加工じゃない方が厄介だった 作:ひまんちゅ
鳴海涼香から「任せて」と返ってきてから三日、ひまりはその三文字にじわじわ腹を立て続けていた。
任せて、とは何だ。
あまりにも短い。余裕がある。しかも、ちゃんと盛れるなら、というこちらの条件に対して一切の迷いなく返してきたあたりがなお腹立たしい。
盛る自信があるってこと?
人を?
私を?
「……何その自信」
昼休み、学食の隅でスマホを睨みながら呟くと、向かいに座ったまこがうどんをすすりつつ笑った。
「まだ言ってる」
「だって気に入らなくない?」
「むしろひまり、だいぶ楽しんでるでしょ」
「ない」
「ある」
「ない」
「その会話、小学生?」
まこは箸を置き、テーブルの上に自分のスマホを差し出してきた。
「ほら」
「何」
「これ」
画面には、相互フォロワーの募集投稿が映っていた。
今度の日曜、某人気アニメの大型併せをやります!
主要キャラ数名募集、初心者歓迎、カメラさんも募集中――そんな文面の下に、参加予定者の名前がいくつか並んでいる。
その中に、見覚えのある名前があった。
「……鳴海涼香」
「いるねえ」
「だから何」
「ひまりのやる予定だったキャラの相方枠、空いてるねえ」
「まこ」
「ん?」
「その顔やめて」
相方枠。つまり、二人組で並ぶと映える関係性のキャラだ。
ひまりが前からやりたいと思っていたのは、明るく愛嬌のある人気ヒロイン役。対して、涼香の予定キャラはクールで長身、皮肉屋だけど面倒見のいい相棒ポジション。はっきり言って似合う。悔しいくらい似合う。
「いや、でも普通にいいんじゃない?」
「何が」
「作品的にも顔面的にも」
「最後のやつ余計」
ひまりはそう言ってスマホを奪い取るように手元へ寄せた。
募集文を読む限り、まだ確定ではない。参加希望を出せば通りそうだし、知り合いづてに話を通すこともできるだろう。
ただ、そこには当然のように問題が一つある。
「……なんでわざわざあの人と」
「わざわざ、って。前からやりたかったんでしょ、この作品」
「それはそうだけど」
「しかもあっちも相方枠で入ってる。出来すぎじゃない?」
「出来すぎてるから嫌なの」
「運命じゃん」
「雑」
まこは楽しそうに頬杖をついた。
「ひまりってさ、本当に嫌なら即スルーするよね」
「またそれ」
「でも今回は、たぶんもう参加する前提で悩んでる」
「してない」
「してる顔」
している。
認めたくないが、している。
ひまりは自分のスマホに切り替えて、例の募集投稿を開いた。参加予定者の一覧を見ているだけなのに、胸のあたりが妙に落ち着かない。
鳴海涼香と同じ併せに出る。
しかも相方ポジションで並ぶ。
絶対に周囲が騒ぐ。写真もたくさん撮られる。距離も近いシーンがある。解釈を合わせるためのやり取りも必要になるかもしれない。
面倒だ。
ものすごく面倒だ。
なのに、頭の隅では思ってしまう。
あの人となら、たしかに絵は強いだろうな、と。
「……応募だけなら」
「おっ」
「まだしてないから」
「はいはい」
「あと、向こうが嫌がるかもしれないし」
「それはない」
「なんで言い切れるの」
「見たくて見てるから、って言う人だよ?」
「まこ!」
思わず声が大きくなって、近くの席の学生がちらりとこちらを見る。ひまりは慌てて身を縮めた。まこは声を殺して笑っている。ほんとうに最低だ。
「もう、いい。送る」
「がんばれー」
「軽いなあ……」
参加表明のDM画面を開く。
文面を何度か打っては消し、最終的にひどく無難な一文に落ち着いた。
『募集見ました。まだ相方枠が空いていたら参加希望です』
これでいい。
変に意識していない。普通。無害。完璧。
送信してから三分もしないうちに返信が来た。
『ぜひお願いします!』
『ひまりさんそのキャラ絶対似合うと思ってました』
そしてその次。
『鳴海さんにも伝えておきますね』
「は?」
「どうした」
「伝えておきますね、だって」
「うん」
「なんで主催さんがあの人に伝える流れになってるの」
「相方だからじゃない?」
「嫌な言い方しないで」
それからさらに数分後。
今度は別の通知が鳴る。
鳴海涼香。
ひまりは一瞬だけスマホを伏せた。
見たくない。見たい。見たくない。見たい。
「開け」
「命令しないで」
「ほら」
「……」
おそるおそる開く。
『参加してくれるんだ』
『嬉しい』
たった二文なのに、心臓に悪い。
「何て?」
「嬉しい、だって」
「ほら好きじゃん」
「その結論早すぎるって!」
ひまりは勢いで返信欄を開いたが、指が止まる。
ここで素直に「よろしくお願いします」と返すのは負けた気がする。いや、何に対してかは分からないけれど。
結局、送ったのはこうだった。
『まだちゃんと決まったわけじゃないですし』
『衣装も間に合うか分からないので』
可愛くない。
我ながら可愛くなさすぎる。
でも涼香からは、少し時間を置いて返事が来た。
『間に合わせて』
『見たいから』
「無理」
ひまりは机に突っ伏した。
横でまこがまた笑っている。今日だけで何回笑うのだ、この女は。
「いやー、すごいね」
「どこが」
「言葉足りないくせに必要なとこだけ強い」
「ほんとにそう。ずるい」
「ずるいと思ってる時点で効いてるんだよなあ」
「うるさい」
その日の午後は授業どころではなかった。
ノートは取っているのに頭に入ってこない。合間に何度もスマホを見てしまう。新着がなくても、トーク画面を開いてしまう。
間に合わせて。見たいから。
簡単に言うな。
そんなふうに言われたら、こっちは本当に頑張ってしまう。
その週の金曜、ひまりは放課後に布を買い足しに出ていた。
衣装自体はほぼできているが、細部を詰めたい。どうせやるなら完璧にしたいし、何より――あの人に見られるなら、中途半端なものは出したくない。
そう考えた時点で負けている気もしたが、気づかないふりをした。
手芸店を出たところでスマホが震える。
見ると、知らない番号ではなく、見慣れた名前が表示されていた。
鳴海涼香からの通話。
「え」
ひまりは足を止めた。
なんで通話?
DMじゃなくて?
心の準備というものがあるでしょう。
しばらく躊躇した末、意を決して出る。
「……もしもし」
『もしもし。有栖川さん?』
「そうですけど」
『よかった。今、平気?』
「平気です、けど」
耳元から聞こえる声は、文字でやり取りする時より低くて柔らかい。会場で聞く時ともまた少し違って、逃げ場がない感じがする。
『主催さんから連絡来て、衣装の方向性だけ早めに合わせたいなって』
「ああ……」
『嫌だった? 急に電話』
「嫌っていうか、びっくりしました」
『ごめん』
素直に謝られると、それ以上責めにくい。
ひまりは歩道脇の植え込みのそばへ寄り、人通りを避けた。
「別に、いいです」
『よかった』
またその言い方だ。
なんでいちいち少し嬉しそうなの。
『で、どの衣装にする予定?』
「第一弾ビジュアルのやつです。そっちは?」
『同じ。並びが一番きれいだから』
「……そうですね」
普通の会話だ。
普通の、ただの併せの打ち合わせ。
なのに、相手がこの人だとどうしてこう緊張するのだろう。
『有栖川さん、たぶんその衣装かなり似合う』
「まだ見てもないのに」
『想像できるから』
「便利な想像力ですね」
『うん。何回か見てるし』
「だから、その言い方」
つい反射で返すと、電話の向こうで涼香が小さく笑った気配がした。
『嫌?』
「……嫌では、ないです」
『そっか』
その一言で、また妙に静かになる。
沈黙が気まずくて、ひまりは慌てて別の話題を探した。
「鳴海さんこそ、そのキャラすごく似合いそうですよね」
『そう?』
「そうです。写真でも実物でも強そう」
『ありがとう』
「どういたしまして」
『でも、有栖川さんに言われるとちょっと特別かも』
「……何なんですか、ほんと」
『褒められたから喜んでるだけ』
絶対それだけじゃない。
そう思うのに、追及する勇気は出なかった。
結局、ポーズ案や小物の有無、当日の集合時間などを十分ほど話して通話は終わった。
終わった直後、ひまりはスマホを握ったまま深く息を吐く。
「疲れた……」
ただ打ち合わせしただけなのに。
なのに、変な汗をかいている。
帰宅してすぐ、まこにメッセージを送る。
『電話きた』
『死ぬかと思った』
数秒で既読がつき、すぐ返信が来た。
『告白?』
『ちがう』
『残念』
『なんで残念なの』
『でもそのうちしそう』
『やめて』
ひまりはベッドに倒れ込んだ。
天井を見上げて、さっきの通話を思い返す。
嫌? と聞かれた声。
よかった、の言い方。
何回か見てるし、なんてさらっと言う無神経さ。
でも同時に、衣装の話をする時の真面目さや、こちらの作り込みをちゃんと気にしている感じも思い出す。
ただからかっているだけなら、あんなふうに細かい確認はしないはずだ。
ちゃんと並ぶことを考えてくれている。
こちらを立てようとしている。
それは分かる。
分かるのに、落ち着かない。
翌日、ひまりは衣装の進捗写真を撮っていた。
本来なら制作途中の画像を人に送るのはあまり好きではない。完成前は粗が見えるし、自分の中でまだ仕上がっていないものを見せるのは抵抗がある。
けれど、ふと手が止まる。
これ、送ったらどうなるんだろう。
褒めるのか。
細かい指摘をするのか。
また変なことを言うのか。
「……いや、何考えてるの」
自分で自分に呆れながらも、気づけば写真を選んでいた。
そしてDM画面を開く。
『途中ですけどこんな感じです』
送ってしまってから、猛烈に後悔した。
何やってるの。何を自分から見せに行ってるの。重くない? キモくない? いや別に衣装共有は普通だけど、でもこの人相手だと何もかも普通じゃない気がする。
既読がつく。
数秒、返信がない。
長い。
いや短いのかもしれないけど長い。
やがて返ってきたのは、シンプルな一文だった。
『すごい』
『早く実物で見たい』
ひまりはスマホを胸に押し当てて、しばらく動けなかった。
だめだ。
本当にだめかもしれない。
併せに出る前から、もう十分すぎるほど振り回されている。
当日になったらどうなるのだろう。
そんな不安と、少しだけ混じる期待を抱えたまま、ひまりは未完成の衣装を見つめた。
相方併せなんて、別に珍しくもない。
何度もやってきた。
なのに今度だけ、準備の一つ一つが妙に落ち着かない。
鳴海涼香と並ぶ。
その事実だけで、いつもの衣装制作が少しだけ特別なものになってしまっていた。