?」
「……送った」
「何て?」
「現地確認しすぎでは?」
「あー」
「何その反応」
「好きな子にしか言わないやつ」
「違うから!」
否定の声が少し裏返った。
ほんの数秒後、通知が鳴る。早すぎる。
鳴海涼香から返信。
『するよ。見たくて見てるから』
「…………」
「え、何、返ってきた?」
「無理」
「何て?」
「無理」
「だから何て!」
「見たくて見てるから、だって」
「ひまり、それもう終わりだよ」
「何が!?」
「落ちるしかないじゃん」
「落ちない!」
そう叫んだものの、顔が熱いのは自覚していた。
画面の向こうで、まこがしばらく笑い転げている。友人として最低だと思う。でも今はそれを責める余裕もない。
ひまりは通話をスピーカーにしながら、ベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。枕に顔を埋めても、頬の熱は引かない。
「なんなの、あの人……」
「いやー、でもいいね」
「よくない」
「だって、ちゃんとひまりの見せ方を見て、そのうえで実物がいいって言ってくれる人、なかなかいないでしょ」
「……」
その言葉に、ひまりは一瞬だけ黙った。
たしかに。
“可愛い”と言われることには慣れている。写真が盛れてる、表情づくりがうまい、世界観が合ってる。そういう評価はもらってきたし、それはそれで嬉しい。
でも、自分が一番気にしているところを、あの人はあっさり見抜いてくる。
写真のほうがいい、と思われたくない。
画面の中だけ可愛いと思われたくない。
だから衣装も角度もメイクも努力するし、現地で見られる自分もちゃんと整える。
そこを、「現地のほうがいい」と言われるのは、思った以上に効いた。
「……それでも言い方が嫌」
「はいはい」
まこが適当にあしらった直後、また通知が鳴った。
今度はDMだった。
相手の名前を見た瞬間、ひまりは飛び起きた。
「なんでDM!?」
「は?」
「鳴海さん」
「開け開け」
震える指でタップする。
『さっきの写真、本当に可愛かった。あと、たぶん三枚目より二枚目の角度のほうが有栖川さんのよさ出る』
その下に、数秒後もう一通。
『余計なお世話だったらごめん』
ひまりは思わず天井を見た。
「何?」
「写真の感想」
「詳しく?」
「三枚目より二枚目の角度のほうがいいって」
「ガチじゃん」
「しかも余計なお世話だったらごめん、だって」
「ガチだね」
「だから何が!?」
頭を抱える。
鳴海涼香は本当にずるい。
表のタイムラインでは人目を引く一言を投げてきて、裏ではちゃんと細かい話をしてくる。しかも、その指摘が悔しいほど的を射ていた。二枚目の写真は、ひまり自身もちょっと好きだった。けれど甘さが弱い気がして、結局三枚目を選んだのだ。
なんで分かるの。
なんでそこまで見てるの。
ひまりはしばらく悩んでから、DMに短く返した。
『余計なお世話ではないです』
『見てくれてありがとうございます』
送ったあと、やけに無難すぎたかもしれないと思った。冷たいだろうか。でもこれ以上どう返せばいいのか分からない。
しばらく間が空いて、返信が来る。
『よかった』
『次、撮らせて』
ひまりはスマホを伏せた。
「だめ」
「何」
「次、撮らせて、だって」
「最高」
「最高じゃない!」
「いやでも、ひまり、嫌?」
「……」
嫌かどうか。
嫌、ではない。
むしろ、撮られるなら適当に撮られるより、ちゃんと見てくれる人に撮られたいと思ってしまう自分がいる。
でもそれを認めるのは、なんだか悔しい。
「返事しないの?」
「今は無理」
「素直じゃないなあ」
「うるさい」
それから通話を切ったあとも、ひまりは何度もスマホを手に取っては置いた。返信欄を開いては閉じる。短く「考えときます」と返そうとして、可愛くないと思ってやめる。「機会があれば」では距離を置きすぎだ。「嫌です」は違う。本当に嫌なわけじゃないから。
結局、その夜は返せなかった。
ベッドに入っても眠気はなかなか来ず、ひまりは薄暗い部屋の中で天井を見つめた。
鳴海涼香のことを考えている。
それがもう、かなり癪だった。
ただ綺麗なだけの人なら、こんなに気にならない。
ただ不器用なだけの人なら、ここまで振り回されない。
あの人は綺麗で、見ていて、しかも言葉が足りなかったり足りすぎたりする。その全部がちょうど悪い。
翌朝、目が覚めて真っ先にスマホを見た自分に、ひまりは本気でがっかりした。
通知欄には、昨夜のやり取りを見ていたフォロワーたちの反応がまだ増えている。その中に、鳴海からの新着はない。
ないのに、少しだけ肩透かしを食らった気がした。
「何期待してるの、私……」
布団の中で呟いて、顔を覆う。
最悪だ。
昨日一日で、完全にペースを乱されている。
学校へ向かう支度をしながらも、ひまりの指は何度もDM画面を開いた。最後の一文――次、撮らせて――が相変わらずそこにある。
断ればいい。
それで済む話だ。
なのに、ひまりは昼休みまで悩んだ末、ようやく短い返事を打った。
『ちゃんと盛れるならいいですよ』
送信してから、机に突っ伏したくなった。
何その返事。かわいくない。素直じゃない。もっと言いようがあった。
でも、数分後に返ってきた返信はさらに端的だった。
『任せて』
たった三文字なのに、なぜか少しだけ嬉しい。
ひまりはスマホを閉じて、額を机につけた。
喧嘩しているのか、褒められているのか。
苦手なのか、気になるのか。
まだ全然分からない。
ただ一つ確かなのは、鳴海涼香という人に反応を返してしまった時点で、もう無関係ではいられないということだった。