異世界転生したカール・マルクス 作:匿名
私は、鉄道について思案するのをやはり止められなかった。
この領地の保守的な空気、そして財源の不足さを考えれば、現状を変えることなど不可能に近いのかもしれない。
しかし、私の頭の中では、陽炎の立つ平原を疾走する鋼鉄の怪物の姿が、一度たりとも消えたことはなかった。
建設したい。どうしても、この手でこの大地にレールを刻みたい。
だから、適地を探した。
私の父上の仕える主君である方伯の領地は、鉄道を敷設する上で、これ以上ないほど理想的な条件を奇跡的に備えている。
視界を遮るもののない広大な乾燥地帯。急峻な山々を避け、緩やかに、だが力強く流れる大河。
そして何より、大陸性気候でありながら、この地域一帯は気温の変化が比較的穏やかだ。
これは、レールの熱膨張や凍結による破断という、初期鉄道が抱える最も厄介な物理的制約を最小限に抑えられることを意味している。
一度、鉄道建設に伴う外交的な摩擦や、莫大な予算の問題をすべて解決したと仮定してみよう。
純粋に地政学的・軍事的な最適解として、この地に鉄道を敷く価値はどこにあるのか。
方伯の思考の起点は、常に防御にあるのだろう。
外国との最前線という過酷な宿命を背負った方伯領の北限には、巨大な長城が築かれている。
長城。私はこの建築物を、あえてそう呼称している。
単なる城砦や関所という言葉では、その持つ戦略的な重みを表現しきれないからだ。
かつてのA地球において、アジアからヨーロッパに至るまで、騎馬民族の機動力は文明を塗り替えるほどに強靭であった。
だからこそ早くのうちから、騎馬民族の脅威に晒された中国は長城を並べた。
そしてこのB地球においても、その理は変わらない。
騎兵の圧倒的な優位性は、戦場の常識として君臨している。
長城の高さは、大人の背丈の三倍に達する。いかに名馬といえど、この垂直の壁を飛び越える術はない。
この壁こそが、物理的な断絶によって騎馬の機動力を殺し、帝国の平和を維持する巨大な栓として機能しているのだ。
長城の周辺には、駐屯所や兵舎が迷路のように張り巡らされ、ありとあらゆる常備軍がひしめき合っている。
方伯領の軍備が脆弱だとは言わない。むしろ、現状でも十分に強靭だ。しかし、私の知る軍事の歴史は、さらなる強固さを求めてやまない。
北限地域及び長城周辺は軍事拠点が満載であるが、これらを支える線が馬車である。
もし鉄道を建設したならば、馬車の数倍。つまるところ時速80キロで爆走する機関車が大量の兵士を運ぶことになる。
そして、蒸気自動車は馬糞を排出しない。つまるところ馬糞問題が起きない。
うーむ、北限地域に建設するとなるとしかし、燃料源が心配になる。
乾燥地帯ゆえか森林地帯が少なく、東西に草っ原が広がるだけだ。薪の不足があるだろう。
石炭を燃料にしたいが、方伯領の炭鉱は南限地域だ。
鉄道で石炭を運ぶか?いや、鉄道が石炭を使うのだから、運ぶ鉄道が、届ける石炭を使ってしまう。
いや、そもそも南限から北限まで、帯状ゆえ差はあるが30~20kmそこらだ。鉄道で運んだとて使う石炭は微量……か?
しかし南北を横断する鉄道を作ったところで東西に繋げねば、長城を超えて迫った時、即応できない。
一部だけでも即応できる鉄道を作るのが大切だとは思うが、最後には鉄道網を作って欲しい。
東西になにせとんでもなく広い。この男爵領を優に超える長さだ。
方伯領は縦には狭いが横には広い帯状。縦にはバラツキがあるとはいえ、横には非常に画一的な長さだ。
横断する鉄道と縦断する鉄道を組み合わせ、蒸気機関車の素早さで攻める敵軍をコテンパンにして欲しい。
しかしそうなると燃料源の不安がある。
方伯領の南限には低い山々が連なり、そこには豊かな炭鉱が眠っている。
そこからの石炭を北限地域の鉄道にまで運ぶ、もしくは接続できたならば、問題は一挙に解決し、鉄道の補給は容易に超越しうる。
北から南に吹き抜ける風は、風車を回し、人々の生活に活気を与える。
であるならば。男爵領にもその鉄道を通したい!
境界となる丘陵地帯は、険しくはあるが、決して鉄道が超えられぬ急斜面ではない。
男爵領の北限地域は方伯から見ると南限地域とほぼ同義。
私は、鉄道をこの領地を南北に縦断する大動脈として構想している。
男爵領から方伯領を南北に貫く主要街道の周辺地域に手を出すのは、既得権益との衝突を考えれば得策ではないだろう。
だが、この男爵領から見て北の炭鉱へ向けて、直線的に鉄路を伸ばすことができれば。
多くの民は、精緻なガラス細工に魅力を感じている。北西部の街がガラスの工芸品を有するのは多くのガラス職人が燃料となる石炭を大量に手に入れられるからだ。
つまり、男爵領のガラスの工芸品を各地に送ることができれば、特産品が増えることになる。
ぜひとも通したいし、鉄道を普及させることの証拠にもなる。
だがしかし……ここに、ひとつの対照的な図式が浮かび上がる。
後背地である男爵領は天気が悪く、石炭を湿らせ、機関の効率を落とす雲が常に垂れ込めている。
対して方伯領は、雲ひとつない快晴が続き、乾燥した空気はボイラーの燃焼を助ける。
方伯領そのものは、鉄道にとって理想郷のような環境だ。しかし、この二つの領地を接続しようとした瞬間、絶望が覆う!
私はつい先程までありとあらゆる政治的リスク及び軍事的なリスクを除外することで思考の自由を得た。
しかし、領地を跨いで男爵領まで繋げるとなると、自費で繋がなければならない。
方伯領の南限と、男爵領の北限。両者が共有するその境界線は、緩やかな斜面がどこまでも続く丘陵地帯だ。
それは、歩く者にとって緩やかな起伏かもしれないが、重い貨車を引く蒸気機関車にとっては、心臓を突き刺すような苦しい勾配となる。
私の思考を鈍らせる最大の懸念があるのだが。鉄道を敷設することによる軍事的な弱体化の創出リスクだ。
この世界には魔法が存在する。
特に火属性の魔法は、近代的な銃火器に劣らぬ破壊力を持っている。射程こそ短いが、至近距離での殺傷能力は戦慄すべきものがある。手のひらを超高温に熱し、対象を掴む。それだけの単純な動作で、人体は筋肉まで焼き切られ、永久に機能を失う。
これほど強力な熱源が歩く兵器として存在する世界において、剥き出しのインフラである鉄道はどう映るか。
水さえ容易に沸騰させる魔法使いにとって、乾燥した平原を走る鉄道の枕木など、絶好の薪に過ぎない。たとえ男爵領の湿った空気で湿っていたとしても、魔法が放つ超高温の前には、等しく燃えカスへと変わるだろう。
もし、北限の長城が突破され、方伯が軍事的な敗北を喫したとき。
この丘陵地帯こそが、帝都を守るための最終防衛線となるはずだった。
しかし、そこに私が敷いた鉄道があったならどうなるか。
本来、後方への大規模な兵員輸送を担うはずの鉄路は、容易に破壊され、あるいは奪われる。
魔法一発でレールの枕木は薪のように燃え、脱線した蒸気機関車は、後続の補給を断つ巨大な障害物と化す。
あるいは最悪のシナリオ――敵軍がこの鉄道を列車ごと無傷で手に入れたなら。
彼らは、かつての騎馬の速度を遥かに凌駕するスピードで、整備されたレールの上を滑るように進撃してくるだろう。
軍事的な常識を覆す圧倒的な速度で、無防備な後背地へと雪崩れ込んでくるのだ。
味方のための鉄道は、一瞬にして敵のためのレッドカーペットへと反転する。
そこまで攻め滅ぼされた場合、周辺地域が征服されるのは時間の問題だろう。
しかし、その侵略のスピードを加速させ、時間の問題とやらを短縮する。
味方の抵抗を無力化した原因が、私が心血を注いで建設した鉄道だったとしたら。
これほど、悔しいことはないし、軍事的なリスクであると言わざるを得ない。
領地をつなごうとすると、とてつもない欠点が露呈し出す。
本来鉄道とは各地域を繋ぐことで利益を得るが、これでは利益どころか、外国による辺境の征服というものを早めてしまいかねない。
発生するであろう方伯との外交問題を棚上げし、資金問題を方伯が全額負担するというもので棚上げし、ようやく架空の鉄道を走らせたというのに欠点がまた見えてきた。
しかし、これらの問題が見えたということは、理論上は解決策が存在する。具体的な方法は分からないが、とにかく問題が可視化されたことで解決しうる。
まあ、辺境が重要である理由はひとえに国境地帯だからだ。
そんな場所を領地にしている方伯が弱いわけが無い。
私の家はそもそも男爵家だから全ての指示をすんなりと受け入れる訳もないし、というか上から目線すぎるとか思われたりして、戦争になるかも?
まあ、鉄道を建設しようとすると空想論になるのが辛い。
どこかに、とんでもないお金持ちがいないかなあ。
どこかに、気候も地形も鉄道に最適な土地がないかなあ。
鉄道さえあれば全ては変わる。供給過剰の社会もしくは、需用過剰の社会に二極化する。
つまるところ需給曲線の急激な変化及び地域差を引き起こせる。
鉄道を建設することは通商において陸に運河を引き、自由に方向を決められることに等しい。
どちらも維持費が大きいが、鉄道は後から引ける。
自由な方向に、自由な繋がり方で、自由な方角に、自由な相手に!
馬が羨ましい。馬が妬ましい!
鉄道の価値が引く理由は、大砲を引く理由にすらならないからだろう。
戦争の道具として見れば鉄道ほどコストパフォーマンスの悪いものはない。
大砲は魔法使いを上回る射程と破壊力を有する。
魔法使いは最大射程が有視界距離だが、有効射程が極めて短い。
火の玉を投げて爆轟を引き起こすというのも、人間が投擲できる距離というのは三十メートル。
射程が五百メートルの砲撃と三十メートルの爆発は根本的に脅威の度合いが違う。お互いに尺度が違うから計りようもないのだが、多くの場合、この火の玉は爆轟ではなく爆発になる。
周辺環境に火の元素が有り余っていたりすると火の魔力は生まれるが、逆説的に言えば火の元素がなければ火の魔力は無い。
そして火の魔力と風の魔力は増幅する関係にあるが、二属性混合魔法を行える魔法使いは全体から見て極めて少ない。
100人いたとして、17人居るくらいかそこらだ。
数としては多いが傾向として二属性混合魔法を扱える人間は少ない。
歩兵による火力、つまるところ魔法の威力が陣地による火力支援に劣ってしまっている。
火の魔法は調理用のものを除いて常に規制の歴史がつきまとう。攻撃用の火属性魔法というものは、公教育では決して入手できない。
だから、徴兵制をしたとて彼ら市民の多くは火をつける魔法くらいしか習得していないし、ゲリラ戦法に限られる。
騎馬にとって未熟な魔法使いはカモだ。
サーベルかなにかの刃物で切り刻まれ、クロスボウもしくは鈍器などの装甲を貫通する破壊力が死を誘う!
クロスボウは非常に強力だ。
なぜなら装填に一分以下、一分に三発も撃てる。しかも、ほとんど精密に当てられる!
だがそんな騎馬一強の時代に大砲はそこにスっと入り込む。
弓及びクロスボウの精密狙撃が可能な限界である百メートル、それを大砲は常に超越する精度で攻撃する。
火の魔法と騎馬は強いが、それよりも大砲が強い。
教育によって後天的に量産可能な要素があるとはいえ、魔法は人間が先天的に固有している元素の適切な比率というものに縛られる。
騎馬なんて最もな例だ。乗馬といものは充分な訓練に至るまで三年で済めば非常に早いし、なにか短縮を疑うレベルで早い。
後天的な教育のただ一点に縛られる騎馬は、魔法のように優れた教育を受けていなくとも使えるものではなく、階級間の均等化というのがほとんど無い。
貴族の芸ならびに職業軍人の武術として捉えられるのみである。
ならば大砲はどうか?
工業技術で作れる。量産も容易にできる。
誰でも使えて誰でも作れる。それに、運用も容易だ!
国境地帯に大砲を並べ、砲陣地として運用することで抑止力は回る。
武力なき外交も、外交なき武力もない。
だからこそ武力の先にある平和と外交の先にある平和とは、根本的に同一であると言わざるを得ない。
そしてその果てに行われる通商というものにおいて、大砲は非常に有能である。
大砲をただ一門用意するだけでその地域の治安は飛躍的に上昇する。
大砲は武力としてだけでなく、様々な用途がある。
しかし大砲の移動方法は、主に馬である。
それはなぜか?
馬なら戦争が終われば速やかに農耕もしくは必要としている者への貸付などが可能だが、列車と線路がなければ鉄道は動かない。
鉄道は戦争が終わって民生利用をできるのか?
否、建設に関する増税がまず間違いなく行われ、鉄道の維持という形でその税金は固定化される。
鉄道は反乱を招きかねない。
だが騎馬なら反乱は起きない。なぜなら維持費こそ高いが、彼らにとって当然なことなので、税金を取られることに抵抗などないからだ。
新しく税金を作るとなれば財源はどこか?
受益者負担の原則に基づいて平民から取りたいが、これは税制の正当性に欠ける。
平民、とくに農民は鉄道に乗らない。
多くの利用者は都市の市民と想定できるのであり、農民のための鉄道ほど矛盾した物体は無い。そもそも適切な税金として存在できないのだ!
だが都市の市民のために鉄道を作ろうにも馬車という最強の競合相手がいる!
つまり、断言出来るが、鉄道はどこにも居場所が無い!
新しく税金を取れなければ財源の不足でまず間違いなく維持できずに廃れて終わる。
馬での運搬は、ただ駐退復座機を備えた大砲、そしてその下の台車を用意するだけで良い。
駐退復座機が発明されたのはB地球において、およそ五十年前。油圧の発明と利用が始まったのもこの時期であるし、まず間違いなく砲の運搬方法には需要がある。
しかし鉄道はそれらに絶望的に向いていない。
なぜか?
柔軟な方向の転換、柔軟な位置の入れ替え、そして最も重要な迅速な後退と前進ができないのである。
蒸気機関車は確かに強力だが、このB地球において単純に都合が悪いから作られないのだ。
なぜなら線路を敷いた上で列車を走らせなければならないのだから、つまるところ展開できる場所が線路の上でしかない。
馬ならどこでも行けるし何処にでも逃げられる。
往々にして大砲というものに合わせて戦争が動く。
鉄道は確かに大砲の移動を素早くさせるだろう。だが、射撃は?
レールの上で撃ったらいくら頑丈でも……こう、何らかの工学的知見によって改善されない限り歪む。
横方向の射撃で歪むなら敵に向かって直進する方向にレールを敷くのか。そして、泊まって撃つのかと。いや、馬鹿かと。
駐退復座機が頑張って直した大砲の位置をレールがずらす、いわば矛盾した状況におかれる。
鉄道を砲の移動に使うというのも封じられた以上、どこかに鉄道の可能性を盲信する同士が必要である。
そしてその同士が潤沢な資金源及び鉄道建設に必要な要地を獲得している貴族でない限り、鉄道の夢は途絶えるのだ。誰にも理解されることなく、近代への道は容易に閉ざされてしまう!
これがどんなに恐ろしいか。だからこそ私は鉄道を誰かに託したい。