異世界転生したカール・マルクス 作:匿名
水車という物体は原動力を生む。
それはこのB地球という世界でも同じなようで、装置も同様の物が発明されている。
「ここが製材所かあ!でっかいなあ……」
目の前に広がるのは斜面の街。
方伯の辺り一面が風車で満たされた街とは違い、水車の連なりが川からいくつも見える。
耳をすませば各地で金属音のような音がしている。鋭く、澄んだ何かが弾かれる音。
おそらくどこかの水車式織機でホイールが周りきり、模様が刻まれたことを示しているのだろう。
小型の鐘が装置に取り付けられ、一連の工程が終われば知らせる。
水力という無限の動力源があるからこそ、このような近代的な機械が構築できるのだろうか。
しかし以前として、木材が鋸で斬られる音の方が圧倒的にうるさい。
木製の大きな歯車と小さな歯車が連なるその様は、雨が降った時に大変そうだなとかそういう感想を抱かせるものであったが、整備は楽そうだ。
「ふふ、それはここが子爵様の領地の中でも、いちばん栄えてる地域だからだよエドワード。」
「私はここが隣りの領地で良かったと思ってるよ。色んな製品がここで作られて、循環するのさ。」
語りかけるような声を隣の父が手を引きながら言っていたが、私の耳にはよく聞こえなかった。
周りの音がうるさいし、父の声が小さい。
私の目には押し出されていく板材が見えた。
それは何よりも、この世界で自動化という発想があることを示す重要なこと。
蒸気機関、内燃機関による産業革命が起きていなくとも人は水車だけでこのようなことが出来るのかと、驚愕の心地だ。
川の流れに沿って、板材は流れていく。
ただしそれは木の輪と外側の帯が連なった、自動で進む道の上だ。人力によって運ばれておらず、全てが川の動力で稼働する製材所。
なんとも都には高度な工学技術があるのだと驚きを隠せないでいると、夢中になっている間に父は私の手を引いて問いかけた。
「エドワード。製材所で板材になった木はどこに運ばれるか分かるかい?」
父の問いかけに、私は流れる板材から視線を外し、隣に立つ父を見上げた。
父は優しげな、それでいてどこか息子を試すような教育者の眼差しを向けている。
私は一度、轟々と音を立てて回る巨大な水車と、その飛沫を浴びながら規則正しく動くコンベアのような搬送路に目を戻し、思考を巡らせた。
「……川の下流にある、加工場ですか?」
父は満足げに頷き、指をさした。
「正解だ。だが、ただの加工場じゃない。あそこに見える赤煉瓦の煙突が立ち並ぶ区画――まあ、簡単に言うとだな。」
「木材を乾燥させるための街を構えているんだ。」
「すごいだろう?街の中に、街があるんだ。」
「切り出されたばかりの木材は水分を多く含んでいて、そのままでは反りや割れの原因になるからね。」
「伐採した木は数年くらい乾燥させるのが普通なんだけど、それを前倒しにできるんだよ。」
「あそこで蒸気と熱を使い、均一な品質の建材へと変えるんだ」
ほら、と父が指さしたのは巨大な石造りの塔。
ここから見る限りだと窓はひとつもなく、蒸気と思われる煙が上がり、少なくとも身長の10倍以上はあるような建物だ。
円錐状の塔はあまりに遠いのか、それとも蒸気のせいか、白く霞んでいるように見える。
私は父に引かれるまま、製材所の喧騒を離れ、川沿いの遊歩道を下流へと歩き出した。
馬車と歩道の分離というのもまたおかしなものだけども、子爵領は何から何まで驚きに満ちている。
さすがは城泊と言わざるを得ない。
子爵の城は本人から招かれたりでたまに行くことがあったが、やはり豊かだ。
馬車が行き交っているというのに遊歩道には誰も侵入しない。これほどの社会的道徳がある平民は、とても珍しい。
盗みやらなにやらで嘆願が届き、裁判で一日を終えることの多い私の父とは違う。きっと、豪華な日々を暮らしているのだろう。
歩くほどに、先ほどまでの断裁の轟音は遠ざかり、代わりにどこか水が飲みたくなるような乾いた熱気と、木の脂が焼けるような独特の香りが漂ってくる。
木酢液か何かの香りがして、馬糞の悪臭も無い都市。
衛生が最も進歩している街と形容すべきだろう。まあ、私が見た場所だけそうなっているとかかもしれないけれど。
今の気温が華氏で表すのなら90……いや、93ほど。
私が勝手にB地球と呼ぶこの世界。私は前世の記憶を微かに持っている。
誰だったかを今は克明と思い出せる。
素晴らしい友を得て、共同で著作を書き、妻と結婚してそして生涯を終えた。
そしてA地球では産業革命といえば石炭を燃やし、黒煙を上げる蒸気機関が主役だった。しかし、このB地球の工学は驚くほどに水と木に特化している。
川の落差を段階的に利用し、上流では荒削り、中流では精密切断と研磨、下流では熱交換器だろうか?ともかく、蒸気を用いた乾燥を行う。
一件、産業革命が起きているようでいて、鉄道もないし、この世界は技術がどこか飛び出たような印象がある。
だけども自然のエネルギーを無駄なく使い切るそのシステムは、一種の完成された芸術のようでもあった。
「そういえば父様。あの煙突から出ている白い煙は、石炭を燃やしているんですか?」
「いや、あれは木屑だ。製材所で出た端材や鋸屑をあそこの燃やし、その熱で木材を乾燥させる。無駄なものは何一つない。この循環が木工を支えるんだ。」
「それに、石炭を買って燃やすなんてわざわざする必要がないからねえ。」
循環。その言葉が私の胸にストンと落ちた。
この世界の人々は、魔法のような超常現象に頼り切るのではなく、物理法則を執拗なまでに突き詰め、自然と調和した機械文明を築き上げている。
いや、機械というより、水力機械か。平然と蒸気という存在はあるというのに、それが内燃機関として昇華されていない。
欠乏に基づく資本主義社会ではなく、順風満帆さに満たされた結果、停滞してしまった資本主義社会とでも言うべきか。
塔は近づくにつれて、どんどんと首を真上に向けないと先端が見えないほどになる。
遊歩道は広くなっていき、川の涼しさはどこへやら、熱気で暑さが増す。
錯覚でなければ火が炊かれている。この冬直前の寒々しい空気とは無縁のようだ。
木の香ばしい香りとツンと鼻を刺すような香りの混在する空気。
とはいえそこまで暑いというわけではない。おそらく、この目眩も、体が寒さに慣れてしまったが故に、いきなり暑いところに行くと気分が悪くなるだとか、そういうことなのだろう。
「うん?エドワード、疲れてきたか?」
「いえ、大丈夫です。」
すると父は私の額に手を当てると、驚いた顔をした。
「!エドワード……熱があるじゃないか!」
「急いで氷を食べなさい!体の中庸が崩れる!」
氷が突如として現れる。この前触れのなさ、そして詠唱の不在。間違いなく、これは魔術によるものだ。
「父上、魔術を使って良いのですか?父上、宝石力が尽きると体に悪いと聞きました」
「それは良いんだ。エドワード、よく聞きなさい。人の体は耐えられないと思うより先に、信号を出しているんだ。」
「しまった。日の下にいたせいだ。日射病は日陰にいると休む。木陰に行こう。」
父はそう言うと私を抱き抱え、走った。
どういうわけか四十歳という年齢にも関わらず特に身体能力が衰えている様子もない。
この世界の人々は、もしかしたらA地球の人達より頑丈なのかもしれないと、そう思った。
■
「属性の均衡が一時的に崩れただけな様ですね。大事はありません。安静にしておけば御子息は治りますよ。」
「既に寛解しています。もうすっかり元気なはずですよ。」
医者は属性表とやらをこっちに見せながら、父と喋っている。
耳鳴りのせいでよく聞こえないが、視覚は研ぎ澄まされている。
属性表は四つあって、だいたい……うーん、火・水・風・土、そういう奴に矢印が相互に引かれている。
既視感がある。
まるでギリシャか何かだが、確かに実体のある体験談として理解できる。
私の父はどうやらあの後、家に連れて帰ったらしい。
たぶん脱水か何かだろうけど、随分と大袈裟だ。いや、貴族だから仕方がないのかも知れないけど。
「エドワード、外にいきなり連れ出して悪かった。」
「いえ……都市に行くより先に、周辺の都市を見たいと言ったのは僕です。」
ときどき、勝手に喋るこの体。最初の頃は一体何なのだと思いもしたが、納得して過ごしていた。
だがやはり言葉が何かおかしい気がする。
何かに引き寄せられるような風に、このエドワードという子供の体が覚えている口調になる。
抗うこともできるが、相手によって勝手に口調が変わるのは一体全体どういう事なのだ……
十五年もの時間をこの世界で生きてきて常識が抜けていないのもおかしい気がするが、まあそれは今更だ。
この現象について少し、本格的に知るべきかもしれない。
転生という現象が存在し、まさに体験している真っ最中である以上、この肉体に意識があり、その意識が顕在化したり影響を私に与えている……という仮説も立てられる。
急に思考の視野が狭まるのも恐らく、A地球の知識を所有しているのが私であり、エドワードというB地球の人間の脳に存在しない為だろう……
知識の主体はどこにあるのかという話はおそらく魂。
この世界に魂魄という概念があるのかどうか分からないけども、超越的な思考を行える個という私を考えると魂の実在については明確に答えが出ている。
エドワードとして考えている時はこのB地球の常識がある。しかし、私として考えている時にはその知識がおそらく無くなっており、それを認知出来ない。
ハッキリわかった。
この無知は、知識の喪失によって引き起こされる物だ。
宝石力と魔力の差を私は理解できない。呪文の非効率さは理解したが、なぜ詠唱をしなければ魔法は発動しないのかが理解できない。
宝石力を使う魔術はなぜ詠唱をしなくていいのか?私は、それが理解ができない。
ありとあらゆる、常識というものが空っぽになっているのだ。
呪文を書いた所を起点にして魔法を行使できる?ならば、手で触れた物にしか影響を与えられない魔法とは、呪文によって補強されるものではないのか。
なぜ騎馬が魔法や魔術のある世界で現役であるのか?
A地球では銃火器の普及で戦列ができた。
魔法は社会階級問わず詠唱さえできたら使用可能になるのだから、魔法が戦争の武器の立ち位置になるはずだ。
それにも関わらず、クロスボウもしくは長柄のフレイルがメイン騎馬の武器とは驚いた。
近世と近代の混ざりあった世界なのかと思えば急に現代のような工場がある。
蒸気機関はないがパンチカードのついた紡績機があるのなら、もはや技術ではA地球と同等なはずだ。
それにも関わらず封建制が破れていない理由は?
全くわからない。まるで、空中に投げ出された石ころのように無力だ。
されど、知識を深めて、私がこの世界の見識を深めれば分かる。今までの勉強ではダメだったのだ。
この勝手にしゃべり続けるエドワードという肉体が学んだことは私の記憶にならない。
私が知らなければ、肉体知のみでしか分からなくなる。
それだけは避けたい。
常に感覚が共有されているというのに私には何の利益もなく、ただこのエドワードが老衰したら共に死にゆくだけかもしれない。
水力の利用
それは川を定期的に掘り下げ、流れを滞らせぬことから始まる。
浚渫のための、土属性と水属性を混合した二属性混合魔法が用いられる。
土魔法使いは厳密には二属性混合魔法を扱える者であることが多い。
そして、彼らは優れた社会を築く礎の中でも最も重要な魔法使いである。