殴る方の加茂 作:分真鷲太郎
自意識が覚醒した時、加茂憲紀は三歳であった。
周囲に視線を走らせれば何処か嫌な雰囲気のある大人たち。隣を見れば、泣き出しそうな目を閉じて隠し、精一杯の愛想笑いをする女性。
状況を完全に彼が把握する前に、話はとんとん拍子に進んでいった。
加茂家。本家。呪術師。術式。
(ダークファンタジー?)
母親と引き離される時に考えていた事が、コレ。
加茂憲紀には、前世の記憶があった。
格闘技に熱を上げた人生だった。舞台にも何度も立ち、同種のみならず異種の格闘技とも鎬を削る。
最期は、当たり所が悪かったのか惜しまれながらその生涯の幕を下ろした。
そんな記憶を思い出したからか、彼の中にはとある欲求が生まれていた。
即ち、武の頂へ。
幸い、と言うべきか彼の生まれた家は戦う能力を求められる場所だった。
研鑽には、事欠かない。
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「ぐあっ……!?」
鋭い右ボディフックが男の胴体へと減り込み、その身体は崩れ落ちる。
拳を放ったのは、黒髪の少年だ。腕を引き戻しつつフットワークを刻んで距離を取り、残心。
道場であるこの場には、二人の他にも道着姿の男たちが集まっており、事の趨勢を見守っていた。
「流石は、憲紀様だ。体術の申し子とは正にこの事よ」
「然り、流れるような拳でしたな」
「既に黒閃も経験しておられるのだ。加茂家もコレで安泰ですな」
口々に持て囃す言葉を聞きながら、加茂憲紀は構えを解いて息を吐き出した。
彼が生まれて十五年。その歩みは、常に闘争と共に在った。
三歳で術式と前世の記憶に目覚めた彼を待っていたのは、ゴマすりばかりの権威主義と冷遇される母の姿だった。
思わず年号を確認し、2000年代である事を知って彼は細目のままに白目を剥く事になる。
何だこの家は、と。昭和処か江戸以前の男尊女卑等という言葉では足りない程の化石のような家風。
端的に言って、クソの煮凝りだった。
しかし、同時にその古い家柄の在り方は彼にとって分かりやすいものでもある。
即ち、強い者こそが正義。
前世に磨いた格闘術とそして今世から身についた呪力と術式。
これらを複合して、結果として加茂憲紀は体術の申し子と称されるほどの実力者となった。
既に加茂家内で、彼より強い者は居ない。とはいえ、それはあくまでも家の中での話。
加茂家と同格の家柄であり、御三家と称される五条家、禪院家にはそれぞれにまだまだ彼の届かない強者が居た。
「憲紀様、タオルを」
「ありがとう、佐藤さん」
差し出されたタオルを受け取り、顔を拭う。
濡らされて冷えたタオルは、組手を終えて火照った顔にはちょうどいい冷却剤となった。
憲紀が顔を拭き終えたタオルを受け取り、使用人の一人である佐藤は眉を下げる。
「憲紀様……やはり、高専への入学を?」
「はい。既に当主様にも承認していただきましたから」
「………」
意思は変わらない。真面目な声色の彼に、佐藤は沈んだ雰囲気だがその内心を口に出す事は無かった。
呪術界御三家の一角、加茂家。その家風は現代社会の倫理観など一切通用しない化石のような世界だった。
特に、呪術総監部と懇ろとされる加茂家はこの権威意識が強い。女性蔑視など序の口で、血を重視する某最強に言わせれば腐ったミカンの群れ。
そんな家の中で、加茂憲紀という少年は違った。
加茂家の家風に呑まれる事無く、女性蔑視など欠片も在りはしない。寧ろ、虐げられる使用人などは率先して助けて回る一般社会の善性を持ち合わせていた。
故に、加茂家内では頭の固い老人たちには受けが悪い一方で使用人や若い世代には人気がある。
オマケに、強い。呪術師の家柄として、このステータスの存在は非常に大きなもの。
呪術師には等級が存在している。
4級から始まり、3級、2級、準1級、1級、そして特級。
加茂憲紀は現状、この内の2級という評価。しかし、1級相当の呪霊を祓除している為実力的にはもう二階級は上となる。
とにかく、彼が家を出て呪術高専へと入学する事に対して周りとしては言いたい事はあれども、それでも本人の意思を優先するという事で一先ずの決着を迎えた。
道場を後にした憲紀は、その足で浴場へと向かった。
呪術界隈では、数億の金が飛び交う事もある。それだけの資金と権威がある訳だが、その最たるものとして表現されるのがそれぞれの邸宅。
歴史的な古さもあるが、それと同時にアホほどデカいのが御三家それぞれの屋敷と土地だった。
当然、その屋敷の広さのまま浴場も広い。
汗を流し終えて、大の字で水面に浮かんでも余りある広さの檜風呂に体を浸からせ湯気の昇る天井へと大きく息を吐き出した。
「ふぅーーーー…………」
お湯の揺れる音の他には、何も聞こえない。
数年前までは、人力で沸かしていた風呂も憲紀が動いてボイラーを導入。ついでに、台所なども改造して現代の家に合わせて電化製品なども放り込んでいたりする。
湯船につかって、思い出すのは数年前の事。
『君、高専においでよ。もっと強くなれるって』
白髪頭に先の見えない黒いサングラスを掛けた最強の言葉である。
圧倒的な強者。体術のみならば迫れるかもしれないが、呪術師の戦いは呪力と術式があってこそ。
手合わせという名の一方的な戦いは、しかし加茂憲紀にとっては得難い経験だった。
加茂憲紀は、呪術師である
加茂憲紀は、格闘者である
加茂憲紀は、求道者である
目指すは高み、その果てへ