異世界転生したカール・マルクス 作:匿名
春の足跡が鳴り響く空は澄んでいて、雪の湿る空気とは変わって、すこし乾いた空気がこの広場にはあった。
一ヶ月前と同じ場所とは思えぬほど見違える広場は、版築された基礎と砂の入れ替えによって新しくなった。
一年に一度の大工事は水の魔法使いも沢山呼び寄せ、地面に隠れた水を押し出させ、乾いた砂だけがその場に残った。
「火の柱と水の柱ね……どれどれ」
本の中には膨大な文字と図解、そして詠唱が書かれている。
頁をめくる彼の名前は、エドワード・ルイゼル。
いわゆる貴族階級に属し、男爵家という爵位を持つ者でこそあるが、魔法への探究心は人一倍ある。
魔法は地味なものも多いけれど、それと同じくらい派手なものが多い。
彼が使ってみたいのは火の柱。その派手さは特に顕著だ。
彼は数ヶ月前、方伯の城で宝石を食らい、圧倒的な魔力を手に入れ、そしてその力を魔法として放出する術を学んだ。
「指先に火を灯す魔法ね。まずはこれからやっていこう」
砂の敷き詰められた広場は、気候のせいで夜には雪によって1m以上も積もり、溶かそうとしてもカチカチに凍り、滑ってしまう。
そんな冬には沢山使えた火の魔法も今となっては危ないもの。
火とは元素が集まり発生するもの。春の乾燥した空気という環境は火の元素を集めやすくする。
この地域では雪など、季節によって降るのみ。
嵐のような突風と氷と吹雪に包まれる様な冬とは違い、今はじんわりと暖かい春。
春となれば火災、火災となれば春と思うほどの常識として染み付く。
火の扱いには注意をせねばならない。
この広場は昔の闘技場であったから、四百歩ほど、まあおおよそメートル法で280mの真円である。
だがそれは真上から見ると、の話だ。
実際は壁は垂直ではなく、すり鉢状のようにすぼんでいるから、260mほどであろう。かつては木製の客席があったのだろうが、今は闘技場を演習場として使うがゆえか、夜には照明が灯る場所になっている。
火の魔法を使ったとてそうそう燃えることは無い。レンガの壁まで遠く、だいたい全力で走って40秒ほどはかかる。
だから、どれほど規模の大きい魔法を使ったとて燃えることはほとんどない。
「火の魔力と風の魔力を混ぜ……ああいや、下手に改変を加えたらダメって父上に言われたな。」
「ジナオトール・ぺスパー!」
手のひらに生まれた火の玉をひょいっと投げると跳ねた後に爆ぜ、膨大な熱気が伝わる。
火の魔法を使う時は、このように一度は爆発を起こしていなければならない。
なぜなら、乾燥しているか否かが持続力に大きく影響を与える。究極の湿潤に近いものである水中に火が落ちればもちろん瞬時に消えるのはそうだが、究極の乾燥に近い条件を整えれば火というのはよく残る。
「カジャルダン・ぺスパー!」
火の玉が指先に灯ると、その火の煙からは蝋燭のように甘い香りがする。
実に良き香りだ。
火事が良く起こるのも頷けるほど。それに、木の焼ける香りに近しいが、炭ほど不快感がないのも……まあ、長期間木造建築の家で灯し続ければ、まあどんな火の魔法でも火事になる。
この煙で燻された木には甘い香りが移り、家具としても重宝されはする。
が、煙と火は別物だ。
煙をより多く吸いこもうとすれば火により多くの魔力をぶつけるだろう。
そして、煙と火は大きくなり、最後には火事を巻き起こす。
身近な照明用の魔法だからこそ気をつけるべきだと散々口を酸っぱくして言われたのだ。
もうさすがに分かる。
さすがに飾られてた戦車の車軸を燃やしたことは反省している。まあ、僕が燃やせるくらいの位置にあるのが悪いと言ったら思いっきりゲンコツを食らったが。
当時は十歳だったのだから子供の悪戯で勘弁してもらいたい。
まあそんなつまらん過去はおいておいて。
火の宝石力を獲得した僕は非常に膨大な魔力を獲得した。
まあ体内に貯蔵しすぎて爆発死寸前というマヌケをやらかしたわけだが、それは良いとして。
こんなちっぽけな魔法を使うのではない。
今日、火の柱へと挑戦すると誓う。
今の今まで避けていた、最も火力が強く、最も制御が難しい、あの魔法を使うのだ。
エドワードは深呼吸をし、火の魔力回路を開くイメージをする。自然とそれに呼応するように風の魔力回路も開き、二属性の魔力が混合された、非常に不安定な……熱風の魔力が完成する。
二属性混合魔力の制御というものは難しい。
二属性混合魔法を扱う壁を破るためには、この熱風を制御することから始めなければならない。
水の魔力を混ぜることによって火の魔力を衰えさせる手法もあるにはあるが、そうすると極めて膨大な蒸気を伴うものとなる。
制御を簡単にする方法も、厳密に言えば三属性の魔力混合を達成出来るというあまりにも矛盾した手法であるがゆえに、火の柱というものは難しい。
「うん……でもやっぱり怖いや。」
炎の柱。絵画にも盛んに描かれるひとつの到達点。
円柱というものは、周りに被害を出さぬ為の形状だ。儀礼として発展した魔法であるから仕方がないのかもしれぬ。
が、僕にはそれが出来るとはどうも思えなかった。
炎の柱、炎の柱。
頭がすーっと冷えてくる。今ここでやらなくてもいいんじゃないかという囁きが頭の中でしたような気がした。
でも、それは逃げだ。男らしくない。
エドワードは息を思いっきり吸い込んだ。
深呼吸を一回した後に、口を開く。
「ベディグリル・ぺスパー!」
掌から直線的に飛び出た風は、直ちに火となり膨れ上がる。
膨張しようとする熱風を、真上に向けるのではなく前方に向けた。
温度差で風ができているのが分かる。空気が極度の乾燥にあるのが分かる。だが、それよりも!
「できた……」
炎が、柱となったのはたった一呼吸の間だった。
光も大いに出た。これほどまでに大出力の魔法を使ったのは初めてかもしれない。
火の魔力回路が光り、そして光らなくなった。
熱を帯びる血管の感覚も消える。それと同時に、冷水を浴びたような心地が背中を中心にしてじわじわと広がる。肩から二の腕、二の腕から掌へと。
「しまった、今の僕は水の元素が強い」
「どうするべきか……氷は難しい。ま、結露させるか」
「レーン・フローズ」
次は自分の番だと押し寄せた水の魔力は、空気を凍らせるものとして発露した。
掌から一直線上に水滴が現れ、白く霞む幕ができる。
熱と冷が繰り返されたことで風の元素がやってくる。
どんどんと気圧差は作られ、そして高気圧側では右向きの渦が、低気圧側では左向きの渦が形成された。
まるでクルクル巻かれた紙のように冷気は回転し、そして散っていく。
最も魔力の消費が大きい、いわば贅沢な使い方は広範囲に拡散することだ。
エドワードの周囲は冷気に包まれつつも、空気中で気圧が一瞬で変化したことに加え、温度差によって結露した水が地面を濡らした。
太陽の光を、小さな氷が反射する。
真冬の非常に寒い暴雪を伴う嵐でも見られる現象だが、それが温度差によって引き起こされた。
晴天は日光を広場に入れ、そして乾燥した砂はよく水を吸い込む。
ジワッと氷や水滴が直ぐに染み込まれ、灰色の砂塊へと変化した。
「けほっごほっ、ああもう粉っぽいなあ!」
その中央に向けて風が殺到する。気流は既にエドワードの周りを踊るようにして下降していた。
時間差で地面に叩きつけられた風が砂を巻き上げる。
粉塵が目に入ったのか、エドワードは目を擦りながら耳抜きをした。
「あっ!やっばーい…… 火の柱が通過したせいで大部分は黒焦げになった砂だ 」
黒焦げの砂の中にはキラリと輝く何かがある。
視線をその輝きに向け、見つめてみるとそれは黒曜石であった。
「あれ?でもちょっとだけ黒曜石ができてる?おかしいな、土の魔力なんて込めてないのに 。」
この惨状をどうしようか、とエドワードは嘆いた。
「砂が焦げたら入れ替えなきゃいけないし……!まずい!」
土の魔法を使えばどうにかなるかもしれないけど、土魔法はあんまり知らない。
「僕はどちらかといえば土魔法はあんまり使えないんだよなあ、そもそもあんまり知らないし。」
金属と土くれ、砂の操作など多岐に渡る。
だけども土属性に僕は関連性が見えない。
全く不思議なことだ。
魔導書には砂や土、そして石は金属で出来ていると書いてあったが、誰がそんなデタラメを信じるというのか。
僕は土魔法を知らない。
無知の知、知らないということを知っている。しかし誇らしげに言うことはできない。
無知をひけらかすような真似は恥だが、砂が金属である、だなんてことは迷信だと思う。
だってどうやったって砂は金属になりやしないじゃないか。
磁石に引き寄せられる砂は鉄の細かい粒だから金属だろうけど、それがない軽い砂はじゃあどうなの?という話。
熱して叩けば鉄になるのか?
ありえない。
黒曜石みたくなっちゃった砂は……ガラスの元があるってのは聞いたことがある。
まあでも転んだ時にヤバいから後で回収してもらおう。
素人が浅知恵で全て抱え込むよりより専門家の百人に任せた方が常に良い、と本には書いてあった。
「ふう……よし、逃〜げよっ!」
エドワードの逃げ足は素早い。だが、その足音には軽やかな逃避が宿っていた。
不思議な運動靴
鉄釘を打ち込んだ木靴。牛の革が何重にも巻かれた靴は砂を靴底で捕らえる
木靴は燻された木材特有の、良い香りがする。
靴の使い分けを可能とする階級のための、高貴な人間のための特別な品。