異世界転生したカール・マルクス   作:匿名

1 / 15

感想・評価は励みになります!どうか宜しく、この作品を見届け下さい。




魔導の黎明
第一話


 

 

 

魔法、魔術、そして呪文。

 

この世界には、そんな三種類の科学では説明のつかない超常が存在する。

 

いや、正確に言えば科学では説明できないというのは、私の前世――便宜上、A地球と呼んでいる世界の基準での話だ。

 

この、今世のB地球では、それらには明確な法則性が見出され、学問として体系化されている。

 

 

いわば、科学の代替として文明の屋台骨を支える実学なのだ。

 

 

私は、この奇妙なB地球に、ルイゼル・エドワードという名で生を受けた。

 

 

 

 

 

この国の体制を一言で説明するのは難しい。

 

辺境を治める有力貴族が武力と土地を握る封建制が根強く残っている一方、中央では驚くほど緻密な官僚制が機能しているのだとか。

 

 

 

 

それでいて、頂点に立つ皇帝は神格化された絶対王政の如き権勢を振るっているが、実態を覗けば有力な貴族たちによる寡頭制の側面も強い。

 

選帝侯というか、そういう者たちがいるのだ。

 

前世の地球の歴史を知る者からすれば、時代錯誤と先進性がごちゃ混ぜになった、極めて歪な、あるいは実験的な国家体制に思えた。

 

 

王権神授説なのにも関わらず教会が政教分離されていたりとか、どう考えてもおかしい要素がたっぷりとある。

 

まあ諸民族国家だし、一言で表すのならオーストリア・ハンガリー帝国のような既視感がある。

 

 

 

「エドワード、ぼさっとしないで。方伯さまがお待ちよ。すぐに準備なさい!」

 

凛とした声が、私の思考の海をかき乱した。

声の主は私の妹だ。彼女は私の返事も待たず、当然のような手つきで私の手を引いた。

 

 

アリスという名の彼女。エドワードという名前の私。

 

音声をそのまま文字に起こせばそのように聞こえる。世界を跨いでも名前が同じというのは、不思議なことだ。

 

 

 

 

 

この国には奇妙なルールがある。

 

官僚という実務のエリートになれるのは、家督を継がない者だけ、というルールだ。

 

 

男性の多く、特に長男である私は……家を継ぐための器として育てられる。

 

対して、家を継ぐ可能性の低い女子や次男以下は、生き残るために必死に知を磨き、官僚としての地位を求める。

 

手を引く妹の指先には、既に実務者としての、あるいは支配層としての強い自負が宿っているように感じられた。

 

上位貴族だと官僚にならない女子も多いらしい。

 

 

だけども男爵家という、他の貴族たちと比べたら小さい領地の我が家だと、新聞を除けば官僚にする以外に中央の文化を知る術がない。

 

 

私たち兄妹は同じ馬車に乗り込み、方伯の城を目指した。

 

 

革張りの椅子は我が家の富を象徴する。じつに封建領主が好みそうな、あるいは資本家が好みそうな椅子である。

 

 

ふかふかな座り心地はさておき。

 

 

 

窓の外を流れる風景は、どこか物足りない。

 

街道を行く馬車は疎らで、道の中央を平民が我が物顔で歩いている。

 

交通ルールなどという概念は存在しないらしい。

 

「……文化的じゃないなあ」

 

 

思わずため息と共に独り言が漏れた。

 

移動手段の根幹に内燃機関が存在しない。

 

 

ゆえに蒸気機関車も、それを走らせるための鉄道網も整備されていない。

 

物流の毛細血管がこれほど細くては、経済の爆発的な発展は望めないだろう。

 

 

 

そんなA地球的な経済理論を組み立てている間にも、馬車は揺れ続けた。

 

妹は私の独り言に対してよく小言を言う。馬車の中なのだから誰も聞いていないだろうと言って諭すも、その不機嫌さは到着するまで直らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

方伯の城が見えたのは、真夜中を過ぎた頃だった。

 

いや、地平線の向こうから薄っすらと光が差し始め、夜の真っ暗な空が白んできた頃だ。

 

 

明け方に近い、空が赤色に近い紫のような、不思議な色合いになった頃にようやく見えてきた。

 

 

「遠すぎる……」

 

 

「エドワード……近い方よ。我慢なさい。皇帝さまの城なんて一ヶ月以上はかかるわ。グズグズしてないで降りるわよ!」

 

 

私は妹に、分かったとだけ返事して、周囲を見渡した。このあたりには遮る山が一つもない。

 

 

どこまでも平坦な土地が続いている。

 

 

なるほど、これだけ見通しが良ければ、あれだけ遠いと思った方伯の城まで一日で辿り着けるという感覚も、この世界の住人にとっては合理の内なのだろう。

 

一日しかかかっていないと思っている妹と、一日もかけてこの距離しか移動できていないと思う私。

 

 

 

馬車の先頭で父は降り、何やら会話をしているようだ。

 

そして門が空くと同時に妹が窓から顔を覗かせ、父が再び馬車に入っていくのを見ていた。

 

 

私も顔を出しながら見ていると、馬車が進んだので慌てて窓を上げた。

 

 

 

 

 

一日が近いと思う妹は間違っていない。

 

少なくとも、この世界では一日など我慢の範疇でなんとかなる距離である。

 

考えている感覚がB地球の妹と、十五年も経って未だにA地球の感覚が抜けていない私。

 

どちらが正しいかと言えば、妹だろう。

 

この世界からしたら存在しない世界の存在しない記憶を持った人間が、その記憶に基づいて話しているというわけだ。

 

 

そりゃあ感覚がズレもするし、合うわけもない。

 

門をぬけて城に着くと、私たちはすぐに豪華な邸宅へと通された。

 

 

 

そこで待っていたのは、B地球における上流階級の贅沢という名の、理解を超えた儀式だった。

 

「さあ、遠慮なく召し上がれ、エドワード。」

 

 

父はすぐ隣で、そう短く言った。

 

目の前の長テーブルには、彩り豊かな食事が並んでいた。だが、主役は肉でも果実でもなかった。

 

 

 

磨き上げられた銀皿の上に並んでいるのは、眩いばかりにカットされ、光を反射して輝く宝石だった。

 

招待された客たちは、慣れた手つきでその宝石を口へと運んでいる。

 

 

私は少し抵抗感があったが意を決して、エドワードとしての記憶と本能に従い、深紅の宝石を手に取った。

 

 

とてもじゃないが食べ物ではないと思う。

しかしそれを口に含み、噛み砕こうと思いっきり顎に力を込めた。

 

 

 

 

めちゃくちゃ硬いけども、こう……なんか飴を思いっきり噛んでるみたいな気持ちがする。

 

ガリリ、という硬質な音と共に、宝石は砕け散り、喉を通って腹へと落ちた。

 

 

 

瞬間。

 

 

 

「……っ!」

 

 

熱い。内側から焼かれるような熱が、血管を伝って全身に駆け巡る。

 

まるで体温が数度跳ね上がったような感覚がする。

 

心臓の鼓動が激しくなり、視界が鮮明になる。

 

何かしらの活力が体内に直接充填されたような感覚だ。

 

 

と同時に、激しい渇きが私を襲った。喉が張り付き、体の水分がすべて蒸発したかのような錯覚。

 

 

 

「次はこれを」

 

父が静かに、青色の宝石を指さした。

 

 

私は直感的に、この体を治める何かであると理解した。

 

それを奪うようにして口に放り込む。

 

青い宝石が口の中で砕けると、今度は氷水を流し込んだような冷徹な波動が、先ほどの熱狂を急速に冷やしていった。

 

 

 

熱と冷え、プラスとマイナス。二つの衝撃が体内で中和され、やがて平穏が訪れる。

 

 

それと同時に、私は理解した。

 

私の指先に、掌に。

腕に、肩に。

 

指先から真っ先に自覚した。

 

見たこともない不可視の回路が繋がっていることを。

 

 

何かが出ているような感覚がするけれど、これはなんだろう?

 

私はそれを形容する言葉を知っている。

 

これが魔力の自己生産だ。

これこそが人間を、全てを統べる存在にする力だ。

 

 

 

A地球の科学が化学や科学で解決していた事象を、この世界の人々は、高純度のエネルギー体である宝石を直接、経口にて摂取することで、自らの肉体を触媒にして引き起こしているのだ。

 

 

魔法は単に火をつける便利な道具だけではない。

 

 

 

 

この宝石を食らう贅沢。それは単なる虚栄心の発露ではない。

 

官僚たちが何年もかけて学ぶ理論に、詠唱による制御を、支配層たる貴族は富の力で、文字通り腹の中に収めてしまう。

 

 

資本の暴力的な特権と、魔法という代替科学が、この食卓の上で美しく結びついていた。

 

 

 

「どうだ? エドワード。平民が一生かけても拝めないような宝石の味は。」

 

父が、少しだけ揶揄の混じった瞳でニッコリと笑いながら私を見ていた。

 

他の客たちも似たような言葉を言っていて、これを複数回食らうのだと理解した。

 

 

 

「何も味がしない」

 

私は、心拍と共に流れる何らかのパワーを、さらに深く解析しようと心に決めた。

 

「はは、それはそうだな。」

 

「これでお前も一人前の大人だ。方伯さまに感謝状を持って渡して来い。」

 

 

 

 

父はそう言うと、ひょいと私の手のひらに筒状の何かを押し付ける。

 

父は続けてこう言った。

 

「宝石を無償で食べさせてくれるなんて方伯だけだぞ?良く感謝して、魔術を学ぼう。」

 

「ちゃんと帝都のいちばんでっかい学校に通わせてやるからな!」

 

「でもちゃんと渡す時はお辞儀するんだぞ。いいな!」

 

 

 

 

 

 

 

そうして私は十五歳の秋、天高く馬肥ゆる秋に大人の階段を上がった。

 

方伯は感謝状を受け取った後に、扉を開けて帰れと言った。

 

 

ぶっきらぼうそうな返答だったけれども、男爵位の貴族にそこまで気を配っていられるほど余裕が無いのかもしれない。

 

方伯は常に武力を高める必要がある。

 

それはもちろん、魔術によるものや、魔法によるものや、呪文などが込められた道具よるものも関係なく、あらゆる人材を強化しなくてはいけない。

 

 

魔法の習得の過程をスキップできる宝石は簡単に軍拡ができる。

 

 

ただ、ちゃんと使うには何万回もの反復がいるらしいというのは知っている。

 

 

こんなものをどうして男爵位の貴族に食わせたんだろうとは思ったけど、方伯がどう考えているかとか……人の心を読める訳でもないし、知る術は無い。

 

 

考えるだけ無駄なことだった。

 

だから、帰りの馬車の中で妹に聞いてみた。

馬車の中では妹が先に居て、上機嫌そうだった。

 

 

「ねえアリス、なんで方伯さまは宝石を食べさせてくれたと思う?」

 

 

するとアリスは私の方に顔を向けさせ、反復するようにして言葉を紡ぐ。

 

「はあ?宝石を食べさせるのは何故かって?」

 

「少し考えれば分かることでしょ。そんな事なんでわざわざ聞くの?」

 

「エドワードったらもう馬鹿。」

 

妹はそんなことを言いつつ、すらすらと答えた。

 

説明は非常に長ったらしかったが、この何も娯楽の無いしみったれた馬車の中では会話だけが潤いになった。

 

「魔術を使えなきゃ、貴族としてダサいのよ。宝石鉱山があるところならまだしも、そういうのは皇室財産になるの」

 

「だから最高位の分配権を持つ皇帝からその下に分けられていって、最終的に私たちに届くの。分かった?」

 

 

こういう疑問にはちゃんと答えてくれる。弓術で下手くそなことを指摘すると怒って、三週間は口を聞いてくれないけども。

 

 

「はいはい、よーく分かったよ。」

 

 

「ねえ、そういえばエドワード。魔術……どんなの使いたい?やっぱり火とか水とか?」

 

アリスは、エドワードにそう問いかけた。

火の柱を建てるも良し、水の柱を建てるもよし……

 

方伯の城の中に飾られていた絵画。そこで見た魔術の精髄は妹の脳みそを刺激したらしい。だけども私は、魔法を使ってみたい。

 

「僕は呪文を使うよ。」

 

 

 

「呪文ですって?平民も使うようなものを使うって言うの?」

 

「ああいや、呪文をまず極めてみたいんだ。」

 

 

妹はそういうと、眉を顰めた。

 

「ふーん?じゃああんた、呪文にどれだけ種類があるか知ってるの?」

 

 

「それは……分からない」

 

 

「良い?まず呪文が込められた道具は、発音を正しくしないと起動しないわよね。」

 

「そういう道具の中には効果が明記されてないものが山ほどあって、しかも偽物がたまにあるらしいわよ?」

 

「本当は何も発動しないか微弱な効果しかないけれど、効果があると言ったり。魔法の下位互換みたいなやつが多いのよ。」

 

 

その言葉はじつに論理が立っていて、私を戦慄させるのに十分な言葉だった。

 

何だと、と言うのと同時に、妹は続けて喋った。

 

 

「魔法は口ずさめば終わりじゃない?なんでわざわざ書くのよ。」

 

 

 

「百文字書く間に魔法ならもう攻撃し終わってるし、防御の準備もできる。馬鹿みたいじゃないの。」

 

 

「魔術はどれかひとつでも極めたら身に付くし、おとなしく魔術をやっときなさい。」

 

「長持ちさせたいなら物に彫刻する手先の繊細さがいるのよ。しかも安くインクで塗ったところで雨が降れば呪文を書いたとて終わり。」

 

「もし呪文を刻んでおいた部分が削れたら?もし、インクが水で流れて詠唱できなくなったら?」

 

 

 

「たとえその道具は本当に効果があったとしても、読み上げ方を教えてくれなきゃ、使い方がないのよ。」

 

 

 

「でも魔術は違うわ、物が壊れても効果は続くもの。」

 

「文字にわざわざ書く必要がないし、覚えれば何度も書かずに使えるし、何より魔力回路を消耗しないの。」

 

 

 

魔力回路、という言葉を私は知っている。

 

魔力回路と連絡路が体に幾つもあって、それらは魔力を流すことによってより太く、長くなる。

 

 

そうして強くなると一度に流せる魔力量も変わる。

 

 

 

呪文は道具として完成させるなら、ただ詠唱を書いた文字を記述するだけでなく、魔力回路を物体に付与する必要がある。

 

 

 

そうした致命的な欠点を妹は次々と言って行く。

 

 

 

解説をぼんやりと聞いていたら、ため息と共に締めの言葉が聞こえた。

 

 

「ねえエドワード、一生続く魔術と、雨が降れば一日で終わる呪文。比べればさすがに非効率さがわかるわよね?」

 

「呪文だけは辞めといた方が良いわ。恥よ恥!」

 

 

「はいはい、よく分かるよ。」

 

 

どうやら我が妹の怒りは止まらないらしい。

怒り心頭というか、額に血管が浮き上がっているのが見える。

 

 

 

「でも魔術って努力しないと使えないじゃないか。」

「僕は努力と努力と努力が嫌いだ。でもそれ以外の要素は好き。」

 

「ほら、派手で美しいじゃないか。」

 

 

 

私がそういうと、またも深くため息をついて妹が喋った。

 

 

「あのねエドワード、呪文文字を正確に筆記するのも努力しないと出来ないわ。」

 

 

アリスはそう言うと、親指を立てた。

 

 

「え?」

 

私の戸惑う声を聞くも、無視して話を進めるつもりのようだ。

 

 

 

「ええと、そもそも詠唱しなきゃいけないんだからそもそも呪文文字を知らないとないわよね」

 

アリスは人差し指を立てた。

 

「でも世の中には変換紙っていう商品があるじゃないか」

「それを見て書いたり喋ればいいんじゃない?」

 

エドワードは、そう言いながら反論する。

 

「逆に聞くけどエドワード、変換紙を左目ジーッと見つめて、右目で手元を見て。」

 

「そんな視線の往復で綺麗な文字がかけると思ってるの?」

 

 

「書く文字を失敗したら最初からやり直し。正しく詠唱しても使えない道具になる……そんなめんどくさい呪文ってやつをやりたいの?」

 

 

 

「彫ったら間違うと消せない。」

「描いたらすぐ消える。そういう、時間が有り余ってる余裕のある平民がやるもんなのよ。」

 

「で、そういう平民は珍しいの。呪文を彫り込むための金属板とか沢山買って、魔力回路を使って弱体化したり、豊かな平民が一気に破産しちゃったら領は弱体化を免れないわ。」

 

 

 

アリスは中指を立てた。

 

「魔力回路を注入する対価と商品代が釣り合わないから呪文は魔法に淘汰されるのよ。」

 

 

「そもそも平民なら魔力回路って一本形成されるのに三ヶ月はかかるわ。宝石を食べたことなんてないだろうし。エドワードみたいに食べた傍から形成されるなんてのがないのよ。」

 

 

アリスは薬指を立てた。

 

「春夏秋冬で毎年毎年、呪文をいたずらに描いて時間を潰すつもり?そんな暇ないわ。」

 

「魔導書を良く読書して、努力した方が近道なの。何事にも努力は避けられない。おとなしく受け入れた方が良いのよ。」

 

アリスは小指を立てた。

 

五本の指を突き付け、これが呪文の抱える問題の数よ、と言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

馬車の中で私は妹と壮絶な喧嘩になった。

 

 

 

 

 

魔術と呪文、どちらが優れているかなどお互い魔術で決着している。

 

しかし、それでも私は努力が嫌だった。

 

 

 

 

「そうだ!」

 

「木版印刷みたいな感じにしてさ、呪文を刻んだ物体をたくさん作れない?」

 

お前が努力をしろと遠回しに言うような、そんな言葉が嫌だ。

 

 

 

 その言葉を聞くたびに、私のA地球的な魂が拒絶反応を示す。

 

 イギリスで蒸気機関が産声を上げたとき、人々は個人の努力を機械の自動化に置き換えることで爆発的な発展を手に入れた。

 

だから自助努力という言葉が蔓延した。

 

 

それがこの世界で、産業革命も起きていないのに、そうした風潮が跋扈している。

 

妹への対抗心だと言うのも、己の嫉妬心があまりにも醜いものなのだと言うのも理解している。

 

 

ならば、この世界の呪文も同じではないか?

欠点は多いが、量産できるなら……

 

 

 

 

 

アリスは、キラキラと光る眼差しをエドワードの目に見た。

 

だが、妹の頭の中には既に沢山の反論が思い浮かんでいた。

 

 

「あ〜……それ一から思いついたの?」

「もし百年前に生まれてたら天才だったかもね。」

 

 

 

 

「うん。そうすれば楽じゃない?」

 

 

エドワードの瞳には希望が宿っていた。今からその希望をへし折る事が分かり、アリスは溜息をついた。

 

が、説明を嫌がったとて現実を直視する時間が遅れるだけ。アリスはそう思い、無知な兄に説明をすることにした。

 

「でも、じゃあ、なんでそれが行われてないか分かる?」

 

「五百年前の皇室は表音文字を統一した。魔法の詠唱の筆記を助けるためにね。」

 

「百年前の皇帝は呪文に夢を見たの。でも、結局……魔法と魔術に揺れたわ。なんでだと思う?」

 

 

 

エドワードには歴史の知識が無い。

 

歴史の本をあまり好まず、勉強もあまり好きではない。

幼少の頃からずっとそうであったから、皇帝に関することや貴族に関することなどの、最低限しか本から読み解いていない。

 

 

 

しかしそんな兄でも、詳細は語っていないが、一から印刷を思いついた兄なら分かるはずだと思いながら、アリスは問う。

 

 

 

「あっ」

「印刷したところで……呪文文字の読み方を知らないと何の意味も無い?」

 

 

エドワードのその答えに、大きく頷いた。

 

 

「そうね。だから呪文の価値はほとんど無いのよ。」

「識字層がどれだけ人口の割合を占めるか……良く考えたら分かるわよね、エドワード。」

 

「だから呪文の不朽に夢を見た人からこの識字率の壁に衝突して、教育制度にお金と時間だけが無限に吸い取られて終わり。」

 

パタンと手を閉じ、音を立てる。もうこんなつまらない話を辞めよう、という意思表示だ。

 

 

「へえ、じゃあもう魔術を覚えた方がいいんだ」

 

しかしエドワードに会話を終えるつもりはない。

 

アリスは気怠げに答えた。

 

「いや、うーん……魔法も並列して覚えたらいいんじゃない?ほら、魔法って自由度が高いから」

 

エドワードは返答次第、即答する。

 

アリスはこの態度が気に入らない。

いつもの斜に構えた態度が気に入らない。

 

「そしたら努力を二倍しなくちゃいけないじゃないか」

 

 

 

努力が嫌だというその生き様を嫌いなアリスは、兄を心の中でどこまでも愚鈍と見下していた。

 

それが表面に押し出されて行く。

 

 

 

 

「あーもう!それをやったから、お父様は貴族階級を保ててるのよ!」

 

「めんどくさいなあ。これで納得してよエドワード、学校に行ったら嫌でもどの道やらなきゃ行けないのよ!」

 

「何回言わせるつもり!?そもそも魔法と呪文を比べた時に魔法の方が早いの!読み上げるのにかかる速度が同じなら状況に合わせて変化できる魔法の方を選ぶわ!」

 

 

馬車の中は騒音で満たされている。

金切り声は浴びたストレスの発露だ。

 

 

 

二つ並んだ革張りの椅子に似つかわしくない音が聞こえる最中。

 

 

不和とは、ふとした一言で始まるのだなと、エドワードは痛感した。





  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。