殴る方の加茂 作:分真鷲太郎
年々暑くなっていく季節、夏。
「お~つかれサマンサ~!」
「お疲れ様です、五条さん。お久しぶりですね」
「まあね。憲紀が京都校に行っちゃうからさァ。東京校にくれば、GLGの僕の指導が受けられたって言うのに。勿体ないねぇ」
御三家で定期的に行われる会合において、加茂憲紀は先の見通せない真っ黒なサングラスを掛けた不審者に絡まれていた。
彼こそ、自他共に認める最強の術師、五条悟。五条家の当主であり、御三家のパワーバランスを一人で粉砕する怪物である。
「で、そっちはどう?歌姫にいじめられたりしてない?」
「庵先生ですか?いいえ、彼女は良い先生ですよ。生徒に親身ですし、教え方も丁寧ですから」
「ええー?おっかしいな、僕が顔合わせた時は問答無用で湯呑叩きつけようとしてくるのに」
「それは五条さんの人間性の問題では?」
因みに、五条悟は見た目含めてあらゆるものを持ち合わせているが、そのカスの性格によってほぼ全てが吹っ飛んでアンチとヘイトを向けられていたりする。庵歌姫もその一人だ。
実力を信頼・信用されているが尊敬だけは一ミリもされない男なのである。
憲紀としても、その実力に疑うような部分は無い。ないが、それはそれとして数年前の手合わせでえげつなく煽られた事は若干腹に据えかねているのだ。
とはいえ、関係性は悪くない。
五条からすれば憲紀は将来有望な後輩であり、憲紀からすれば目指すべき先達である。
軽口を交わせるのも、互いに一定以上の信が置けている証拠でもあった。
「――――へぇー、五条家当主と加茂家の跡継ぎが出来てるっちゅうのはホンマやったんやね」
肩を組んでくる五条を憲紀がそのままにしていれば、厭味ったらしい京都弁が飛んできた。
二人が見れば、そこに居たのは金髪に書生服姿の青年。
「お、直哉じゃん。何?来てた訳?」
「次期当主も呼ばれとんねん。そこの加茂の次期当主も来とるやないか」
「憲紀は毎度、当主が連れてくるじゃん。ま、ぶっちゃけ今の加茂家当主よりも強いしね」
「ハッ!高専上がりたてのガキより弱いとか、話にならんやろ」
吐き捨てる様に嘲るのは、禪院直哉。
性格は、正真正銘のクズ。そしてカス。人間性が終わっていると言っても過言ではない男であり、しかしその一方でこのレベルのドブカスが当たり前に存在するのが呪術界の腐敗っぷりを示していると言ってもいい。
絡んできた直哉に対して、憲紀は顔を上げた。
「用件は何ですか、直哉さん」
「相変わらず、可愛げのない奴や……また、虐めたろか?」
「出来もしない事を言うもんじゃありませんよ」
淡々と告げる憲紀に、直哉の蟀谷に青筋が立つ。
先の、五条と憲紀の関係と違い、この二人は本気で仲が悪い。
具体的には、1年前にまで遡る。
@
「――――その足を退けていただけませんか?」
「何や、君。人様の家の事情にケチ付けるんか?」
禪院家で行われた会合。
当主含めた上が会談する一方で屋敷の端で、その邂逅は行われていた。
呪術高専入学を控えた加茂憲紀と、修行と称しての憂さ晴らしを行っていた禪院直哉。そして、そんなドブカス野郎の足元で蹲り、その身体に足を乗せられた少女。
「私は、加茂憲紀。彼女は、私の友人なんです。無下にするのは止めていただきたい」
「ああ。君が、加茂家の……ぷっ、汚点と同じ名前とか、とんだ災難やなぁ?そんな名前を態々加茂家で付けるやなんて、随分な親の下に生まれたもんや」
「私の名前など、どうでも良いでしょう。足を退けていただけますか?」
「はあ?コレは禪院家の訓練、躾や。下のもんが増長すると示しがつかんやろ?態々、人様の家にケチ付けるんか?」
「私から見れば、嬲っているようにしか見えませんが?何より、口を出したのは先の通り彼女が、禪院真希が私の友人だからです。友を足蹴にされて黙っていられるような人間ではありませんので」
「本気で言うとるんか?この出来損ないが、オトモダチ?はー、おもんな。笑えへん冗談も程々にしときぃよ。こんなゴミ…………ああ、性処理程度には使えるんやない?体つきはええもんな。揃って」
「…………」
嘲る直哉に踏まれ、禪院真希は歯を食いしばる。
男尊女卑等という言葉では収まらない差別が、呪術界隈には蔓延っている。特に顕著なのが、この御三家の一角である禪院家であった。
この家に、女性の人権は無い。常に相手の顔を伺い、且つ足蹴にされたとしてもただただ暴威が去るのを待つしかない。
しかし、今回の直哉の言葉は本心であると同時にある狙いもあった。
加茂家の神童。相伝の術式を継承しながら、同時に体術も極めんとする天才。
気に入らなかった。
(
憂さ晴らしが出来る上に、調子に乗った奴の鼻をへし折って屈服させる。
直哉にとって、今この状況は願ったり叶ったりの事だった。
直哉の狙い通りに、目の前の少年は眉間に皺を寄せて不快を露にしている。
「……そう言う所は、全く共感できませんね。呪術師の家は前時代的すぎる」
「見解の相違やね。使えへんモンに使い道を示してやっとるこっちの慈悲が分からんの?」
「彼女らは、サンドバッグじゃない。基本的人権の尊重も行えない様な化石の言い分を聞く必要がありますか?」
瞬間、ザラりと呪力が溢れる。
ゴングは、必要ない。そもそも、憲紀も直哉も初対面の時点で相容れないと理解していたから。
「――――遅いなぁ」
「ッ!」
不自然な硬直、その次の瞬間には憲紀は顔面を殴られて飛ばされていた。
倒れる事無く庭を滑って止まるが、鼻から血が流れ落ちる。
何が起きたのか。御三家の術式を知る憲紀は直ぐに答えに行きついた。
「投射呪法……」
「ご名答。まあ、アレや。殺しゃせえへん。手合わせの範疇に収めたるから、大怪我は気にせんといてええよ」
「…………」
その場で軽く飛び跳ねながら嘲笑う直哉に対して、憲紀は拳を握るとオーソドックススタイルの構えをとった。
だが、直哉はこれを嘲笑う。
(無駄が過ぎる。俺の動きには、付いていけんよ)
跳ね上がる、憲紀の顔。
投射呪法。自らの視界を画角として予め頭の中で動きを作り、その後作った動きを自分の体で後追いするというもの。
動きは、一秒間に24コマ。過度に物理法則や軌道を無視した動きは作ることはできない、が裏を返せばある程度の物理法則は無視をする事が出来るという事でもある。
加えて、この術式。一度の発動で出せる速度に上限があるが、術式を重ね掛けする事によってその上限は加速度的に上がっていくことになる。
人体の限界などを加味して、最高速は亜音速。ここまで上がった速度から繰り出される打撃は、戦術兵器にも迫るものがある。
更に、この術式は触れることで触れた対象にもその効果を適用する事が出来る。
先の通り24分の1の動きを作らねばならず、作れれば爆発的な加速を得るが投射呪法を持たない者がぶっつけ本番でその動きを行えるはずもない。
そうなれば、強制的な一秒間のフリーズが齎される。このデメリットは、術者自身にも適応され呪術としての差し引きを成していた。
一方的。速度が文字通り違うのだから、憲紀が一方的に殴られる状態だ。
だが、
(何や、この違和感は)
速度に乗りながら、直哉は眉を顰める。
攻め立てているのは、己。勝っているのも、己。
にも拘らず、
「……どういう事や」
「ブッ!……何の話ですか?」
頬を殴られて口内にあふれた出血を吐き捨てる憲紀に、直哉は苛立ちを隠せない。
「俺の攻撃は当たっとる。そんで、君からのクリーンヒットはゼロ。なのに――――」
「どうして倒れないのか?分からないのなら、それで良いのでは?貴方には関係のない事でしょう」
「クソガキが……!」
不敵に拳を構える憲紀の姿を前に、直哉の蟀谷に青筋が浮かんだ。
首捻り、という技術がある。
ボクシングの技術の一つで、頭部への打撃に対して殴り飛ばされる方向へと首を回す事でパンチのクリーンヒットを外す技術。
もっとも、頭部が派手に跳ねる為にボクシングの試合中では審判からの心象が悪くなるというデメリットもあるのだが。
そんな技術を知らない直哉は、苛立ちのままに術式を行使。
(どういうタネかは分からへんけど、こっちはそもそもカウンターも加味して動きを作っとんねん。赤血操術は“
駆け、殴って畳む。それだけ。
それだけの――――筈だった。
「――――読み通り」
「は?――――ガッ!?」
突っ込んだ直哉は、気付いた時には宙を舞っていた。
その光景を外野で見ていた真希は、目を見開く。
「カウンターを合わせやがった……!?」
直哉を嫌う彼女だが、その実力は知っている。その速度の厄介さも、只管に自分がサンドバッグになった経験から文字通りに痛いほど知っている。
だからこそ、目を見開いた。
突っ込んだ直哉に対して、憲紀はフットワークをそのままにステップイン。
次の瞬間、彼の左のアッパーカットが
「ガッ、アァ………!」(何が、起きた………!)
立ち上がろうとする直哉は、しかし膝が震えて立ち上がれない。
顎への打撃の直撃。加えて、速度が乗った状態からのカウンターはその身体の自由を奪うには十分すぎるモノだった。
何が起きたのか。その答えは、憲紀の研鑽にある。
まず、赤血操術。コレは、呪力を通した自身の血液や、その血液が付着した物質を操作するというもの。
攻撃や防御、拘束に身体強化や止血といった面まで汎用性、応用性の高い術式であると言える。
憲紀が扱っていたのは、赤鱗躍動と呼ばれる血中操作による身体能力の増強。素の呪力強化だけでは直哉の動きを追いきれなかったから。
そして、もう一つ。
落花の情。御三家の秘伝とされる対領域用の技術。
呪力による自動迎撃を行うものであり、用は呪力に反射攻撃のプログラミングを行うようなもの。
とはいえ、それほど優れている訳でもない。術式を介さない呪力のみの破壊力は低く、あくまでもオートカウンターでしかない為相手の攻撃に対して最適な動きが出来る訳でもない。
利点としては、対領域の技術ではあるが術式の中和を行う訳ではない為己の術式との併用が可能。あくまでも技術である為、当人の実力次第ではあるが動き回る事も出来る。
憲紀は、この呪力に因る反射攻撃を自身の動きに応用した。
彼は自身の体の周りに呪力に因る薄い膜を張った。この膜は触れた対象を即座に感知するというもので、例えコバエが一匹飛び込んだとしてもその位置を正確に知る事が出来る。
ここに、落花の情によるオートカウンターを己の体に適用。感知した瞬間に一切の思考を挟まずノールックの反撃を可能とした。
赤鱗躍動と呪力強化。加えて、彼自身の磨き上げられた格闘能力が合わさって放たれたカウンターは、直哉が用意していた投射呪法によるカウンター対策の上を行く。
「ッ、ふぅ……ぶっつけ本番でも、上手くいくもんだな」
「~~~~!」(ふざけんなや!んなもんで、こっちは地面に這いつくばっとるんか!?)
流れる鼻血を親指で拭った憲紀に対して、内心で咆える直哉。
たった一発で、戦況はひっくり返っていた。そして、この一発が今後の力関係を分けたともいえる。
これが、始まり。
そして、時計の針は戻る。
@
「いっぺん躾せなあかんな、クソガキ」
「さっきも言いましたけど、出来もしない事を言うもんじゃありませんよ」
「あ゛?調子乗んなや、ガキが」
青筋を立てる直哉に対して、憲紀は涼しい顔。
二人のやり取りを、サングラス越しに五条悟は眺めていた。
(うーん……呪力操作のレベル的には、憲紀が上だよね。黒閃経験済みだって話だし、直哉と違って外との戦闘経験も多いのが良い影響を与えてる。直哉は直哉でちょっとはマシになったけど、まだまだだし)
そんな、口に出せば間違いなく直哉が爆発するであろう内心を思い浮かべながらも、着々と強くなる若手に彼の口角は持ちあがる。
彼が、特級術師として忙しい中でも呪術高専での教鞭をとるのは、強い仲間を育て上げる為だったから。その点で言えば、彼らは五条の求める水準へと順調に伸びているように思えた。
もっとも、当の本人らはバッチバチに火花を散らしているばかり。そこに、友情やらが入り込む余地はないのだが。
それはまた、別の話。