異世界転生したカール・マルクス   作:匿名

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第八話

 

 

 

「火の魔法を極めるために土魔法がいる!? なんで!?」

 

カールの……いや、今はエドワードとしての私の叫びは、書斎の静寂を切り裂いた。

 

目の前に広げられた魔導書の記述は、私の知るA地球の――1883年までのロンドンで積み上げた――科学的常識を、根本から、しかし妙に納得のいく論理で揺さぶっていた。

 

 

 

魔導書には、さらなる汎用的な火力を求めるために土魔法が必要だと説かれていた。

 

その視覚的な例として挙げられていたのは、使い古された農具や、赤茶けて崩れゆく錆びた鉄などの金属だ。

 

書によれば、土魔法によって金属の錆を消すことができる。だが驚くべきはその後だ。錆が消えたあとの空気には燃素が多分に含まれるというのである。

 

燃素――それは錆が解消されたときに出る、火が燃えるのに必要な元素。

 

燃素は空気中に豊富にあるが、密室で燃やしすぎると補充が間に合わずに火が絶える。

 

そうなれば、魔術を使わなければ火を維持することはできない……。

 

「あ、いや待てよ?なるほど、私が言葉の定義が違うだけか」

 

私は顎に手を当て、思考を巡らせた。

このB地球では、A地球の原子論とは異なる用語が使われているらしい。

 

火の元素、すなわち燃素。これは明らかに酸素のことだろう。

 

ラヴォアジエのような先駆者がこの世界にもいたのだろうが、せっかくの発見を、私がA地球では否定された燃素説の亡霊のような名で呼んでしまっていた!

 

 

直訳すれば燃えるのに必要な元素だから、略して燃素。実に素朴な命名をしてしまっていたのだ。

 

 

「よし、火の元素とは酸素のことだ。」

「理解した……理解した」

 

だが、読み進めるうちに私は再び眉をひそめた。

 

「水も土魔法で消すと燃素が出る……しかし、消費する魔力に対して得られる成果が釣り合わない、だと?」

 

水の分解に膨大なエネルギーが必要なのは理解できる。1880年代の最新の化学でも、水の電気分解には強力な電池が必要だった。

 

 

だが、なぜ錆びた金属の方が効率が良いのか。

錆びた鉄から酸素を引き剥がす方が、水から酸素を剥ぎ取るよりも容易だというのか?

 

もしや土魔法という未知の変数が金属に対して特権的な干渉力を持っているのか。

 

とにかく、試してみる価値はある。

 

私は屋敷の書室を飛び出し、走った。

階段を一段どころか三段、三段どころか五段と飛ばして、踊り場までジャンプした。

 

 

ギーッという木の鳴る音が、足を離すと同時にした。不思議なことに私が通る道ほどよく音が鳴る。

 

 

「父上、亜鉛の金属板ってありますか?」

 

私は一階に降り、当代の当主である父に尋ねた。

 

「亜鉛だけの金属板? ああ、銅じゃなくてかい?」

 

 

父の問いに、私は一瞬虚を突かれた。

 

銅と亜鉛。1883年の知識をなんとか回そうと魂が疼くような感覚がした。

 

亜鉛と銅。ボルタ電池やダニエル電池の電極だ。

 

 

お父様は、私が何か電池のような、あるいは…ひょっとして合金としての真鍮でも作ろうとしていると思ったのだろうか。

 

 

「魔導書に土魔法の燃素の放出について書いてあったので、ちょっと錆びた金属を試したくて」

 

「うーん、どこにあったかな。多分探せばあると思うんだけど……。それ、私が昔読んだ教育用の魔導書と同じものだよね。たぶん東棟の倉庫に魔導教育用のセットがあるはずだけど……今はすぐに出せないな。次のページを見ておいで。時間はたっぷりあるんだよ」

 

 

「はい、父上!」

 

私は再び階段を駆け上がって書斎に戻り、はやる気持ちを抑えてページをめくった。

 

だが、そこに記されていた理論に、私は絶句した。

 

 

『錆びていない状態とは、土の元素が金属と結びついている状態を指す。一方、錆びた状態とは、金属が火の元素と結びついている状態である』

 

……何だと?

 

錆びていない――すなわち純粋な金属の状態が、何らかの元素が付着している状態だというのか?

 

「錆びていない状態こそが、金属に土の元素が着いていることだったのか……!?」

 

私は頭を抱えた。

 

私の知る化学では、純粋な鉄(Fe)は単体であり、それに酸素(O)が結びつくことで酸化鉄(FeO)、つまり錆になる。

 

だが、この魔導書の理屈では、鉄という土台があり、そこに土の元素というパーツがパズルのようにはまっている状態こそが輝く金属なのだという。

 

光沢が消えた状態というのが元素が消えた目安らしい。

 

そして、その土の元素が追い出され、代わりに火の元素が入り込んだ状態が錆なのだと。

 

 

『燃素が空気中に、普遍的に存在する証明としては錆である。』

『同じように、全ての元素は普遍的に存在することが証明出来る。水の元素は……』

 

 

 

衝撃のあまりに本を閉じた。

 

 

 

水の元素は、当たり前だが水には含まれていない。

 

正確にいえば火の魔力を打ち消す状態のことを水の魔力があると言うらしく、水の元素は他の元素と同様に、環境を示す言葉だ。

 

 

たとえばこの世界、B地球において燃素がある、つまり火の元素がある状態というのは酸素がある状態だ。

 

だが燃素がない状態というのがどうやら水の元素がある状態と言うのだと。

 

そして、水の元素と火の元素というのは定義上、両立不可能なものである。

 

 

まあここまでは当たり前なことだ。

 

「水の元素は、火の魔力を打ち消す状態……」

 

私は独りごちた。酸素を奪い去り、燃焼を不可能にする真空の環境。それをこの世界では水の元素と呼んでいる。

 

空気抵抗の無い状態で重力が質量に関係なく働く証明は、この世界において極めて容易にできる。

 

風魔法で空気を抜けば良いのだ。

 

最も、これは常に維持する必要があるのだが。

 

 

「だがどういう事だ?燃素が無い状態の金属は土素がある状態ということを言っているぞこの本は!」

 

 

私が、四元素になぞらえて翻訳しているだけだ。しかし、これには何か大きな……何か大きな誤解があるんじゃないか、と思っている。

 

元素を魔術の説明に私が勝手に用いたのが悪いのだ。これは元素の範囲で説明が着くものでは到底無かった。

 

 

土の元素そのものへの理解を改めなければならない。

ただ金属に付いているものと聞き及んではいたが、これ程とはな。

 

 

 

「ダメだ、未知の語彙が多すぎる。私が翻訳できない!」

 

 

一旦、分からない部分をアルファベットに置き換えよう……

 

『金属を分解して燃素を得る工程、つまりAは土素と燃素の入れ替えというB反応によって起きる』

 

AとBを埋める語彙。これが私の知識に存在しない!

 

かといって異世界語を借用するのはどちらかというと避けたいのだ。ドイツ語でどうにか造語してやるには何とも難しい。

 

 

 

 

 

 

 

「A……B……。くそ、私の知性をもってしても、このパズルが埋まらん!」

 

 

いつの間にか砂が落ちきっていた砂時計をひっくり返して置き、私はこめかみを指で押さえた。

 

既に魔導書を読んでから2時間が経過している。2時間もこのページで停滞しているのだ。

 

1883年のロンドンで、私は友と資本主義の構造を解体し、価値の根源を暴いた。

 

物質の循環についても、当時の最高峰の科学者たちと議論を交わしてきた自負がある。

 

だが、この土の元素という言葉が指し示している実体が、私の知る物質としての原子ではないのだとしたら?

 

 

もう一度、冷静に論理を整理しよう。

 

私の知る錆落としとは、酸化物から酸素を奪う反応だ。

 

魔導書の論理では、それは土の元素を注入し、火の元素を追い出す行為だという。

 

つまり、酸化鉄と鉄を例にするのなら純粋な金属(Fe)は、金属それ自体ではなく金属と土の元素の複合体なのだ。

 

「なら金属とは一体なんなんだ!?」

 

 

「純粋な金属は……鉄(Fe)からさらに土の元素を剥ぎ取った先にあるはずだ。」

 

「だが錆(酸化鉄)に土素を注入して鉄に戻したのに、重さが減っているだと!? 何かを『注入』したなら、重くなるのが道理ではないか!」

 

「まさか……負の質量を土素は持っているのか?そうとしか考えられん。天秤で観測できない、つまり……負の質量を持っているということじゃないのか?」

 

 

本のページを3ページも前に戻る。

 

砂にも土にも金属が含まれているとした、あの52ページ。

 

私にとってこの記述は衝撃だった。

だが、何か……今ならわかる気がする。

 

土魔法によって、土や砂、そして石から金属が作れるらしい。

 

それを再度考える必要がある。どうして砂から金属が取れるのか?

 

鉄を磁石で取り除くと、砂はガラスの元になる石英がある。

そのままでは濁った緑色のガラスなはず……

 

石英……石英が金属?いや、そうとは書かれていない。重要なことは土にも砂にも金属が含まれているという記述だ。

 

 

この異世界語で金属と言われている物は……ひょっとして、A地球の化学よりも先を行く、そんなものでは無いのか。

 

 

砂から金属が作れるのか?いや、鉄の三分の一の軽さの金属といえばアルミニウムなはずだ。

 

土から……アルミニウム?ばかな。そんなはずがない!

 

アルミニウムの原料は赤色の粘土、ボーキサイトだ。土や砂からアルミニウムができる?

 

ばかな、ばかなばかなはがな!

 

 

「待てよ……じゃあ、私が亜銀と訳した、あの銀にも似た、しかし軽い、そして輝くような食器は!」

 

 

「アルミニウムのカトラリー!?」

 

 

 

「ナポレオンの甥がもし、この世界を見たらどう思うのだろう?」

「アルミニウムを誰よりも愛した、あの三世は……!」

 

 

「物体を持ち上げるのにエネルギーが必要なのは、それが正の質量だからだ。負の質量を持つ物体なら、手を離せば空へ向かって上昇する!この上昇エネルギーを利用……」

 

 

 

 

 

「おーいエドワード、亜鉛板は……おっと、まだ考えている最中だっかな?」

 

 

「はっ父上、何時からそこに」

 

 

「うん?ノックはしたよ。いやあ、何か熱中しているようだったから声は掛けなかったんだ。」

 

 

「それよりも父上、その亜鉛板にたくさん燃素が有りますよね」

 

 

「まあ錆びてるからそうだね?」

 

 

「父上、僕は思索を巡らせた結果、ある偉大な発見をしました」

 

 

「ほほう」

 

「聞こうじゃないか」

 

 

「土素は負の質量を持ちますね?」

 

 

「うん?いや持たないよ」

 

 

「えっ」

 

「土素を足して質量が減るなら土素は負の質量じゃ……」

 

 

「ああ、基本的に元素は重さをほとんど持たないんだ。燃素がどちらかと言えば特別なんだよ。」

 

 

「えっ!?」

 

「土の元素は……わずかに負の質量を持つ元素ですか?」

 

 

「いや、間違いなく正の質量を持つ元素だね。」

「ただ、ちょっと軽すぎて普通の天秤だと観測できないんだよ」

 

「それに、測る最中も空気を抜いとかないと錆びるし、今度は風の元素がね……」

 

「風の元素は真空の場所に押し寄せようとするから維持するのが難しいんだ。」

 

「ああ、つまり、もしかして元素にも重さの種類があるんですか?」

 

 

「うん。まあ、基本的には火がいちばん重くて、土がいちばん軽いよ。」

 

 

「水は?水の元素はどうなんですか」

 

 

 

「あー……お風呂があるじゃない?」

 

 

 

「ありますね」

 

 

「例えば、あれに小さな船を浮かべるとする」

 

 

「はい」

 

「すると船の底では水から空気の存在する……風の元素がある方向に押し付ける力が働くんだよ。」

 

 

「浮力ですね」

 

 

「で、この浮力っていうのは体積に依存していて、水深は特に関係していないんだ。まあ、完全に沈むと違うけども」

 

 

 

(そうか……! 鉄を水に沈めたとき、鉄を押し上げる水の元素は、鉄の側にあるのではない。)

(鉄を包囲する、水という環境が、空間における鉄の存在を否定しようとする力なのだ。)

 

驚いたな。この世界の魔法体系では、浮力……もしくはそれに類似するもの、それを元素と呼んでいるのか!

 

水は水の元素ではないと魔導書は断言していた。『水がそこにあることによって生じる、周囲への物理的な影響力』こそが水の元素の正体……。

 

 

私が水の元素を液素と訳し、私が土の元素を土素と訳し、私が火の元素を燃素と訳し、私が風の元素を圧素と訳した。

 

 

じつに私は愚かだったが、本質を確かに付いていた!

 

 

燃素: 質量を与える関係

土素: 性質を変える関係

液素: 外から押す関係

圧素: 空間を満たす関係

 

 

この魔導書のページに書かれた関係こそが!この関係こそが!

 

「父上、そういえば、この亜鉛。本当にこの程度で火の魔法の火力が上がるのですか」

 

 

 

 

 

「うん?ほぼ無視できるくらいだね」

 

 

 

「えっ」

 

 

「でも、ちょっとは上がるよ。まあ、二属性混合魔法を完璧に出来るようになってから試そうね。」

 

 

 

「父上、僕は火の柱を出せます。二属性混合魔法を使えますよ」

 

 

 

「いいかいエドワード、完璧というのは一回成功しただけではダメなんだ。百回やって百回成功する、それが完璧だ。」

 

 

 








物理への理解

元素は魔術や魔法を理解する時に用いる、マルクスがA地球のようにした訳語である。

土素の正体は電子であるが、マルクスの死亡した年から語彙には存在しなかった。彼の語彙は、1883年から動いていないのである。しかし、異世界言語を借用することで動き始める……


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